第20話 情報はお墓参りの後に
――六月十五日、午後五時――
「ふぁ……もうこんな時間か……白鐘、そろそろ帰るか?」
「そうね……名残惜しいけど、夕ごはんの準備もしなきゃだしね」
そう言って銀髪の少女は母の墓の前で屈んでいた身体をゆっくりと立ち上がらせ、腕を思いっきり上へと伸ばして軽くストレッチをする。空を覆っていた雲はほとんど払われ、まもなく訪れる夕闇に染まるのを待つように、日が沈む様子がよく見えた。
――この時間までの間、諏方と白鐘の父娘二人は墓石の清掃、花の取り替え、合間に霊園近くにあるそば屋で昼食をとったり、河川敷の方まで軽いツーリングをしたりなど、いろいろとやっている内にあっという間に八時間ほどを二人で過ごしたのであった。
「夕飯作る気でいんのか? 誕生日なんだからいつもみたいに外でおかず買って、今日はゆっくり過ごしゃいいじゃねえか?」
黒澤家ではいつも家事をやってくれる白鐘を労うため、娘の誕生日には料理をさせずに外で高めの惣菜やケーキを買って誕生日を祝うとともに、忙しい彼女にゆっくり過ごしてもらうのが毎年の恒例となっていた。
「う〜ん……たしかにゆっくりしてもいいんだけど、今家にいるのはあたしたち二人だけじゃなくなったんだし、人数分のお料理買ってったら高くついちゃうでしょ? 今は椿叔母さまに生活費を肩代わりしてもらってるんだし、向こうは気にしないって言うんだろうけど、過度な贅沢はやっぱり気が引けちゃうわよ」
「そ、そうか……」
どこか歯切れの悪い父の返答に、娘は訝しげな視線を彼へと向ける。
「……何よ? 娘の手料理より、外で買った高級なおかずの方が食べたかったの?」
「な、そんな事ねえよ! そ、そりゃあもちろん、白鐘の手料理の方が、一番に決まってるじゃねえか……!」
「……っ?」
今度は少し慌て気味になって答える父に、いよいよもって怪しむ娘。
もちろん諏方にとって、娘の手料理がこの世のどんなごはんよりも美味しいのは間違いない。たとえ高級レストランの有名シェフの料理を並べられたとて、娘の作った一品が横にあれば迷いなくその一皿を手に取り、娘の料理一つで他に手をつけなくてもいいほどの満足感を得られるであろう。
もちろんこれは諏方の親バカ目線をもっての評価であるが、贔屓目なしに見ても白鐘の料理スキルはプロの腕に決して遜色しないほどに、レベルの高い技術力があるのだった。
ただ、娘の料理大好きパパな諏方がそれでも焦りを見せているのは、シャルエッテたちが自宅にて白鐘の誕生日パーティーの準備をしているのを彼もまた承知していたからなのであった。
白鐘と墓参りに出てから数時間、彼女たちがすでに準備を終えているであろうとは諏方も思っているが、それでも白鐘からキッチン出禁を言い渡されるほどに料理が壊滅的なシャルエッテが一緒にいる以上、もう少し娘と帰宅するのを引き伸ばしておくに越した事はないだろう。
「……念のため、あいつらに確認の連絡でもしておくか」
諏方はこっそりとスマホを取り出し、少女たちの中で一番のしっかり者であるフィルエッテに電話をしようとしたところ――、
「おーい! すがたー! しろがねちゃーん!」
突如、霊園の静けさを打ち壊す爆音とともに、一台のバイクが諏方たちの元へ向かってきたのであった。
「あれは……姉貴⁉︎」
フルフェイスのヘルメットは被って顔は見えなかったものの、自分たちを呼ぶくぐもった声と艶のある黒いライダースーツ、そして見覚えのある黒光りの大型のハーレーに跨るのは間違いなく、諏方の姉である椿だった。
バイクが諏方たちの前で停まり、ヘルメットを外して椿は長いポニーテールを顔ごと振り乱して広げる。四十代後半だとは思えないほどに整った顔つきにいつもの勝気な笑みはなく、工作員モードである緊迫した表情を見せていた。
「……何かあったのか、姉貴?」
姉のその表情の意味を、諏方はよく知っている――すなわち、悪い意味で何か緊急事態があったであろうという表情なのだ。
「我が弟ながら、察しが良くて助かるよ」
先ほどまで娘と共に亡き妻とゆっくりと過ごしていたであろう弟に申し訳なさを感じつつも、彼の切り替えの早さに椿は少しだけ安堵感を覚える。そして彼に事情を話す前に、彼女は側にある弟の妻の眠る墓石に視線を送った。
「……碧ちゃんにも挨拶をしたいところではあるが、それはまたの機会にとっておこう。――手短に話す。先ほど境界警察から、シャルエッテちゃんとフィルエッテちゃんが狭間山で、『日傘の魔女』と戦闘しているとの情報が入った」
「なっ――シャルエッテたちが日傘の魔女と⁉︎」
突然姉からもたらされた情報に、諏方と白鐘は驚きと困惑で頭が混乱してしまう。
「……しかもどういうわけか、天川進ちゃんも同じ現場にいるとの事だ」
「は⁉︎ なんで進まで?」
思わず訊き返したのは、進の親友である白鐘の方であった。
「残念だが、くわしい事情まではわからない。今わかっているのは、シャルエッテちゃんとフィルエッテちゃん、そして進ちゃんの三人が狭間山にいる事。そこで日傘の魔女と戦っている事。そして、境界警察が今狭間山に向かっているという事までだ」
「「っ……」」
共に沈黙する黒澤父娘。先ほどまで平和に亡き妻との時間を過ごしていたところに知らされてしまった緊急の事態に、これからどうするべきかを二人は慎重に判断しなければならなくなった。
「……もう無関係ではなくなってしまったとはいえ、君たちはあくまで一般人だ。裏世界の人間として、これ以上君たちを巻き込むべきではないとももちろん考えている。私に任せてくれるなら、最善は尽くすつもりだ。だが――」
椿はバイクから降りて弟の方へと一歩近づき、真剣な眼差しで彼の瞳を見つめる。
「――諏方、お前がこれからどうしたいのか、お前の判断を、私は尊重しようと思う」
「俺が、どうしたいのか……」
姉の言葉を受け取って、諏方は一度深呼吸をする――彼の中で、すでに答えは決まっていた。
――夕焼け照らす化学室で出会ったあの日から予感していた。彼女とはいずれ、決闘する運命にあったのだと。
「俺は――――日傘の魔女と闘いたい」
――思えば、蒼龍寺葵氏と初めて出会ったあの日も、同じ夕焼け模様であった気がする――。
「『倒す』ではなく、『闘いたい』か……実にお前らしい答えだ」
「……あ、でも、シャルエッテたちが勝つ可能性も一応はあるんだよな?」
「そうだな……どのような経緯にせよ、あの子たちなりに勝算があって魔女と戦ってはいるんだろう。シャルエッテちゃんたちを信じてあげたくはなるが……長く戦場にいた私の経験則上、どうしてもあの子たちが魔女に勝てる可能性はかなり低いと見てしまう……どちらにしろ、お前があの子たちの元に駆けつけるに越した事はないだろう」
「……わかった。というわけでだ白鐘、俺は今から狭間山に向かうから、お前は先に家にかえ――」
諏方は娘の方に振り向くと、彼女はジトーとした目つきで顔を間近まで近づけて、腕を組みながら父を見下ろした。
「まさかとは思うけど、あたしを置いて一人で行く――なんて言わないよね?」
有無を言わせぬ娘の鬼気とした表情に一瞬ビクつくも、しかし諏方は父として彼女に言い返す。
「そ、そりゃあお前を、危険な目に遭わせるわけにはいかねえだろ……?」
諏方やシャルエッテたちと違い、白鐘にはまともに戦う手段などない。そんな彼女を、危険だとわかっている場所にわざわざ連れて行く理由などあるわけがなかった。
「……そうね、お父さんならそう言うと思ってた。だがら、あたしにも考えがあります」
そう言って白鐘は改めて父へと向き直り、おおよそ諏方が父として、娘から一番に聞きたくないであろう言葉を彼女は口にする。
「もし、お父さんがあたしを連れて行かないのなら――お父さんと『父娘の縁』を切らせていただきます」
しばし、霊園が静まり返る。そして――、
「はあああああああッッッッ――――⁉︎」
父のあまりにも悲痛な叫びが、死者を呼び起こさんばかりに霊園中にこだました。




