第15話 直系組と傘下組
「八咫孫一! 貴様ァッ――!!」
泰山昇の怒号が、早朝の庭園の木々を激しくゆらす。
青龍会の傘下として、決して口にしてはならない言葉――それをこともあろうに会長の目の前で、八咫孫一は平然とした顔で口にしてしまったのだ。源隆会長の側近でもあり、心から尊敬している昇にとって、その行為は万死に値するものであった。
「そうだそうだ! 調子に乗るのもいい加減にしろよ、烏丸組ィ!」
「次口開いたら奥歯ガタガタ言わすぞごらぁ⁉︎」
「コンクリートに縛り付けて東京湾に沈めるぞごらぁ⁉︎」
怒りをあらわにするのは昇だけではない。彼の部下たちである泰山組を始め、青龍会直系組のメンバー全員が怒りの雄叫びをあげていた。その勢い、その咆哮だけで見る者を気圧しかねないほどの迫力が、源隆に仕えるヤクザたちの口から放たれるのであった。
――だが、その矛先である孫一は静かに中指で眼鏡を押し上げ、一度小さくため息を吐いてから――、
「キーキー鳴いてるんじゃねえ! 猿どもッ――!!」
「「「ッ……⁉︎」」」
たった一人の眼鏡をかけたヤクザの大喝が、数十の他のヤクザたちの怒号をかき消してしまった。
「俺が交渉をしているのはご老公ただ一人。誰が貴様らに口を挟めと許可した、あ?」
押さえつけられた眼鏡の奥から鋭い瞳で睨まれ、直系組のヤクザたちはみな口を閉ざしてしまう。
「……蒼龍寺会長、貴方に首を斬られる覚悟で申し上げますが、貴方が青龍会四代目会長を就任してからすでに半世紀と数十年が経っておられます。先の京都では倒れられて病院に運ばれたとも聞いております。……いつまた倒れられるかわからない以上、早急に青龍会の次の後継者を選ばなければならないのは、貴方自身が一番に感じておられるのではないでしょうか?」
「…………」
老人は何も答えない。ただ両手で杖をつき、静かに孫一の言葉を聞いていた。
「……正統後継者予定であった蒼龍寺葵司はすでに亡くなり、次なる後継者予定の蒼龍寺青葉も、蒼龍寺の名を捨ててこの家を出ていっている。現在、次なる青龍会後継者は空席となっています。このままでは直系組、傘下組に関わらず、この空席を巡って跡目争いが起きるのは必定でありましょう」
「八咫孫一! いい加減に――」
「――青龍会は関東のヤクザ界をまとめ上げ、暴対法の目をくぐり抜けて大きく発展した。だが直系組はその現状に甘え、仮に会長のご意志を引き継いだとしても、その先に待つのは確実なる停滞であるでしょう」
「孫一ッ!!」
「――抑えぃ、昇!」
「っ――⁉︎」
先ほどまで口を開かなかった老人が誰よりもドスの効いたその一声で、一歩踏み出した昇の足を静止させた。
「続けい、八咫の」
静まりかえった空気の中、孫一は一度深く老人に頭を下げつつ、人差し指で眼鏡をクイっと上げ直した。
◯
「スガタさん、ヤクザさんたちが先ほどから口にしているチョッケイグミとサンカグミというのは、どういう意味なのでしょうか?」
ふと、ヤクザたちの会話の応酬に耳を傾けながら、シャルエッテは諏方を見上げてそう疑問を口にする。
「うーん……少し複雑な話にはなるんだが、青龍会はおもに二つの派閥があってな。一つは昇のように、直接爺さんの身の回りの世話やボディガードも勤める直系組と呼ばれるヤクザたち。組長はそれぞれ会長と親子の盃を交わしていて、その部下である組員も実力者揃い。何より、組それぞれが爺さんへの忠誠心が高くて、同じ人物を支持する違う組同士でもその結束力は高い」
泰山昇、そして他の直系組の源隆への忠誠心の高さは、昨日十分と言えるほどにシャルエッテたちも見させられ、説得力が強い。
「そして、もう一つが傘下組と呼ばれるヤクザたち。こいつらは直系組と同じ青龍会の構成員ではあるけど、あくまで青龍会の看板を借りているだけであって、直系組と比べて自由に動けやすい。上納金も、直系組と比べれば安くなってる。それでもかなりの額を払わなきゃいけねえんだが、得られるものは青龍会の看板のみ。だけど、青龍会は関東圏のヤクザ界隈でも最大勢力の一つだからな。その青龍会のメンバーってだけでその組は一目置かれやすくなるし、実際に青龍会の庇護も受けられる。多くの制約を背負わされてでも、ヤクザたちからしたら喉から手が出るほどに欲しい看板でもあるのさ」
「それだけ聞くと、やはり直系組の方が地位は高いのでしょうか?」
「その通りだ、フィルエッテ。直接青龍会に貢献している分、会の中ではやっぱり直系組の方が地位は上だ。そんな直系組からすれば、傘下組である烏丸組の発言は側から聞いても許されねえってもんだ。……だからああやって揉めてるんだろうさ」
直系組からすれば、会長の後継にふさわしいのは当然自分たちであり、地位が下である傘下組が直系組を差し置いて後継を志願するなど、彼らからすれば決して許されないものであった。
「……私が蒼龍寺の名を捨てたから、こんな事になったのかしら……?」
青葉は同じく諏方たちのそばで事の様子を見つめながら、その表情を青くしている。
「……青葉ちゃんはヤクザって悪の道を選ばず、教師という人として正しい道を選んだんだ。変に背負いこむ必要なんざねえさ」
慰めの言葉をかけるも、それが無意味である事ぐらい諏方も理解している。今目の前で起こっている争いは間違いなく、青葉が蒼龍寺の相続を放棄した事が起因となってしまっているのであろう事なのだから――。
◯
「――ヤクザ界において、会長の貢献はあまりにも大きいもの。それを引き継ぐとならば、その責は並大抵のヤクザでは心を押し潰すされるほどに重いものとなりますでしょう」
「……それをおぬしら烏丸組ならば、背負いこめると?」
「……我々烏丸組は傘下組でありながら、積極的に青龍会のために尽力し、直系組では請け負えないような血生臭い案件をいくつもこなしてきました。我々は青龍会の光だけでなく、闇をも知るもの。そして、我が組長は若くして青龍会の傘下組の中で頭角をあらわし、その商才の高さは我々の実績、そして直系組をもしのぐ上納金の高さをもって証明しているものと自負しております」
「…………」
「……本来ならば跡目争いの席にも座せぬ身である事は重々承知ではありますが、このまま次なる指名がなければ、会長の座を狙って血が流れるのも時間の問題でありましょう。あるいは……そばにいるからこそ、直系組から会長の命を狙う者も現れるやもしれませぬ」
「……孫一! どこまで直系組を侮辱すれば気が済――」
「――我ら烏丸組こそが青龍会の次代を担い、新たなる道へ導く事ができると自負しております。ただ何も考えず、忠誠心などという飾りだけで会を停滞させる者たちを選ぶか、我々のように革新を胸に青龍会の未来を発展させる道を選ぶか――ぜひ、蒼龍寺会長には思慮のほど、よろしく願います」
眼鏡を押さえた手を下ろし、会長に向けて再び頭を下げる孫一。それに倣い、彼の背後に控えていた部下たちも一斉に頭を下げた。
――あまりにも暴論。あまりにも無礼極まりない提案。
だが不思議と、彼の力強い言葉には聞く者にどこか納得せざるものを感じさせてしまう説得力があった。事実、烏丸組は青龍会に害を及ぼす人間たちをいくつも裏で処理をしてきた。まさに彼らこそが青龍会の闇を担う者たちであり、そんな彼らがただ傘下組というだけで跡目争いのレースから外されるなど、納得できる事であるはずがなかったのだ。
そして、彼の言葉の裏に隠されたメッセージ――すなわちそれは彼らだけでなく他の傘下組、あるいは直系組の中からも、青龍会会長の後継を巡って争いを仕掛ける事が起こり得るという明確な脅しが含まれていた。
「…………」
それをもってなお、現会長である老人は何も答えない。ただわずかに吹き荒れ始めた風の中に、小さく呼吸の音を流すのみであった。
「――会長。無礼を承知の上、ここよりの対応は私に一任させてください」
しばらくの沈黙を破ったのは、怒りで歯を食いしばりながらも拳を血が滲むほどに握りしめて耐えていた泰山昇であった。
「……口を挟むなと言ったはずだが?」
「黙れッ! これ以上の妄言、直系組筆頭である私が絶対に許すわけにはいかない!」
そう言って昇は低く身体を構え、両拳を顔の前へとかざす。
「先ほどお前は、我々直系組が請け負えない血生臭い案件をこなしてきたと言ったな? 残念ながらそれは違う。お前たちだけではない。青龍会に忠誠心を持たず、反乱を企てる傘下組はいくつもあったのだよ。それを処理するのも、我々直系組の仕事の一つだ」
「……フン」
「何よりも許せぬのは、我々直系組への侮辱だけではない……お前は事もあろうか、会長を前にしてその死をほのめかす言葉を並べた! 青龍会は蒼龍寺会長あっての組織。お前の言葉は青龍会を長く支え続け、何よりも強固な組織として完成させた会長への恩義を忘れ、死を望んだものと同義! 我々はそれを――いや、私はそのような不当な言葉を、絶対に許すわけにはいかぬのだッ!!」
吹きすさぶ風は突風へと変わり、昇の周りを纏うように包みこむ。ゆっくりと呼吸し、拳へと気を集中させていく。
「……そのような考えが停滞を招くと言っているのだよ、泰山昇」
孫一もまた、彼に対峙するように小さく呼吸を整え、両手を胸と腹の辺りへと構えた。
「いいだろう……来るがいい、猿山の大将。貴様ら直系組は我々にとって目の上のたんこぶ。ここで潰せる機会を自ら作ってくれたのだから、これ以上に貴様らに感謝できる事などあるまい……!」
眼鏡の奥に光る鋭き瞳が昇を捉える。――今まさに、二人のヤクザの闘いが始まろうとしていた。




