第5話 挑戦状
――六月十五日、午前九時三十分――
「お久しぶりですね……ヴェルレイン・アンダースカイ様……!」
苦々しげな表情と睨むような鋭い瞳で天井を見つめながら、フィルエッテはかつて自身を操った者の名を口にする。
『あら? まだ私を様付けで呼んでくれるなんて、ずいぶんと殊勝じゃない、フィルエッテ・ヴィラリーヌちゃん?』
「……どのような経緯があったにせよ、一時的にでも貴女はワタシの師でもありましたので」
『フーン……本当に聡明ね、アナタは。今更ながらに、手放した事を惜しいと思うわ』
本心であろうか、先ほどまでからかうような調子であった魔女の声色が、本当に憂うかのように気持ち沈んで聞こえた。
「いやいや、なんかスムーズに話が進んでるけどさ、いったいどういう事なんよ? なんか、こう脳内で直接声が的な……?」
「間違いではありませんよ。これは通信魔法。個人、または特定の範囲内全員の脳に直接声や思念を送り、電話のように相手と会話できる魔法です。おそらく、今はヴェルレイン様の魔力回線がこの家全体に合わせてあるのでしょう。それで進さんにも、声が届いているのです」
「テレパシー……うーん、それってもう魔法ってより超能力なんじゃ……?」
『あらあら……どうやら珍獣が一匹混じっていたようね?』
「だ、誰が珍獣じゃいッ!! ていうか、聞いてるだけでなんかはらわたが煮えくりかえるようなこの声……思い出した! アンタ、親父を狼男に変えた占い師のお姉さんだな⁉︎」
『フフ……私のことを覚えてくれていたなんて光栄ね。それに、超能力に例えるのはいい着眼点ね。一般的に超能力と呼ばれるもの、それに錬金術、魔術、呪術、妖術、霊験――それら全ては魔法という奇跡を別の言葉であらわしただけにすぎない。何千年も前から魔法使いは人間と共にあった。その事実を外に出さないため、境界警察は魔法をあらゆる超常に置き換える事で、今日に至るまで魔法の秘匿を守り続けてきたのよ』
それは以前、シャルエッテが白鐘に語った魔法の秘匿と同じ内容の話であった。
何千年も前から人間は魔法使いと関わりがあり、魔法による伝説も数多く歴史に残されている。それらは神話や神秘として語り継がせる事によって、あたかも現実として魔法はあり得ない存在かのように秘匿し続けてきたのだ。
『境界警察はね、魔法の秘匿のためならあらゆる手段を辞さないわ。それこそ、どれほどの血が流れようともね……』
「「「っ……」」」
普段は飄々とした態度を崩さず、それゆえに感情の見えづらかったヴェルレインではあったが、境界警察を語る声音には珍しく切なげな感情が揺れるように、少女たちには聞こえたのであった。
『……少し横道に逸れてしまったわね。それじゃあさっそくだけど、本題に移るわ』
トーンをいつもの調子に戻し、そして魔女は二人の魔法使いの少女たちにとって、予想外の言葉を口にする。
『フィルエッテ・ヴィラリーヌ、そしてシャルエッテ・ヴィラリーヌ――私はあなたたち二人に、挑戦状を叩きつけます』
「ッ――⁉︎」
「ちょうせん……じょう……?」
驚きを隠せない二人は、上を見上げたまま戸惑いの表情を浮かべている。
『以前、私の策略によってあなたたちは争い合い、絆を裂かれかけた。当然、そんなあなたたちにとって、私は憎っくき仇敵である事に違いはない。そんなあなたたちの恨みを晴らす機会を与えてあげると、私は言ってるのよ』
「「っ……」」
ヴェルレインの言う通り、シャルエッテとフィルエッテの二人は深い絆で結ばれた姉妹弟子同士でありながら、わずかにあった悪意を利用されて、一時的に争い合う事態になってしまった。その怒りの矛先はもちろん、黒幕である日傘の魔女に向けられていたのであった。
「ちょっと待ってよ……! 確かに二人が戦ったってのはアタシも聞いた事はあったけど、なんでその戦いを仕組んだ張本人が、あえて復讐するチャンスを作るのさ⁉︎」
『黙りなさい、珍獣。私は今、二人と話をしているのよ』
「だから珍獣って呼ぶな!」
二人を心配しながらも相変わらずバカにされて怒る進を手で制し、フィルエッテは小さく息を吐き出して、感情を抑えるために呼吸を整える。
「……ワタシたちに貴女と戦うチャンスを与える事で、貴女になんのメリットが?」
『いちいちまどろっこいし事を考えるわねぇ。特段、私の気まぐれ以上の意味などないけれど、強いて言えば私にとって、目障りなあなたたちを消せる事ぐらいかしら?』
「……貴女の挑戦状をワタシたちが拒否した場合は?」
『どうもしないわ。ただ……これから行う私の計画に、あなたたちも、そこにいる珍獣も、そして黒澤諏方たちも巻き込まれる――ただそれだけの事よ』
「「ッッ――!」」
「なっ……なんだよそれ……?」
二人の魔法使いは天井を睨むように目を細め、進は脅迫同然の魔女の言葉に顔を青ざめる。
『……一時間だけ時間をあげるわ。その間によく考え、一時間経ったらまた回線を繋げてあげるから、それまでに返事を――』
「――受けて立ちます、ヴェルレイン様」
間断なく、フィルエッテは魔女の挑戦を受けることを告げる。
「ちょっ⁉︎ そんな即決で受けるの、フィルルちゃん⁉︎」
迷う間もなく魔女の挑戦を受けた魔法使いの少女に進は心配げな表情を向けるが、そんな彼女を安心させるようにフィルエッテは微笑を返す。
「いいわよね、シャル?」
普段なら動揺する様子を見せるであろうシャルエッテはしかし、珍しく自信を含む真剣な顔で姉弟子の問いに黙ってうなずいた。
『ふぅん……私が言うのもなんだけど、魔女からの挑戦状なんてあらかじめ約束された災厄のようなもの。魔法使いにとっては避けるが常道。その選択を非難する者なんていないでしょうに……あなたたちは、あえてそれを受けるのね?』
「ええ……貴女の言う通りワタシもシャルも、確かに貴女への恨みを晴らしたい気持ちはあります。でも……それ以上に諏方さんや白鐘さん、進さんたちを巻き込むのだと貴女が口にしてしまった以上、それを阻止する事に迷いなどありません……!」
「わたしも同じ気持ちです! 諏方さんも白鐘さんも、そして進さんもわたしたちにとって恩人であり、大切な人たちです。そんなみんなを傷つけようとするあなたを、わたしたちは絶対に許しません……!」
「っ……二人とも……」
魔法使いのことをまだよく知らずとも、あの占い師が二人よりも遥かに強いことなど進も理解していた。それでも、自分を含めたみんなのために戦う事を迷わず決めた二人のカッコよさに、彼女は思わず瞳を濡らしてしまいそうになる。
『魔女を相手に許さないだなんて、ずいぶんと私も舐められたものね……まあいいわ。魔女の挑戦状を受け取ったあなたたちの意志を、私は尊重してあげます。お昼ちょうど、狭間山の丘の上の広場にて、あなたたちを待ってあげるわ。それじゃあ……愚かなる小さき魔法使いたちに、せめてもの福音があらんことを――』
それだけを言い残し、回線をプツリと切られたように、頭の中から声が消えていった。
「……大丈夫なのかよ、二人とも? 自分から挑戦状なんて言って、時間も場所も指定してくるだなんて、明らかに罠ですって言ってるも同然じゃん……⁉︎」
気づけばあれよあれよとまとまった話に当然納得はせず、進はやはり心配げな声で二人に問いかける。
「確かに、いくら実力で明らかに劣るワタシたちが相手だろうと、当然あの方は罠を仕掛けるでしょう……しかし、ワタシの得意魔法は罠魔法。罠を仕掛けているのはなにも、あの方だけではありません……!」
これから自分よりも遥かに強い敵と戦うはずであるのに、フィルエッテの表情はなぜか自信に満ちあふれていた。
「え? もしかして、あの魔女と戦うかもしれないって予測してたの?」
「こうも真正面から挑戦状を叩きつけられるのはさすがに予測できませんでしたが、いずれあの方と戦う決心はすでに着いていました。そして――シャルと一緒に数日前から、ワタシたちはあの方と戦う準備を整えていたのです……!」
「二人とも……!」
魔女と戦う覚悟をすでにしていた二人は、共に進に向けて静かにうなずく。そんな二人の心強さに彼女は何も言えなくなり、もう二人を止められないだろうと諦めのため息を吐き出した。
「では、お昼前になったらシャルと一緒に狭間山に向かうので、進さんはこの家に残って諏方さんたちが帰宅した後、二人に事情の説明を――」
「――いや、アタシも二人と一緒に、狭間山に行くよ」
ニッと爽やかな笑顔を浮かべて、とんでもない提案を人間の少女は口にする。
「なっ……⁉︎ ワタシたちはこれから危険な相手と戦うのですよ! そんな危ない場所に、ただの人間である進さんを連れて行けるわけないじゃないですか⁉︎」
あまりにも無謀な進の発言に、フィルエッテも自然と声を荒げてしまう。
「危険なのは百も承知。確かにアンタたち魔法使いと比べりゃ、アタシにできる事なんて何もないかもしれない……」
「なら――」
「――でも、友達が危険な戦いをするのに黙ってお留守番だなんてできるわけないじゃん! ……アタシにできる事は何もないかもしれないけれど、それでもせめて、後ろで二人を応援するぐらいはさせてほしいよ!」
「っ……しかし……」
進の勢いに気圧されかけて、フィルエッテは思わず口ごもってしまう。
「アタシを連れて行かないなら、今すぐ諏方おじさんたちに電話かけて、二人があの人と戦うって話しちゃうよ? それ聞いたら、諏方おじさん怒って止めようとするかもね」
「なっ⁉︎ それはいくらなんでも卑怯です……!」
魔法使いであろとも、シャルエッテたちを何度も危険から遠ざけようとした諏方ならば、当然今の話を聞けば確実に止めに入るであろう。
その気持ちを嬉しく感じつつも、それでもフィルエッテはせっかくの魔女と戦えるこのチャンスを不意にするわけにはいかなかった――何よりも、大好きな人たちを守るために。
「――ススメさんも連れていきましょう、フィルちゃん」
そう優しい声で提案するのは、妹弟子であるシャルエッテだった。
「シャル……あなた、自分が何を言っているのかわかって――」
「――もちろん、ススメさんが危険な目に遭うかもしれないのはわかっています。でもフィルちゃん、わたし……フィルちゃんと闘う事になった時、すごく怖かったんです」
「っ……」
それは日傘の魔女の策略により、二人が闘う事になった時の話だった。
「わたしよりもずっと強かったフィルちゃんと闘うの、最初はもちろん自信ありませんでした。でも……スガタさんやシロガネさん、アオバさんが応援してくれたから、わたしはフィルちゃんと闘う勇気が出たのです……!」
「…………」
「応援してくれた三人のおかげで、わたしはフィルちゃんと闘う事ができました……誰かがそばで応援してくれるだけで心が強くなれるし、どんなに怖い人が相手でも、立ち向かう勇気が湧いてくるのです! だから……!」
「シャル……」
確かにシャルエッテがフィルエッテと闘う事になった時、後ろに立っていた諏方たちが彼女の背中を見守っていたのを彼女もよく覚えている。立っている場所は戦場であるというのに、それでも彼らは臆さず、ただ少女の闘いを見守るためにあの場に立っていたのだ。
シャルエッテにとって大好きな人たちである三人の応援は、強大な敵に立ち向かう事を恐れさせないほどに心強いものであったのだろう。
「…………危なくなったら、迷わずワタシたちを見捨てて逃げること……それだけは約束してください」
諦めたようにため息をつき、フィルエッテは進の同行を渋々許可する。
「フィルちゃん……!」
「そうこなくちゃ! なあに、陸上やってるから逃げ足なら任せてよ! ピンチになったら迷わずすたこらさっさするからね!」
そうは言っても進の性格上、どうせ逃げる事はしないであろうとわかってはいるも、フィルエッテはそれを口にはしなかった。
そして、次に彼女は真剣な眼差しを妹弟子の方へと向ける。
「改めて訊くことではないと思うけど、シャル……これからワタシたちが戦うのは魔法使いの到達点の一つである魔女。その魔女と戦う覚悟、できているわよね?」
「…………」
シャルエッテはすぐには答えず、その両手はわずかにだが震えを見せている。
「正直……やっぱり怖いです。フィルちゃんとこの日のために準備をして、勝てる自信がゼロだなんて言いませんが、それでも相手がお師匠さまと同じ魔女であると考えると、怖くて身体が震えてしまいます……」
「…………」
「でも――」
シャルエッテはやはり手の震えが止まりはしないが、それでもまっすぐに向けた顔は決意の色に引き締まっていた。
「わたしは、スガタさんやシロガネさんたちをあの魔女から守りたい。……そのために、わたしはフィルちゃんと一緒に戦います……!」
「シャル……」
フィルエッテの前に、ただの臆病者であった頃の妹弟子はもういない。彼女の決心の言葉はまた、姉弟子である彼女の勇気をも奮わせたのだ。
「ならワタシも、もう迷わない。シャル、進さん――諏方さんたちを守るため、ワタシと一緒に日傘の魔女と戦ってください!」
頭を下げるフィルエッテに、二人は力強くうなずく。
「もちろんです!」
「任せんしゃい!」
二人の友人からの熱い言葉を受けてフィルエッテは頭を上げ、魔女の声はせずとも再び天井を見上げる。
「今度こそ、貴女との決着をつけます――ヴェルレイン様……!」




