第9話 丘の上の攻防〜魔法使いVS魔女〜①
――六月十五日、午後十二時十五分――
「罠魔法――攻勢の型ッ!」
高らかに放たれるフィルエッテの魔法名――それが開戦の合図となった。
フィルエッテが地に手を触れると同時に、地面や空中に展開される複数の小さな魔法陣。そこから鎖が飛び出し、数多の鎖がヴェルレインに向かって同時に襲いかかる。
一連までのスピードはあまりにも速く、わずか一秒にも満たない。気づいてからよけるのは人間、魔法使いともに至難であろう。
――だが、魔女は余裕の表情を崩す事なく、日傘を握ったままふわりと浮かぶように地を蹴り空を舞い飛び、あっさりと複数の鎖をかわしてしまった。
「まだです!」
かわされるのは想定内であっただろうフィルエッテは動揺する事なく、次なるトラップを展開し、再び複数の鎖でヴェルレインを追撃する。
「フフン」
だがやはり、ヴェルレインは難なく鎖を次々とかわしていく。鼻歌を歌う余裕すら見せ、ダンスを踊るかのような動きで襲いかかる鎖をよけていった。
「な、なんであんな速い鎖があの魔女に当たんないのさ……⁉︎」
疑問の声をあげたのは茂みの裏から顔を覗かせた進だった。彼女の目からは鎖が飛び出すスピードはあまりにも速い。運動神経抜群な彼女であっても、あれをかわせる自信はなかった。
「簡単な話よ。トラップ魔法に用いる魔法陣は隠れてる間は魔力を発生させないけど、展開するには魔力を通す必要がある。魔法陣を展開させ、鎖を出現させる。これらに要する時間はわずか一秒。それだけの時間があれば、魔力を感知し、鎖の出現速度と方向を想定し、かわすには十分な時間よ」
言ってる意味の半分は理解できずにはいたが、それでも魔女がとんでもないことを口にしているのは進でも読み取れた。
「いやいや、いくらなんでもチートすぎるっしょ? ほんとに勝てんのかよ、二人とも……」
友人たちを信じたくはありつつも、魔女の余裕ぶりを見せつけられる進の心にはどうしても不安がよぎってしまう。
日傘の魔女が説明をしている間にも、フィルエッテは休む事なくトラップを展開し続けていた。
「展開されたトラップはすでに三十。これだけのトラップ魔法、いくらフィルエッテちゃんでも即座に展開できる数ではない……事前に仕込んでいたわね、フィルエッテちゃん?」
鎖はかわしつつ、ヴェルレインはかつての弟子を問いただす。
「その通りです。貴女との戦いに備えて、ワタシはこの山――いいえ、この広場に百のトラップ魔法を仕掛けています……!」
フィルエッテの解答に、ヴェルレインはわずかに目を見開かせた。
「素直に驚いたわ……いくらトラップ魔法を『得意魔法』としているアナタとはいえ、百もの数のトラップを仕込むにはかなりの時間も魔力量も必要としたはず……数から考えて、他の場所にトラップを仕込む余裕もなかったでしょう。私がここを戦場に選ばなかったらどうするつもりだったのかしら、アナタは?」
「トラップを広範囲に分散させて安定性を図る。慎重なトラップ魔法使いなら当然の選択肢ではありますが……魔女を相手に安定を取って勝てるなどと、甘い考えなどできませんよ。貴女を相手にするなら一点集中……! それに――」
語る間にもトラップ魔法は展開される。その数はすでに五十を超えていた。
「――貴女ならここを戦場に選ぶと信じていました。人間界に連れてこられ、ワタシが貴女に鍛えられた場所はここなのですからね……!」
フィルエッテの表情に、わずかに笑みが宿る。彼女にとっては苦々しい過去ではあっても、魔女に鍛えられたという事実は決して悪い思い出ではなかった。
魔女がこの広場を戦場に選ぶであろうと考えた主な理由は、彼女がここを長く拠点にしているというのもあるのだが、それ以上にフィルエッテがヴェルレインと戦うなら、長く共に過ごしたこの場所しかありえないという、フィルエッテ自身の強い思いがこもっての事でもあったのだ。
「なるほど……理屈としては弱いけれど、アナタの想定通りの展開にはなったというわけね。アナタを前にすると、つくづくその才が惜しくなるわ……でも――」
どこか可憐さすらも感じさせた魔女の笑みが、口の端が吊り上がって歪にゆがむ。
「――たった百程度のトラップで、魔女を相手にするには十分だと本気で思っていたのかしら?」
――途端、重力が上がったと錯覚するほどの圧が身体全体にかかる。
展開されたトラップ魔法は、すでに半数を超えて七十ほど。目にも止まらぬスピードの鎖は、しかし未だ魔女の身体を掠めもしない。このまま彼女が鎖をかわし続ければ、あと数分しないうちに鎖切れを迎えてしまうであろう。
「……っ!」
だが、変わらずフィルエッテはトラップ魔法を展開し続ける。どれほどの数の鎖がかわされようとも、攻撃の手をゆるめるわけにはいかなかった。
「……っ」
さらに数分、ヴェルレインは鎖をかわし続ける。やがてフィルエッテの無謀とも言えるトラップ魔法の応酬に、彼女を疑問を抱き始めた。
「おかしいわね……とうに展開されたトラップは百を超えているはず…………まさか……⁉︎」
初めて、魔女の笑みに陰りが指す。逆にフィルエッテは不敵な笑みを見せ、魔女の疑念は確信へと変わった。
「ようやく気づきましたか……トラップ魔法使いが、正確な罠の数を教えるわけないじゃないですか?」
「……っ!」
――フィルエッテがこの広場に仕込んだトラップ魔法の数は、実に千にものぼる――。
フィルエッテは黒澤家に同居する事になったその日から、いずれヴェルレインと戦う事になるであろうと予見し、彼女が山にいない時間を見計らって早期に、千ものトラップ魔法をこの場所に仕込んでいたのであった。
トラップ魔法一つ仕込むだけでもかなりの魔力量が要求される。トラップ魔法は一度セットされれば、展開されるまで魔力を維持する必要はないのだが、千ともなると途方もない魔力と時間が必要であった。それらをフィルエッテは長い時間をかけて、この日のために準備してきたのだ。
通常ならばそれほどの多量のトラップ魔法、かわすにもいずれ限界は来るはずであった。
――しかし、それでもなお、魔女の余裕は崩れない。
「そうね……敵に正確な情報を自分から話すだなんて愚かな行為、アナタがするわけないって少し考えればわかる事だったわね。でも――たとえ仕込まれた罠の数が千であろうが万であろうが、アナタの鎖が私に届く事はない」
「……っ」
フィルエッテは眉根を寄せるも、魔女の言葉に反論する事ができなかった。ただそれでも、トラップは休まず展開を続ける。たとえ鎖がかわされ続けようとも、止めるわけにはいかなかった。
「…………」
ここにきて、数分に渡る攻防を眺めていた進に疑問が走る。
――なぜ魔女は、この数分間絶えず動き続けているのに、一度も息が乱れないのだろう――と。
「――それも簡単な話よ。通常、魔法使いは体力に乏しいのがほとんど。たいていの行為は魔法で解決できるもの。自然と、身体を動かす機会は少なくなるのだから、体力は人間と比べてもかなり低いものになるわ。では、なぜそんな魔法使いが日常で支障なく身体を動かすことができるのか……」
ヴェルレインは鎖をかわしている間も、フィルエッテたちの後方に立つ進相手にも視線を配り、彼女の表情を読み取って疑問に答えていった。
「魔法使いは魔力を体力に変換できる。『体力変換魔法』――最も単純な変換魔法であり、誰もが使える基礎魔法の一つよ」
魔法使いは自らの低い体力を補うため、自身の魔力を体力に変換する体力変換魔法が使用できる。魔力技術によって程度の差はあれど、普通の人間と同じような運動量ならそれほどの魔力は必要としない。
「……そう、体力変換魔法は魔法使いならば誰もが使用できる魔法であり、魔法使いによって差異はほとんどありません。ですが……ヴェルレイン様の恐ろしさは優雅に見えながらもその実、鎖をかわし続けるあの激しい動きをこの数分間持続できているというところにあります。普通の魔法使いならばあれだけ激しく動くことは難しいですし、仮に動けたとしても五分と経たぬうちに、体力に変換した魔力の方が尽きてしまいます。それこそ、魔女ほどに無尽蔵の魔力と卓越した魔法技術がなければ、ワタシの数多のトラップ魔法をかわし続けられるはずがないのです……!」
「……マジ?」
わずかこの数分間で、魔女に対する進の絶望感は増すばかりであった。魔法使い同士の戦いを目にするのは初めてであれど、その力量差はフィルエッテたちと比べてあまりにも違いすぎるものであると、嫌でも理解させられてしまう。
「――さあ、あがき続けなさい、フィルエッテちゃん。アナタのトラップ魔法がついえたその時が、アナタたちが敗北を迎える瞬間となるのよ」




