第23話 炎は狩人のように
夜が完全に落ち、外灯で照らされた黒澤家の玄関前にて、黒衣を纏った二人が互いに視線を交わす。
その二人の周辺だけ空気は圧倒的に重くなり、他の者達を寄せ付けないでいる。
「仮也、お前……」
そんな空気の中に何とか割り込むように、加賀宮祐一が恐る恐るといった震え声で、自身の従者に言葉をかける。いつも頼りにしていたはずの彼の背中は、なぜか今だけは心なしか、恐ろしい怪物のものを見ているような、恐怖に近い感情を抱かせる。
「――安心してください、坊ちゃま。この仮也の手で見事、捕らわれの姫君を救ってごらんにいれましょう」
一度だけ、仮也は主の方へといつもの笑みを浮かべながら振り返り、すぐに対峙者へと視線を戻す。
「……っ」
武器も持たず、構えもせず、ただ無防備で近づく黒スーツの男に、椿は言い知れぬ脅威を感じた。
彼女の勘が告げる――今目の前にいる男は、ただの人間ではないと。
「――何者だ、貴様?」
「……ほう、隙を見せませんね。明らかに素人のものではない戦闘術といい、腰に隠し持った拳銃といい、やはり、ただの一般人ではなさそうですね」
「っ――!?」
椿は咄嗟に、腰に付けていた拳銃を素早く取り出して、銃口を目の前の男に突きつけた。
「うっ、嘘だろ!? あれ本物かよ? なんで拳銃なんか持ってんだよ!?」
不良達は、日本の日常ではお目にかかれないはずの黒光りの物体を前に、驚きで身動きが取れなくなってしまう。
「おや? 一般市民を相手に、銃を向けるのですか?」
「ほざくなよ。一般市民じゃないから向けるんだ。貴様からは、おぞましい悪意しか感じられない。己が欲望のために他者を陥れる事も厭わない、醜悪で根深い悪意だ。裏社会では決して珍しくないタイプだが――お前みたいな奴は、このような日常にいてはいけない存在だ」
「……ああ、なるほど。あなたは裏側の住人のようですね。ならば、小物の彼らでは荷が重過ぎるのも致し方なしといったところですか」
仮也は銃口に怯むこともなく、さらに一歩前に出る。
「……あと一歩踏み出せば、容赦なく撃つぞ」
「ふふ、構いませんよ――できるものならね?」
忠告も構わず、仮也はさらに一歩、足を踏み出した。
――銃声が鳴る。普通の日常の上では、聞くことのない火薬の破裂音。
椿は警告通り容赦なく、目の前の男に拳銃を撃ったのだ。
だが――目の前の光景に、仮也を除いた誰もが驚愕の瞳を向けた。
銃弾が額に届く寸前、仮也は手をかざし、突然――円盤状の炎――が彼の前で燃え上がったのだ。
分厚い炎は盾となり、椿の銃弾を防いだ。
「貴様――魔法使いか!?」
再び銃を構える。睨む瞳はより強く、警戒心は最大に――。
「ほう……魔法使いの存在を知っていたとは、やはり只者じゃありませんね……ここで、始末しておきましょう」
仮也は手を上にかざし、盾となった円盤の炎を構える。
瞬間――椿はアレが飛び道具にもなれる炎だと察知した。
「させるか――!」
椿を銃を構えた腕を下ろし、一瞬で仮也の懐へと踏み込んだ。
銃を撃ったところで再び炎で防がれるだけだと予期した椿は、間合いを詰めて敵の炎を投げられない位置を取りつつ、直接拳を叩き込もうと、銃を持っていない腕を引いて拳を固める。
「速い――ですが、判断を見誤りましたね」
「なにっ――?」
仮也は躊躇なく、目の前の椿に向けて炎を振り下ろした。
「ちっ――!」
足の軸をずらして身体を横に倒し、彼の炎を寸前で避ける。アスファルトの上で一回転し、すぐさま体勢を立て直した。
地面へ放たれた炎はその場で燃えることなく、まるで煙のように霧散して消えていく。そして、アスファルトにはなぜか焦げ目のような跡が一切見つからなかった。
「私の懐に飛び込み、炎を放っても私自身が巻き込まれる間合いを取ることで、私の炎を実質的に防ごうとした、その判断力は見事です。ですが、私の炎は少々特殊でしてね――」
仮也は掌の上に小さな炎を作ると、少し後ろに立っていた鼻ピアスの不良にソレを投げつけた。
「うあちちちちちち――――ってあれ? 熱くないぞ?」
不良の全身を炎が纏ったが、彼自身の身体はなぜか燃やされる様子を見せない。不良は何が起きたかわからず、ただただ戸惑うばかりだった。
「狩炎魔法――私の炎は、燃やす対象を選ぶ事ができるのですよ。選んだ対象以外は有機物、無機物に限らず、炎を浴びても焼かれることはありません。そうすることで、炎は私自身を巻き込むことなく、対象者のみを高い熱度で集中的に燃やすことができるのです――賢い狩人は、狙った獲物以外は殺しません。面白いでしょ? とても、環境に優しい炎なのですよ」
指をパチンと鳴らすと、不良に纏っていた無温の炎が消える。不良達は目の前で起きたことに、ただ唖然とすることしかできなかった。
「なるほど……使い手と同じく、回りくどくて面倒な魔法だな」
椿は、再び銃を構えながら思案する。
――銃撃も炎で防がれ、間合いを詰めても自身が焼かれない炎ならば遠慮なく放たれる。むしろ下手に近づけば、炎を避けるのが困難になるだけだ。
――近接戦も遠距離戦も不利となれば、どのように動くべきか……。
「どうするべきか考えているようですが、貴方の攻撃を私に当てるのは不可能でしょう。ですが……貴方の判断力と瞬発力はなかなかに目を張ります。私の炎も、貴方に当てるのは少しばかり困難だと思われます……さて、問題です。そんな貴方に対し、私が攻撃を当てる最善の方法を思いつきましたが、それはなんでしょうか?」
「っ……?」
おちゃらけるかのように、大げさな身振りを見せるも、椿は警戒を緩めない。
そんな彼女をあざ笑うかのように、仮也は笑みを崩さぬまま、右手に炎を作り出す。
「答えは――こうでございます」
「――なっ!?」
仮也は椿から視線を外し、玄関の方で呆然となっていた少女の方に瞳を向けた。
「――――えっ?」
――仮也は掌の炎を、白鐘に向けて投げ放った。
多少ゆっくりめではあったが、炎の軌道はしっかりと銀髪の少女を捕らえていた。
「くっ――外道がぁ!」
椿はすぐさま白鐘の方に向かって駆け出し、彼女に炎が当たる寸前、ソレを自身の身体で受け止めた。
「がっ――ぁぁぁぁぁああっっっっ――――!」
「叔母さまぁ!」
椿の全身を高熱が覆い、熱さに耐えられずに意識を失う。しかし、すぐさま熱の痛みで起こされてしまう。それを、わずか数秒の間で何度も繰り返され、やがて精神そのものが磨耗していった。
「しろ……がね……ちゃん…………」
――約一分後、炎の中で椿が倒れ、彼女を燃やしていた炎も消えていった。やはり、椿以外の対象物に焦げ跡はなかった。
「……判断力の高さゆえ、すぐさま、貴方が姪を庇う事は想定済みでした。冷静な貴方なら、私が坊ちゃまの狙いである少女を燃やす事などないとわかってもいたはずです。それでも、貴方には彼女を助ける以外の選択肢などなかった……貴方に足りなかったのは、守るものを見捨てる非情さ――といったところでしょうか?」
心底楽しげに言葉を紡ぎながら、仮也は白鐘の方へゆっくりと近づいてゆく。
「――っ! ほう……」
白鐘の前で倒れていた椿だが、彼女からまだわずかに、呼吸の音が聞こえた。
「……これは驚いた。私の炎は、摂氏約二千度近くにもなるのですが、それをまともに食らってまだ息があるとは……」
椿の前で立ち止まった仮也の表情からは笑みが消え、冷たい眼差しで彼女を見下ろした。
彼女に向けて手をかざし、彼の手から再び炎が現れる。
「貴方を生かすことは、今後の私の活動の妨げになりかねません。ここは念入りに、確実に殺してあげましょう」
炎の勢いがさらに強まる。まともに浴びれば、今度こそ命はないだろう。
「やめて――!」
仮也と椿の間に、白鐘が両手を広げて割って入るように、彼の前に立ちはだかった。
「あなた達の目的はあたしでしょ!? 叔母さまには……これ以上手は出さないで」
身体は震えていたが、彼女はまっすぐに、目の前の男に強い眼差しを送る。
「……無駄ですよ。言ったでしょ? 私の狩炎魔法は、燃やす対象物を選べるのだと。貴方が後ろの女性を庇ったところで、貴方ごと彼女を燃やし、そして彼女だけを焼き殺すこともできるのです」
そう言われてなお、白鐘は彼から引かなかった。
「やれやれ、無意味だというのに……。人間という生き物は、もう少し利己的になった方が、長生きできるというものですよ」
腕を掲げ、炎を放つ体勢となる。
「……お父さんっ……!」
目を瞑り、諦めかけるも、決して道を開ける事を彼女はしなかった。
「――待てっ! 仮也!」
炎を放つ寸前、彼の主が背後から大声で制止をかけた。
「坊ちゃま……先程も述べたように、この炎は貴方の想い人を焼く事はありません」
炎を消さぬまま、呆れたような表情で仮也は、主の方へと振り向く。
「それでもだ――! ……お前は加賀宮家の執事だ。頼むから……言うことを聞いてくれ」
それは、命令というよりも懇願に近かったが、これ以上彼に逆らうのはバツが悪いと判断し、仮也は手の上の炎を消した。
「……まあ、まだ息があるとはいえ、それも虫の息。その火傷では、どちらにしろ長くは持たないでしょう。さて――」
「――っ」
仮也は目線を白鐘の方へと移し、彼女にさらに一歩近づく。
白鐘は逃げも叫びもせず、ただ強く――彼を睨んでいた。
「……良い表情です。貴方も叔母に似て、強い女性のようですね。坊ちゃまが気に入るだけはあります。ですが、ご安心を。私からは手荒な真似は致しません」
仮也が白鐘の顔の前で指を鳴らすと、スッと眠るように、彼女は意識を失って倒れた。
「あくまで、私からは――ですがね」
倒れた銀髪の少女をそのまま両手で抱え、主の目の前にまでゆっくりと運ぶ。
「多少、強引な手段に出たことをお許しください、坊ちゃま」
焦がれていた少女を前にするも、それどころではないと、主の身体は震えていた。
「……せっ、説明してくれ、仮也。お前がやったアレはいったい何なんだ? お前は……本当に人間なのか……?」
戸惑いの面持ちで部下を問いただす加賀宮を含め、このわずかな時間に起きた出来事に、仮也以外の者達は理解が追いついていなかった。
仮也は実に面倒くさげな顔で「はぁ……」っとため息を一つ吐き、すぐにいつもの笑みを顔に貼り付かせた。
「坊ちゃま――今、優先すべき事柄は私ではなく、この子でありましょう?」
「そっ、それは……」
少年の瞳が揺れ、それを確認して仮也はさらに続ける。
「坊ちゃま……私は確かに先程、ビジネスには万全を敷くべきだと、そう語りました。しかし、時には大事の前の小事など気にしてばかりでは、時間という大敵に食われてしまうというもの。ここも、いつ通行人が通るかもわかりません。この家の主に帰られるのも面倒でしょう。――さあ、少女を抱き上げ、悪しき敵から貴方の手で、姫君を救うのです」
――仮也の瞳が怪しく光る。
――耳に届くは、深淵より呼びかけられるような、深く深く――心そのものを掴まられるような冷たい声。それなのに、妙に安心感を抱いてしまう不思議な声だった。
そんな声に誘われるがまま、加賀宮は従者から少女の肢体を受け取る。
――両手に抱えた少女は思っていたよりも軽く、しなやかな銀髪がさらりと揺れる。その美貌と、ほのかなシャンプーの香りが鼻腔に届き、冷静な判断を彼から失わせていく。
「…………そっ、そうだな……ああ、仮也が言うことはいつも正しい……お前達も、ここから離れる準備をしろ」
瞳には再度、濁りの黒が宿り、それは伝播するように他の不良達の瞳も黒くし、未だ納得しかねる表情を見せながらも、それぞれがワゴン車へと乗り込んでいく。
加賀宮は再び、両手に抱えた少女を見つめる。
――長かった。
今まで望んだものはすんなりと手に入ってきた彼が長い時間をかけて、ようやくこの少女は自分の手に落ちたのだと歓喜した。
「白鐘さんが――彼女が僕の手の中に……あの男から奪い取ったんだ……ふふふ……あはははは! さあ、行くぞ仮也! あの男が戻ってくる前に、彼女と結ばれるための場所へと連れて行くんだ!」
――その満面な笑顔は、まさに狂気そのものだった。
不良達が全員乗り終わった後、主が少女を運んで車に乗るその背中を、仮也は静かに見守っている。
「――まったく、坊ちゃまが集めたのが、精神の未熟な若者達で助かりました。彼らなら貴方同様『暗示魔法』にかけるのは容易いですからねぇ。これがヤクザとかなら、また少し面倒だったのですが……」
そして、最後に残った彼も同じように、車へとゆっくり足を運んでいく。その顔には、主に見せたことのない邪悪な笑みが浮かんでいた。
「――さて、坊ちゃま。貴方がこれから歩む破滅を、私が最期まで見届けさせていただきましょう」




