第29話 決戦前②
一歩ずつゆっくりと、互いの間合いを縮める不良と魔女。
二人の強者を纏う空間は静寂そのもの。それはまるで嵐の前の静けさのようで、ひとたび戦闘となれば周囲を吹き荒さんが如く激しいものになるであろうと白鐘たち少女四人、さらには境界警察たちですらも恐怖の中に入り混じった高揚感に胸を高鳴らせた。
「――不思議な男だな、黒澤諏方というやつは」
一人そうつぶやく赤髪の魔法使いは、タバコを口にくわえてライターがわりに指先から魔法の火を灯す。
「『魔女』という絶対的な存在を前にすれば、誰もが抱くは『絶望』のみ。情けない話ではない……紙に火をつければ燃えるのと同じで、それは自然の法則として成り立ってしまっているんだ。だが――あの男が現れてから、明らかに空気が変わった」
目の前には魔女。広場は結界に囲まれて出られない。そんな絶望的な状況の中で――、
「――今、黒澤諏方を見る者たちの眼には『希望』が宿っている。誰しもが諦めた魔女の打倒を、あの男なら成し遂げられると言わんばかりにな……」
そう語る男の表情には怒りにも悔しさにも似た、複雑な感情が色に出ていた。
「……案外、理にかなった希望だと思いますよ、私は」
「なに?」
イフレイルの隣に立つウィンディーナもまた、希望の光を宿した瞳を銀髪の少年にへと向けている。
「相手の魔力を奪い取る日傘魔法は、我々魔法使いにとってはまさに最悪の相性とも言うべき魔法。だからこそ、魔法を使わない人間こそが魔女を倒すことができるかもしれない。何より――黒澤諏方の実力を境界警察は知っている……!」
境界警察は秘密裏に、黒澤諏方の過去の戦いと若返ってからのデータを記録していた。ゆえに境界警察たちは彼の実力を把握しており、そして信頼を置いていたのである。
「……フン、甚だ不愉快ではあるが、どうやらあの男にこの町の命運とやらを託さねばならぬようだな」
紫炎を吐き出し、険しい表情でイフレイルはこれから魔女へと挑む少年を静かに見つめた。
――――
「さてと――」
諏方は一息入れた後、自身の荷物から白の特攻服を取り出し、バサっと袖を通して身体に纏う。
「……やはり、それがあなたにとっての戦闘に入るための心の切り替えなのね」
「ん? まあこれは、俺の不良時代からの正装みたいなもんだからな」
ヴェルレインが言った通り、この特攻服は諏方がかつての不良時代にまで|精神を戻し、敵と全力で闘うための戦闘服のようなものであった。これを着るだけで、黒澤四郎は黒澤諏方に戻ることができるのだ。
「それじゃあ私も――あなたと闘うための準備をしておかなくちゃね」
そう言うとヴェルレインは開いていた日傘を閉じ、それをおもむろに地面へと突き刺したのだ。
「「「――っ⁉︎」」」
日傘の魔女と呼ばれた彼女があろう事か自身の武器を捨てるかのような突然の行動に、諏方を含めその場にいた全員が驚きを隠せずにいた。
「魔法使いとして闘っても、あなたの不死身のようなタフさにこちらが根負けするも可能性もゼロではない……。だから――」
――静寂であった空気に、一気に緊張が疾る。
「――あなたの流儀で、あえて闘ってあげる」
そして今度こそ、諏方は驚きで言葉を失った。
――彼女は呼吸をした。
――もちろん、ただの呼吸ではない。
「――『気』を、全身に纏ってやがる……⁉︎」
ヴェルレインの他者を萎縮させる威圧感は変わらず、しかし彼女の纏うオーラは魔法使いの持つ魔力のそれではなく、武の達人の域に至った者のみが持つ『気』に酷似していたのだ。
「……なるほど。魔女め、自らの魔力を気に変換したな……!」
イフレイルはすぐさまヴェルレインの変化を分析し、導き出した結論に歯噛みする。
「え⁉︎ 『魔力』を『気』に変換する魔法なんて、聞いた事がありませんよ⁉︎」
「だが理論上は可能だ。そもそも魔力と気は、どちらも精神エネルギーを元に生成される。性質が似通ったものであるならば、変換そのものもそう難しくはあるまい。変換魔法を得意とする日傘の魔女ならなおさら、その精度はより高いものになっていると見ていいだろう……」
「――それだけじゃねえよ、イフレイル」
突如、魔女を前にしていた諏方がイフレイルとウィンディーナの会話に割って入る。
「な、人間がオレを呼び捨てだと……⁉︎ 総支部長か、せめて『さん』を付け――」
「――ヴェルレインは魔力を気に変えてるだけじゃねえ……呼吸法を使って、体内で一から気を練り上げてやがるんだッ……!」
今にも周りを押し潰しかねないヴェルレインの圧倒的なる気――それは彼女が魔力から変換された気と、呼吸によって生成された気が合わさる事で、尋常ではない大きさの気が彼女の周囲を纏っていたのであった。
気の風圧にあおられ、ヴェルレインの装飾の入った黒いローブがマントのように背中の外側に向けてたなびく。ローブの下には彼女の肢体をくっきりと強調させる艶かしい黒くてピッチリとしたボディスーツが着込まれていた。
「へぇ……いつもローブ姿だからわからなかったけどよ、なかなかにナイスボディじゃねえか?」
「あら、そういうのセクハラって言うんじゃないかしら、黒澤諏方?」
「セクハラだねぇ」
「セ……セクハラです……」
「セクハラキモいよ、お父さん」
「せくはらってなんですか!」
「うおい⁉︎ 後ろの四人娘! てめぇらまで煽り合いに乗ってんじゃねえ⁉︎」
面白がられたり恥ずかしがられたり、軽蔑や好奇心の混じった視線を少女たちから向けられ、諏方はため息をつく。
「……しかし、さすがに驚いたぜ。まさか気を操れる魔法使いがいただなんてよ」
気を取り直して諏方は、再びヴェルレインの方へと向き直る。
「魔法使い同士の戦いは、遠距離での魔法の撃ち合いがそのほとんどを占める。ゆえに、魔法使い同士で近接戦になる事は滅多にない。でも、その滅多に起こりえない戦い方すらも想定し、鍛錬して事こそ魔女はより完璧へと至る――それが、私が自分を鍛えるうえでの考え方よ」
「……意外に真面目なんだな、アンタ」
普段の余裕ある態度で勘違いしていたが、彼女は悪人であるにしろ、その根本は真面目な努力家であるのだろうと、諏方はヴェルレインへの認識を改める。
「……一つ告白をするとね、私はあなたと出会うずっと前から、あなたのことを知っているのよ――黒澤諏方」
「……え?」
突然の魔女の言葉に、諏方も思わず困惑してしまう。
「もしかして……俺のスト――」
「――話の腰を折らないでくれるかしら?」
若干イラついた様子を見せながらも、彼女はさらに諏方を驚かせる事実を告げる。
「私も目撃者なのよ――『中央高速の決闘』のね」
「……………………ハァアアアアアアア!!!???」
今日何度も驚かされてばかりの諏方であったが、ここにきて一番に驚愕した反応を見せた。
「テメェも、あの決闘の場にいたって事かよ⁉︎」
「いいえ。あの時も今と同じように、私はこの狭間山の丘に立っていたわ。……あの時、山向こうで騒がしくしていたのが気になって、遠見の魔法でこの丘から高速道路の方まで見ていたのよ――あなたと、『蒼龍寺葵司』の決闘をね」
「っ……」
まさか目の前にいる、不良とは対極に位置するような存在である魔女から蒼龍寺葵司の名前が出るとは思わず、諏方は不思議な感覚に包まれた。
「そして…………ハァ……正直口にするのは嫌だし、未だに認めたくはないのだけれど……」
魔女を髪をワシャワシャとかきながら、顔を赤くしてまるで恋する乙女のような――これまでの彼女を知っていればまず信じられない恥ずかしげな表情を見せて、その先を口にする。
「…………見惚れてしまったのよ、あなたたち二人の――不良の決闘にね」




