第46話 不良と魔女の誓い
「ヴェルレイン! 貴様、まだ変わり身の魔法を使える程度の魔力を残していたのか⁉︎」
日傘を差しながら見えないイスに座るように空中に浮かぶ魔女を、イフレイルは忌々しげに見上げる。
「当たり前でしょ? 私は私の目的を諦めない。境界警察なんかに、まだ捕まるわけにはいかないのよ」
唖然となって見つめる大勢の境界警察たちにヴェルレインは冷たい視線を突き返す。その表情は先ほどまで死闘に執念を燃やした『ヴェルレイン・アンダースカイ』から、元の冷血な『日傘の魔女』へと戻っていたのだった。
「……まあでも、これで正真正銘私の魔力はほぼ尽きかけたわ。しばらくは魔力を回復させるために、魔法使いとしての活動は自粛せざるを得ないわね。――でも、私はいずれ必ず魔女の宝玉を手に入れる。そのために、どのような手段を使っても――」
「――おいッ!! 待てやコラ、このクソ女ァアッ!!!」
突如、娘の膝に頭を預けたままでいた銀髪の不良が空に浮かぶ魔女を睨みながら、その場にいた者たちがとっさに耳をふさぐほどの大声で怒鳴り上げた。
「ッ……何を突然怒ってるのかしら、黒澤諏方? あなたとの決着はついたんだから、今さら口を挟む事もないでしょ――」
「――うるせぇッ!! テメェ……全力を出し切ったフリしやがって、俺との闘いでまだ余力を残してたんじゃねえか⁉︎ こんなん引き分けでもなんでもねえッ! こっちはもう動けなくなるぐらい全力を出し切ったっつうのに、まだ魔法を使う魔力を残してたテメェの勝ちじゃねえか、バカ女!!」
大声でまくし立てる諏方にヴェルレインの魔女としての冷酷な顔は引っ込んで、ドン引きと呆れの中間くらいの表情を見せた。
「まったく……いくら若返ってても中身は成熟した大人なのだから、罵倒の言葉も少しは着飾ったものにしなさいな。それに私はあなたと違って追われる身なのだから、逃走用の魔力を確保しておくのは当然でしょ? それを除けば私もあなたとの闘いに全力を注いだのだから、素直にあなたの勝利を喜びなさいよ」
「んな屁理屈知るかぁッ!! とにかく、テメェが余力を残してたってんなら、二ラウンド目はテメェの勝ちだ! テメェが納得しようがしまいが、これが引き分けだなんて俺は認めねえからなッ⁉︎」
明らかお前の方が屁理屈だろうと言いたげな目でヴェルレインは諏方を見下ろし、他の者も呆れるような視線を彼に向ける。
「ハァ……変なこだわりが強いところも、お父様そっくりね……」
誰にも聞こえないほどの小声でつぶやき、ヴェルレインは改めて真剣な表情になって銀髪の少年を見つめる。
「いいわ、黒澤諏方。今回は勝ちを譲られてあげる。一ラウンド目の殴り合いはあなたの勝ち。二ラウンド目のバースト魔法と拳のぶつかり合いは私の勝ち」
「これでお互い一勝一敗。真の意味での引き分けだ。今度こそ、お互いに闘う力が残ってねえのなら――」
「「第三ラウンドは――いずれまた」」
諏方は左腕を空に向けて突きつけ、それに応じるようにヴェルレインは右腕を突き返す。
お互い燃えるような目つきで再戦を誓い、ヴェルレインは蜃気楼のようにゆらゆらと揺れながら姿を消してしまった――。
「あ⁉︎ そ、総支部長! 今すぐ魔女を追うよう指示を! 魔力痕をたどれば、魔女の逃走先もきっと――」
「――無駄だ。簡単に魔力痕を残すようなマヌケなら、とうの昔に捕まえられている。先ほど宙に浮いていたのも、変わり身の魔法と同じ分身体だ。本体はおそらく、すでにここから遠く離れているだろうさ……」
取り乱す部下に対し、イフレイルはタバコを取り出して火をつけながら冷静に状況を判断する。
「それにしても、やりたい放題暴れたあげくに勝手に魔女との再戦の約束まで取り付けるとは……まったく、こちらの苦労も知らずに満足そうに寝おって」
イフレイルのこぼす憎まれ口の通り、いつのまにか諏方は満足げな表情を浮かべて、娘の膝に頭を預けたまま寝息を静かに立てていた。
「いいじゃないですか? 彼の奮闘のおかげで、私たちは助けられたんですから」
ウィンディーナの言う通り、諏方がこの場に駆けつけてくれなければ、境界警察やシャルエッテたちは魔女の虐殺を受けていただろう。
彼が魔女の憎しみを受け止め、闘わなければ多くの犠牲を出すところだったのだ。
「っ……」
イフレイルはしばらく何か逡巡するように諏方を見つめた後、ため息をつきながらタバコの残りを小さな爆炎で灰にして散らし飛ばした。
「急ぎ、境界警察治療施設に黒澤諏方を搬送する準備をしろ」
総支部長の一言にウィンディーナを含めた彼の部下全員が信じられないものを見るかのように、目を丸くして彼をボーっと見つめる。
「いいんですか、イフレイル総支部長? シャルエッテちゃんの治療時の付き添いですら、人間の境界警察署内の出入りをかなり渋ってましたのに……それに、境界警察治療施設での人間の治療は御法度だったのでは?」
「支部長以上の認可が必要なだけであって、明確に禁止にしているわけではない。今回はオレの責で許可を出す。特に右腕の負傷はバースト魔法によるもの。人間の医者に頭を抱えさせるよりは、我々で治療した方が魔法の秘匿という観点から見ても得策であろう」
言いながらイフレイルは何もない空間に手をかざし、門魔法で空間に孔を開ける。
「オレは一足先に本部へ戻る。上にいろいろと報告をしなければならんからな。まったく……今日は頭が痛くなる事の多い一日だ」
またもため息を吐き出しながら孔をくぐろうとする足を一度止めて、イフレイルは眠ったままの銀髪の不良へと振り返る。
「――これで貸し借りはなしだぞ、黒澤諏方」
それだけを言い残し、境界警察のリーダーは足早と荒野と化した山の上の広場を去って行った。
「まったく……我が上司ながら、ホンット素直になれないですね。まあでも、極度の人間嫌いだった総支部長自ら人間の境界警察署への出入りを許可しただけでも、大きな一歩でしょう」
上司の相変わらずな態度に呆れ笑いながらも、彼がわずかにでも人間相手に歩み寄った事実を、側近として彼を長く見ていたウィンディーナは嬉しく思うのであった。
「というわけで、白鐘ちゃん――お父さんは魔法使いの病院で治療するから、もう少しだけ待っててね?」
「あ……はい!」
銀髪の少女の戸惑いつつもハッキリとした返事を確認すると、ウィンディーナはすぐに他の部下たちに声をかけ、諏方の搬送準備に取りかかる。
あれよあれよと目の前で事が進み、白鐘はしばし呆然とはしているものの、膝上で眠っている少年の吐息に気づいて彼の寝顔を見下ろす。
「強くなりなさい――か……」
白鐘は父と敵対していたヴェルレインの、自身へかけた言葉を反芻する。
なぜ彼女がそのような言葉を投げたのか、真意はわからない。ただ強くなれと抽象的なことを言われても、じゃあどう強くなればいいのかなど、今の白鐘には見当もつかなかった。
ただ――父を信頼はしていても、このままずっと父が傷つくのを黙って見ていたり、守られるだけではいられない――その想いもまた、彼女の心に強く生じていたのだ。
「しろ……がね……」
「っ……」
起きている様子はない。――きっとお父さんは、夢の中でもあたしを守ってくれているのだろう――。
今はどうすればいいのかわからない。だからこそ、ゆっくり時間をかけてでも考えよう。
――お父さんのために、あたしに何ができるのか――。
白鐘は心の中で父に対し、彼女なりの考え方で強くなる事を堅く誓うのであった。
「……むにゃ」
「…………」
ふいに見せる父の無邪気な寝顔に娘は愛おしさを感じる。
彼女視線の端から、シャルエッテたちが二人に駆け寄って来ているのが見えた。もちろん諏方たちを心配しての事だろう。
――でも、悪いとは思いつつ到着までの数秒間だけは、この寝顔はあたしが一人占めしちゃおう――。
「頑張ったね、お父さん」
激闘の後とは思えないほど穏やかな寝顔で眠る父の銀色の髪を、娘は優しく撫で下ろすのであった。




