第17話 そびえ立つ摩天楼
「――あそこだ、フィルエッテ……!」
星光る夜空をハイスピードで駆け抜け、風圧に顔を叩かれながら諏方は見覚えのあるビルを指さす。
諏方の勤める会社のビルは他の建物と比べても特段高いというわけでもなかったが、それでも隣接するビル群の中では一番の高さがあるビルのため、すぐに見つける事ができた。
フィルエッテも自身の杖の後ろに乗っている諏方の指さす方向を凝視し、目的のビルを視界に捉える。
「では、このままビルの屋上へとまっすぐに突っ込みま――」
「――――ちょっと待ってくださあいッッ!!」
フィルエッテたちのさらに後ろ、同じく自分のケリュケイオンに乗って諏方の背中を支えていたシャルエッテが、突然悲鳴に近い大声をあげる。
「す、すみません……もう、魔力が限界で……」
二人が後ろを振り向くと、シャルエッテは半透明な状態で顔を真っ赤にしながら、息を荒く吐き出していた。心なしか、先ほどよりも身体の色も濃くなってるように見える。
「三人分のステルス魔法はさすがに魔力消費が激しいわね。それに……諏方さん、ひとまずビルの入り口近くで一旦降りてもよろしいですか?」
「う、うん……約束の時間まではまだ少しある。任せるよ」
「では」
諏方の許可を受け、フィルエッテは速度を落としつつ、会社のビルの入り口近くへと降り立つ。同時にシャルエッテのステルス魔法も消えたのか、半透明だった身体の色が元に戻った。
「ふぇぇ……頭がクラクラしちゃいますぅ……」
「お疲れ様、シャルエッテ。今は少しでも休んで――ぐっ⁉︎」
少し落ち着きを取り戻したところで、再び頭を締めつけるような痛みが襲い、諏方は思わずよろけそうになってしまう。
「諏方さんこそ、あまり無茶をせずにゆっくりと呼吸を整えてください」
駆け寄ろうとしたフィルエッテを手で制し、彼女を心配させまいとなんとか無理やりにでも笑みを作る。
「心配してくれてありがとう、フィルエッテ。それにしても……」
諏方は静かにビルを見上げる。少し前までほぼ毎日通い、つい最近も出入りした事のあったなじみ深い会社のビルが、今は暗くそびえ立つ摩天楼のように見えた。
「まったく……こういう形での休日出勤は勘弁してほしいね」
ため息を深く吐き、こんな形でこの場所に再訪する事になった現状を嘆きつつも、フィルエッテの言う通りに呼吸を整えてまずは周囲の気配を探る。
「……やっぱり、一人で歓迎するつもりはなかったようだね」
諏方はビルのすぐそばにある木の影からキッと、入り口の方へと鋭い視線を向ける。
入り口前には二人の黒服の男がそれぞれ自動扉の両脇に立っており、手を後ろ手に組んでまっすぐに前方を睨みつけるように見つめていた。
「うわぁ……映画でよく見る怖そうな人たちですぅ……」
「…………」
シャルエッテとフィルエッテも、入り口前の黒服の男たちの姿を確認する。
「どうしましょうか、諏方さん?」
声をひそめ、これからどうするかをたずねるフィルエッテ。諏方は一旦入り口から視線を外し、再びビルのテッペンを見上げる。
「……ここまで来たらあまり姿を隠す意味もないし、いっそ空から行くのはどうかな?」
空を飛ぶ手段があるのなら、わざわざビルの中を入らずとも、天井のない屋上へと直接向かう事も難しくないはずだ。
しかし、フィルエッテは少し困ったような表情で首を横に振る。
「たしかに、このまま空から直接人質を助けに行くのも有効ではありますでしょうが……」
フィルエッテは諏方のそばに寄ると、ふいに彼の瞳の前に指をかざした。
「今、ワタシの瞳には暗視魔法がかけられているため、この夜の闇でも遠くまで鮮明に見通す事ができます。今から諏方さんの視界に、ワタシの視界を共有させますね」
フィルエッテの指が突然光り出すと同時に、彼女が見上げている先の視界と同じものが彼の瞳に映る。
ビルの屋上――その周囲に、いくつかの飛行物体が見えた。
「あれは……ドローンか……!」
ビルの周囲を監視するように、複数の小型の飛行物体が屋上周りを浮遊していたのだ。
「あの飛行物体には、機関銃のような物も取り付けられています。ステルス魔法が使えない状況で空を飛べば、容赦なくあの飛行物体たちに迎撃されてしまうでしょう……」
フィルエッテが飛行中に途中で地上に降りたのも、あのドローンを視界に捉え、まっすぐに屋上に突入するのは危険と判断したためであろう。
「となると、正面から突破するしかなくなるけど……」
再び視線を正面入り口へと戻す。黒服の男たちは依然変わらない姿勢のまま、入り口側を見張っていた。
諏方たちが今立っている場所からは見えないが、彼らが腰の後ろに回している手には銃器が握られている可能性も十分考えられる。そんな彼らを相手に、正面突破を試みるのはあまりにも無謀というものであろう。
「……ここは、ワタシに任せてもらえませんか?」
そう言いながら、一歩前へと足を踏み出すフィルエッテ。
「フィルエッテ……⁉︎ でもここで戦って、上にいる剛三郎にバレたら――」
「ご安心を。要は、戦闘すら起こさなければいいだけの話です」
フィルエッテは地面に手を当てると、一瞬だけ稲光りのような閃光が疾る。が、特に何かが起きたようには諏方には見えない。
「いったい何を――」
「――しっ。少しお静かに……」
瞳を閉じ、何かに集中し始める灰ローブの少女。
しばしの静寂が訪れ、空気が鉛のように重たく感じる。
それから一分ほども経たぬ後――、
「――ん? なんだ?」
入り口を見張っていた黒服の男たちの足元から、突然薄い紫色の光が浮かび上がった。
「罠魔法――捕縛の型!」
魔法名を告げると同時に、紫の光から魔法陣が地面に浮かび、そこから鎖が飛び出て黒服の男たちの身体を一瞬にして縛り上げた。
「なっ――むぐっ⁉︎」
口にも鎖が巻かれ、言葉を発せなくなったまま男たちの身体が地面に倒される。あっという間に、二人の男たちは鎖で拘束されてしまったのだった。
「すごい……でも、フィルエッテの魔法はあらかじめ魔法陣をセットする魔法じゃなかったっけ?」
敵の身動きが封じられた事により、諏方たちは安全に正面入り口の方へと進んでいく。黒服の男たちは鎖をほどこうと必死にもがいているが、かなりキツめに巻かれた鎖は彼らの解放を許さなかった。
「強力なトラップを設置するにはそれなりの時間が必要となりますが、簡易的なトラップならすぐに魔法陣を生成する事ができます。あの場で目に見えない魔法陣を生成した後、それらを彼らの足元にまで移動し、捕縛用のトラップ魔法を展開したのです」
「トラップ魔法は元々、狩猟を目的とした魔法ですからね。それにしても、すぐその場でトラップ用の魔法陣を生成できる魔法使いはなかなかいないので、やっぱりフィルちゃんはすごいです!」
自分のことのように嬉しそうにしている妹弟子。
諏方は目の前の灰ローブの少女が日傘の魔女でさえ天才と認めるほどの実力者であったのだと、改めて感心させられた。
「さて、正面からこのまま入れそうではありますが……」
自動ドアはご丁寧に開き、フィルエッテが先頭となって一歩建物内へと踏み入れる。普段は受付の女性たちが出迎えたり、社員たちが行き交う一階のホールは暗闇に覆われ、人の気配は一切感じられない。が、それ以上彼女は進まず、腰を曲げて床へと手を触れる。
「…………一階を除き、各階に二名ずつ、計十八名の黒服の男性たちが配備されていますね。それぞれが、大きめの銃器を携帯しています」
フィルエッテの言う通りだとしたら、すんなりと屋上にたどり着くのは至難と言っていいだろう。二人ずつとはいえ、それぞれ銃を構えているのだ。若返った状態ならいざ知らず、今の諏方の年齢では体力も乏しく、丸腰でかなうような相手ではない。
「ステルス魔法を使って、こっそりと上に昇れないかな?」
「それも可能ではありますが……屋上で何かあった時に彼らに駆けつけられるのは面倒かと」
言いながらフィルエッテの周囲が、先ほどの紫色の光で淡く光りだした。
「十八人……今のワタシの残存魔力ギリギリになってしまいますが、いけます……! トラップ魔法――ハンター・モード!」
再び紫の稲光りが疾り――、
「――うおっ⁉︎ なんなんだ、この鎖――ぐっ!」
「がっ……身体が縛られ――」
「んぐっ⁉︎ んぐぐぐッ――⁉︎」
上の階から、複数の男たちの叫び声が聞こえたのだった。
「ふぅ……上の階のマフィアたちも、同様にトラップ魔法の鎖で拘束しました。これで各階のマフィアたちは制圧済み。今の内に、屋上へと昇っていきま――ぐっ……!」
「フィルエッテ⁉︎」
ふいに少女がその場で倒れそうになり、諏方があわてて彼女の身体を支える。
「ありがとうございます……残りの魔力が少なくなった事で起こる目まいですが、それほどつらいというわけでもないのでお気遣いなく。それよりも……」
「――――ッッ⁉︎」
今度は諏方の方が倒れそうになり、彼の身体をフィルエッテが抱きしめあげる。
「すまない…………身体が……急に熱くなって……」
「おそらく、身体が元に戻る――いえ、また再び若返る前の兆候が起きているのでしょう。シャル! エレベーターは動かせる?」
「ダメです! エレベーターの方には電源が通ってません!」
あらかじめ打ち合わせはしていたのだろう。建物に入ると同時に、シャルエッテはエレベーターが動かないか調べていたのだ。
「そこまで都合よくはいかないわね……シャル、諏方さんの左片方の肩を支えてあげて。二人で諏方さんを屋上に運ぶわよ」
シャルエッテはすぐさま諏方の左横に回り、フィルエッテと共に彼の両腕を肩に乗せて身体を支える。
「す……すまないね……」
「いえ。十二時まであと十分……必ず、時間までに貴方を屋上まで連れて行ってあげます……!」
「スガタさんは少しでも休んでください。わたしももう少しで戦えるほどの魔力が回復するので、スガタさんをサポートしてみせます!」
二人の少女の励ましの言葉に安心感を覚える。出会いこそいろいろなトラブルを伴ってのものであったが、それでも彼女たちに出会えてよかったと、諏方は心の底から彼女たちに感謝したのだ。
「二人とも、頼むね…………」
屋上までの道を彼女たちに託し、諏方はゆっくりと瞳を閉じる。
――身体は依然に熱く発熱し、
――そして、黒澤諏方はしばしの夢を幻視る。




