第24話 少年は白の衣を纏いて
「――姉貴っ!?」
自宅の前にて、なぜか異様な雰囲気を感じ取った俺は、すぐさま玄関の方にまで駆け込むと、扉の前で姉貴が一人倒れていたのを見つけた。
「あちっ――!」
姉貴の身体を抱え起こそうとするも、身体全体から発する恐ろしいほどの熱気に、思わず手を引いてしまう。よく見ると、身体の所々に火傷を負っていた。
「姉貴! しっかりしろ、姉貴ぃ!」
呼びかけるも返事はなし。息はまだ微かに聞こえるため、死んではいないようだが……。
「――こっ、これはいったい……?」
後からこちらに追いついたシャルエッテも、姉貴の様子を見て戸惑いの表情を浮かべていたが、すぐさまその顔を強張らせる。
「……ツバキさんの火傷から、魔力の残滓を感じますっ……!」
「なにっ!? じゃあ、この火傷は……」
「とっ、とりあえず、ツバキさんをソファに寝かせてあげてください! 私が治癒魔法をかけますので」
「――わかった」
すぐに俺は姉気の身体を熱気に耐えながら抱え、家に入ってリビングのソファに彼女を寝かす。
シャルエッテはソファの前に立ち、いつの間にか手にしていた杖を姉貴の前にかざすと、姉貴の身体中を淡い緑色の光が包み、ゆっくりとだが火傷の跡が徐々に引いていく。
「おお、すげぇ……」
「治癒魔法ならある程度、得意ではあるのです……といっても、火傷自体は治せますが、痛みまでは完全に取れません……」
「……いや、今はそれだけでもいい。痛みだけなら、姉貴は耐えられるはずだ」
俺はそう口にしながらも、不安に押し潰されそうで、拳を握り締める。
――リビングを見回す。キッチンの方では湯気の出ている鍋や、切られた野菜が皿の上に乗ってある。
見回せど、白鐘の姿はなし。娘の不在が、また心をかき乱そうとする。
今は冷静に――。自分の胸を抑えながら、深呼吸を一つ。
「…………っ」
ゆっくりと、姉貴の眼が開かれた。それを見て、乱れていた心拍がわずかばかりに落ち着く。
「大丈夫か! 姉貴!?」
思わず身を乗り出してしまう俺を安心させるかのように、姉貴は弱々しげながらも、ニカッと歯を見せた笑みを浮かべてくれた。
「……安心しろ……ちゃんと生きてるよ」
姉貴の無事を声で確認し、胸を撫で下ろすも、すぐに真剣な眼差しを姉に向ける。
「姉貴、その……何があったのか――とか、ケガは大丈夫なのか――とか、訊きたいことは山ほどあるんだが――」
「――わかってるさ……そして、落ち着いて聞いてほしい」
わずかに声はかすれながらも、俺が想像した中で最も最悪な事実を、その声で告げる。
「白鐘ちゃんは……さらわれた」
「…………っ」
再び拳を握り締める。血が滲むほどに強く――。
その後――シャルエッテの治癒魔法を受けながら、姉貴は先程まで何が起きたのかを語ってくれた。
「――そうか。加賀宮の奴が……」
姉の口から加賀宮の名前が出て、俺は悔しさに思わず歯ぎしりしてしまう。
正確には、白鐘がそう呼んでいたのを遠くから聞こえただけらしかったが、加賀宮グループの一員として加賀宮祐一の顔は知っていたらしく、彼が絡んでいるのは間違いなさそうだった。
――甘かった。まだ高校生だと、これ以上白鐘には手を出さないのだと、呑気に信じてしまっていた。
俺の見通しの甘さが、今回の結果を招いたのだと、自分をきつく戒める。
「……すまなかった。私がもう少し警戒していれば、こうはならなかったはずなのに……」
俺のやりきれない顔を一瞥して、治療を終えた姉貴もまた、自身が不甲斐ないかのようなことを吐露する。
「……姉気は悪くねえよ。それより、身体の方は大丈夫なのか?」
「ああ……シャルエッテちゃんのおかげで、幾分かは楽になった。痛みはまだあるが、少し落ち着けば多少動けるようにはなるはずだよ」
「はは、さすがは特務工作員。火をまともに浴びたっつうのに、鍛え方が違うってか?」
「まあ、それもあるが――」
姉貴はソファに寝そべったまま、黒ジャケットの襟部分をクイっと上げてみせる。
「このジャケットは特殊繊維で出来ていてな、防弾にも防火にもなる優れものだ。ちなみに、素材は国家機密だ」
「……たくっ、本当にスパイ映画のアイテムみたいだな」
人差し指を唇に置いて、おちゃらけた様子を見せてくれる姉貴の気遣いに、少しだけ胸が楽になった。
「シャルエッテちゃんは、先程話した魔法使いに覚えはないかい?」
姉貴の問いに、彼女は難しそうな表情を浮かべる。
「カリヤさん、ですか……多分偽名だとは思いますが、狩炎魔法とは確かに珍しい魔法を使いますね……でも、ごめんなさい。炎魔法は、属性魔法の中でも最も派生が多いため、私の知識内では特定が難しいです……」
「そうか……。こうなると、加賀宮家に直接当たるしかないが……」
「でも! それじゃあ、手遅れになる可能性も……」
重い沈黙がリビング内を支配する。他にすぐさま、白鐘達を追う方法はないかと思案するも、何も思いつかずに、苛立ちが募るばかりだった。
「クソッ! せめて、どこに連れてかれたかさえわかれば……」
「――あっ、もしかしたら私、シロガネさん達の居場所がわかるかもです!」
ハッとしたように、シャルエッテがそう告げた。
「本当か、シャルエッテ!?」
「……以前、人間にも微量ですが、魔力が流れていると教えたことがありましたよね? シロガネさんにももちろん、本当に少しですが、魔力の跡はあります。それを辿れば、あるいは……」
「……仮也という男の魔力は辿れないのかい?」
「……そちらの方は残念ながら、魔力の痕跡を念入りに消し去っていますね。魔力の残滓が感じられるのは、ツバキさんが負われた火傷にのみです。おそらく、他の魔法使い達から追いかけられないように、自分の魔力の痕跡を消したのでしょう。魔力の痕跡を我々は魔力痕と呼んでいるのですが、魔力痕を他の魔法使いに感知させないほどに消せるのは、相当に魔力コントロールに長けていなければ、できない芸当です」
「……なるほど、彼は魔法使いの中でも、かなりの実力者ということか」
「……正直に話すと、シロガネさんの魔力もちゃんと追えるか、自信がありません……。人の持つ魔力を辿るには、かなりの集中力と魔力を要するので、私にできるかどうか――」
自信なさげに俯くシャルエッテの肩を、俺は両手で強く握り締めた。
「すっ、スガタさん――!?」
「無茶を承知で頼む、シャルエッテ! 白鐘は――娘は俺にとって何よりも大事な宝なんだ。妻を亡くして……アイツまで俺の前からいなくなっちまったら……俺は……」
知らず知らずのうちに、彼女の肩を握り締める手が強まってしまう。だが、シャルエッテはそれを痛がる様子を見せず、真剣な眼差しで俺を見つめ返してくれた。
「――わかりました。スガタさんにはもちろん、シロガネさんにも、ツバキさんにも、返しきれない恩を、私はいただきました。その大恩のため、私にできうる限りの事をさせてください!」
彼女の瞳に決意の灯火が宿る。
「――そうと決まれば、私もすぐに準備を――ぐっ!」
姉貴がソファから身体を起こそうとするも、痛みで倒れそうになったところを咄嗟に支え、彼女を再びソファに寝かせる。
「無理すんなよ、姉貴。いくら火傷自体は治ったからって、痛みはまだあるんだろ?」
「……っ、しかし、それでは白鐘ちゃんが――」
「――――俺が行く」
「なっ――!? 諏方、お前何を言って――」
「――少し準備してくる。シャルエッテも、すぐに出る準備をしてくれ」
「――でっ、でも、相手は魔法使いなんですよ!? しかも、おそらく私とは比べ物にならないくらい凄腕の! ……スパイであるツバキさんでも敗れてしまったのに、一般人のスガタさんを連れて行くわけには――」
「ははっ、一般人か。まあ……そうには違えねえし、魔法使い相手に喧嘩なんざしたことねえが――」
「――待て、諏方! お前、まさか……」
俺が何をしようとしているかを察し、未だ苦しげながらも俺を止めようとする姉貴に、俺は精一杯の笑みを見せた。
「大丈夫だよ、姉貴……俺に別の青春を歩ませたい姉貴の気持ちはわかるし、感謝もしている。それでも、俺は言うほど過去を後悔したわけでもないし、今の俺にとって、何よりも大事なのは白鐘を助けることなんだ」
「……本当にそれでいいのか? 口ではそう言っても、過去の傷の痛みは軽くはないし、白鐘ちゃんが父親であるお前の正体を知れば、溝がより深まるかもしれんぞ?」
その姉の言葉に、俺を想ってくれる気持ちが確かに篭っていることが、俺は何よりも嬉しかった。それでも――、
「――その痛みで娘が救えるなら、それは俺にとって嬉しい痛みだ。それに、たとえあいつが俺のことをさらに嫌うことになっても、俺にとって一番大事なのは、あいつが無事でいることなんだ……子供のピンチを最後に救うのは、いつだって親の役目だろ?」
そう言いながら、俺は自分の部屋へと足を向ける。あの頃の自分に戻るため――長らく封印していた『あの服』を取りに行くために――。
「……すまない。やっと、お前に人並みの幸せができたのに、私には何もできないっ……」
背中に掛けられる、悔しさの篭った無念の言葉。
「ありがとな、姉貴」
その思いを背中に受け、感謝の言葉を返した。
――自室へと入り、タンスの奥の奥、使わなくなった服の山の、さらに底にしまってある長ランを引っ張り出す。
白の下地に、背中には『喧嘩上等』胸には『銀狼牙』の文字が大きく刻まれたそれは、一昔前の不良や暴走族が着るような、白の特攻服だった。
俺は制服を脱ぎ捨て、白の長ズボンを履き、腹にさらしを巻いて、特攻服を羽織り纏う。
服装を整え、階下を降りて再びリビングへと入る。こちらを見て唖然としているシャルエッテに苦笑し、諦めの表情を浮かべる姉貴に歩み寄る。
「――銀狼牙か……まだ持ってたんだな、その服」
「……まあな。結局、俺は昔の自分を捨て切れなかったってことさ」
「……わかった。相応の覚悟があるのなら、私からはもう何も言うまい」
姉貴はジャケットの胸ポケットから、鍵とカードを取り出して俺に投げ渡す。
「駐車場に私のバイクが置いてある。こんな時のために、お前の免許証も作っておいた」
「……もう俺は驚かん、驚かんぞ」
あまりの用意のよさに若干呆れながらも、俺は鍵を強く握り締めた。
「いろいろとサンキューな、姉貴」
「姉だからな、これぐらいは当然さ……私も、後から駆けつける。諏方……無茶はするなよ?」
「……姉貴も、酷いようならちゃんと病院に行ってくれよ?」
「舐めるな。特務工作員だぞ、私は」
「ははっ、違えねえ」
そして、事態の速さに未だ追いつけず、呆然としていたシャルエッテの方に振り返る。
「それじゃあ行くぞ、シャルエッテ。今は、お前だけが頼りなんだ。ナビの方は任せたぞ」
「私が……頼りに…………はいっ! 皆さんのため、シャルエッテ・ヴィラリーヌ、精一杯頑張ります!」
シャルエッテもやる気がでたところで、俺は白の特攻服を翻し、玄関へと向かう。
「無事でいてくれよ、白鐘っ……!」
怒りが爆発しそうになるのをなんとか堪える。
俺は魔法使いの少女と共に、大切な一人娘を救うため、決死の心を胸に刻みながら、娘と共に帰るべき自宅を後にした。




