第27話 八つ当たり
「城山市A地区、電力供給量安定!」
「桑扶市E地区、電力復旧! 電力回路異常なし!」
「所長! クレームの電話が殺到しています! 合わせて桑扶市、城山市、両市長から問い合わせの連絡が――」
様々な町に電気を供給するための施設である発電所――ありとあらゆる機械が所狭しと立ち並ぶ部屋に、数十の人間が険しい表情で右往左往に動いていた。
「はぁ……やはりとんでもない事になってしまった……ぐ、軍人さん! 本当にどうにかしてくれるんだろうねぇ⁉︎」
そんな中、この発電所の責任者であろう初老の男性がため息をつきながら、隣に立つ黒いレザージャケットを着た長身の女性に抗議の視線を送る。
「まあまあ、この件に関しては私が全ての責任を負いますので、そこはご安心を」
所長や発電所の職員たちを落ち着かせようと椿は笑顔でなだめるも、職員たちら何かに怯えるように表情を青ざめさせ、所長は恐る恐るながらより激昂した様子を見せた。
「そんな笑顔で銃を向けられて、安心などできるかッ⁉︎」
――七次椿が桑扶市か最も近い発電所に到着したのは、ヴェルレインが天地逆転魔法を発動させるほんの数分前であった。
彼女は自ら軍部関係の人間である事を明かして早々、職員たちに銃を突きつけて、城山市と桑扶市の送電を一瞬だけ止めてくれと脅したのだ。
そしてスマホ越しにヴェルレインが天地逆転魔法を発動するちょうどのタイミングで職員たちに合図を送り、町の電力を止めて見事に魔女の魔法を不発させたのであった。
「本来は正式な手続きを踏んだうえで停止依頼をかけたかったのだが、時間が切迫していたゆえ、強引な手段に出た事はお詫びしたい」
椿は銃を下げると同時に、所長や職員たちに向けて頭を下げる。
「事情は申し訳ないが、私の口から語ることはできない。だが先にも言ったように、一時停電による負債や損害、その他全ての責任は私が背負う。……貴方たちは二つの町を救った英雄だ。そうは言われてもピンとは来ないかもしれないが、どうかその事は誇ってほしい」
顔を上げた椿の表情は真剣なものへと変わる。銃は相変わらず握っているのでここで職員たちから詰め寄られる事はないだろうが、それでも何を言われても受け止めようと、彼女は彼らから視線を逸らさず、まっすぐに前を向いた。
「…………」
職員たちは椿の態度に戸惑い、所長はしばらく睨むように彼女の瞳を見つめ返した。
「……仕事に戻るぞ。俺たちは俺たちにできることをするだけだ」
彼女を怒鳴り散らしてもおかしくない状況で、しかし所長は彼女の真剣な態度を見て何も言わず、職員たちも何人かは未だ銃に怯える者や不審な視線を向けてはいたが、それでも黙ってそれぞれ自分たちの作業へと戻っていったのだ。
「…………ありがとう」
銃を向けられていたゆえに彼らはおとなしく指示に従っていたというのを理解したうえで、それでも彼らが協力してくれた事に椿は再度頭を下げ、感謝の意を示すのであった。
◯
『――とまあ、そういうわけだ。日傘の魔女、貴様は人間が培ってきたエネルギーを利用しようとしたが、貴様の計画を打ち破ったのもまた人間だったという事なのだよ』
スピーカーモードの進のスマホ越しに語られた停電の真相に、ヴェルレインはしばらく呆然としてしまう。
「……たとえ一瞬でも、発電所の電気を止めただなんて……七次椿、あなたはいったい何者なのよ⁉︎」
『おや? こちらのことは存じているとばかり思っていたが。七次椿――ただのしがない工作員さ。娘は小学生、夫とは円満。愛しい弟と姪っ子にも恵まれた、褐色美人のお姉さんだ』
「っ……」
独自のペースで主導権が握られず、ヴェルレインは怒りの矛先を上手くぶつけられずに、もどかしさでただ歯噛みすることしかできない。
『さて……ウィンディーナ、私はまだ魔法の知識は浅いのだが、魔法の発動に使用する魔力は、たとえ不発になっても失われるという認識で合っているかな?』
「え……? あ、はい、お姉様! その認識で間違っていません……! 車を運転して目的地を間違えても、それまでに使用したガソリンが戻らないのと同じで、結果の是非を問わず魔法に使用した魔力が戻ってくる事はありません」
『やはりな。先ほどの震動の大きさからして、かなりの魔力を消費したんじゃないかい? 少なくとも、再度天地逆転魔法を使う分の魔力はもう残ってないと見るが、どうかな?』
「…………」
魔女は何も語らない。閉じていた日傘を開き、目元を覆って彼女の表情が読み取れなくなってしまう。
「……不本意ではあるが、人間どもの機転によって貴様の目論見も潰れたな、ヴェルレイン」
イフレイルが一歩前に出る。同時に、人命救助のために散っていた彼の部下たちが、空から広場へと再集結した。
「数十年にわたる複数の魔法使い殺害の容疑、その他不法入界などの多数の容疑で貴様の身柄を拘束させてもらうぞ、ヴェルレイン・アンダースカイ」
「…………」
やはり、魔女を何も喋らない。しかし、イフレイルたちもその場から一歩も動けず、静寂の中に喉がひりつくような緊張感が流れた。
――そして、一分にも満たぬ間を置いて、魔女は静かに口を開いた。
「おめでとう、みなさん。あなたたちの活躍により、魔女の野望は無事阻止されました」
口は笑っているが目元はやはり見えず、ただ彼女は日傘の柄を腕に挟んで渇いた拍手の音を送る。
「といっても、天地逆転魔法が二度と使えなくなったわけじゃない。また何十年とかかるでしょうけど、一から魔力を集め直せばいいだけ。だから――」
本日、もう何度めかわからない山の胎動――違う、山が揺れ動いたように感じたのは錯覚であった。目の前に立つ一人の女性から放たれる圧倒的なまでの威圧感が、そんな錯覚を起こさせたのだ。
「――ここからは、私のただの八つ当たり」
日傘が上向きに傾き、あらわになった顔は無表情となっていたが、その目は大きく見開いており――、
「今この場にいる全員は例外なく殺す。命乞いなんて聞かない。抵抗することも逃走することも許さない。……よくも私の夢をブチ壊しやがって……お前たちの断末魔を聞くまでは、私の怒りは収まらないッ……!!」
――今までで一番の怒りをストレートに表へあらわしたのであった。
「……そ、総支部長……日傘の魔女は、天地逆転魔法の失敗で魔力を大量に失ったのではないのですか⁉︎」
「……それは間違いない。だが、奴の元からの膨大な魔力量を考えれば、その大半を失ってもこの場にいる全員を皆殺しにできる程度の魔力がまだ残っていたという事だろう……」
「そ、そんな……」
絶望で顔が青くなる境界警察のメンバーたち。
「っ……」
イフレイルはしばらく何か逡巡するような様子を見せるが、やがて意を決したように腕をまっすぐに構え直す。
「オレが囮になる。貴様らはシャルエッテ・ヴィラリーヌたちを連れて、さっさとこの山から脱出しろ!」
囮になる――その発言に、イフレイルの部下たちは魔女への恐怖が一瞬かき消えるほどに驚きを隠せないでいた。
彼は部下を平気でコマのように扱う冷徹なタイプであり、自らが囮になるという言葉が彼の口から出るなど想像もしていなかったのだ。
「い……いくらなんでも、総支部長一人じゃ無茶です! せめて全員でかかれば、今の魔女なら勝てる可能性も――」
「たわけ! 魔女相手には勝てる勝てないの次元にはない! そして貴様らが加勢したところで、稼げる時間もたいして変わりはしない。……ならば、今は一人でも多く生き残る事を全てにおいて優先させるべきだ……!」
「総支部長……」
イフレイルの背中がこれほど広く見えるのは初めてではないだろうか――部下たちの彼を見つめる瞳に、憧憬の光が宿る。
「……そう、殊勝ね。でも言ったでしょ――逃走することは許さないって」
ヴェルレインは左手で日傘を握り、もう一方の手を頭上高く上げる。すると、半透明のガラスのような膜がイフレイルたちを包むように、丘の上の広場全体を覆ったのであった。
「しまった! 結界か……!」
「そうよ。この結界は外から中には入れども、中にいる者が外に出る事は許さない『蟻地獄の結界』。ここから出る方法は、私を倒す以外にはない――つまり、何人もこの結界からは『絶対』に脱出できないのよ」
ヴェルレインの残酷な宣言に、今度こそ全員の顔が絶望に染まる。もはや彼らに残された道は、魔女の蹂躙を受け入れる以外他になかった。
「チッ……クソ魔女めが……!」
「まだ悔しがる余裕があるのね……でも、それもすぐに絶望に変わる」
そしてゆっくりと、これから断罪する者にギロチンを降ろす処刑人のように、魔女は一歩前へと出る。
「一人一人、ゆっくりと時間をかけていたぶってあげるわ。あなたたちはただ嘆き、後悔なさい。これが、魔女を怒らせるという事――」
『――まあ、そう焦りなさんな、日傘の魔女どの』
もはや絶望以外に何もない空気を切り裂くようにいつもと変わらない声調を響かせるは、通話状態のままにある進の電話越しにいる椿であった。
「七次椿……安心しなさい。ここにいる全員の処刑が終わったら、次はあなたを殺してあげる。ここにいる誰よりも、惨たらしくね……!」
椿はヴェルレインの天地逆転魔法を直接阻止したという理由で、当然ながら一番に魔女からの恨みを抱かれていた。
『ふむ、こちらとしてもぜひ手合わせを願いたいところだが、今日は残念ながら辞退させてもらうよ』
「……何を言っているの? まさか、私から逃げられるとでも思――」
――瞬間、森をざわつかせるほどの爆音が響き渡る。
『――今日、貴様は倒すのは私の弟なのだからね』
――響き渡る音はエンジンの駆動音。
広場の山道へと続く開けた出入り口――その先から飛び上がるは、一台の大型のバイクであった。
「スガタさん……!!」
バイクは着地と同時にタイヤごと車体を横に滑らせながら、躊躇なく結界の中へと入ってそのままヴェルレインの少し手前で止まる。
「――さて、何が起きたかはわからねえけど、その顔を見る限りは姉貴にでもこっぴどくやられちまったみてえだな」
バイクには二人の人間が乗っている。その内の前方――小柄な男性はヘルメットを外して銀色の長い髪をフワッと広げながら、不敵な笑みで目の前に立つ魔女を見上げる。
「だろ? ――ヴェルレイン・アンダースカイ」
「黒澤……諏方ぁッ――――!!」




