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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
銀色の復讐編
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第24話 この世で最も恐ろしいもの

「しろ……がね…………?」


 剛三郎を組み伏せた姿勢のままながらも唖然とした表情で、諏方はヘリの中で仁王立ちしている娘の名前を呼んだ。彼女は睨みつけるような瞳で、父親とその下で床に倒れこんでいる男を見つめている。


「な……なんで白鐘がこんな所にいるんだよ……?」


 家にいたはずの娘が突如現れ、しかもなぜか軍のヘリに乗っているという展開に頭がついていかず、諏方は思考がまとまらずにただ混乱を強めるばかりだった。


「大丈夫か、諏方!」


 彼の疑問の答えを示すかのように、ヘリの奥から姉である椿が顔を出した。


「姉貴⁉︎ どうして白鐘を連れて来たんだ⁉︎」


 ようやく諏方の頭に冷静さが戻ってくる。少し前に姉に娘のことを頼んではいたので、白鐘が姉に同行してきたのだという状況は把握できた。しかし、危険とわかっているこの場所になぜわざわざ姉が娘を連れてきたのか、そこがどうしても理解できないでいた。


 だが姉は諏方の問いに答えず、ただ『すまん』といったような気まずげな表情で片手を顔の前に合わせている。


「…………」


 白鐘は片手に拡声器を持って腕を組んだまま、屋上に広がる光景を空から俯瞰(ふかん)していた。状況を把握するためではない。ただ一点、今この場で最も対峙しなければならない相手を彼女は静かに見つめていたのだ。


「……叔母さま、あたしをあそこに降ろしてください」


 感情のこもっていない冷たい声で、白鐘は後ろに立つ叔母に振り返る事なく手に持った拡声器を差し出し、そう告げる。


「……っ⁉︎ 約束したじゃないか、無茶だけはしな――」


 椿の制止の声が途切れる。彼女は姪である白鐘に対し、初めての感情を胸にしながら、しばらく少女の瞳を見つめていた。


「…………仕方ない。准尉、ヘリの高度を下げて屋上付近にまで近づけてくれ」


「……了解しました」


 椿の部下であるグレイハム准尉は操縦士に指示を出し、ヘリが屋上近くへとゆっくり降下していく。そして縄バシゴが下され、白鐘はそれを伝って屋上へと飛び降りた。




 ――ついに、本来戦場(ここ)にいてはいけないはずの、何の力も持たない普通の少女が舞台へと降り立ったのであった。




「……本当に行かせてよかったのですか、七次椿少佐相当?」


「……責任は私が取るさ。それより、何が起きてもいいよう常に銃は構えておけ」


 椿は拳銃を、グレイハムはライフル銃を共に白鐘を守護するように、彼女の歩む前方へと向けて構える。


「……確実性ある判断が求められる工作員らしくない言葉になってしまうが、白鐘ちゃんならこの状況をなんとかしてくれるかもしれないと……珍しくそう考えてしまったのさ」




 ――屋上に降り立った白鐘はゆっくりと、大きく穴の空いたフェンス側へとまっすぐに進んでいく。


 シャルエッテたちのことは目に入っていないのか、一度たりとて振り向きもしない。ただ前方だけを、めり込んだ床に倒れた男と、その男にのしかかっている父親の姿だけが彼女の視界に映っていた。


「おい、白鐘! 危ねえからこっちに来るんじゃねえ!」


 諏方は上半身だけを少女に向けたまま、彼女を遠ざけようと怒鳴るように声を上げる。だがそれすら聞こえていないのか、少女はスピードを変えずになお前進を止めない。


「……チッ、クソッ!」


 諏方は少し迷いつつも呆然としたままの剛三郎を放り捨て、立ち上がって白鐘の方へと駆け出す。剛三郎への殺意は未だ薄れてはいないが、それ以上に娘とあの男を接触させてはならないと、娘を止めるために父は動いたのだ。


「話を聞け、白鐘! お前、あの男が剛三郎だってのもわかってるだろ。あの男がどれだけ危険か、お前にさんざん聞かせただろ⁉︎ ここは俺がなんとかするから、お前は早く家に帰――」








「――――どいて、お父さん」








「――ッ⁉︎」


 ――瞬間、身体全体、毛先の端までもが震え上がる。


 なんて事ない白鐘の一言。しかし、その声はまるで地の底から響くような、聴くだけで全身が凍えるような冷たさを帯びていた。


 彼女の瞳も、よく見ればすでにそこに父親の姿は映っていない。その()わった眼に映るのはもはや、剛三郎ただ一人だけであった。




 ――黒澤諏方はこの時、ようやく思い出す。




 黒澤諏方は過去、様々な敵たちと相対してきた。


 不良時代には多くの名だたる不良たちとはもちろん、ヤクザや果てはテロリストたちとも戦ってきた。


 シャルエッテによって若返って以降も、魔法使いと呼ばれる不可思議な者たち相手に拳を振るってきた。


 ――だが、それら全てと対峙してなお、それら以上に恐ろしき存在がいた事を、今この場で諏方は思い出してしまったのだ。


「あ…………はい、すみません……」


 自然と、諏方は白鐘の進む道を無意識に開いてしまう。








 そう、思い出したのだ――本気で怒った黒澤白鐘こそが、この世で最も恐ろしい存在なのだと――。








「ぐっ……くぅ……あなたでしたか、僕と諏方くんの蜜月を邪魔するのは……」


 諏方から解放され、ヨレヨレと小刻みに震えながら剛三郎が立ち上がる。重圧のかかった身体の内側はそのほとんどが故障し、骨も何ヵ所か折られていた。


 それでもなお、剛三郎の執念が彼の身体を立ち上がらせていたのだ。


「まったく……あなたは最優先事項ではないとしばし放っておいたというのに、なぜ自ら関わりにきたのか……まったくもって理解できませんねぇ?」


 互いに一歩ずつ近づき、わずかな間を置いて共に立ち止まる。


 静かに睨み合う白鐘と剛三郎――諏方や椿を始め、この場にいる全ての人物の視線が二人に集約される。


「さて……あなたは何しにここに来たのですかな? よもや、あなたの父親に正論などという綺麗事を説きに来たわけではありますまい? 復讐なんて意味がない。ただ(むな)しいだけなんだ――なんて、ありきたりな文句で父親を説得しようなどとは言いませんよねぇ?」


「…………」


 感情を逆撫でするような剛三郎の声色(こわいろ)も、しかし白鐘は一切動じず、ただ静かに彼を睨み続けている。


「どうしたのですか? 言いたい事があるのならどうぞ遠慮なくおっしゃってください。すでに父親からボクの事については聞いておられるのでしょう? それとも、改めてボクの口からお聞きしたいですか? 君の父親をボクがどれほど可愛がってきたのか……」


「剛三郎ッ……!」


 再び湧き上がる諏方の剛三郎への怒り。しかし――、


「…………」


 やはり、白鐘は黙ったまま剛三郎を睨み続けていたままだ。


「……その目をやめていただけませんか? ……殺しますよ?」


「ッ……!」


 諏方は拳を握り、構える。いつ剛三郎の手が娘に伸びてもすぐさま彼女を遠ざけられるよう、神経を集中させる。


 しかし、今の剛三郎に白鐘に手を出す手段はなかった。全身は諏方によってすでに死に体に近い状態になっており、拳銃も先ほどシャルエッテの遠隔(ビット)型魔力砲によって手の届かぬところに落としてしまっていた。


 それを知ってか知らずか、白鐘はやはり変わらず目の前の醜男(ぶおとこ)から視線を外さなかった。


「……これだから女という生き物は嫌いなのですッ! 少し自分が可愛いというだけで、まるで世界全てが自分のものであるかのように振る舞う。全ては自分のために回っているのだと思い上がる下等な生き物のくせに! (あなた)たちなど、兄や諏方くんの美しさと比べればカケラほどの輝きもないというのにッ!!」


「…………」


「その髪色も見ていると腹が立ちますねぇ……諏方くんのような少年なればこそ似合うというのに……何より、兄を奪ったあのロシア人の女を思い出してなおさら(はらわた)が煮えくりかえるというものです……!」


「…………」


「……まだ無言を貫きますか……いいでしょう。改めて、君の父親をどれだけボクが可愛がってきたか、じっくり語ってあげましょう」


「…………」


「思い出しますねぇ……家に連れてきたばかりの時は、少しの拷問で一日中泣き叫んでいて、その声がとても甘美でありました……」


「……………………」


「一、二年もすれば諦めもついたのか、あまり泣くような事は少なくなってしまいました……反応が薄くなったのは寂しかったですが、それはそれとしてどこまで痛めつければ叫び声を上げるのか、別の楽しみができたというものです。ああ…… 惜しむらくは、彼の叫び声を記録していなかったのがボクの最大のミスではありましたねぇ……」


「…………………………………………」




「あなたにも聴かせたかったですよ。君の父親が、どれほど甘い音色で日々叫び続けていたのかを。彼の苦しみながらも、いつか解放されると信じ待っていた希望と苦しみの相なす表情を――――ガァッ⁉︎」




 ヒートアップして声量の上がった剛三郎の声が、絶叫じみた苦悶とともに突如途絶える。


「うっ……!」

「っ……!」


 さらには様相を見守っていた者たちの中で、諏方とグレイハム准尉の二人だけが触れられていないにも関わらず、痛そうな表情で青ざめている。






「…………き……貴様ァ…………よくも……よくもボクの()()を……⁉︎」






 股の下を両手で押さえながら、膝をついて身悶える剛三郎。




 ――白鐘は剛三郎の言葉の途中で突然、彼の股の間を思いっきり()()()()()のだった。



「フィルちゃん! 今の一撃で、あの男の人が倒れました⁉︎ シロガネさんの蹴りはそれほどの威力があったのでしょうか⁉︎」


「シャル……あなたは純粋なままでいてね……」


「係長の娘さん……なんだかすごく……ワイルドですね……!」


「まったく……あの父娘にはことごとく驚かされるな」


 驚き、呆れ、称賛と、それぞれ違う反応を見せる女性陣。一方の男性陣は、共に気まずそうな表情で身体を震えさせている剛三郎を痛そうに見下ろしていた。


 剛三郎は苦悶の声を上げながら、その場から動けないでいる。父親ほどの筋力はなくとも、白鐘は元陸上部という事もあって、足腰がかなり鍛えられている。その足から繰り出された蹴りによる痛みは、直撃したのが男性の急所である事も含めて想像を絶するものであった。


 ――そして、白鐘は唇を噛み締め、自身の手を強く握りしめる。






「ふざけんなッッ!! どこまで人を傷つければ気が済むのよ、アンタは⁉︎」






 叫びにも近い怒りの声で、白鐘は剛三郎を怒鳴りちらす。


「小さかった時のお父さんも、今のお父さんも傷つけて……これ以上、アンタにはお父さんに触れさせない!」


「ぐっ……クッ……!」


「会った事ないけど、おばあちゃんの悪口言うのも許さない。……できるんだったら、今この場でアンタの事を殺したいぐらい、あたしもアンタの事が憎い……」


「白鐘……」


 ――自分だけではなかった。過去の自分の事を知ってしまった白鐘もまた、父と同じように剛三郎の事を殺したいほどに憎んでしまっていたのだ。




「でも……あたしはアンタを殺さない……お父さんにも殺させやしない……! アンタの命なんか、あたしたちが背負ってたまるもんか……!」




 そう最後に言い放ち、白鐘は(きびす)を返して悶えたままの剛三郎を背にする。


「ま……まちなさ――」




「――本当はこんな言葉使いたくないけど……あたしたち家族の知らないどこかで、あたしたちに気づかれないまま……ひっそりと死んでください」




 それが白鐘が最後に剛三郎に投げるメッセージ。彼女はそれを言い終えると、静かに彼の元から歩み去っていく。


「――帰るよ、お父さん」


 彼女は諏方の目の前で立ち止まると、父をまっすぐに見つめて手を差し出す。


「白鐘……」


 その瞳は――今にも涙を流すのを堪えようと潤んでいる。




 ――娘は戦ったのだ。父親の憎しみを背負い、彼のかわりに剛三郎と戦ってくれたのだ。




 ――ならば、これ以上剛三郎(あの男)に関わる事は、娘の戦いを(けが)す行為になってしまうだろう。




「ああ……帰ろう、白鐘」


 諏方は娘の手を取り、父娘共に剛三郎に背を向けて一歩を踏み出す。






 ――この時をもって、黒澤諏方の長い長い復讐の時が終わりを告げたのだった。

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