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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
銀色の復讐編
189/322

第27話 ラストデート

 桑扶市の一角にある十階建てのビル。数日前、ここでマフィアによる一時的な占拠事件があったとは思えないほどに、辺りは休日の穏やかな空気に包まれていた。


 屋上での騒動から一週間――あれから剛三郎や事件の内容がニュースなどで表沙汰にされたという事はなく、あの日の事件を知っているのは当事者とごく一部の関係者のみであった。おそらくは椿の所属する組織が何かしらマスコミ等に働きかけたのだろう。


 本日は日曜日。明日からまた何事もなかったようにサラリーマン時代の仲間たちは会社へと通い、そこにもう自分はいないのだという事実を諏方は会社の入り口近くでビルを見上げながら、ふと慣れきったはずの今の境遇を少し寂しく思うのであった。


 初夏から少し経ち、そろそろ夏も本格的なものになりそうな予感を感じさせる暑さではあったが、時折やわらかな風が薄手のパーカーを突き抜け、心地よい涼しさを感じさせてくれる。


「十二時まであと五分……デートという話ではあったけど、あくまで主目的は事情説明。調子に乗ってあんまり浮かれるんじゃねえぞ、黒澤諏が――」






「――お待たせしました、黒澤係長!」






 諏方は声のした方に振り向くと、メガネをかけた黒髪の女性が手を振りながら彼の元へと駆け寄ってきた。


 白いブラウスにフリルのついた花柄のスカートと少女チックな格好ではあったが、不思議と不自然さを感じさせないほどに可憐な雰囲気を纏わせていた。


「遅くなってすみません!」


「ああ、いや……俺も今来たところだから!」


「…………」

「…………」


 まるで付き合いたてのカップルのような初々しい(テンプレ)セリフを交わした後、これまた定番のように互いに気恥ずかしくなって顔を真っ赤にしながら押し黙ってしまう。


「そのぉ……この服、似合ってますでしょうか……?」


「あ、ああ……! うん、とても可愛らしいと思うぜ」


「本当ですか⁉︎ 嬉しい……係長も、とてもカッコいいです……!」


 白の夏用パーカーにジーンズと、諏方にとっては普段とあまり変わらない格好でいたのだが褒められる事自体は素直に嬉しく、照れて思わず頭をかいてしまう。


「それにしても、この見た目の状態で係長って呼ばれると、なんかこそばゆく感じるな」


「そうですか? たしかに見た目は別人かと思うぐらい変わりましたけど、若くなっても係長は係長ですよ」


 自身の胸に手を当てながら、彼女は一週間前のビルの屋上で諏方が助けに来てくれた時の事を思い返す。


「係長が助けに来てくれたあの時、若返った係長を不思議と別人だとは疑わなかったんです。……あの男に係長が若返ったかもしれないとあらかじめ伝えられてたという前提はもちろんありますけど……本当は係長にあの男と接触してほしくなくて、来ないでほしいとすら思ってのに……それでも、嬉しかったんです。係長が、私のことを助けに来てくれたんだって……」


「藤森さん……」


 別に感謝されたいがために助けに行ったわけではない。自分のせいで、彼女を非日常に巻き込んでしまった罪滅ぼしのために――何より、大切な後輩である彼女を失わないために、諏方は命をかけて剛三郎に立ち向かったのだ。


 それでも、こうして彼女にお礼を言われ、そのやわらかな笑顔を見ると、自分がやった事は正しかったのだと――諏方は強くそう思えた。




 ――もし、あの時憎しみのままに剛三郎を殺してしまえば、目の前の女性の笑顔をきっと守る事はできなかったから――。




「…………」

「…………」


 またしても恥ずかしさで、気まずい間が空いてしまう。


「そ、そういえば、ずいぶんと大きい紙袋持ってるけど、何が入ってるのかな……?」


 気まずさに耐えきれず、諏方はとっさに小鳥が肩にかけてるポーチとは別に、両手に持っていた紙袋を指さして中身をたずねる。


「あ! これ、係長にお渡ししたかったものです!」


 そう言われ、諏方はそのまま彼女から紙袋を受け渡される。なんだろうと疑問に思いながら中身を確認すると――、


「……うお! すげーな、これ!」


 ――っと、先ほどまでの気恥ずかしさも吹っ飛ぶほどの品物が入っていたのだった。


「私から助けてくれた皆さんへのささやかなお礼です。それと……右のすみに入れてあると思うんですが」


 そう言われ、諏方は紙袋の右すみに入っていた()()()を発見し、しばし言葉が止まる。


「仕上げは私がしちゃいましたけど、係長の頑張りはちゃんと()として残りましたからね……!」


「っ……」


 諏方はしばらく紙袋の中身を見つめたまま動けないでいた。


 諏方がここ数日、小鳥の自宅に通いつめていた理由――それが()となって目の前にある事実に心が震え、自然と涙が流れ出たのだ。


「か、係長……⁉︎」


「あ……ああ、すまない……珍しく嬉し泣きしちゃったね……。それと……ありがとう。ただの会社の上司に、ここまで良くしてくれて」


「そ、そんな⁉︎ ……私にとって、係長は人として一番に尊敬できる人ですから……」


「っ……」

「っ……」


 またも自分たちの言葉で恥ずかしくなり、顔を赤くしてうつむいてしまう二人。


「……ここまで尽くしてくれたんだから、今日は藤森さんをちゃんとエスコートしてあげないとね。つっても、どこに連れてってあげようか……」


「あ! じゃあ、ぬいぐるみを見て回りたいです。係長と一緒に……!」


 ぬいぐるみという単語を口にし、一気に瞳をキラキラと輝かせる小鳥。


「……うん。それじゃあ、いつものぬいぐるみ屋さんに行こうか……!」


 諏方は小鳥の純真な笑顔に見惚(みと)れつつも、彼女のリクエストに応えて二人で並びながら歩き出したのだった。




   ◯




 ここ最近彼女とよく通う事になった小鳥お気に入りのぬいぐるみショップ、さらには駅近くにあるショッピングモール内のおもちゃ屋さんなどを見て回る内に気づけばお昼時も過ぎ、少し遅めのランチついでに二人はモール内の喫茶店にて腰を落ち着かせたのだった。


 食事を終え、コーヒーで一服した後、ようやく今日の本題である魔法使いとなぜ自分が若返ってしまったのかについて、諏方はなるべくわかりやすいように内容をまとめながら小鳥にへと語る。


 剛三郎から受けた虐待、そして諏方の不良時代からの話に始まり、シャルエッテとの出会い、魔法使いたちとの戦いなどを、詳細を多く語らないようにある程度噛み砕きつつ――話してはいけない部分などは事前にウィンディーネから、起こる事件の頻度に呆れられつつ指定された――彼女に今までの経緯を説明したのであった。


「っ…………」


 普通であれば、何をファンタジーじみた話をしているのだろうと一蹴(いっしゅう)されてしまいそうな内容ではあったのだが、




「すごい……この現実世界で、おとぎ話のような事が本当に起きていたんですね……!」




 すでに魔法そのものを目にしていた事もあってか、すんなりと諏方の話を受け入れたのであった。


「俺も数ヶ月前までは知らなかった世界だ。……でも、シャルエッテを助けたあの日から、俺もそんな世界の住人になっちまったんだよな……」


 苦味の強いフレンチローストのコーヒーを口にふくみながら、諏方はすっかり慣れてしまった非現実の日常を受け入れていた事を感慨深く浸っていた。




「……その…………係長は今でも、元の年齢に戻りたいと思っていますか……?」




 ふと、小鳥が心細けな表情で若返った上司にそう問うた。


「っ……」


 諏方はその問いにすぐには答えられず、自分の右手を開いたり閉じたりしながらしばらく見つめている。


「……正直、若返って力を取り戻した事についてはやっぱり嬉しいって側面があるのは否定できない。この力がなけりゃ、娘も藤森さんも助ける事はできなかった。それに……楽しいと思っちまってるんだ、白鐘たちと一緒に過ごす学生生活が。……本当はただのサラリーマンである俺には分不相応もんだってわかってるんだけどな……最近はそんなんで、揺らぐ事も多くなっちまった」


「係長……」


「……でもさ、このままじゃやっぱりダメなんだとも心のどこかでわかってるんだ。俺はあくまで中年サラリーマンの黒澤諏方。このまま若い姿でいつづけたら、いつか俺は『黒澤諏方』ではなくなってしまう――そんな気もしちまうんだ」


 諏方は手をゆっくり下ろすと顔を上げ、優しげな笑みを小鳥へと向ける。


「だから……まだ元に戻るのにどれぐらい時間がかかるかはわからないけれど…………できたら待ってほしい。いつか必ず、『黒澤諏方』として会社に戻ってみせるから……!」


「っ……」


 ――彼のその笑顔を、小鳥はよく知っていた。仕事でミスを起こし、他の人からどんなに怒られるような事があっても、彼は最後に優しく笑って許してくれるのだ。




 ――その笑顔は、彼が若返ったって決して変わるものではなかったのだ。




「はい……待ってます。係長とまた一緒にお仕事できる日を、私は待っていますね……!」




   ◯




 諏方が小鳥に魔法使いについての話を終えて以降も、日常的な会話も含めてすっかりと話しこんでしまい、気づけば空は夕暮れ時で赤く染まっていた。


 二人は喫茶店を出て、ゆっくりと小鳥の住むマンションへと向かっていく。


「…………」

「…………」


 二人は予感していた。この日を終われば、しばらく会う事はなくなるかもしれないと。


 元々あくまで会社の上司と部下という関係でしかなかったのだ。会社でしか顔を合わす機会がないのなら、当然会社に来れなくなってしまえばわざわざ会う理由もなくなってしまう。


 ――小鳥にとって、この数日間は幸せそのものだった。


 ()()があったとはいえ、尊敬する上司が何度も家を訪ねてきてくれたのだ。決して友人が少ないというわけではないのだが、それでも彼と一緒に過ごせる時間は彼女にとって特別なものだった。


 ――だがそれも、まもなく終わりを告げる。


 二人は到着した、小鳥のマンション手前の駐車場へと。


「…………」

「…………」


 今日幾度となく流れた無言の空気。今日のデートの目的はあくまで今回の誘拐事件に巻き込まれてしまった小鳥への説明責任を果たすため。その説明を聞き終えた以上、今日のデートはおしまいなのだ。


 明日から小鳥は日常へと戻っていく――でもそこに、もう尊敬する上司の姿はない。


「……私、いろいろ迷っていましたけど、一つ決めた事があるんです」


 ほんの少しだけでも、彼と一緒にいる時間を伸ばすため――いや、彼に悩みを吐露したがゆえに、彼女が決断した思いを告げなければと、小鳥はまっすぐに上司の姿を見すえる。






「私……やっぱりぬいぐるみ職人を目指す事にしました……!」






 ――それは、本当は諦めかけた彼女の目指していた道。


 ――真っ当な社会人になった以上、特別目指さなくてもよかった茨の道。


 ――その道を改めて選んだ決意を、彼女は悩みを聞いてくれた憧れの上司に告げられたのだ。




「本当かい⁉︎ ……うん! 藤森さんが決意したのなら、俺は……僕は、素直に応援するよ!」


 心の底から嬉しそうに、諏方は彼女の道を応援すると誓う。悩める若人(わこうど)が自分で目指すものを選ぶという成長が見られたのは中年になってしまった彼にとってはとても眩しく、その輝きを見れた事こそが彼にとっての幸せでもあるのだ。


「……でもそうなると、会社からはいなくなってしまうんだね。今会社にいない僕が言うのもなんだけど、そこだけはちょっと寂しくなるかな……」




「え? 私やめるなんて一言も言ってませんよ?」




 ポカーンとしている部下の表情を見て、諏方も思わずポカーンとした表情を返してしまう。


「ええ⁉︎ それじゃあ仕事は続けつつ、ぬいぐるみ製作もしていくって事かい?」


「当然です。そもそも職人になってないうちに、安定した収入を捨てるわけないじゃないですか?」


 ――なんて堅実な考え⁉︎――。


 しかし、彼女は軽く言っているが、それはつまり二足の草鞋(わらじ)でいくという事。それが決して簡単なものではない事は諏方にもわかっている。


「――と、言うのは建前なんですけど……私、今の仕事もやっぱり好きなんです。係長が丁寧に仕事を教えてくれたおかげで、私は今の仕事も楽しくやれています」


 その言葉に嘘偽りがないのは、彼女の表情からも十分読み取れた。


「……いつか、どっちかを選ばなきゃいけなくなる日も来るかもしれませんけど、それまではどっちの道も楽しみたいと……私は、そう思っています……!」


「っ……」


 その答えにたどり着くまでにどれほどの葛藤があったかは諏方にはわからない。それでも――、




「うん……両立する事はやっぱり難しいかもしれないけれど……それでも僕は応援するからね、藤森さん」




 大切な部下が決意したのならば、上司としては全力で応援するべきであると、諏方は彼女の決断にエールを送る。


「……それじゃあ、そろそろ行くね? 僕が言うのもなんだけど、無茶はしないように」


「はい……また会える日を楽しみにしています、黒澤係長」


 互いに別れを告げ、諏方は彼女に背中を向けて歩き出す。


「っ……」




 ――藤森小鳥は一つ、上司に告げていない事があった。




 今の会社を続ける理由は決して嘘ではない。彼女が今の仕事を楽しんでいるのはまぎれもない事実であった。


 だが、仕事を続ける理由はそれだけではない。




 ――彼女は守りたかったのだ。尊敬する上司である、黒澤係長の居場所を。




 いつか彼が元に戻って、会社に戻る日が来る時――彼を迎えるための居場所を彼女は守りたかったのだ。


「…………待っていますね、係長」


 もう小さくなった背中に、その声は届かない。


 それでも自分の決めた道をくじけず歩けるようにと拳を強く握りしめて、藤森小鳥は日常へと帰ってゆくのであった。

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