プロローグ あの日見た夕焼けは今も目に焼きついて
――時折思い起こす、脳に焼き付いたあの日の記憶の映像。
まるで世界そのものがオレンジ色に染まったかのような、眩しいくらいに灼けた夕日。窓越しに見えるソレは、舞台照明のように明かりのついていない渡り廊下の白い壁面を染め上げる。
世界を染める紅を背景に、一人の小柄な少年がこちらを睨みつけるかのように、鋭い瞳で見つめている。
怒り――いや、これは憎しみだ。
目の前にいる彼は、世界の全てを恨んでいる――これほどの深い憎しみが込められた瞳で睨むなど、まるで悪霊の類ではないか。
『…………っ』
――少年を前にし、感嘆のため息が漏れ出る。
――認めたくはないが俺はきっとこの時、この少年に見惚れてしまっていたのだろう――。
――彼の怨念のこもった瞳にではない。
小さく開いた窓から吹く風にさらさらと揺らされた、異国の少女と見まごう銀色の長い髪に――。
◯
「キ――ニキ――兄貴!」
「っ…………」
まどろみの中で遠くの方から響く男の声に脳がゆっくりと覚醒し、夕焼け空の景色が見慣れた自室のものに変化わってゆく。汗がポタポタと床にこぼれ落ち、小さな水溜まりとなって男の瞳を映していた。
「兄貴! さっきから呼んでるのに返事しな――って、ええ⁉︎ 両足を上に向けた状態で指一本で指立て伏せしながら寝むってるぅぅぅううう⁉︎」
「るせぇな……もう起きてるよ」
男は指一本で立っている状態からピョンと飛び跳ねて、空中で一回転してから新体操選手のようにキレイな姿勢で着地する。上半身は裸で、滝のように流れる汗は運動によるものか、それとも先ほど見た悪夢によるものか。
壁にかけたバスタオルで全身を拭き取りながら、いかにも不機嫌といった表情で男はベッドのサイドラックに置かれた時計を見つめ、深くため息をつく。
「たくっ……まだ朝の五時すぎじゃねえか。朝の集会まであと一時間以上もあるつうのに、よくも大声で起こしてくれやがったな? あー……テメェはたしか、新入りの正人だっけか? この業界に入るわりには、けったいな名前しやがって」
「はは、オイラは八咫の兄貴に憧れて、ここに入ってきたようなもんすから!」
皮肉も通じる事なく朝から部下である金髪の男――正人のギラギラとした暑苦しい笑顔にあてられ、八咫の兄貴と呼ばれた男は彼から目線を逸らして二度目のため息を吐き出す。
「……で? こんな時間にわざわざ大声で呼び出してなんの用だ?」
「あ、はい! 明日の準備が整ったので、兄貴に報告を――」
「――んなもん朝の集会で報告すりゃいいだろうが⁉︎」
男はツッコミ混じりで部下に怒鳴り、起きて五分と経たぬうちに三度目のため息。時計の隣に置かれた五百ミリのペットボトルを握り潰して中のスポーツドリンクを素早く飲み干し、手慣れた動作で洋服棚にかけられたスーツに着替える。金髪男のよれ気味なスーツと違い、いかにも高級感あふれる高価な生地を使ったスーツに身を包んだ彼は、まるで別世界の人間であるかのように強い存在感を放っていた。
ネクタイを締め、最後にラックのメガネケースから細ふちのメガネを取り出し、スチャッと着用して強面だった顔が一気にシュッとしたインテリじみた顔立ちへと変わる。
「他に報告はねえか? ないならさっさと出ていけ」
「へ、へい……ん? あれって……?」
正人は先ほどメガネケースが置かれていた横に立てかけられた写真たてが目に映り、突如興奮した様子で部屋の奥へと入り、写真たてを手に取る。
「珍しいっすね、兄貴が写真を立てた状態にしてるなんて。それに……この制服って、兄貴の高校時代の写真っすよね⁉︎ じゃあここに写っている四人が、あの伝説の四天王――」
「――用が済んだのなら、さっさと出ていけと言わなかったか?」
眼鏡を中指でクイッと上げながら、静かに――しかしドスの効いた深い声に正人は驚き、「す、すんませんでした⁉︎」と叫びながらあわてて部屋を飛び出して行った。
騒がしかった部下の足音が遠ざかり、自室に静寂が訪れてようやく彼の心が落ち着いていく。
「しかし、トレーニング中に寝ちまうとは……精神に隙が生じている証拠だな」
都度四度目のため息も吐き終え、先ほど部下が見入っていた写真たてを持ち上げる。
普段は伏せた状態で置かれている写真たてが、なんの気まぐれか昨日立てた状態で置いてしまったのだ。先ほど見ていた悪夢も、おそらくはこれを見ていた事が原因であろうと彼は推測する。
「…………」
じっと写真を見つめる男。写っていたのは横並びに立ち、それぞれが特攻服を羽織った四人の高校生たち。
右はじにはメガネをかけている高校時代の男の姿。彼は仕方なくといった表情で腕を組みながら、そっぽを向いている姿が写っている。
その左隣に並んでいる男は他の三人と比べてもかなり大柄な体格で、親しげにメガネの男の肩に腕を回しながら、爽やかな笑みでもう片方の手でピースサインを見せている。
そのさらに左隣には四人の中で唯一の女性が写っている。金髪のポニーテールで、いかにも活発げな性格とわかる元気いっぱいな笑顔で左隣の少年に肩を回し、同じくピースサインをカメラに向けて突き出していた。
そして最後の一人――四人の中でも一番の小柄で、こちらはあからさまに嫌そうな表情で左向きにそっぽを向いている少年。その髪は女性と見まごうかのように写真越しでも伝わるほどサラサラとした銀色の長い髪をたなびかせていた。
「四天王か……くだらねえ」
メガネの男――八咫孫一は再び写真たてをラックの上に伏せて置き、写真での白の特攻服とは対照的な黒いスーツを揺らしながら、自室を静かにあとにしたのであった。




