第1話 蒼龍寺家の秘密
「――この高速道路の路面、ほんのわずかではありますが、ズレのようなものが生じていますね」
黒色のティーシャツを着た少女――フィルエッテは走行する車の窓の外からアスファルト状の路面を見下ろしながら、ふいにそうつぶやいた。
「ふえ⁉︎ つまり、近いうちにこの道路が壊れちゃうって事ですか⁉︎」
「違うわよ。この道路は一度なんらかの理由で再建築された形跡を、車のわずかな振動から感じ取ったって言っただけ」
銀髪の少女を挟んで後部座席の向こう側に座っている白いティーシャツを着た怯えた表情のシャルエッテのあわてように、姉弟子は呆れるようなため息を吐き出す。
「あー、あたしも生まれる前の事だからくわしくは知らないけれど、昔ここで大規模な地震が発生して道路が真っ二つになったって話があるわよ?」
シャルエッテとフィルエッテに挟まれた状態で、黒澤白鐘はスマホゲーの画面を注視しつつ、この場所で以前起きた出来事を話す。
「とは言っても、当時の写真や明確な記録はどこにも残ってないし、半ば都市伝説化しちゃってるのよねぇ――青葉叔母さまは、何か知りませんか?」
車の運転席に座る女性――白鐘のクラスの副担任であり、母方の叔母である東野青葉に、彼女はなんとはなしにたずねた。
「うーん、残念ながら私はその頃子供だったからよくわからないのよねぇ。諏方お兄ちゃんなら、何かわかるんじゃない?」
青葉の隣の助手席に座る諏方は、つまらなさげな表情で窓の外を眺めていた。
「……さあな。わりぃけど、なんも知らねえや」
感情の乗っていない無機質な返答。何かを憂うような瞳はここで何かしらあった事を知っているような雰囲気を感じさせるが、それ以上問いただす事は後部座席の三人の少女たちにはできなかった。
初夏も過ぎ、夏が本格的に到来し始めた六月――すでに一時間近く走っている青葉の車の中では暑さとは違う、実に重たい空気がずっと流れていた。
「そ、それにしても楽しみですね、シロガネさんのお爺さまの家! たしか、シロガネさんも会うのは初めてになるのですよね⁉︎」
「うん……まあね」
珍しくシャルエッテが車内の空気を少しでも明るくしようと、気を使ってテンションを無理やり上げながら喋っている。
――諏方から突然、青葉と一緒に白鐘の祖父に会いに母の実家に行くという話が決まったのは昨夜の事であった。
白鐘自身は幼い頃に、母方の祖父がいるという話自体は父から聞かされていたものの、一度とすら会う機会がこれまでにはなかった。父親自身が祖父に会わせたがらなかったのを娘も昔から察しており、祖父の事を話題に出すのはこれまでほとんどなかったのだ。
それは今でもそうなのだろう――祖父の家に行く事を告げた父の顔はどこか全てを諦めたような、そんな諦念を感じさせる表情をしていた。
今朝になって青葉との合流後も、諏方と青葉の二人は共にこれから地獄へ向かう死者かのように重たい空気を纏わせて、車内でもほとんど喋らないでいたのであった。
「ハァ……もうこの際だからあえて訊くけどさぁ、お爺ちゃんってどんな人なの? お父さんも青葉叔母さまも、明らかに会いたくないって感じ出してるけど、もしかして相当ヤバい人だったりする?」
「ヤバいつーかなんつーか……まあ、できれば一生会わせたくなかったタイプのじーさんではあるな」
「私も正直あんまり白鐘ちゃんには会ってほしくはなかったんだけど……お父様もいい年だし、『死ぬ前に一度ぐらいは孫の顔が見たい』と言われたら、私も逆らえなくなるのよね……あと十年は死なないと思うけど」
そう言いながら、前部座席の二人は共に大きくため息を吐き出す。行くと決めたのは二人なのに、当人たちが行きたくないオーラをガンガンに出しているのは、付き合わされる白鐘にとっては実に理不尽に感じられた。
とは言っても、白鐘の内心では少し楽しみにしている気持ちがあるというのも事実だった。母方の親戚と会う機会が今までなかったため、副担任である青葉が母の妹であった事を知っただけでも彼女にとっては嬉しいサプライズであった。
そして青葉以外に、母との繋がりを持つ人と会える――父と叔母が会うのをためらっているというのはやはり引っかかるが、何より白鐘は母が育った家にこれから向かえるのが楽しみだったのだ。
◯
高速を抜け、車は桑扶市の住宅街の一角へと入る。周りは木々が生い茂っており、窓越しから鳴り響くセミの声が、クーラーが効いているはずの車内においてもどことなく暑さを感じさせた。
辺りはほとんどが一軒家や大きめのマンションばかりが建っており、しかもそれぞれが広い庭を有していたりなど、明らかに裕福な層が住んでいるのであろうと思わせるこの場所は、いわゆる高級住宅街と呼ばれる所であった。
「久しぶりに来る場所ではあるけど、我ながら身体がよく覚えてるものね……」
青葉がふとつぶやいた言葉通り、彼女は入り組んだ狭い坂道をスイスイと車で通り抜けていく。
それから少しして、車は少し広まった道へと出た。進んでいくにつれ、周りの家も三階建ての一軒家などが徐々に増え始めた中――まるで観光地に建てられた高級旅館と見まごうような、明らかに他の一軒家と一線を画すほどの荘厳な雰囲気を感じさせる巨大な屋敷が少女たちの瞳に映った。
まるでこの屋敷だけが時代から切り取られたかのような、見るだけで息を呑むほどの異質な外観。屋敷の手前は巨大な木製の門で構えられ、その両脇には二台の監視カメラが備え付けられている。
その門の前で、青葉の車が停止した。
「……着いたわよ。ようこそ、我が蒼龍寺家へ」
「…………えっ?」
青葉にそう言われ、少女たちは戸惑いの視線で窓越しにそびえ立つ屋敷を何度も見上げる。高級住宅街に入った時点で祖父が金持ちであろう事は白鐘たちも予想できはしたのだが、よもやここまでスケールの大きい屋敷とまでは想像していなかったのだ。
「ちょっと門を開けてもらうから、少し待っててね?」
そう言って青葉は車から降りて門へと近づき、左の監視カメラを見上げる。
「……着いたわよ。門を開けてもらえるかしら?」
静かな声でカメラの向こうにそう告げる青葉は、普段穏やかな笑みを絶やさない彼女とは同一人物に思えないほど、冷たさを帯びた表情を見せていた。
一分ほどして金具が引きずられる重たい音とともに、巨大な門がゆっくりと開いていく。
その奥に見えるは、数十人もの黒いスーツを纏った男たちが左右に並び、それぞれが青葉の姿を確認すると一斉に頭を下げる。
「「「おかえりなさいませ、お嬢ッッ――!!」」」
男たちの野太い声が同時に響き、空気を震わせる。女性一人を出迎えるにしてはあまりにも騒々しげで、その場にいるだけでも思わず萎縮してしまいそうな世界が目の前に広がっていた。
「……もうお嬢って呼び方はやめてよね。私はもうとっくにこの家を出た身よ?」
「いえ、貴女がここを出ようと、お嬢はお嬢です。お父上がお待ちしております。どうぞ中に」
「待っていたのは私じゃなくて、孫の方でしょ……まあいいわ」
青葉は黒服の男たちに軽く挨拶を済ませると、車の方へと戻っていく。
「それじゃあ、私は車を屋敷に入れて先にお父様に会いに行くから、諏方お兄ちゃんたちは庭の方で待っててもらえるかしら?」
「了解……ほら、三人とも車から出るぞ?」
未だ状況が整理できずに唖然としている少女たちをうながしながら、諏方は重い腰を上げて車から降り立つ。
自分以外の四人が車から降りたのを確認すると、青葉はそのまま車に乗って屋敷内の奥へと消えていった。
「えっと……お父さん、どういう事か説明してもらえる?」
大きな屋敷に黒服の男たちの出迎え――目の前で起きた出来事に、白鐘たちが混乱するのも仕方のない事であろう。
「ここまで来ちまった以上、もう隠すわけにもいかねえよな……」
諏方は覚悟を決め、三人の少女たちに向けてゆっくりと口を開く。
「白鐘、お前の母親の実家――蒼龍寺家は、広域指定暴力団『青龍会』の本部だ」
「広域指定暴力団……⁉︎」
物騒な単語を耳にして青ざめる少女たちに向けて、諏方は嘆息とともに、ずっと彼女たちに隠してきた真実を口にする。
「――わかりやすく言うなら、蒼龍寺家は『ヤクザ』の家系だ」




