第9話 宴会
「カカカッ、今日は孫たちが屋敷に来てくれた祝いの日じゃ! 遠慮せず存分に呑むがよい!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおッッッッッッ――――!!」」」
約八十もの人数を収容する蒼龍寺邸の大広間にて、この広大な空間を揺らすほどの雄叫びが全体の九割以上を占める男たちの喉から発せられた。
大広間の最奥、旅館の宴会場によくある高座の中央に青龍会会長である蒼龍寺源隆が、その左隣に彼の妻である柳と、もう片方の右隣には娘である青葉が、それぞれ色とりどりの料理が並ぶお盆になった懐石を前にして姿勢よく正座で構えている。
その高座の一段下の左脇には諏方たち四人が同じように懐石料理を前にして座り、その真向かいに源隆の側近である昇と彼の部下らしき同じ柄のスーツを着たヤクザ数名が並んでいた。
源隆は得意げな表情で昇に向けて一瞥すると、それに応えて彼は料理の横に置かれた日本酒の入ったおちょこを手にして立ち上がり、それを合図としたかのようにガヤガヤ騒いでいた他のヤクザたちも一斉に立ち上がった。
「では僭越ながら、泰山組組長であるわたくし泰山昇が乾杯の音頭を取らせていただきます。本日は会長のご息女である青葉様のご帰省、並びにお孫様である黒澤白鐘様とご友人様方の来館を祝し――乾杯ッ!」
「「「「「かんぱあああああああいいッッッッ――!!」」」」」
再び空間を揺らすほどの大声で鳴り響く乾杯のかけ合い。そしてヤクザたちは一斉に手にしたおちょこに入った日本酒をあおいでいく。一呑み終えるとヤクザたちは全員敷かれた座布団へと座り、それぞれ気の合う者同士での談笑へとしゃれこんだ。
「明らかに場違いよね、あたしたち……」
一見すればなんて事のない宴会ではあるのだが、その豪快な笑いがあちこちに響いては鼓膜を揺らし、この場にいるというだけで少女たちは身を萎縮してしまっていた。
「ま、気持ちはわかるけどよ、せっかく出された料理なんだから食っとけ。美味いぞ?」
ただ一人、諏方は特に動じる事もなく他のヤクザたちと同じように出されている懐石料理――当然だが酒は置かれておらず、代わりに瓶のジュースとグラスが添えられていた――を口に運んでいく。
「たく……あたしたちはおと――四郎ほど神経図太くないっつうの――って、おいし……⁉︎」
父に呆れつつ白鐘は小皿に添えられたほうれん草のおひたしを一口つまむと、その美味しさに驚いて思わず言葉を失ってしまった。もちろんおひたしだけではない。お刺身に魚の煮付け、固形燃料で熱した小さな鍋でぐつぐつ温められてるすき焼きなど、その一つ一つの料理が高級料理店をしのぐほどの味であり、口に入れるたびにその深い味わいが口の中いっぱいに広がっていく。
「すごい……! どの料理も、すごくおいしいです!」
「……白鐘さんの料理ももちろん美味しく食べさせていただいてはいますが……これはまた別種の味わいがありますね」
魔法使いの少女二人も、料理の美味さに感動しつつ箸を止められないでいた。
「……これ、多分いい食材ばっかり使ってる。だけどそれだけじゃない……ちゃんと食材の味が生きるように一つ一つの料理の手がこんでいる……!」
口にするだけでその食材がどれほど高級なものを使われているのか、自身も料理に精通している白鐘だからこそ気づける事であったが、それ以上に食材を十全に引き立てているその巧みな調理技術に、彼女は圧倒されてしまっていたのだ。
「ほう……白鐘ちゃんは料理の腕に覚えがあるようじゃのう。この料理を作ったのは青龍会に住み込みで働いている専属の料理人たち。それぞれ高級ホテルの元シェフであったり、三つ星レストランの元料理長であったりと、いずれも確かな腕を持った料理人たちを雇っているのじゃ」
「っ……⁉︎」
白鐘は驚きを隠せないでいた。専属料理人のいるヤクザ組織は決して多いわけではなく、さらにおそらくはヤクザではない一般人であろう料理人たちを住み込みで雇っているなど、彼女は聞いた事などなかったのだ。
それを成し得る財力、さらにはヤクザに関わりたくない者がほとんどであろう料理人たちを雇えるのは源隆の人望あってのものかもしれない。そんな計り知れない人物が自身の祖父であるという事実に頭が追いつかず、白鐘は料理を味わいつつも呆然としかけてしまう。
「そのお魚の煮つけもん、そっちはウチが作ったんよ。お味はどないはったやろか、白鐘ちゃん?」
数種の皿の中でも特段大きめの皿に乗った金目鯛の煮つけ。どうやらこれは源隆の妻である柳の作った料理らしい。
身は箸でサクッと切れるほどほろほろで、ひと噛みするとダシのきいた煮汁が口いっぱいに広がっていく。その味は決してプロの料理人たちの料理にも引けを取らなかった。
「すごく、おいしいです……!」
素直な彼女の感想に少し恥ずかしそうに顔を赤くしながらも、柳は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「ウチは元医者やけども、実は調理師免許も持ってるんよ。そうや! 白鐘ちゃん料理できはるみたいやし、よかったら今回の煮付けの作り方、教えてあげてもええよ」
「本当ですか! あたしも煮付けは作った事あるんですが、ここまでおいしいのは作れないので……よかったらぜひ……!」
料理の話で盛り上がったためか、白鐘の抱いていた緊張が少しばかり緩和されたようだ。おそらくは少女がまだ緊張していると察した柳が助け舟を出したのだろうと、諏方は彼女に心の中で感謝する。
「カカカ、本当によくできた嫁じゃあのう。じゃが儂は煮付けよりもそのおっぱいのやわらかさを知りたいのう……あだッ⁉︎」
酔った勢いからか、顔を赤くしている源隆が妻の胸に手を伸ばそうとしたのを奥さん本人がはたき落とす。
「嫌やわぁ、源隆はん。今はおめでたい席なんやから、そういう下品なのはまたあとでにしとかなあかんよ?」
「うぅ……いつもは優しくしてくれるのに今日は手厳しいのう。そうは思わんか――青葉?」
源隆は横で振袖のまま黙々と食べていた青葉に視線を向ける。諏方たちの前では初めて娘に話しかける形となった親子だが――、
「知りません。話しかけないでください」
――っと、冷たく一蹴されてしまうのであった。
「だいたい、今回こうして白鐘ちゃんたちを連れてきたのも、隣で一緒の食事につくのも、あなたが危篤に入るかもと連絡を受けて、せめて最後に孫の顔を見たいからと仕方なくの事でした。ですが、今もピンピンしてるじゃないですか。生徒たちの手前上、私も荒げるようなことは言いませんが、今回のような事は二度とないと思ってください……!」
ムスッとした彼女の表情は、明らかにイライラを隠せていない様子だ。
仕方のない事であろう。彼女自身もある程度予想はしていたが、険悪だったとはいえ危篤かもしれない父にせめて孫の顔ぐらいは見せてあげたいと、ほんの少し残っていた娘心が見事に裏切られたような形になってしまったのだ。こうして黙っていながらも隣に座って一緒に食事するのも、青葉にとって最後の親孝行のようなものなのかもしれない。
「くぅー、妻にも娘にも冷たくされて、これは酒を飲まずにはいられんのう……のう、四郎少年。よかったら、一杯どうじゃのう?」
お前も飲めと言わんばかりに、日本酒の入ったビンの口を源隆は四郎へと向ける。彼とは距離があるので当然そのまま酒を注いでもらうという事はできないのだが、
「すみません……一応未成年なんで」
そう断りを入れる諏方。銘柄からしてかなり高級な日本酒であるのはわかっており、実際はメチャクチャ飲んでみたいというのが彼の本音ではあるのだが、少年の姿である以上受け取るわけにはいかなかった。
「なんじゃ、つまらん。儂の若い頃は周りで飲む年齢が早ければ早いほど、ステータスになったものじゃがなぁ」
そうしてまた一杯、源隆はおちょこに酒を注いで口にあおる。その美味さに身を痺れさせつつも、彼の瞳はどこか寂しさを宿していた。
「葵司もそうじゃった……不良のくせに酒もタバコも口にせず、同じチームの仲間たちには戒律をもって厳しく律した。まったく、不良のくせにせがれほど実直な人間もそうはおらんかったのう……」
「っ……」
諏方もよく覚えていた。不良でありながらも自身や仲間を厳しく統制し、それが結果的に不良界に平和をもたらした男のことを――。
「外道である儂が長生きし、真面目であったせがれの方が早死にする……この世はなんとも不公平に回っているものじゃ……のう、白鐘ちゃん――いや、白鐘」
「っ――⁉︎ は、はい……?」
いきなり名前を呼ばれ、白鐘は戸惑いで思わず箸を止めてしまう。
「おぬしは父親のことを……黒澤諏方のことをどう思っておるのじゃ……?」
――な⁉︎ 何を訊いてやがるんだ、クソジジイ⁉︎――。
っと、叫びたい衝動を諏方はなんとか寸前で抑える。突然に投下された爆弾はあまりにも大きく、動揺で彼の心臓は痛いほどに跳ね上がっていた。
「お父さんのことをどう思ってる……ですか?」
「……儂はせがれを心から愛しておったが、奴の心意はついぞ知る事なく逝ってしまった。おぬしのような子供が親をどういう目で見ておるのか、儂はそれを知りたいのじゃよ。なーに、今ここに本人はおらんのじゃ。思うがままに言葉にすればいいんじゃあのう……」
「ぐっ……」
源隆から見れば諏方は今この場にはいないのだから、こういう質問が来ても決しておかしな話ではない。
すでに二ヶ月近く諏方は別人のフリをしていたのだが、こういう形で他人のフリが逆効果になってしまうのは初めての事であった。
――頼む! 無難な感じに言ってこの場をしのいでくれ、白鐘!――。
心の中でそう祈り、気づけば諏方は娘をじーっと見つめてしまっていた。
「……お父さんは…………」
しばし言葉につまる銀髪の少女。彼女は一度深呼吸をした後、ゆっくりと再び口を開く。
「お父さんは……普段は頼りないし、おっちょこちょいだし、たまにお酒飲みすぎるし、カッコ悪いところもすっごく多い……」
「ゴフッ――」
あまりな言われように思わず吐血してしまいそうになる諏方。――もういっそ殺してくれ――っと心の中で涙が止まらなくなってしまっていたが、
「でも……本当はすごく強くてカッコよくて、誰よりも家族のことを大事にしてくれて、家族のためなら命だって懸けられる……あたしはそんなお父さんを……心から尊敬しています……」
言い終えてからハッとなって、白鐘は顔を真っ赤にしてしまう。横を見ると若返った姿の父親は滝のように涙を流しており、『泣いてんじゃないわよ、バレるでしょ!』と抗議のメッセージを込めた視線で彼を睨みつける。
「カカッ! なるほどのう……あの糞餓鬼め、生意気にも親らしくはできているようじゃのう」
また一杯、老人はおちょこの酒をぐびっとあおる。その瞳を虚空に向けられており、果たして彼はそこに何を見ているのだろうか。
「白鐘……父を想うなら一つだけ、おじいちゃんと約束してほしい事がある」
虚空を見つめていた瞳が、今度は孫娘へと向けられる。その表情は常に他者を見下したようなニヤケ面ではなく、|まっすぐに射抜くような眼差しは真剣そのものであった。
「――白鐘、おぬしは黒澤諏方より長く生きるのじゃ」
「……え?」
老人の口から出た言葉に、白鐘は再び戸惑ってしまう。彼女だけじゃない。その隣に座っていた諏方も、そして源隆の両隣の青葉と柳も、驚いたような表情で彼を見つめていた。
「儂はな、親にとって最大の親不孝者というのは、親よりも先に死ぬ子にあると思っておる。そういう意味では葵司も――おぬしの母である碧も、儂にとっては親不孝者じゃった」
「で、でも……お母さんは病気だったって……」
「わかっておる。碧は幼い頃から病をわずらい、葵司も儂のせいで死なせたようなものじゃ。どちらも望んで死を迎えたわけではない。それにのう……儂は二人の生き様を同時に誇らしく思っておるのじゃ。葵司は妹を助けるために命を懸けて戦った。そして碧もまた、『親』としておぬしという『子』をこの世に存在させるために、自分の命を懸けておぬしを産んだ。『兄』である子の親として、『母』となった子の親として、これ以上に誇れる事などない」
酒を注いでまた一口。老人の瞳には、子を誇らしく思う嬉しさと、子を失った悲しみの色が複雑に入り混じっていた。
「じゃがのう……理屈では理解しえても、感情というものは誤魔化せないものじゃ。子に自分よりも長く生きてほしいという親の願いは、果たして間違った望みであるのかのう……?」
「「っ……」」
母に対する思いを打ち明けられた白鐘と、名を言われずとも今こうして生きている事が親孝行であるのだと遠回しに教えられてしまった青葉は、共に複雑な表情を浮かべてしまう。
「老人のたわごとだと思って構わぬ。じゃが覚えていてほしい。子を思う親にとって、自分よりも一日だけでも子に長く生きてほしいという思いは誰もが願っておる。それはおそらく、黒澤諏方も同じ思いであろうよ」
「…………」
たとえ四郎が諏方としてこの場に座っていたとしても、老人の言葉に何も返す事はできなかったであろう。個人的な感情としては彼のことを嫌っていても、彼の想像しえた白鐘に対する自分の思いは決して間違ってなどいないのだから――。
「――会長、いや親父。その思いはまた、私たちも同じものであります……!」
ずっと無言で酒を飲んでいた昇がここにきて口を挟む。気づけば騒ぎながらも会話を聞いていたのか、他のヤクザたちも会長に向けて姿勢を正していた。
「我々会長の部下たちは、これからも貴方に永く永く生きて、この青龍会を存続させてほしい所存でありますッ!」
「「「「「ありますッッッッ――――!!」」」」」
一斉に頭を深く下げ、会長への思いを響かせる龍の子たち。その迫力的な光景を前にして、彼らの思いを一身にぶつけられた老人はニヤリと笑みを浮かべた。
「当然、儂はまだまだ死ぬ気はないのう。もちろん、儂が死ぬまでここにいる者誰一人欠ける事も許さぬ。これは絶対なる掟じゃ。――わかっておるな?」
「「「「「おおおおおッッッッ――!!」」」」」
絶対なる会長の言葉で彼の部下たちはさらなる盛り上がりを見せる。
「……ほんと、無茶苦茶言いやがるジジイだぜ」
諏方は呆れ気味に苦笑しつつ、グラスに入ったオレンジジュースを一気に飲み干すのであった。
今回で総合200話目到達となりました!
ここまで続けられているのも全て読者の皆様のおかげです、本当にありがとうございます。
最近の悩みとして1話の文字数を少なめにして短期投稿にするか迷っているのですが、ただでさえ今のペースでも最終話までに1000話以上になる可能性も高いため、正直悩んでいるところではあります。
しばらくはまだ今のペースで続けていこうと思っていますが、もし意見などございましたら遠慮なく感想などで書いていただけると幸いです。
仁義なき決闘編も静かな立ち上がりからまもなく盛り上がりどころとなり、その次に予定されるお話も序盤全体の中で一つ大きく決着のつく大事な章となります。
合わせて楽しんでいただけるよう、今後も継続して執筆活動を続けていきますので、これからも応援よろしくお願いします!




