第2話 三人のパティシエ
――六月十五日、午前九時――
「はいさーい! 呼ばれなくても飛び出してくるさすらいの乙女こと、みんなの天川進ちゃんだよー! 今日も元気にハピハピでノっていこうぜ、えぶりばでぃッ!」
朝の黒澤家――チャイムが鳴り、玄関の扉をを開けた先には元気そのもの体現したかのような少女、天川進がピースサインの間に目を挟むアイドルのようなポージングで立っていた。
「おはようございます、ススメさん。今日も朝から元気ですね」
「うーむ、その一言で済ませるとはさすが天然っ娘、シャルルちゃん。進ちゃん的には同じノリでノってくれるか、ツッコミを入れてほしいところだったのだぜ」
進のテンションの高いボケについていけず、彼女を出迎えたシャルエッテは頭にはてなマークを浮かべながら首を傾げる。
「んで、白鐘と諏方おじさんの方はもう出かけてるかな?」
「はい、七時頃にはすでに家を出られましたよ」
「オケオケ、予定通りといったところだね! それで……フィルルちゃんは?」
「はい! もうカンカンでした!」
◯
「何が予定通りなのですか? 進さんがこの家に来るはずの時間からすでに二時間オーバーしておりますが」
「本当に、誠に申し訳ございませんでした」
黒澤家のキッチンの前にて、さっきまでのテンションが嘘かのように沈んだ声で進は深々と頭を下げる。
彼女の目の前には白く可愛らしいエプロンを羽織りながら、鬼のような形相で進を睨みつけるフィルエッテの姿があった。
「いやー、昨日はハマってるアニメを観た後にソシャゲの周回やらなんやらやってたら、気づいたら眠りの森の美女状態になりまして……」
「素直に寝坊したと言ってください。まったく……七時には家に来るとおっしゃったのはあなたなのですよ?」
「いやホント面目ない。今度駅前の美味しいスイーツ店のケーキ奢ったるから、フィルルちゃん!」
「あと、そのフィルルとかってあだ名はなんなんですか⁉︎」
「あり? けっこう可愛くない? フィルルちゃんにシャルルちゃん!」
シャルエッテをシャルル、フィルエッテをフィルルと進が彼女たちを呼び始めたのはつい最近の話であった。
「ほら、シャルエッテちゃんにフィルエッテちゃんだと、なんか長ったらしくて毎回呼ぶのも面倒じゃん? ここはいっちょ、呼びやすいようにとあだ名を付けてみたのですよ」
「それは構わないのですが……その呼び方だと、シャルルは王族のような気品さを感じるのに対して、ワタシのフィルルというのはなんというか、ペットの名前のような響きであまり好ましくありません」
「えー、いいじゃないですか! わたしは好きですよ、フィルルってお名前」
共にあだ名を付けられた妹弟子に純真無垢な笑顔を向けられ、フィルエッテは呆れまじりに諦めのため息を吐き出した。
「にしし、やっぱりシャルルちゃんには甘いねえ、フィルルちゃん。というわけで改めて、フィルルちゃん呼びで決まり――っと、うおお! けっこういい出来じゃん」
頭を上げて視線の先に映ったものに、進は興奮の声をあげる。
――キッチンテーブルの上に置かれていたのは一個の大きめなホールケーキであった。
見た目からふっくらな食感を想像させるふわっとしたスポンジの上や周りを、白くきめ細やかな生クリームが覆っている。スポンジとスポンジが重なり合ってる間には薄くカットされて挟まれたイチゴが、赤のコントラストを彩っていた。
まるでプロのパティシエが作ったかのような完成度の高いケーキだが、それを作っていたのは明らかな素人である目の前の黒髪ショートのエプロン少女であったのだ。
「これはたまげた……アタシが主導でシャルルちゃんとフィルルちゃんにはお手伝いを頼む予定だったのに、形だけならアタシのより上出来だ。ていうか、これを二時間で仕上げたの⁉︎ もしかしてフィルルちゃんって、料理経験者……?」
「頼みますから、あまりその名前を連呼しないでください! ……まあ、お師匠様が留守の時にはワタシがご飯を作っていたので。とはいえ、人間界の料理は今回が初めてではありましたが、レシピ通りに作るという点においては魔法界の料理とさほど変わりはありませんので、特に難しいという事はありませんでした」
「今ので料理オンチの皆さまにすんごいケンカを売った気がする……はぁ、これも才能というやつですかねぇ。魔法の天才は、料理でも天才だった……⁉︎」
「茶化さないでください。それに、完璧に出来たというわけでもないのですよ。という事で、はい」
そう言ってフィルエッテは冷えたバットの上に乗せられたクリーム絞り器を進に差し出す。
「ケーキの上の飾りつけはさすがに知識だけで上手く成立しえるものではありませんので、そこは進さんにお任せしたいです」
「フィルルちゃん……オッケー! フィルルちゃん作のパーフェクトなケーキを、さらに完璧に仕上げたる!」
手を洗ってクリーム絞り器を受け取り、進は滅多に見せない真剣な眼差しでクリームを花のような形でケーキの上に飾りつける。クリームの形を崩さぬように慎重に絞り、やがてクリームの花に覆われたケーキは苺が乗っていない事を除けば立派なケーキ屋さんのケーキそのものへと完成したのだった。
「さすがです、進さん。以前に進さん宅で中華料理をご馳走になりましたが、ケーキ作りもお上手なのですね」
「ふふん、もっと褒めたまえ。たしかにアタシの得意料理は中華だけど、スイーツだって白鐘より上手い自信があるんだから」
嬉しげに鼻を高くする進。面倒だという理由で滅多には作らないが、実際に彼女のスイーツ菓子は絶品ものであるのだった。
「まったく、どこかの誰かさんが遅刻してなければ、もっと美味しいケーキが出来たでしょうに」
「いやほんとごめんなさい。でもフィルルちゃんの作ったケーキも十分美味しそうだよ? ていうか……うん、クリームの時点で十分プロレベルだよ」
進は残ったクリームを小指に少し絞り出して舐め取る。少量で口に広がる優しい甘みは、甘いものが苦手な人でも美味しく食べれそうなほどにバランスが絶妙であった。
「お褒めいただいて光栄です。さて……わかってるからそんなにソワソワしないで、シャル。最後の仕上げ、あなたに任せるわ」
「はあ"い"ッ⁉︎」
キッチンの入り口で身体を左右に揺らしながら二人のやり取りを聞いていたシャルエッテは、うわずった声を上げながらロボットのようにカチコチと硬い動きでキッチン内へと入る。
「いい? あなたに任せるのは最後の苺の飾りつけ。それ以外に絶対余計な事をしないこと……わかってるわね?」
「ももも、もちろん大丈夫ですとも……!」
緊張のあまり身体を震わしながらも、シャルエッテはゆっくりと洗ってヘタも取ったボウルの中の苺を、一個ずつ丁寧にケーキの上へと乗せていく。
「うーん……シャルルちゃんが料理オンチだってのは白鐘から聞いてるけど、いくらなんでももうちょっと他にやらせてもいいことがあったんじゃ――」
「ダメです。シャルに下手に手をつけさせれば、ケーキが紫色のアメーバ状の何かになりかねません……!」
「それはもう料理オンチとかそういう問題ではないのでは……?」
以前に料理とは言えない何かを作った事のあるシャルエッテは、以後キッチンに入る事を白鐘から禁止されていた。
それでもこのケーキに対してどうしても何かお手伝いをしたかったシャルエッテは二人に無理を頼んで、最後の苺を乗せる工程だけでも任せられる事になったのだ。
「っ…………できました……どうでしょうか、お二人とも⁉︎」
苺を乗せ終えたシャルエッテが不安げな表情のまま二人に振り向く。
ケーキの上に乗った苺は位置や間隔、いくつかは傾いていたりなど、お世辞にも上手く乗せられたとは言えない。ケーキの見た目の完成度も、明らかに先ほどよりも下がって見えてしまう。
とはいえ、見栄えは多少悪くなれど、ケーキ自体が食べられないものに変貌したわけでもなく、不出来ながらもケーキそのものの形を崩さない不揃いの苺たちは、むしろ飾りつけた者の一生懸命さが見えるような気すらさせるものだった。
「……まあ、及第点って言ったところかしらね。意固地になって変にアレンジを加えようとしなかっただけでも、十分に成長よ」
「むしろ、この方が手作りって感じに見えるから上出来だよ。頑張ったね、シャルルちゃん」
「ふぅ……二人とも、わたしのわがままを聞いてくださってありがとうございます! ……これで完成しましたね――シロガネさんへのサプライズ誕生日ケーキが」
六月十五日――今日は黒澤白鐘の誕生日であった。
「二人から白鐘の誕生日に何か日頃のお礼をしたいって相談された時にはどうしようかと思ったけど、サプライズケーキを作るってのは我ながらいいアイデアだと思ったね」
「ええ、本当に進さんには感謝の念が尽きません――今日の遅刻で少し帳消しにしましたが」
「うおお……姑みたいなネチネチさだぁ――あ、すいません、謝るから睨まないでください」
進が言ったように、数日前にシャルエッテとフィルエッテは進に白鐘の誕生日に何かお礼ができないかと彼女に相談していたのだった。できれば何か驚かせるような事がしたく、なおかつ誕生日という事で三人はこうして誕生日ケーキを彼女に内緒で作る事にしたのであった。
もちろんキッチンを使うという事で、諏方にも事前に許可は得ている。あとは白鐘にこのケーキを渡すだけであった。
「それにしてもシロガネさんもスガタさんも、せっかくのお誕生日に朝早くからお出かけに行ってしまいましたが、どこに行ったのでしょうね……って、なんでお二人とも何言ってんだこいつはって目で見るんですか⁉︎」
まさに『何言ってんだこいつは?』と言いたげな視線で二人から見つめられるシャルエッテ。
「ハァ……シャル、あなた椿さんから諏方さんの過去の話を聞いていたんじゃなかったの?」
「え? たしかにスガタさんの昔のお話は聞いていますけど……」
未だに姉弟子の言いたいことを量りかねているのか、シャルエッテは難しい顔で何度も首を傾げてしまう。その様子に呆れのため息をつきながらも、フィルエッテは妹弟子が気づくようにヒントを与える。
「……白鐘さんが生まれた日の話も、椿さんから聞いているのでしょ?」
「シロガネさんが生まれた日…………あっ!」
ようやく白鐘と諏方が出かけたであろう場所とその理由に気づき、シャルエッテは思わず両手で口を押さえてしまう。
「そゆこと。白鐘の誕生日って事はつまり、白鐘のお母さん――黒澤碧さんの命日でもあるって事だよ」
◯
――六月十五日、同時刻――
梅雨はとうに明けたはずの空は灰色の雲で覆われ、朝から冷たい雨が降りしきっていた。
城山市から遠く離れ、バイクで約一時間半の距離にある霊園。木々に滴り落ちる雨粒の音が、静謐な空間の中で耳に痛く響いていた。
「もう一年か……この二ヶ月でいろいろありすぎて、なんだかあっという間な気がするよ」
傘を差し、制服姿の銀髪の少女は、切なげな笑みを目の前の墓石へと向ける。
「久しぶりだね、お母さん」
雨に濡れる墓の前で、白鐘は誕生日と同じ日に自分を産んで亡くなった母――黒澤碧を一人、お母さんと呼びかけるのであった。