第26話 賭け
どうして――、
『お父様!』
どうして――――、
『お父様ッ!!』
どうして――――――私の前から消えるこの時になっても、貴方は――、
『おとうさまぁぁッッッッ――――!!!』
――いつものように、笑えるのですか?
◯
「天地――」
告げられる。世界の理を破壊す魔法の名は――、
「逆転――」
――どれほど、この時を待っていたのだろうか。
――あまりにも、あまりにも永い時間。
――この時のためにヴェルレインは魔女の忌名を背負い、多くの魔法使いたちの命をその手にかけてきた。
――今さら正当化する気などない。
――でも、この願いだけは、
――この願いだけは、誰にも否定させない。
――どれだけこの手を血に染めようとも、
――どれだけ魔法使いたちから呪われようとも、
――全ては、私の一番大切な父を救うために。
「――魔法ッ!!」
――その瞬間、世界は黒に染まった。
突風が吹きすさび、シャルエッテたちの髪や服を激しくはためかせる。
「……………………どうなったんでしょうか?」
風が収まり、暗闇の中でまぶたを細めながらシャルエッテは辺りを見回す。
灯りのない山中は何も見えない。
――少しして、暗闇の中で白い明かりが灯った。
眼に映った世界の景色に――――――変化はなかった。
足の下には地面。頭上は雲が覆って見づらくはあるが、間違いなく夜の空が広がっていた。
変化が見られたのは、視線の先に立つ日傘の魔女の方。彼女は地面に日傘を突き刺した体制のまま、呆然とした表情を見せていたのだ。
「…………えっと、あまちなんとかって魔法は、発動したのでしょうか……?」
何が起きているのかを把握できず、シャルエッテは戸惑い混じりの疑問を口にする。
「……いや、天地逆転魔法が発動していたのなら、とうに天と地が逆さまになっているはずだ……」
そう説明するイフレイルも、そしてウィンディーナやシャルエッテもやはり、この状況に混乱する様子が見られた。
「どうして……」
やがて魔女が口を開く。呆然とした表情に、その声は震えながら――、
「どうして――天地逆転魔法発動の瞬間に――――停電が起きたのよ⁉︎」
――それは、叫びにも似た怒りの咆哮のようで。
「……なるほど、天地逆転魔法発動の際に停電が発生し、それにより魔力が不足したものと見なされて、魔法が不発したという事か……!」
「それじゃあさっきの停電は、ヴェルレインの魔力変換魔法によって起きたものではなく、偶然発生したものなんですね……!」
イフレイルとウィンディーナを拘束していたツタが緩まり、二人はツタを引きちぎってすぐに体勢を立て直す。
『総支部長! 先ほど停電が発生した模様ですが、天地逆転魔法は発動されたのでしょうか⁉︎』
どこからともなく、アナウンスのようにイフレイルの部下の一人である男の声が、広場にいる全員の脳内に直接響く。おそらくはテレパシー魔法を使って、こちらの状況を確認しようという事なのだろう。
「いや、くわしい状況は確認できていないが、どうやら天地逆転魔法は不発したようだ。そちらの状況は?」
『周辺住民が数名、停電によるパニックを起こしていますが、まだそれほど大きな騒ぎにはなっていません。我々も町に到着するまではとステルス魔法を使用していたので、幸いにも人間たちには見つかっていない状態となっています』
部下たちの機転により、どうやら人間への魔法の秘匿は守られたようで、イフレイルはホッと息を小さく吐いた。
「よくやった。では、今すぐこの場に戻ってくれ。余計な混乱を増やさないよう、ステルス魔法を維持したままでだ」
『了解!』
報告を終えると、テレパシー魔法による通信がプツリと途切れる。
「偶然か奇跡か……なんにしろ、貴様の目論見は破綻したようだな、日傘の魔女」
「偶然……? 奇跡……? そんな都合のいい……そんな都合のいい偶然など、あってたまるものかああッッッッ――!!!」
魔女の怒りの雄叫びが痛いほどに鼓膜を揺さぶり、呼応するように山全体を振動させた。
「誰だ……誰が停電なぞ仕掛けた⁉︎ 偶然なはずがない……ここにいる誰かが停電を仕掛けたはずだ……! ここにいる誰かでなければ、私が天地逆転魔法を発動するタイミングを見計らって、停電を起こせるわけが――」
『――その怒りようを聞く限り、どうやら賭けには勝てたようだね』
――どこからともなく声がする。先ほどのテレパシー魔法のように直接脳内に響く感じではなく、どこか遠くから話しかけているような声が耳へと聞こえていたのだ。
「っ……この声は……⁉︎」
この場で一番に驚いたリアクションを見せたのはウィンディーナであった。彼女以外にも、その声を聞いて戸惑う者は多い――ただ一人、スマホを片手にかかげた天川進を除いて。
スマホは通話状態になっており、そしてアドレス帳に登録されていた者の名は――、
『初めまして、日傘の魔女、ヴェルレイン・アンダースカイ。私は以前からあなたを知っているが、こうして会話を交わすのは初めてになるな』
「七次……椿ぃ……!!」
進のスマホを通して聞こえる声は、諏方の姉である七次椿のものであった。
『おや? 名高き魔女に知ってもらえているとは、実に身に余る光栄だ』
「貴様の軽口に付き合う気なぞない! ……貴様なのか、町全体を停電にしたのは……⁉︎」
いつもの冷静さが完全に消え失せ、荒々しい口調でヴェルレインが電話越しに椿へと問いただす。
『ご名答だ。ニューヨーク三日間の旅でもプレゼントしてあげたいところだが、あいにくその手のサービスは現在受け付けていなくてね? ――さて、冗談はともかくとして、概ねあなたの尋ねた通りだよ、日傘の魔女』
茶化しめいたジョークを混えつつ、椿はつとめて感情を表に出さずに魔女との会話を続ける。
『境界警察からの連絡を受けてからこの一日、私はあなたがどんな行動に出るかを予測した。境界警察の資料にまとめられていたあなたのデータ――人間界への潜伏、魔法使い狩り、得意魔法である"日傘魔法"の特性……この時点で、あなたがなんらかの理由で魔力を集めているのではないか――そこまではすぐに私でも予測がつけた。魔力を集める目的――これに関しては、重要性はそれほどないと判断した。魔力を集める過程においてさんざん悪事を重ねたんだ。たとえその先に崇高な信念があろうと、それがあなたの凶行を止めない理由にはならない』
「っ……」
『ならば、こちらが動くうえで何が最も重要になるか――それはタイミングだ。日傘の魔女、あなたの用心深さは資料だけでも十分に読み取れた。そんなあなたを崩せる瞬間があるとすれば、それは自らの目的が達成されるその寸前。そして今朝、認識遮断の魔法をかけられて内容は不明瞭ではあったが、あなたが境界警察に直接妨害したという事はこの日に大きく動くであろうと私は確信した……!』
「さ、さすがお姉様……あの少ない情報でそこまで分析できていたなんて……!」
『とはいえ、今朝時点では私はどう動けばいいか、判断材料がまだ足りていなかった。いくつか予測を立てつつ、境界警察の再度の連絡を待った。……二度目の連絡から得られた情報は二つ。日傘の魔女が狭間山にいる事。そして、シャルエッテちゃんとフィルエッテちゃんが魔女と戦い、さらにその場に進ちゃんも居合わせていたという事。ここで進ちゃんが現場にいたというのは僥倖だった。これこそ偶然ではあるが、彼女とは先日連絡先を交換していてね。おかげで、こうしてスピーカーモードで通話状態にする事で、電話越しにそちらの状況をリアルタイムで把握できたのだよ……!』
「えへへー、それほどでも……!」
『それはそれとして、その場にいるという事に関しては、あとで弟にたっぷり説教されなさい。……といっても、今日に限ってはあいつも説得力には欠けるだろうけどね』
呆れ笑うような声が電話越しに聞こえ、言ってる意味がわからずに進は首を傾げる。
『なんにしろ、進ちゃんのおかげでそちらの状況は常に把握ができるようになった――そして私は、ある賭けに出る事にしたんだ』
「賭け……だと……?」
『日傘魔法の特性から、私は一つの予測を立てた。それはあなたが外部から魔力とは異なるエネルギーを魔力へと変換し、残りの足りない魔力を補充する――という予測だ。あなたがシャルエッテちゃんの魔力を奪ってからすぐに行動を起こさなかった時点で、必要な魔力量が足りないであろう事には気づけたからね。電話越しにあなたの会話を聞くことで予測は確信に至ったが、問題はなんのエネルギーを魔力に変換するか……ここからが賭けだった』
――ふいに電話の向こうからいくつもの電子音らしき音の重なりと、複数のざわざわとした人間の声が聞こえた。
『私はあなたがエネルギーを奪うのを阻止するため、ある場所に向かったんだ』
「ある場所……? 七次椿、貴様今どこにいる⁉︎」
さらに騒がしさを増す人々の声と電子音。そんな中でも透き通るように、椿の声ははっきりと耳に届くのであった――。
『――――発電所だよ』




