第31話 仁義なき決闘〜諏方VS孫一〜⑦
――桑扶市と東京都中心部を繋ぐ中央高速道路。この場所には奇妙な都市伝説が残っている――。
かつて局地的な地震が原因の倒壊により、中央高速は復旧までの一年間、封鎖を余儀なくされた。
――だが、その地震を局地的と呼ぶにはあまりにも場所が限定されていた。その地震は町そのものは巻き込まず、ただ橋だけを真っ二つに倒壊させたのだ。
物理学上そんな事がありえるのかはさておき、世間一般には高速道路は地震による倒壊であるのだと小さく報じられるだけで話題はとどまった。
――そんな中、この高速道路の倒壊に関連するある都市伝説が当時広まっていた。
――――曰く、この倒壊は自然災害によるものではなく、二人の少年たちの喧嘩によって起こされたものであるのだと――――。
目撃者のいない正体不明の少年たちが決闘したというこの都市伝説は、のちに『中央高速の決闘』と呼ばれ、桑扶市と城山市の住人や一部の不良とオカルトマニアたちの間で今なお語り継がれていたのであった。
◯
「オラアアアアッッッッ――!!」
「ハアアアアアッッッッ――!!」
不良とヤクザ――対峙し合う二人の拳が互いの顔面を殴打し、天高く血しぶきが舞う。
痛みを感じる間もなく、さらに二発目が互いのもう片方の頬を強く打ちつける。
三連、四連――殴打するは顔面だけでなく、胸や腹、脇腹を直撃するたびにお互いの口から紅い液体が飛び散っていく。
二人はとうに死に体――全身の骨はすでにボロボロで、本来ならば立てる体力も尽きているはずの身体でなお、常人の何倍以上もの破壊力のある拳を互いにぶつけ合い続けている。
もはや肉体の限界値を互いに超えた今、勝負を決するのはどちらが先に気力が尽きるかの決戦となった。
――そんな二人の人外じみた決闘を、銀髪の少女は静かに見つめている。
ふと思い出すは、城山市に小さく伝えられている都市伝説。
若返った父の戦いを見て以降、何度かこの都市伝説は本当の事ではないかと、二人の少年の内の一人が父ではないのだろうかと――そう頭をよぎる事が何度かあった。
実際に父が『中央高速の決闘』に関わったかは定かではない。
だが少なくとも――――今瞳に映る二人の闘いは、伝説に通ずるものがあるのだと彼女は確信していた。
「っ…………」
自然と拳を握りしめる。鼓動が高まり、吐息にまじわって興奮の声が漏れていく。
――どんな結末になろうと、見届ける――普通なら目を逸らしかねないほどの鮮血舞う光景を、少女は真剣な眼差しで強く見つめるのであった。
――――
他の観戦者たちもみな、言葉を失いながらも目を逸らさずに二人の決闘を見つめていた。
魔法使い、教師、ヤクザ――さまざな立場の人間が、一人の不良と一人のヤクザの若頭の凄絶な殴り合いを息を呑んで眺めている光景は、実に奇妙なものであった。
「…………」
そんな中一人、老齢の男は変わらず冷静な瞳で二人の決闘を見つめている。
息一つ変えず、なんの感情も見えないその表情でしかし、老人は一人の少年を頭に浮かべていた。
「葵司よ……見ておるか? 共におぬしと縁の強い二人が、今命を懸けて拳をまじえておる」
誰に語りかけるでもなく、小さな声で老人は一人つぶやく。
「おぬしが望んでたであろう決闘が、今儂の前で繰り広げられている。……すまなかったのう、儂が不甲斐ないばかりに、黒澤諏方と純粋に決闘したいというおぬしの願いはついぞ叶わなかった。『中央高速の決闘』はさぞかし、心苦しい闘いとなったじゃろうのう……ああ、しかし――」
真剣な表情でいた老人の顔に、わずかに笑みが差す。いつもの他人を見下したような嫌みな笑みではない。ただ純粋に、普通の老人のようにやわらかい笑みを浮かべたのだ。
「――なんとも楽しげな表情で殴り合っておるじゃないか、両人とも……」
老人の瞳に映る二人の顔は、まるで河原ではしゃぐ子供のように、心の底から楽しげに殴り合っていたのであった。
――――
「ガハッ――!」
「ゴフッ――!」
腕を振るたびに互いの口から血しぶきが噴き上がり、気づけば彼らを囲むように血の輪組が砂利を染め上げていた。
気を込めていない、純粋な拳での殴り合い。
もうすでに十発、二十発を超える殴打を交わし合い、服はボロボロになって全身を血が紅く染め上げている。
「ハァ……ハァ……」
「ハァ……ハァ……」
息も絶え絶え。少しでも気を緩めれば、その場で昏倒しかねないほどに身体は限界値を超えていた。
「ハァ……さすがに血で重くなっちまっちゃ、思うように動けなくならぁ」
そう言って諏方は血まみれでボロボロの特攻服をつかみ取り、後方へと放り投げた。さらにティーシャツも脱ぎだし、上半身裸の状態へとなる。細身でありながらも引き締まった筋肉は、殴られた事による青あざすら色調の整った模様と思わせるほど、流麗な身体の形状をしていた。
「…………」
孫一はしばし逡巡する。大量の鮮血を浴びてスーツが重くなっているのは事実。それらを脱ぎ捨てる事で、諏方のように多少は身軽にもなろう。
「…………フン」
そして孫一もまた、スーツとシャツを脱ぎ捨てて上半身裸の状態となる。
「あ! 兄貴の背中の紋が⁉︎」
そう叫ぶのは孫一の部下である正人。
ヤクザには背中などに刺青があるのが常だが、若頭である孫一は自身の舎弟たちを含め、その背中の紋を見せた事がほとんどなかった。正人もまた、彼の背中の刺青を見るのはこれが初めてである。
「っ……」
正面を向き合っているため、諏方からは彼の背中が見えず、舎弟たちの反応に困ってる様子を見て孫一はため息一つ吐きながら、ゆっくりと彼に背中を見せる。
「――っ⁉︎ 八咫烏か……?」
孫一の背中に描かれた刺青は、羽根を広げる三本足の烏であった。たいていのヤクザが龍や鬼、鯉をモチーフとする刺青が多いなか、天高く飛翔しようとする烏の刺青は珍しい紋模様と言えよう。
「本当に、ヤクザになっちまったんだな……孫一」
彼がヤクザになったのだと頭では納得していた。それでも、こうしてヤクザの証明となりえる背中の紋を見せられた事は、少なからず諏方にとって改めてのショックを与えられてしまった。
「……やっぱり教えてはくれねえよな? なんでお前がヤクザになったのかを」
孫一は再び正面へと向き直り、人差し指で眼鏡の位置を直す。
「一つ言える事があるとするなら、俺はたしかに望んでヤクザになったわけではない」
「――っ⁉︎」
驚きを隠せないでいる諏方。彼だけではない。孫一の舎弟である正人たちもまた、驚愕と戸惑いの混じった表情を浮かべていた。
「だが……同時に俺は、ヤクザになった事を一度も後悔した事はない」
そうはっきりと前を向いて、孫一は真剣な声で告げる。
「っ……」
振り返れば、諏方も孫一のことをそれほど詳しいわけではなかった。東大を卒業できるほどに頭のよかった彼がなぜ高校時代不良になっていたのか。なぜ彼がヤクザの道へと進んだのか。
――果たして諏方は、友でもあった彼のことをどれほどに理解しえていたのであろうか――。
「…………いや、特別理解する必要はねえ」
諏方は顔の前に持ち上げた拳を握りしめ、孫一の瞳を見つめ返すように、正面へとまっすぐに顔を向ける。
「今は、この拳だけで十分にお互いを理解し合える――そうだろ、孫一?」
「っ……!」
血にまみれ、身体はあざだらけになりながらも――かつて笑わなかった漢は今、本当に楽しそうに笑っていた。
「……本当に、不思議な男だ、お前は」
孫一もまた、微笑を浮かべる。
凄絶な殴り合いの中のしばしの休息。それはまもなく終わりを告げ、二人は呼吸を整える。
――互いに退路はない。次の殴り合いで、この闘いの決着がつく――。
「いくぜ、八咫孫一」
「こい、黒澤諏方」
血のリングの中で、決闘はいよいよ終幕を迎える――。




