第37話 決戦〜諏方VSヴェルレイン〜⑦
――魔女は自称するものではなく、他の魔法使いにその実力を認められる事で初めて敬称ばれる忌名である。
原初の魔女のみが使えた、あるいは理論を構築したとされる究極魔法を習得した者――。
他の魔法使いたちが使えない独自の魔法を開発した者――。
他者を圧倒する魔力量を内包する者――。
他にも細々とした事項はあるが、魔女と呼ばれる者たちにはいずれも上記の一つ、あるいは複数の該当する能力を有している。
いずれも努力だけではたどり着けぬ極地にあり、それらの『才能』が認められる者たちこそが『魔女』と敬称ばれるのである。
魔法という能力の極限に至った者――魔法使いの誰もが魔女に対してそう認識しているからこそ、この場にいる魔法使いたちの誰もが、一人の人間と血を流し合いながら魔法をほとんど使わずに殴り合っているという目の前の光景はあまりに異常であったのだ。
「ウォアアアアアアッッッッ――!!」
「ハァアアアアアアッッッッ――!!」
雄叫びを上げ、血がにじむほどに強く拳を握りしめて、それを相手の顔や身体にぶつける。
こんな野蛮な闘い方は魔法を使えない人間の劣等な手段であり、真っ当な魔法使いならば拳で殴り合うなどという発想などまず浮かぶ事がありえない。そんな発想を口にしようものならば、異端と蔑まれてもおかしくなかった。
だがそんな異端な手段をあろう事か魔法を極めたはずの魔女が使っているという事実に、魔法使いたちはただただ信じられないものを見るかのように唖然としながら見つめることしかできない。
「…………」
誰も言葉を発さずに静かに見守ってはいるが、魔法使いたちのいずれも目の前の闘いの様相に心中をかき乱され、動悸が激しくなる者すら見受けられる。
そんな中ただ一人――イフレイル・レッドヴェランは闘いの行方を冷静に分析していたのであった。
「この闘いの決着が速い――とは、どういう意味なのでしょうか……イフレイル総支部長?」
先ほどの上司の発言に若干戸惑い気味にそう返すのは、イフレイルの隣に立つ部下のウィンディーナであった。
「ままの意味だ。あの二人の実力は互角と見ていいだろう。だが……経験の長といったところか。ほんのわずかだが、ヴェルレインの方が息の上がるスピードが早くなっている」
「っ……⁉︎」
言われてウィンディーナも様子の変化に気づく。睨み合う二人の呼吸はほぼ同じリズムのように聞こえるが、わずかにだけヴェルレインの方が吐き出す息の間隔が早いのだ」
「互いに同等のダメージを与えてるように見えて、その実黒澤諏方の方が、的確な急所を見極めて攻撃をくわえている。攻撃力ではなく格闘術としての技能の差が、黒澤諏方をわずかながらに優位に立たせているのだ」
「っ……それじゃあ、この戦況がこのまま続けば……」
「まだぬか喜びするのは早い。相手は魔女だぞ? このまますんなりと勝たせるような相手ではないのは百も承知のはずだ。だが……ウィンディーナ、いつでも前に出れる準備はしておけ」
「え?」
上司の続く言葉にキョトンとするウィンディーナ。しかし、ヴェルレインへと向ける彼の鋭い視線に、これから彼がどう動こうとしているのかを、長年彼の下で働いてきた部下は察する。
「魔女の逮捕――諦めてたんじゃなかったんですか?」
少し嫌味まじりにからかうような口調で上司を見上げるウィンディーナ。
「無謀に立ち入らぬのと、目の前に転がったチャンスを拾わないのは同義ではない」
イフレイルとウィンディーナは他の者にバレぬよう、最小限に魔力を研ぎ澄ませる。
この決闘が終わった後、その結果の是非に関わらず二人は疲弊した魔女を逮捕るために、全神経を改めて目の前の二人へと集中させるのであった。
――――
「ダアアアアッッッッ――!!」
「ハアアアアッッッッ――!!」
決闘が始まってから何度目かになる二人の殴り合い――。
もはや防御という選択肢など二人はとうに捨てており、それぞれの拳が顔面や腹部、腕や脇などに次々にクリーンヒットしていく。打撃が顔や肉体を直撃するたびに、二人は口から血を吐き出して、地面を染める紅はさらに広がっていった。
やがて殴打の嵐が続くうち、どちらともなく二人は脚を強く踏み込んだ。諏方は右腕に、ヴェルレインは左腕に気を集中させ、これが最後と言わんばかりに拳にありったけの力を込める。
「ダァアラアアアアッッッッ――!!!」
「ウォアアアアアアッッッッ――!!!」
諏方の右腕とヴェルレインの左腕が交差し、互いの頬に拳が激突する。
「ぐっ――!!」
「がはっ――!!」
殴り合いが止まり、両者共によろけながら一歩後ずさりする。
「ハァ……ハァ……」
「ゼェ……ゼェ……」
荒い息を吐き出しながら、今にも倒れそうな身体を気合いで立たせ続ける諏方とヴェルレイン。嗤う余裕すらもなくなり、ただただ摩耗しかける瞳で互いを睨み合っていた。
「…………くっ……!」
両者互角の膠着状態になるかと思いきや、ここでさらに一歩よろけそうになる身体を後退したのはヴェルレインであった。
イフレイルの目測通り、わずかにだが諏方の方が戦況を優位に立っていたのだ。
「っ……」
しばらく諏方をくやしげに睨み続けるヴェルレインであったが、やがて大きく息を吐き出し、背筋を伸ばして改めてまっすぐに、彼の瞳に視線を合わせる。
そして――!
「認めるわ――あなたへの敗北を」
「「「なっ――⁉︎」」」
「…………」
魔女の敗北の宣告に周囲はどよめき、諏方は無言で彼女を見つめ続ける。
「いつかこの日が来ると予感し、私なりに鍛錬を積んだつもりなったけれど、あなたの経験の差を埋めるにはあと一歩及ばなかったわね」
自身の敗北を淡々と語る彼女はしかし、まるで憑き物が落ちたかのように穏やかな表情を浮かべていた。
「でも――ここまでは人間の領分での話」
だが、それもすぐに冷たい魔女の表情へと変貌する。
「――ここからは、一人の魔女としてあなたと対峙する」
そう告げると同時に周囲の空気が冷たいものへと変わり、
「――ッ!」
諏方は反射的にすぐさま構える。
そんな彼の動きを無視し、ヴェルレインは突如空高く飛び上がると、諏方の背後に回り込んだ。その手にはいつのまに戻していたのか、彼女の杖である日傘が握られていた。
「魔力を持たない人間であるあなた相手には、私の得意魔法である『日傘魔法』の特色は活かせない。かといっていくつかの魔法を小出しにしたところで、生半可な魔法ではあなたに通用しないのもわかっている。だから……」
日傘を開き、頭上にかかげるいつもの立ち姿。しかし、その表情はいつもの相手を小馬鹿にしたような微笑みはなく、真剣そのものな瞳で諏方を見据える。
「たった一つ――たった一つの魔法だけを使って、あなたとの決着をつける」
たった一つ――それは手を抜いて一つの魔法だけで倒すという意味ではない。その一つの魔法に全力を注ぎ、倒すという意味合いであった。
当然、その魔法は魔女にとっての切り札とも言う事になるであろう。
「…………」
諏方は構えは解かず、無言のままヴェルレインを見つめ続ける。彼女が使う魔法とはなんなのか――彼は最大限の警戒を彼女へと向けた。
観戦者たちもまた、魔女がわざわざ口にするたった一つの魔法に関心が集まり、ざわざわと静かに騒ぎ立てている。
そして――彼女が告げた魔法は、そこにいる誰もが驚愕を隠せない魔法名であった。
「バースト魔法――今残っている我が魔力全てを用いて、黒澤諏方――私はあなたを倒す」