第27話 銀狼
――その場にいた誰もが呆気にとられていた。
風に揺れる銀色の長い髪と、白く丈の長い特攻服。
その少年が纏う空気は明らかに、この場の誰よりも異質で、ただそこに立っているだけなのに、その存在感に皆が気圧される。
彼はバイクのヘルメットをハンドルにかけ、足元の瓦礫を気にも留めずに踏み砕きながら、ゆっくりと前を歩いていく。
彼の視界には、凝視する不良達の姿は入らず、中央に聳え立つ山の頂上にいる三人のみが映っていた。
「助けに来たぞ――白鐘」
彼の声は、この場には不釣り合いなほどに穏やかものだった。
「パパ……」
「黒澤四郎……」
「ほう……」
「なっ、なんだあのダッセエ服の野郎は?」
それぞれ別々の反応を一身に受けるも、それらを気にすることなく彼は加賀宮の方に視線を移し、娘を安堵させるための優しい眼差しから、最大の敵意を込めた視線へと一転する。
「その汚ねえ手をさっさと離せ、糞野郎」
「うっ――!?」
瞬間――加賀宮の背筋が凍り、思わず白鐘にかけた手を離してしまう。
「――ふん」
それを確認し、改めて諏方は周りを注意深く観察する。不良らしき男達が二十名超。素手やバット、木刀を持っている者もいた。
ガラクタの山の上には、白鐘とそのそばに加賀宮、その少し離れた所には黒いスーツの男。
あれがおそらく姉の言っていた魔法使いであろうと、諏方の中で確信を得る。彼は他の男達と違い、その佇まいから隙を一切見せていない。
諏方は背後にいた少女に目線だけを向けた。
「あいつがどれぐらい強いかわかるか? シャルエッテ」
急に呼ばれた少女は戸惑いながらも、顎で示された黒スーツの男を注意深く観察する。
「……おそらく、魔法使いであることには間違いありませんが、今はたいした魔力は感じません。多分力を温存していると思われるので、実力は未知数です。――それにしても、どこかで見たことあるような……」
「そうか……シャルエッテ、危ないから下がってろ」
その言葉を受け、シャルエッテは一時呆然とする。
「えっ? わわわっ、私だって、あああっ、足手まといかもしれませんが、がががっ、頑張れますよ――」
「――ちげーよ。こんな奴ら、俺一人で十分だって言ってるんだよ」
そのあからさまな挑発に、不良達が苛立たしげな表情で一斉に諏方を睨みつけてきた。
「あんだてめえ? なに舐めたこと言ってんじゃゴラァ!」
一人の男が、木刀で肩をポンポンと叩きながら彼に近づく。諏方よりも頭二つ分は大きい男だった。
「テメーがナニモンか知んねーけど――とりあえず死ねや?」
男は有無を言わさず、木刀を振りかぶり、諏方の頭に目がけて振り下ろす。
――だがその木刀は、最後まで振り下ろされる事はなかった。男の手首を、寸前で諏方が握り締めていたのだ。
「あだっ!? あだだだだだだだだぁ!」
そのまま、諏方は男の手首を握り潰すように締めつける。男は痛みのあまり、握っていた木刀を落としてしまった。
「ばっ、バカな……どっ、どうなってやがるんだ……?」
他の不良達は、信じられないものを見るような目で、その光景に唖然としていた。
「――オラァ!」
諏方は握り締めていた男の腕をそのまま、身体ごと倉庫の奥側目掛けて投げ飛ばした。
「がはっ――!?」
轟音と共に、男の背中が壁に強打され、白目を剥き、口から泡を吹きながら床へと倒れた。
男の身体がぶつかった壁は大きくへこみ、一部が瓦礫となって、倒れた男に降り注がれた。
「…………っ」
不良達は言葉を失っていた。仲間の一人が背の遥かに低い少年に、腕一本で身体を投げ飛ばされたのだ。いくつもの喧嘩を経てきた猛者である彼らでも、目の前で起きた出来事は信じられず、ただ戦慄に背中を震わせていた。
「……チッ。ちょっとばっかし、社会人生活に長く浸かりきっちまったな。俺もずいぶんと甘くなったもんだ……。昔なら、俺に近づいた時点で半殺しだぞ」
威嚇するように、他の不良達を睨みつける諏方。その圧倒的な威圧感に、他の不良達は結局、手を出すことが出来なかった。
「おい、加賀宮、俺もこれ以上力を振るいたくねえ。今すぐ白鐘を返せ。おとなしく返すなら、お前らにこれ以上、手出しはしない」
諏方は再び、加賀宮へと視線を向けた。しかし、彼は返答も出来ずに、ただ恐怖で身体を震わせているだけだった。
「――情けないとは思いませんか?」
彼の隣にいたスーツ姿の男が、他の不良達に冷たく見下すような目線で語りかける。
「相手の実力が未知数とはいえ、所詮はたった一人。彼の後ろにいる少女は、なんの何の役にも立たないようですし、人数だけならあなた達の方が勝っているのですよ? 数は立派な武器です。その武器をもって、彼を容赦なく叩き潰してあげましょう」
不良達は未だ戸惑う様子を見せながらも、不安を拭いきるように、敵意を再び諏方に向ける。
「そっ、そうだ……数で攻めれば、俺達が負けるわけがねえ」
「あっ、アイツがやられたのも、ただのまぐれだろ?」
「しゃあっ! あんなチビ、ブチ殺すぞちくしょう!」
黒スーツの男は、わずかな言葉だけで不良達の闘争心を仰いだ。
明らかに、他人を動かすことに長けた人物だった。諏方は彼に対し、最大の警戒心を向ける。
――足をガラクタの山へと進める。
動き出した彼に不良達は次々と、各々の武器を握りながら襲い掛かってきた。
「おっらぁぁああああああ!」
「死ねやぁ、コラァ!?」
「俺達を舐めんじゃねえぞぉ!」
一斉に振り下ろされる凶器。しかし――、
「あぶっ――!?」
「あがっ――!?」
「おごっ――!?」
不良達の攻撃が届く前に、彼らは突風に煽られるように、次々と壁にまで身体を突き飛ばされていった。
「なっ――何が起きてやがるんだ!?」
控えていた他の不良達は、またも目の前の光景に唖然としていた。
「なんなんだよ、あれ……? 何でアイツ、ただ歩いてるだけなのに、何で他の連中が次々とブッ飛ばされてくんだよ!?」
彼らの眼には、黒澤諏方はただ――歩いているようにしか見えなかった。
諏方は懐に来た不良達を、身体の軸を動かすことなく、腕の力だけで素早く殴りつけているのだ。
それは――余程の動体視力がなければ捉えられぬほどに、素早い動きだった。
まるで銀髪の少年の周りにだけ暴風が吹き荒れているかのように、彼に襲い掛かる不良達は次々と壁にまで吹き飛ばされていく。四方の壁には、死に体が積み上がっていくばかりだった。
「舐めんなや、ゴラアァァァアアア!」
最初の男よりもさらに、連中の中で最も巨漢でスキンヘッドの男が、釘刺しバットを振り上げながら、背後から諏方に迫り来る。
――ボキッ。
諏方は振り向くことなく、ただ拳を軽く突き上げただけで、釘刺しバットは腐った枝のように、呆気なく折れてしまった。
「――ひょっ?」
鼻水を垂らしながら折れたバットを見て絶句していた巨漢を相手に、諏方は素早く後ろに振り返り、彼のシャツを掴み上げて、軽々とその巨体を持ち上げた。
「ラァアッ――!」
掴み上げた巨漢の身体は、一本背負いの要領で床へと叩きつけられた。地響きと共に巨体の背中を叩きつけられた床は、小さいクレーター状に割れへこんでしまう。当然、巨漢の男は他の不良達のように、白目を剥けて気を失ってしまった。
「っ……」
巨漢の男を最後に、残った不良達の戦意はすっかりに喪失してしまった。
「うっ、嘘だろ……なんなんだよ、あのデタラメな強さは……?」
「ばっ……化け物だぁ……」
まるで降伏するかのように、力が抜けた手から凶器が次々と、甲高い音を鳴らしながら床へと落ちていく。
もはや不良達の中に、これ以上白の特攻服の少年に襲い掛かろうという者はいなくなった。
「――おっ……俺よう……聞いたことがあるぜ……」
圧倒的なまでの強者に動けなくなる不良達の内の一人が、震える声で語りだす。
「おっ、親父が元暴走族なんだがよぉ……当時ではけっこうデカイ族に所属してたんだよ。その族がある日、『銀狼牙』って不良チームにケンカを売ったんだ。そして、五十人以上も所属していた親父の族は、たった一人の男に壊滅させられちまったんだ……。シルバーファングのリーダーであるその男は……白い特攻服を着た、銀色の長い髪の男だって、親父が言ってた……」
その特徴はまさに、彼らの目の前の男と一致していたものだった。
「ばっ、バカ言ってんじゃねえよ!? そんなの、もう何十年も前の話だろ!? 目の前のあの男が、その暴走族を潰した、なんとかってチームのリーダーなわけねえだろ!?」
「俺だってわかってるよ! でも……もしアイツが親父が言ってた男だとしたら……俺達が敵うわけがねえ! その男は……畏怖を込められてこう呼ばれたらしい――銀狼――と」
久方ぶりに呼ばれたその名に、諏方は少しばかり懐かしみを感じつつも、怯えた表情の不良達を一瞥して、呆れのあまりに嘆息する。
「たくっ……現代の不良どもは悉く軟弱だな。その程度の腕で、悪人気取ってんじゃねえよ」
それだけを戦意喪失した不良達に吐き捨て、彼は再びゆっくりと歩を進め、ついに残骸の山へと足をかけた。
不安定な足場を彼は難なくと登っていく。ゆっくりと近づいてくる獣に、頂上の少年は戦慄していた。
「くっ……来るなぁ……こっちに来るなぁっ……!」
加賀宮は、迫り来る獣の恐怖から後退しようとした足を滑らせ、尻餅をついた体は坂を滑り落ちて、諏方の目の前でようやく止まった。
「ひっ――ひぃっ!?」
加賀宮にとって、いつもは見下ろしていたはずの背の低い転校生が、今は冷たい眼差しで逆に見下ろされていた。
「おおおっ、お前はいったい……?」
涙目で尻餅をついたまま後ずさる彼には、かつて学校のアイドルだった時の面影はすでにない。
「しっ――白鐘さんは返す! だから……頼むから殴らないでくれぇ……!」
腕で顔面を庇い、加賀宮の視界が暗くなる。少しして聞こえるは、誰かが横を通り過ぎる音。
「今のテメェなんざ――殴る価値もねえ」
たった一言――たった一言で、加賀宮祐一は切り捨てられた。
腕をどかし、視界を開ける。
横を通り過ぎた少年の憤怒の瞳は、すでに加賀宮には向けられていなかった。銀髪の少年の視界に、もはや彼は映ってすらいなかったのだ。それは――殴られるよりも、致命的な痛みをもった一撃だった。
「――――っっっ!」
加賀宮祐一は何も出来なかった――自身が王であるはずの残骸の山にて、彼は役者にすらなれなかったのだ。
彼は悔しげに、ガラクタの一部を握り締めて、『喧嘩上等』と書かれた特攻服翻すその小さな背中を、ただ黙って見送ることしか出来なかったのだった。




