第24話 第三ラウンド
――疾る緊張。
対峙する本人同士は互いに睨み合いながらも、比較的表情は穏やかげではあったのだが、彼らを見守る者たち――泰山組や烏丸組、その他源隆を除く青龍会に所属するヤクザたち、そして白鐘たちは共に顔をこわばらせ、高鳴る鼓動を抑えこむのがやっとなほどに身体を緊張が支配していた。
「…………それにしてもよく気づきましたね、シロガネさん。スガタさんが闘いたがっていたなんて?」
そんな中、同じく緊張した顔を見せるシャルエッテが、小声で隣の銀髪の少女に話しかける。
「……今までお父さんが戦ってきたのは、あたしたちや他の人を守るためだった。だから、お父さんが戦いの場にいる時はいつも使命感を帯びたような、そんな真剣な表情が多い気がしたの。でも……さっき泰山さんとあの眼鏡の人が闘っていたのを見てたお父さんの表情は少し違ってた。真剣なんだけど、なんというか……心の底では闘いを見ているのを楽しんでいるような、自分があの場にいないのがもどかしいような……そんないつもと違う表情をしていたの」
そう言われてもシャルエッテもフィルエッテも、諏方のそのような細かな表情の違いに気づけてはいなかった。ただ一人、誰よりも父のそばにいた娘である白鐘だからこそ、そんな父の機微に気づけたのである。
「そんなお父さんの表情を見てたらね……いつもあたしたちのために戦ってたお父さんに、たまには自分のために闘ってほしいって思っちゃったのよ。あたしたちの関与しない、お父さんのためだけの闘いを……」
語りながら父を見つめる白鐘。彼女の視線の先の父親は変わらず真剣でありながらも、どこか今から起こる闘いを楽しみにしている――格闘技の試合前の選手のような、真摯と興奮がない混ぜになった表情を見せていた。
――黒澤諏方のこれまでの敵は、良くも悪くも強すぎない敵ばかりであった。
諏方を精神的に揺さぶって苦戦させる敵は多かったものの、真っ当なぶつかり合いでならそのどれもが彼の圧勝で終わっていただろう。
唯一未知数であるヴェルレインとは未だ戦う機会はなく、ともあれば今目の前に立つ八咫孫一こそがある意味若返って以降の彼にとって、武力的な意味で初めて対等に闘える敵になりかえるかもしれない――ここまで深く考えていたわけではないが、諏方は心の奥底で孫一に対し、そう感じ取っていたのだ。
――かつての本来の高校時代、共に戦った時間こそが、諏方の中で孫一の実力を何より裏づけていた。
諏方はこれからの彼との闘いに興奮を隠しきれず、手を小刻みに震わせている――もちろん恐怖からではなく、武者震いによるものだ。
「……でも結果的に、みんなを巻きこむような形になってごめんね?」
白鐘は父親の特攻服を投げ渡す前、孫一が放った警告の言葉を同じく耳にしていた。もし彼が負けるような事があれば、彼の所属する組が諏方たちに報復する可能性があると――。
「わたしは大丈夫です! これまでスガタさんにはいろいろ助けてもらいましたし、イチレン百連勝? というやつです!」
「一蓮托生ね?」
シャルエッテが天然でボケてフィルエッテが呆れながらツッコむ。もはや様式美となった二人のやり取りに狙ったつもりではないのだろうが、結果的に白鐘の緊張もいくばくか緩和した。
「でもシャルの言う通り、ワタシたちも諏方さんにいろいろと助けられました。その諏方さんのお望みはできるだけ叶えたいですし、その延長線上で誰かが敵になろうとも、お二人を守るためならワタシたちも迷いなく全力を尽くします……!」
力強いフィルエッテの言葉に、合わせて力強くうなずくシャルエッテ。二人の心強さと優しさに、白鐘は改めて彼女たちに申し訳ないと思いつつ、心から感謝するのであった。
「……大丈夫よ、三人とも」
少女たちが結束を固める中、隣で同じく諏方たちを真剣な眼差しで見つめていた青葉が口を開く。
「お父様……会長が存命の限りは、ヤクザがあなたたちに手を出すようなマネは彼がさせないわ。人を常に騙すような悪徳爺ではあるけど、孫が可愛いってのはきっと真実だもの」
彼女の視線が少しだけ父親に向けられる。源隆は両手で杖を地面に立てたままの姿勢で、この中で唯一諏方と孫一の闘いを楽しもうとしているように笑みをたたえて二人を見つめていた。
「……私も碧姉さんも誘拐された経験があるからか、それ以来あの人はどんな事があっても、身内だけには危害を及ばせないようにしているの。だから烏丸組があなたたちに手出しするような事態には、青龍会会長は絶対にさせない……これだけは、私が唯一あの人に対して信頼できる事よ」
白鐘たちを安心させるように、青葉はいつもの穏やかな笑みで少女たちを諭す。
「……シロガネさんもアオバ先生も、お父さんのことを信頼しているのですね」
ボソっと小声でこぼすシャルエッテ。
「シャル……」
その声が唯一届いたフィルエッテは複雑な視線を彼女に投げるも、それ以上何かを言うような事はしなかった。
依然、互いに睨み合ったまま動かないでいる諏方と孫一。
緊張感に包まれていた蒼龍寺邸庭園の静かな空間を切り裂くように――突如サイレンの音が鳴り響いた。
「泰山組長、救急車が到着しました!」
昇の舎弟であるヤクザたち数名が駆け寄り、彼を運び出そうとするも、彼は伸ばされた舎弟たちの手をはたき落とす。
「私は大丈夫だ……! 私は、二人の闘いを見届けなければ…………ゴホッ!!」
意識は保っていたが、未だ痛みは昇の身体の内側を駆け巡り、口から血が吐き出される。
「無茶してんじゃねえよ。あとは俺に任せて、あんたは病院でおとなしく寝てろ、泰山昇」
諏方は視線を動かさないまま、昇にここから離れるよう言及する。
「…………すまなかった。私が不甲斐ないばかりに、余計な重荷を背負わせてしまったな……」
「……別にあんたのために闘うわけじゃねえし、ましてやクソジジイのためでもねえ。それに……あんたが死んじまったら、誰があのジジイの介護をするんだよ? 俺は勘弁願いたいぜ」
「っ……そうだな。本当は貴方たちの闘いを純粋に見たいという気持ちもあったのだが……今回は甘えさせてもらおう」
ようやく観念して昇は舎弟たちに身体を支えてもらいながら、門の方へと向かっていく。
「……黒澤四郎――いや、黒澤諏方。カタギである貴方を巻きこんで勝手な願いではあるとは承知したうえで言わせてほしい…………どうか、勝ってくれ……!」
「……ハ、誰に物を言ってやがる」
そう言いながらニヤリと笑顔で親指を立てた彼の姿を見届け、昇は舎弟数名と共に蒼龍寺邸をあとにした。
サイレンが遠ざかるのを聞き届け、再び庭園を静寂が包みこむ。そんな空気を最初に割り裂いたのは――孫一の呆れ声からだった。
「まったく……余計な事に首を突っこむ貴様の性分は、その姿と同じで変わっていないようだな」
「いやー、これでもサラリーマンになってからは浅く穏やかな平和を享受してたんだぜ? でも若返ってからかなぁ……周りがトラブルだらけってのはあるけど、どうも俺の性格も若かった頃に引っぱられちまってる。その無茶を実行できる体力があるってのも、考えもんだな」
気まずげに頬をかく諏方に、孫一は人差し指で眼鏡を押し上げながら、またため息をつく。
「いや、性格だけなら変わったものだぞ。昔の貴様は常にダウナーで、いかにも『オレは不幸です』ってオーラを常に出してた暗い男だったじゃないか」
「それテメェが言うかよ? テメェだってどっちかっていうと、あー……今で言う陰キャってやつだったろ? いかにも『俺はバカなお前たちとは違います』的な見下しオーラ出しまくってたじゃねえか」
「……面倒な事が嫌いだっただけだ。俺は日々穏やかに過ごせればそれでよかったのに、常に貴様ら他の四天王三人がトラブルを持ってくるから、当時から胃がキリキリしっぱなしだったぞ」
「おいおい、俺とあの二人を一緒にしないでくれ。…………まあ、メンドくさがりだった俺たち二人を、あいつらがいっつも引っぱってくれてたよな。懐かしいなぁ、今でも思い出すぜ。不良のくせに無邪気だったあいつらの笑顔を」
「…………そうだな。おかげで、毎日退屈はしなかった」
思い出話を語るうちに諏方は呆れるように笑い、孫一もまた同じく呆れ気味ではあったが、珍しく小さな笑みを浮かべている。
黒澤諏方と八咫孫一――共に『桑扶高校四天王』と呼ばれた二人以外に、名の通りもう二人メンバーがいた。
朝露明里と猿崎晋也――諏方と孫一に比べて明るい性格だった二人は、常に諏方たちを引っぱる役割を担っていた。
前へ前へと前進する明里と晋也の後ろを呆れ顔でついていく諏方と孫一――この組み合わせが、本来の高校時代の諏方にとっての青春の図式であった。
「つーか、たまにはあの二人に連絡取ってやれよ、孫一。あいつらの現状知ってるか? 晋也は大工職人で、明里は立派にママさんしてるんだぜ。俺は今でもたまにメッセアプリでやり取りしてるけど、二人ともお前から連絡来ないっていつもブーたれてるぞ?」
「……できるわけもないさ。ヤクザとなった俺に、そんな資格などありはしない」
再び眼鏡を上げ、光が反射してその奥の瞳が表情とともに見えなくなる。
「……さっきテメェは俺が変わってねえって言ってたけどよ、テメェは変わっちまったな、孫一……なんでヤクザになっちまったんだ? あれだけ不良を嫌ってたお前がよ……」
孫一はしばらく何も答えない。ただじっと、瞳の見えぬまま少し深く呼吸をする。
「…………言っただろう? 俺は修羅の道に行くと……この世にはな、変えられない運命というものがあるんだよ」
「……やっぱり、くわしく言うつもりはねえってか?」
それが答えだと言わんばかりに、孫一は再び無言となった。
懐かしさと一抹の寂しさを感じさせる青春の思い出語り。願うならば、古き友として酒でも交わしながら存分に語り合いたかった――だが、これから二人が交わすのは拳。そして、闘いのゴングは間もなく自然に鳴らされるであろう事も二人は承知していた。
「……そういや、オレたち今まで何回闘ったっけか?」
「……大きいのは二回だな。貴様の転校初日と、チーム結成のリーダー決めの時だ」
「あー、そういや初日はお前にボコボコにされたっけな。あの日はくやしくてベッドを何度も殴ってたんだぜ?」
「……フン、よく言えたもんだな」
「っ? まあ、リーダー決めの時は周りがはやし立てたせいで、仕方なくケンカする事になっちまったんだよな」
「まったく、俺は最初からリーダーなぞやる気はないと言ってたんだがな」
「でも、結果的にその時はオレが勝ってそのままオレが『銀狼牙』のリーダーになった……つーことは、オレたちは一勝一敗。格ゲーなら、ここから第三ラウンドになるとこだな――」
「そうなるな――」
何気ない会話の最中――突如として地面が揺れた。
「なっ⁉︎」
「な、何が起きたんだ⁉︎」
「じ、地震……⁉︎」
周りのヤクザたちから戸惑いの声が漏れ始める――揺れの原因がなんであるかを気づけたのは、この場においてわずかしかいなかった。
「すごい……お父さんとあの眼鏡の人、拳を合わせただけで地面が動いた……⁉︎」
戸惑い気味ながらも、目にした光景に思わず驚きの言葉をこぼしたのは白鐘だった。
「今の見えてたの、白鐘ちゃん……⁉︎」
同じく二人の拳が見えていた青葉は、それを白鐘も見えていたという事実に驚きの声をあげる。シャルエッテやフィルエッテもまた、目の前の光景に唖然として身体が固まってしまった。
――白鐘の言う通り、わずか一瞬で諏方と孫一は互いに拳を一発ぶつけ合ったのだ。
二人からすれば共に軽い一撃――しかし、それは大地を揺らすのに十分な威力となった。
「――それじゃお互いにこの闘いで、あの頃のケンカと合わせて決着を着けようぜ!」
風にたなびく諏方の特攻服――。
「――いいだろう。元来ケンカそのものは好まない質だが……貴様ならば全力をもって相手してやる!」
眼鏡を中指で押し上げる孫一――。
時を超えた第三ラウンドのゴングが、この場にいる全員の心で今、打ち鳴らされたのであった――。