第16話 丘の上の攻防〜魔法使いVS魔女〜⑧
「ゴフッ――⁉︎ ッ……喉から逆流する血が止まらない……!」
正体不明の毒を取り込んだヴェルレイン。内臓そのものが発火しているかのように熱くなり、喉からは血が絶えず口外へと吐瀉される。そのたびに喉元も熱を帯び、締め付けられるような痛みも全身を蝕んでいった。
「くっ……いつの間に、私に毒を仕込んだの……? あなたの鎖で、私の身体には傷一つ付いていない……。私に触れもせず、毒を仕込むなんてできるはずもな――」
ヴェルレインの言う通り、彼女は一度もフィルエッテの罠魔法には触れなかった――だが、たった一つだけ、彼女はこの戦いでとある魔法に確かに触れていたのだ。
「まさか……シャルエッテちゃんの――」
「――へへーん! 今さら気がついたって遅いんですよー!」
ヴェルレインのたび重なる挑発に耐えた反動であろう、シャルエッテは渾身のドヤ顔を上空の魔女へと向ける。
「そうです! ヴェルレインさんが日傘で防いだわたしの拡散型魔力砲に、毒魔法を仕込んでいたのですっ!!」
「……っ!」
苦々しげに、ドヤ顔魔法使いの少女を見下ろすヴェルレイン。
「ヴェルレイン様……あなたがシャルの膨大な魔力に目をつけていたのは気づいていました。そして、シャルの魔力を取り込みたいであろう貴女は、当然スプレッド型魔力砲を日傘で防いで、その魔力を自身に取り込むであろう事も予測していました。そこで、ワタシのトラップ魔法で貴女を攻撃してる間に用意していたシャルの光弾に、特殊な毒魔法の魔力を混ぜることで、魔力を取り込んだ際に毒も合わせて貴女の身体に混じるよう、細工をしてあったのです……!」
フィルエッテはこの戦いにおけるヴェルレインの目的も、シャルエッテの魔力を取り込むために彼女の魔法を日傘で防ぐ事も全て予測したうえで、毒魔法をシャルエッテの魔法に仕込んでいたのであった。
「くっ……なら、私に攻撃してきた大量のトラップ魔法は何⁉︎ 私をシャルエッテのビットの真下に誘導するためなら、これほど大量にトラップを用意する必要はないじゃない⁉︎ ましてや、フィルエッテちゃんは天才と呼ばれても魔力量に関しては特別秀でてるわけじゃない。なのに……なんの意味もなく、あなたが魔力が枯渇する寸前までトラップ魔法を準備していた理由がわからないわ……!」
「……もちろん、ワタシのトラップ魔法は貴女を誘導するのが主目的ではありますが、貴女の用心深さは短期間とはいえ、元弟子でもあるワタシは十分理解しています。そこで、ワタシのトラップを貴女に避けさせるのに専念させることで、シャルのビットに気づかせないようにすること――何より、貴女の身体に毒を回らせるまでの時間稼ぎのために、ワタシは千のトラップ魔法を用意してきたのです……!」
――全ては、毒という一撃を魔女に与えるために、フィルエッテは大量の時間と魔力を消費して、千ものトラップ魔法を準備してきたのだった。
「……フフフ、私を倒すために、ずいぶんと念入りに準備してきたじゃない?」
「当然でしょう。相手は魔法界最上の存在たる『魔女』なのです。万全を期っしてもなお足りない。挑むなら、勝利のためにこの身を懸ける事すら厭いません!」
キッと鋭い瞳で魔女を見上げるフィルエッテ。体力も魔力も限界に近かったが、ほんの少し見えてきた勝利の道筋が、彼女の倒れかけの足を支えていたのだ。
「っ……」
一方のヴェルレインは本格的に身体に毒が回ってきたのか、明らかに衰弱した様子を見せている。呼吸は荒く、吐息には赤黒い血も変わらず混じっていた。だが――彼女の余裕は未だ完全には崩されていないのか、口元を笑みの形に歪ませる。
「正直驚いたわ……二人がかりとはいえ、一介の魔法使いでしかないあなたたちが、私をここまで追いつめたのだもの。でも――まさか私が、『浄化魔法』を使えないとでも思っていたのかしら?」
そう言ってヴェルレインは左手に日傘を握ったまま、右手を胸の前にかざす。右手はすぐさま淡い光を発し、彼女の胸元を照らしあげた。
「そ、そんなすぐに毒を浄化できるわけがありません! 毒魔法は現在判明しているだけでも、百種類以上のたくさんの魔力構造の違う毒が存在しています! 毒ごとの構造を理解していなければ、浄化なんてできるはずがないんです……!」
「あら? シャルエッテちゃんはもう少しおバカな子だと思っていたけれど、意外なところで博識なのね。でも残念……私は現存する毒魔法の構築論を全て頭の中に入れてあるわ」
毒魔法はそれぞれの特性を理解していなければ、浄化することはできない。だが、日傘の魔女はすでに全ての毒魔法の構築論を理解していたのだった。それはつまり――、
「私には毒魔法なんて姑息な手段は通じない。私を倒すうえでの着眼点としては悪くないけれど、私の知識量を甘く見すぎていたよう――」
得意げに語るヴェルレインの口がなぜか途中で止まり、彼女の笑みが何かに戸惑うような表情へと変わる。
「何よこれ……この毒魔法、私の知識にない……⁉︎」
一瞬痛みも忘れてしまうほどに、ヴェルレインの脳内を疑問が駆け巡る。
そんな彼女に対し、フィルエッテは不敵な笑みを浮かべた。
「戸惑うのも無理はないでしょう……その毒魔法はワタシとシャルが偶然見つけた、新種の毒なのですから――!」
「新種の……毒⁉︎」
少女によって返ってきた疑問への解答に、ヴェルレインは驚きの表情を隠せなかった。
「発見したのは本当に偶然でした。諏方さんを元に戻す魔法薬の製造過程で、薬の及ぼす副作用を調べているうちに、この薬が魔法使いにとっては毒になる事が判明したのです」
「わたし、間違ってお薬飲んで、三日三晩フィルちゃんに治療してもらいながら寝込んでました!」
「シャル、余計なことは言わなくていいの……ともかく、人間にとっては発熱程度で済む副作用でも、魔法使いにとっては全身をかなりの高熱で蝕むほどの猛毒となる薬を、ワタシたちは偶然作ってしまったのです。この薬は魔力構造を理解しているワタシですら、三日間休まず浄化魔法をかけ続けなければ治療できなかったほど強い毒性を持っています。いくら魔女といえど、知識にない毒であればそう簡単には浄化できないはずです……!」
かつては諏方を元の年齢に戻すための魔法薬ではあったが、偶然にもそれは未だ発見されていなかった魔法使い専用の毒でもあったのだった。
「……その毒をシャルエッテちゃんの光弾に混ぜて、わざと私に魔法を防がせたのね……」
「その通りなのです! フフーン、フィルちゃんの立てた作戦とはいえ、ここまで見事に引っかかってくれるとは思いませんでした。もしかして、魔女さんも実は大したことないんじゃないですかー?」
「毒薬変じて薬となる――今回はその真逆となりましたね。……いかがですか、日傘の魔女。侮っていたただの魔法使いに追いつめられた気分は?」
「っ……」
変わらずドヤ顔なシャルエッテと、鋭い瞳で睨み合うフィルエッテとヴェルレイン。しかし、一転して不利になった状況下でも、魔女はなお笑う。
「フフフ……ただの魔法使いだなんて謙遜しないでちょうだい。あなたたちは『万学の魔女』の弟子であり、さらにフィルエッテちゃんは私の弟子でもあるんだから。油断もあったとはいえ、あなたたちが私を追いつめた事に関してはなんの不思議もないわ。でも――」
胸にかざしていた手の光がより強まり、毒で青白くなっていたヴェルレインの顔に血色が戻っていく。
「――もう、この毒の魔力構造は解読できたわ。これで、問題なく浄化魔法で毒を取り除ける」
「ッ――!」
「ふええっ――⁉︎ さすがにそれは反則じゃないですか⁉︎」
「そも、魔女という存在が魔法使いにとっての反則そのものよ。……私を毒に侵すという策は素晴らしかったし、魔女以外で私が追いつめられたのもこれが初めてだけれど……ほんの少し詰めが甘かったわね」
またしても一転、状況が変わってしまう。毒に侵されてなお、魔女は冷静さを失う事はなかったのだ。
「さあ、少しだけお待ちなさいな。この毒が浄化し終わったら、今度こそこの戦いを終わらせてあげ――」
「――――そうはさせませんッ!!」
フィルエッテが地面に手を当てると同時に、ヴェルレインの周囲に十の魔法陣が出現する。
「ッ――⁉︎ しまっ――」
本来ならば今まで通りかわせたであろうフィルエッテの鎖はしかし、ついに魔女の身体を捕縛することに成功したのであった。
「毒で魔女を殺そうだなんて、そんな都合のいい展開は最初から期待していませんよ。ワタシの本命は――」
身体をきつく縛られ、ヴェルレインの浄化魔法を強制的に中断されてしまう。さらに、鎖で縛り上げられた衝撃で、魔女は手にしていた『日傘』を地面にへと落としたのだ。
「貴女を拘束する残り十本の鎖――これこそが、ワタシの本命ですッ!」