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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
仁義なき決闘編
201/323

第10話 月下の語らい

「…………寝れねえ……」




 宴は終了し、夜もふけ、諏方は自身が泊まっている部屋のかけ布団に一人くるまっていた。


 そのまま布団の上をゴロゴロ回転して三往復。すぐに飽きた彼はため息を吐き出しながら、自身を纏っていたかけ布団をバサリと畳に落とし、そのまま壁の方に背中を預けて座りこむ。窓を見上げると満月が爛々と輝いており、その月明かりだけで部屋の中が見渡せるほどに明るかった。


「…………」


 淡く光る部屋の中で、諏方は無言で壁を見つめ続けている。眠れはしなかったが、かといって眠くないわけではなく、頭がぼーっとして考えがまとまらずにいたのだ。


「あのクソジジイ……なんであんなことを……?」


 諏方が引っかかっていたのは、宴会での源隆の言動であった。孫娘である白鐘に父――つまりは自分に対し、彼女はどう思っていたのかという問いかけ。


 諏方の知る限り、源隆の自身への興味はさほど強いものではなかった。


 たしかに娘の恋人ともなれば、良くも悪くも多少なりにその相手への興味はわくものだ。だが源隆は()の恋人としての諏方に興味はあっても、諏方という人間そのものに興味を示した事など一度たりともなかったのだ。


 ゆえに、源隆は黒澤諏方という人間の生い立ちや不良になるまでの過去を知り得てはいないはずである。ならばなぜ、今になって彼が白鐘から父に対する思いを問うたのか。




 気になる言動はもう一つ――親より長く生きてほしいという彼の孫娘への願い。




 このような感傷的な言葉など、かつての源隆からは一度も聞いた事がなかった。


 諏方の目から見た源隆という男は、常に前を見据えて歩みを止めずに生きてきたような人間だ。そんな彼の口から、後ろにいる誰かを気にかけるような言葉が出るのは諏方にとって衝撃的な出来事であったのだ。


 諏方は老人があの問いを投げかけた真意が未だに見えず、脳内をいくつもの疑問符がグルグルと回っており、それが彼の眠気を妨げていたのだ。




 ――いや、正確に言うならば、すでに諏方は納得のいく答えが見えかけていた。






 ――だが、その答えが示すものとはつまり――。






「…………水でも飲ませてもらおう」


 諏方はボサボサの髪をそのままにフラフラと立ち上がる。


 一度白鐘たちが泊まっている横の部屋の壁に彼は視線を向ける。耳をすますと、部屋越しからかすかに少女たちの寝息が聞こえた。先ほどまでヤクザたちに囲まれて緊張しっぱなしだった少女たちだが、さすがに疲れも相まって今はちゃんと眠れているようで、その事に諏方は少し安堵する。


 彼は娘たちを起こさぬよう、ゆっくりと部屋を出ていった。


 部屋近くにある階段に足をかけ、一階まで降りる。このまま右に廊下を真っ直ぐ突き抜け、途中左にある部屋に入れば台所がある。諏方は碧の恋人時代にこの家によく通っていたため、ある程度建物の構造は頭に入っていた。


 当然、ここに『諏方』としてではなく『四郎』として来ている以上、昼間に案内してもらっていた間は好き勝手屋敷内を歩くわけにはいかなかった。だが今はすでに深夜を過ぎており、いくら騒がしいヤクザたちでもこの時間は静かに眠りについている。台所で水を一杯いただく程度なら、単独行動してもバレる事はないだろう。


「…………っ」


 途中まで進めていた足がふと止まる。


 廊下の左側、奥まった角の先を塞ぐ障子。向こう側にあるのは昼間柳にも案内された、庭園を見渡せる縁側だ。その先から――、




「薬……みたいな臭いがする」




 ――鼻を突く湿布(しっぷ)のような匂いがかすかに漂っていた。集中しなければ気づけないようなわずかな香りではあったが、一度嗅いでしまうとどうにも気になってしまうような不思議な匂いであった。


「っ…………」


 諏方は喉の渇きも忘れ、障子の向こう側いるであろう誰かに一応気づかれないよう、慎重に足を進める。


 障子の前へと足を止め、取っ手に手をかける。ゆっくりと横に引くと、月明かりに照らされた庭園が目に映った。水のせせらぎの音響く池の横に添えられた灯籠が淡く光っており、幻想的な景色が目の前に広がっていたのだ。


 この屋敷に通っていた頃は何度となく眺める事のあった光景。二十年以上経っても、ここから見える景色は変わらなかった。






「どうした? 月見でもしたいのなら覗き見るようにではなく、もっと堂々と見るんじゃあのう」






「っ――⁉︎」


 障子は音もなくわずかにしか開かなかったというのに、気配を察してか、少年を呼ぶ老人の声が聞こえた。諏方は一瞬躊躇するも、諦めたかのようにため息を吐き出してから、障子を開いて縁側へと足を踏み入れる。


 縁側を入ってすぐ左横に、蒼龍寺源隆が赤い大きな盃を手に座りながら、一人月を見上げていた。


「緊張して眠れでもせんかったか、四郎少年?」


 源隆は月から視線を外さぬままニヤリと笑みを浮かべて、盃に入ったお酒らしき液体を飲んでいる。月浮かぶ夜に縁側で一人、月見酒を楽しむ老人。諏方がかつて幾度となく見ていた姿が、今目の前に再現されていた。


「えっと……はい……」


 眠れないのは事実なので、諏方は素直に老人の問いを肯定する。


「そうか……なら、少しだけ老人の月見にでも付き合うんじゃあのう。飲むか?」


「さっき俺、未成年だって言いましたよね?」


 先ほどの宴会の時と同じように、諏方はやんわりと源隆の誘いを断る。だが月見は付き合う事にしたのか、障子を閉めた後に同じく板張りの床へと座った。


「…………」

「…………」


 それからしばらく、二人の間で無言の時間が流れる。夜空にぽつんと光る月は、まるで舞台に一人立つ役者を照らす孤独なスポットライトのようで、どことなく寂しさを感じさせる。


 だが、時折聞こえる木々を揺らす風の音や、鈴のように鳴る虫たちの声が決して月が一人ではないのだと呼びかけているかのように、優しげな温もりをも覚えさせてくれた。


 隣には多くの人間を恐れさせるヤクザ界の重鎮がいる事も忘れさせてしまうぐらいに、ここに座っているだけで穏やかな時間を体感する事ができるのであった。






「――さっきの宴会で、白鐘に諏方おじさんのことを訊いたのはなぜだったんですか?」






 互いに無言の時間が十分ほど経った頃だろうか、先に口を開いたのは、少女の父(諏方)からであった。


「その……諏方おじさんからは、源隆おじいさんがおじさんのことを嫌っていたと聞いてました。だから、なんであんなふうに白鐘からおじさんのことを聞き出したのかが気になって……」


 少し驚いたような表情を老人から向けられ、諏方は小声で補足を付け足す。彼自身、何をこのジジイに訊いてるんだろうと少しばかり後悔していたのだが、それでも長らく頭を悩ませるこの疑問を解かねば今日は寝れなさそうだと判断し、月から庭園の方へと視線を下ろして源隆の答えをジッと待つ。


「……カカ! おぬしの言う通りじゃよ。儂は今もあの男を恨んでおる。最愛の娘を奪われたのじゃ。今この場に立っていたら有無を言わさず叩っ斬ってやるとこじゃあのう……!」


「はは……」


 これは絶対に正体をバレるわけにはいかないと、改めて諏方は慎重になることを決心する。この老人ならば、本気で刀を持ち出して諏方の首を斬りかねないだろう。






「じゃがのう……一つだけ、儂はあのガキに感謝しておる事がある」






「……っ⁉︎」


 諏方は思わず老人の方に振り向いてしまう。彼は穏やかな表情で、盃に口をつけていた。


「黒澤白鐘――少女らしい幼さは見えるが、我が孫ながらにしっかりとした(しん)を持っておる。あの年であれほどの強い心を持った女もそうはいまい」


「っ……」


 たった一日、しかも実際に対面したり、会話を交わした時間はそれほど多くないというのに、源隆はわずかな時間で白鐘の本質を見抜いていた。


 相手をよく見るその観察眼こそが、あるいは大規模なヤクザ組織の(おさ)たらしんめとする一端であるのかもしれない。


「もちろん白鐘自身の素質が、彼女という人間を形成しているのであろうが……少なくとも、あの子を強く育てたのは間違いなくあのガキ……黒澤諏方の尽力があってこそじゃろうのう」


「っ…………」


 諏方はあまりの驚きで思わず閉口してしまう。


 源隆の視点からすれば本人(諏方)が今ここにいるわけではないとはいえ、毛嫌いしていた彼のことを褒めるような言葉が老人の口から出たのはあまりにも衝撃的な出来事だったのだ。明日槍が降ると言われても、今なら信じてしまいそうだった。


「儂は今でもあの男のことは認めておらん。じゃがのう……あやつが白鐘を真っ当な人間として育てた事実だけは――それだけは、評するべきものであると儂は思うておるのじゃよ」


 また一口――今度はグイッと勢いよく、盃の酒を飲んでいく。


「……まあ! 今この場におったらそんなもんに関係なく、やっぱり叩っ斬ってやるがのう!」


「あはは……」


 感心しかけた心が呆れに戻っていく。やはりこの老人は好きになれそうにはないと、諏方は改めて実感するのであった。




「…………」




「なんじゃ、叔父のことを言われたのがそんなに嫌じゃったか?」


 諏方はしばらく、無言で源隆のことを――正確に言うならば、彼の持っている盃を見つめていた。




 ――この縁側の横を通った時から感じた違和感。それは宴会での彼らしからぬ発言への疑問、その答えを直線的に結ぶ糸となった。






「その盃に入ってるの、お酒じゃなくて薬湯(やくとう)ですよね――?」






「――っ!」


 諏方(四郎)へと向ける老人の瞳が見開く。


 集中しなければ気にも止めないほどかすかに、しかしたしかに鼻に突く薬のような臭い――いや、これは間違いなく薬の臭いであった。


 そしてそれは、酒だと思われた源隆の手にする盃から漂っていた香りだったのだ。宴会の時は本物の酒を飲んでいたであろうだけに、その臭いの違いは明らかであった。


 ――そして、老体が薬湯(くすり)を飲む理由など一つしか考えられない。その理由こそが、彼が孫娘に遺言のような言葉を(のこ)した真意へと直結する。






「クソジ……源隆おじいさんは、青葉先生に危篤だったのは嘘だって言ってましたけど――なんかの病気にかかっているのは本当の事なんじゃないですか……?」






 諏方と源隆――月夜の下で、二人の義父子(おやこ)の鋭い視線が静かに交わった。

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