表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
蘇る銀狼編
2/309

第1話 早朝の来訪者

 黒澤諏方ぼくの朝は特段変わったものでもない。


 二階の僕の部屋から一階の洗面所へと降りて、洗顔、髭そり、歯磨き。部屋に戻って長袖のシャツに着替える。スーツやネクタイは朝食の後に着用するので、ひとまずの身だしなみはこれで完了。


 その後再び一階に降り、リビングへと続く廊下の途中にある部屋に入る。


 明かりを点け、畳み式の床を歩きながら奥に置かれた仏壇の前で正座し、線香に火をつける。仏壇に飾られた写真には、長い髪の女性が微笑んでいた。


「おはよう、あおい


 写真の女性に挨拶。そこに映っていたのは僕の最愛の妻であった黒澤くろさわあおいだ。彼女は幼い頃から身体が弱かったらしく、白鐘を生んで間もなく亡くなってしまった。それ以来、僕は男手一つで娘を育て、無事健康に高校二年生にまで成長してくれたのだ。


 こうして、毎朝妻の前で手を合わすのが僕の日課であり、一日の始まりの合図でもあった。


「今日も娘と一緒に平和に過ごせるよう、天国から見守っててくれ」


 写真の前で語りかけると、かつて共に過ごした時間を思い出す。彼女とはそれほど長く一緒にいたわけではない。それでも、たしかに彼女と共にいた時間は幸福なものであったと今でもほこらしく言える。


 そして、彼女が残してくれた最愛の娘を大切に育てる事こそが、命を懸けて娘を産んでくれた妻への恩返しでもあった。


「……さてと、そろそろ娘の作った朝食を食べないとだな」


 名残なごり惜しさを胸にとどめつつ、僕は仏間を後にし、廊下の先にある食卓へと続く扉を開ける。


 朝食はすでに用意されていた。テーブルに置かれた白い皿に、緑のフレッシュレタスと赤のケチャップがかけられた黄色のスクランブルエッグがカラフルに彩られ、そのそばの小皿にはトースト一枚。さらに、中央に置かれたコーヒーメーカーからただようこおばしい香りが鼻を通り抜け、未だ眠気の残る脳を優しく刺激する。


 朝食を娘とるのは一日の最初の大事なイベントだ。新聞を広げつつ、娘との他愛ない会話を楽しみ、娘とともに家を出て会社へと向かう。


 どの家庭にもよくある朝の流れだが、それが僕にとっては何にも代えがたい貴重な時間だった。


「……あれ?」


 しかし、いつも通りであったはずの光景にはいくつか足りないものがあった。


 まず、いつも二人分あるはずの朝食が一人分しか用意されていない。そして何より、いつもなら娘が立っているはずのキッチンには誰もいなかったのだ。


 あるべきはずの物が、いるべきはずの人がいない。日常を崩されたような不安がよぎり、胸がかき乱されていく。


「白鐘……? おーい白鐘、どこだぁ⁉︎」


 大声で娘の名を呼ぶ。焦りが心臓の鼓動を早まらせる。今すぐ娘の声を聴かないと、そのまま破裂してしまいそうな勢いだ。


「――お父さーん?」


 聞き慣れたき通った少女の声。今たしかに、玄関の方から娘の声が聞こえた。


 心は一度安堵感に満たされたものの、今度はなぜ玄関の方から声がしたのかという疑問が頭に降りる。おそらく、早めに学校に行く用事でもあるのだろうが、娘が僕より先に家を出る事は滅多になかった。


 去年、娘が陸上部に所属していた頃は、朝練のために早く家を出る事は多かったが、部活を辞めてからは彼女は僕と一緒に家を出るのが習慣となっていた。たとえ、日直等で僕より早く出ざるをえない場合であっても、事前に必ず一言添えてきたのだ。


 疑問符を浮かべたまま、僕は声のした玄関の方へと小走りで向かう。


 玄関ではすでに娘が靴をはいていて、スクールバッグを肩にかけていたところだった。僕の到着に気づいたのか、肩まで伸びた銀髪をたなびかせながら、彼女はこちらに振り向いた。


 親の目贔屓(びいき)を除いても、黒澤くろさわ白鐘しろがねは美少女であると僕は絶対の自信を持って言えた。


 整った目鼻に瑞々(みずみず)しさを感じさせる唇。少女のあどけなさと、大人に差し掛かる直前の絶妙な色気。


 高校生の少女としては大人びており、本人に自覚はないが、歩くだけで人目を惹きつけるその美貌びぼうは母親譲りのものだった。


 時折、若い頃の妻がそこにいるかのような錯覚を感じさせるほどに、まさに白鐘むすめははの生き写しそのもの。


 唯一、僕からの遺伝である銀色の髪も彼女の美貌に花を添えて、その美しさをより完璧なものに仕上げていたのだった。


 そんな美少女が、怪訝けげんな瞳でこちらを見つめている。


「どうしたのお父さん? そんなに慌てて」


「あっ、いや……今日は珍しく早いんだなぁって思ってね……」


 朝一番に、娘の顔を見れなくて死ぬほど心が張り裂けそうだった――なんて恥ずかしくて口に出来ない。


「まあ、ちょっとね……」


「っ……?」


 普段はクールだが、言いたい事ははっきりと言う思い切りのいい娘にしては、珍しく歯切れが悪いように感じた。どことなく焦っているようにも見える。


「……悪いけど、急いでるから今日は一人で行くよ。あっ、お弁当はキッチンに置いてあるから。それじゃ」


「ちょっ、ちょっと待っ――」


 ――ピンポーン。


 僕の制止を聞かず、娘が扉に手をかけたところで家の呼び鈴が鳴る。その音を聞いた娘の顔が、露骨に嫌がっているような表情になる。


「ん? この時間に来客? すすめちゃんが来るにはまだ早いよな?」


 娘の幼馴染で、お隣に住む天川あまかわすすめちゃんは、白鐘が辞めた陸上部に現在も所属しているが、朝練がない日は娘とともに学校に行くのが通例だった。だが、彼女が白鐘を迎えに来るにはいささか時間が早い。


 白鐘は再度こちらに振り向く。ジッと見つめる瞳からは、どこか気まずさのようなものを感じ取れた。


 ――ピンポーン。


 急かすかのような二度目のベルの音。


「はぁ……しょうがないか」


 娘は諦めたようにため息を吐き、重たそうに手をドアノブにかけてゆっくりと玄関を開けた。


「やあ、白鐘さん。約束通り迎えに来たよ」


 扉の先には、爽やかな笑顔をたたえた少年が一人立っていた。


 ――誰だコイツ?


 思わず口に出そうになるのを寸前で抑える。


加賀宮かがみや君……迎えに来なくていいって言ったじゃない?」


「そんな照れ隠ししなくてもいいじゃないか?」


「照れてないわよ、別に」


 呆れのため息を吐く我が娘。どうやら照れ隠しでもなんでもなく、彼の登場に心底困っているようだった。


 しかし、なぜこの男は馴れ馴れしく僕の娘に声をかけ、あまつさえ下の名前で呼んでいるのだ?


「あのぅ……」


 気まずく声をかける僕に、加賀宮と呼ばれた少年はさらに笑顔を輝かせてこちらに会釈えしゃくする。


「はじめまして、お義父とうさん。僕は白鐘さんのクラスメートで、加賀宮かがみや祐一ゆういちと申します。お会いできて光栄です」


「あっ、えっと、はい、どうも……」


 釣られて思わずこちらも頭を下げてしまった。

 

 ――ていうか誰がお義父さんだよ、おい。


「えっと……君は白鐘のクラスメートなのかな?」


 頭が混乱していて、彼の先ほどの自己紹介に含まれていた内容を改めて問いただしてしまった。


「そうですね。残念ながら……今のところはただのクラスメートです」


 今のところ? 今のところってなんですか!? 将来的にはどういう関係に持ち込みたいんですか!?


「ちょっと、加賀宮君……」


「いいじゃないか? こんな素敵なおじ様が君のお父さんだなんて、素晴らしい事だ」


「えっ?」


 いきなり褒められてしまったので、つい照れくさくなってしまう。


「いやだなぁ、素敵なおじ様だなんて。おだてられても何も出せないよ?」


 気持ち悪いぐらいに照れてしまう僕を見ていた娘の視線が、はっきりとした嫌悪けんおのものに変わる。


「は? お父さんが? 家事も料理もできなくて、いつも仕事仕事で、休日もろくに何もせずただゴロゴロしてるだけのお父さんが?」


「おい待て、さりげに愚痴を混ぜるなよ」


「娘のクラスメートの男子にお世辞言われたぐらいで、すぐデレデレするような情けないお父さんに文句言われる筋合いはありません」


 娘の言葉にムッときた僕は、両手で彼女の頭をグリグリと乱暴になでる。


「きゃっ! ちょっと⁉︎ せっかくセットした髪乱さないでよ!」


「ええい、うるさい! だいたい料理はともかく、最低限の家事はできるわい。お前がやらせてくれないだけだろ」


「だって、お父さんの家事下手くそじゃん! お父さんがやるより、あたしがやった方がはるかに効率がいいの!」


「っ――!」


 最後の一言でプツンとキレてしまった僕は、こちらのやり取りをポカーンと見つめている少年に、満面の営業スマイルを向ける。


「加賀宮君だっけ? できれば、これからも娘とナ・カ・ヨ・クしてやってくれるカナ?」


「あっ、はい! もちろんです! やったね白鐘さん、お義父さん公認だよ」


 いや、あくまで友達としてなんだが……。


 ふと、さっきまで僕の手を離そうと暴れていた娘が急に大人しくなっていた。


「ふぅん……仲良くなってもいいんだ?」


 小さくそうつぶやいた後、白鐘は僕の腕を強引に振り払って、少年の袖を引っ張っていく。


「行こ、加賀宮君」


「えっ? ちょっと、白鐘さん?」


 戸惑う彼の声を無視し、娘は足早に僕から去って行こうとする。娘の重く小さい声は、本気で怒っている時のものだった。


「お~い……白鐘ぇ~?」


 我ながら情けない声で娘を呼び止めようとするも、彼女はこちらに一度振り返り、ベーっと舌を出してそのまま少年と一緒に去ってしまった。


 そんな娘の子供っぽい怒りの意思表示は、しかし父親である僕には大打撃クリティカルヒットとなり、しばらく僕はその場をショックで動くことができなくなってしまったのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ