第38話 真の強者
明くる日の早朝――昨日まで激闘があったとは思えないほどに、蒼龍寺邸の庭園は静謐で穏やかな空気が流れていた。時折聞こえる小鳥のさえずりや木々ゆらす風の音が穏やかに耳に響き、その音を聞くだけで荒んだ心さえも浄化されてしまいそうだった。数ヶ所のへこんだ砂利の跡からは昨日の闘いの生々しさが残っていたが、それすらも池のせせらぎの音と相まって絶妙な風情を感じさせられる。
「よ、ほ、よっと――!」
そんな庭園へと向けて、銀髪の少年がアクロバティックに身体を回転させながら屋敷の玄関を飛び出してきたのだった。まるで体操選手のように身体を宙で回し、着地後も誰もいない空間へと向けて突きや蹴りを何度か軽く打ち出していく。
「ふぅ……驚いたぜ。昨日の夜あんだけ痛かった身体が、一日休んだだけでこんなにも動かせるようになるなんてな」
諏方は昨日以上に身軽に感じる自身の身体に驚きを隠せないでいた。八咫孫一との激闘で死に体同然であった肉体が、たった一日でさらに若返ったように軽くなったのだ。
「ありがとうございます、柳さん。これも治療してくれた貴女のおかげです!」
諏方は玄関の方へと向けてお礼を述べる。玄関の奥からは柳に源隆、そして白鐘たち少女三人や、青葉も揃って屋敷から姿を現したのだった。
「フフフ、礼には及ばへんよ。それだけ動けはるのはウチの治療以上に、諏方はんの回復力によるものどす。不思議な話やけども、若い身体に戻りはるいうんはやっぱしうらやましい限りやわ。でもな――」
「ぐはっ――⁉︎」
突然全身に痛みが疾りだし、諏方は両腕を抱えてその場でうずくまってしまう。
「いくら治療したかて、あれだけの傷が一晩で治るわけあらへんわ。たしかに見た目は元気よく動ける程度には回復してはるけど、内側はズタズタのままなんやから無茶せず、しばらくは安静にしはるどすえ」
「す、すんません……」
諏方は――見た目はともかく――年がいもなくはしゃいでしまった事に今さら恥ずかしくなってしまい、顔を真っ赤にしてしまう。
「まったく……子供じゃないんだからいくら若返ったからって、もうちょっと大人らしく振る舞ってよね」
娘の白鐘は父親のテンションの上がりっぷりに、呆れのため息を吐き出した。
「カカカ、すっかり娘相手に尻に敷かれちまってるようじゃあのう、糞餓鬼」
「うるせえ、クソジジイ! ブッ飛ばさせろッ!!」
相も変わらず見下したような笑いを見せる源隆に、諏方はぐぬぬと拳をわなわなさせる。
「――諏方さんッ!」
そこへ突然、諏方の背後から彼を呼ぶ男性の声がする。
振り向くと頭や手に包帯を巻いた大柄のスーツ姿の男が、複数の同じようなスーツの男たちを引き連れて諏方の元へと駆け寄ってきていた。
「た、泰山昇――⁉︎」
その男の姿に、諏方は驚きを隠せないでいる。彼は昨日、孫一を相手に同じく激闘を繰り広げ、重傷を負って病院に運ばれたはずの源隆の側近、泰山昇であったのだ。
「お前、ケガの方は大丈夫なのかよ?」
「いいえ、本来ならばまだ安静にするべきなのですが、諏方さんたちが本日にはご帰宅されるとの事でいてもたってもいられず――うっ……⁉︎」
昇は諏方の背中越しから感じられる視線に目を向けると、柳が鬼のような形相で睨んでいるのを目にしてしまう。その鋭い瞳からは『医者なめとったらあきまへんどすえ……!』といったメッセージが如実に伝わってきた。
「あ、姐さん……面目もありません……」
素直に謝罪する昇に、「仕方あらへんなぁ……」と柳は呆れ気味に笑って許した。
「しかし……改めてではありますが、目の前に立っている貴方は本当に黒澤諏方さんなのですね……!」
かつては自身の主である男のライバルであった少年のその当時のままの姿を目の前にして、昇は突然にその瞳に涙を浮かべる。
「うおっ⁉︎ どうしたんだよ、いきなり泣き出しやがって? ていうか、なんでさん付けで呼んでんだ?」
「……貴方は葵司さんと並び、伝説と評された『三巨頭』の一角。葵司さんと同じく、貴方もまた私にとっては憧れであり、尊敬に値する存在。その伝説が目の前で再臨されたという事実が……今は何よりも喜ばしい事のです……!」
目の前で二メートル近い大男に泣かれて戸惑いはするも、彼の言葉に諏方は素直に嬉しく感じられるところもあった。
「泰山さんだけじゃねえ! 俺たちも貴方のファンっス、黒澤諏方さん!」
「あの時代を知っている元不良にとって、三巨頭に憧れねえ奴はいなかった!」
「生ける伝説が目の前に……よろしかったらサインください、諏方さん!」
昇に続くように彼の舎弟や、その他のヤクザたちも三巨頭のファンであったのか、キラキラした目をしながらゾロゾロと諏方の元へと集まっていく。
「うお⁉︎ 待て待て! そんな一気に詰め寄ってくんじゃねえ!」
突然のヤクザたちの集まりに困惑する父の様子を眺めながら、白鐘もこの状況にしばし呆然としてしまう。
「お父さん、昔の不良の人たちに人気なんですね……?」
「そうね、諏方お兄ちゃんや葵司お兄ちゃんたち三巨頭は、まさに当時の不良たちの憧れみたいな存在だったからねぇ……。ちなみに、私もこんなのを持っていたり」
そう言って白鐘の隣に立っていた青葉は、懐から写真のような紙きれを三枚取り出す。そこには今よりも少し目つきの悪い銀髪の少年や、オールバックに青いロングコートの少年、そして金髪ポニーテールにセーラー服の上から赤いジャケットを羽織った少女がそれぞれ写っていた。
「これは『三巨頭』三人のブロマイド。当時でも入手困難だったファンアイテムなんだけど、碧お姉ちゃんが家を出ていく前に、お姉ちゃんが持ってたのをプレゼントしてもらったの」
「ブロマイドって、本当にアイドル扱いじゃないですか……ていうか、お父さんの若い頃のブロマイドとかちょっと複雑かも」
そう言いつつ、白鐘はしばらくブロマイドに写る三人の姿を見つめる。
「この人たちが、蒼龍寺葵司さんと園宮茜さん……」
三巨頭が活躍した『不良の黄金期』の話は椿から聞かされていた白鐘であったが、こうして彼らの姿を見るのはこれが初めての事であった。
諏方と共に肩を並べた二人の不良――果たして彼らはどれほどに強く、どれほど鮮烈な人生を歩んだのであろうか。
「しっかし、これで白鐘ちゃんともしばらくお別れだと思うと悲しくなるんじゃあのう……」
杖をつきながら源隆が、本当に寂しげな声でつぶやく。
「白鐘ちゃん、それにシャルエッテちゃんとフィルエッテちゃん……これに懲りず、いつでもまた遊びに来るといい。儂ら青龍会はいつでもおぬしたちを歓迎し――」
「――――え? 嫌ですけど」
しばし、時が止まったかのように庭園内が静まりかえる。
キョトンとした表情と特に普段と変わらない抑揚の声で、白鐘は自身の祖父にあっさりと無慈悲な一言を返してしまう。源隆はガーンという効果音さえ聞こえそうなほどショックな顔を見せ、杖も思わず手から離れて倒れてしまった。
「シ、シロガネさん⁉︎」
「白鐘さん⁉︎」
「白鐘ちゃん⁉︎」
シャルエッテたちに青葉までも、驚きをまじえた視線でつい彼女を見てしまう。祖父と孫の関係とはいえ、ヤクザの重鎮に対してこうもあっけらかんと拒絶の言葉が出るとは源隆含め、周りも予想だにしていなかったのだ。
「ど、どうしてなのじゃ、白鐘ちゃん……?」
「……お父さんに闘ってもいいと許可したあたしも悪いところはありますけど、そもそもとしてお父さんが闘わざるを得なくなったのはお爺ちゃんのせいじゃないですか? そうやってお父さんを利用しようとしたお爺ちゃんの家にまた来ようだなんて、あたしは一切思いません!」
「ガーン!」
「あ、今度は本当に口から出た。ざまあねえな、クソジジイ!」
娘と義父のやり取りを眺めていた諏方は、実に嬉しそうな表情で老人を見やる。これまで常に余裕のある姿勢を見せていた源隆がここにきて初めて見せる狼狽した様子に、彼に苦しめられてきた諏方はフラストレーションを吐き出すかのように楽しげに笑い飛ばした。
しかし、そんな彼の笑い声も届いていないのか、老人は意に介さずその場で孫に向かって、突然頭を下ろして土下座をしたのであった。
「後生じゃ、白鐘ちゃん……せっかく孫に会えたのに、もうこれ以上見れなくなってしまうと考えると儂は生きていけのうなる……!」
「か、会長⁉︎」
いくら孫相手にとはいえ、青龍会のトップである会長があっさりと頭を下げてしまったその姿に、直系組のヤクザたちは戸惑いの声をあげざるを得なかった。
しかし、白鐘は変わらずムスッとした表情のまま、土下座する源隆からそっぽを向いてしまう。それほどまでに、父親を闘わせた祖父に対して怒り気味の様子であった。
「ヤクザさんのお偉い方まで頭を下げさせられるなんて……実はわたしたちの中で一番強いのシロガネさんなのではないでしょうか……?」
「この前のマフィア事件での諏方さんやマフィアのボス相手にといい……胆力でいえば間違いなく最強ね……!」
魔法使いの少女たち二人はこの事態に驚きつつも、なぜか尊敬の念が込められた視線を白鐘へと向けていた。
「まったく……部下も見てる前で情けあらへんなぁ」
そう言って柳は白鐘のそばまで近づき、彼女にこっそりと何か耳うちをする。
柳から何かを聞かされた後、白鐘は少し驚いた様子を見せるが、「堪忍なぁ……」と言いたげな彼女の表情に、諦念の息を小さく吐き出す。
「…………まあ、青葉叔母さまと一緒だったら、考えなくもないですけど」
「……私⁉︎」
突然姪っ子に名前を出され、青葉は驚きの声をあげる。彼女に何か耳うちをした柳の方を見ると、テヘペロといった表情で見つめ返される。
『――青葉ちゃんがこれからお父さんのことを見はって――』
昨日の柳とのやり取りを思い返す青葉。――たしかにこれからは父のことをちゃんと見るとは言ったが、これは少しばかり強引なのでは?――。
そう抗議したくなるのを抑え、青葉はしばらく土下座したままの父を見つめる。孫相手に実に情けないと思う反面、孫に会いたいというのは裏表ない彼の本心からの願いではあるのだろう。それがわかってしまえる程度には娘として彼女は父のことを理解しており、その事実を否定したいながらもそれが決して居心地の悪い感情ではないのだと、娘はその気持ちに改めて気づかされてしまった。
「……………………一ヶ月に一回…………」
ボソッと青葉は恥ずかしそうに、小さな声でつぶやく。
「……いや、やっぱり三ヶ月…………うぅ……半年! ……半年に一回ぐらいは顔出してあげるから、その時白鐘ちゃんがオッケーだったら、一緒に連れてきてあげます……!」
「ふぇ……? よいのか、青葉……?」
娘の変わらずトゲトゲしくも、わずかに優しさが込めれた言葉に父は顔を上げて彼女を見つめる。青葉は父からそっぽを向くが、それでも彼の問いを否定はしなかった。
「柳ぃ……! 娘がデレてくれたぁ……!」
「デレたとか言うな!」
「はいはい、よかったどすなぁ、源隆はん。あとどさくさでおっぱい揉むな」
柳に抱きつく源隆の頭をペシペシと叩きながらも、彼女は優しく夫を抱きしめ返す。
その様子に娘はハァっとため息をつき、その他の者たちはみな呆れ笑うのであった。
◯
「それでは三日間お世話になりました。こんな情けない父ではありますが皆さま、どうかめげずに支えてあげてください」
車に乗る直前、青葉は青龍会のヤクザたちに向けてお辞儀をする。かつては黙って家を出てしまった青葉からかけられた何気ないこの言葉が、ヤクザたちにとっては何よりも嬉しい一言であった。
「青葉様もお元気で。また来られるのを我ら一同、楽しみにしております」
同じく丁寧な言葉でお辞儀を返す昇。ここにきて、嫌いだったはずのこの家を去る事に少しばかり寂しさを感じている事に驚きつつも、父には決して口にすまいと決める青葉。
「…………それじゃあまた、お父様」
それでも別れの言葉だけは伝える。同じく素直じゃない父親は、「おう」と一言のみを返した。
「――黒澤諏方」
そして娘が運転席へと座るのを見届けた後、最後に老人は銀髪の少年を引き止める。
「……儂の昨日の言葉、忘れるでないぞ」
「…………」
『――もっと強くなれ、黒澤諏方』
毛嫌いしていたはずの男からの真っ当な助言――それはこれまでより強大な敵と相対するであろう未来への予言のようで。
「…………へ、もう忘れたよ」
そう諏方は吐き捨て、助手席へ乗り込んで車は蒼龍寺邸をあとにしていった。
「…………は、やはりおぬしは糞餓鬼じゃあのう」
車に乗る直前に親指を立てた義息子に呆れつつ、老人はその表情に嬉しげな笑みを隠せないでいた。
「――会長!」
車を見送り終えた後、直系組のヤクザたちが一斉に源隆に向けて片膝を地につける。それは彼らの改めての忠誠の証――。
「会長、貴方が我々を思い、我々の知らぬところで一人動いている事は承知しております」
「…………」
ヤクザたちを代表して言葉をつむぐ昇。彼――いや、彼らが何を求めているのか、それは彼らとともに長年歩んできた源隆もすでに理解はしていた。
「ですが、我々も会長に忠義を尽くす身。ゆえに会長がどれほどのものを背負い、その事実を知ろうとも、そんな会長の背中を支える覚悟が我らにはすでにあります。どうか、それだけは信じていただきたい……!」
昇が口にするは直系組としての覚悟の言葉。何があろうとも会長を最後まで支える――その覚悟を抱いて仕えるからこその直系組。
「源隆はん……」
その覚悟はまた、妻である柳も同じ思いであった。
蒼龍寺源隆が彼らに隠している真実――それを知ってもなお、その忠義は揺るがぬと。
昨日の闘い、そして若返った黒澤諏方という不可思議――それを目撃して、彼らは知らないままでいるわけにはいかなかった。
「――よかろう。これから語る言葉は他言無用じゃ。そして、全ては語れぬ事を承知するというのなら、話そうのう」
門が閉じられる。今ここにいるのは青龍会の直系組と妻の柳のみ。源隆はひざまずいたままの彼らを背にゆっくりと庭園に向けて歩き、そして語り始める。
「裏社会――そのさらに深淵に潜む、『魔法使い』という存在を」