第13話 裏社会と魔法使い
「何度調べても、若返りの魔法の理論構造が未だにつかめないわね。構築理論さえ定まれば、薬の影響も一気に安定しやすくなるのだけど……ハァ、今からでもあなたが魔法を使った時の様子が見てみたかったわ、シャル」
「えへへ……なにぶん、気合いと根性だけで成功してしまったので」
諏方が小鳥との連絡を終え、無事に眠ったのを確認した後、シャルエッテとフィルエッテは彼の部屋をあとにして二人で話し合いながら階段を降りていく。
「褒めてないわよ。そもそも、気合いと根性だけで最上級クラスの魔法を成立させられたんじゃ、マジメに魔法の勉強をしてきたワタシがバカみたいじゃない」
「ぬぅ、わたしだってちゃんと勉強してますぅ――って、あれ?」
階段を降りてリビングに入ると、テレビの前のソファで一人の少女がうずくまって座っているのが見えた。彼女の周囲はまるで薄暗闇に包まれたかのように、重苦しい空気が漂っている。
「うわー、わかりやすいぐらいへこんでますねぇ……」
「……無理もないわね。我慢してた気持ちを口にしてしまって、自己嫌悪に襲われているのでしょう。ここはそっとしてあげるべきね……って、シャル⁉︎」
言い終わる前に、シャルエッテは勢いよく少女の隣へと座り、彼女を見つめた。
「…………一人にしてよ」
「いいえ! 今のシロガネさんは、いじけてるから構ってよモードと判定しました!」
「ハァ……」っと呆れ気味なため息をこぼしながらも、突っ伏していた顔の目元がわずかに見える程度に白鐘の頭が上がる。目は赤く腫れあがり、頬にはさっきまで流れていたであろう涙の跡が残っていた。
「……キャラじゃないよね。お父さんとケンカしてるわけじゃないのに、あんな大声で叫んじゃうなんて……」
やはり、彼女は先ほど父親に大声で怒鳴った事とその内容に、自分で傷ついてしまっていたようだった。
「……自分でもわからないの。お父さんが元の年齢に戻って、どこの誰と仲良くしてようがあたしには関係ないはずなのに……ずっと心が痛くて、でも我慢しようって、知らなかったフリをしようって思ってたのに……お父さんが熱で倒れて、頭が混乱して、でもお父さんは自分の事より他人の事ばかり心配してるの見たら、頭が爆発しそうになって…………ほんと、あたしってバカみたい」
思いつく限りの想いを吐露する白鐘。今の彼女が口にしている言葉は、一切の偽りなく本心から来てるものであろう。
――ここまで本心をさらけ出した白鐘を、シャルエッテは初めて見た。
本来なら戸惑うべき場面であったかもしれない。しかし自然と、シャルエッテの頭には彼女にかけるべき言葉がすぐに浮かんだ。
「いいんじゃないですか? たまにはスガタさんの前で、思いっきり本心叫んじゃっても」
先ほどまでどんよりとしていた白鐘が、シャルエッテのあっけらかんとしたセリフにしばし唖然としてしまう。横で見守っていたフィルエッテも『何言ってんのよ、アンタ⁉︎』と言いかねないくらい顔をこわばらせていた。
しかし、そんな二人に構わずシャルエッテは言葉を続ける。
「えーと、ペルー……なんでしたっけ? ……ともかく! スガタさんが前に教えてくれたんです。人は誰でも、他人に対して仮面を被っている。たとえそれが、家族や友人のように親しい間柄であっても……」
「…………」
「でも、仮面は決して偽りの姿ではなくて、その仮面もまたその人自身の一部だって。わたしが白鐘さんに見せる仮面、フィルちゃんに見せる仮面、スガタさんに見せる仮面はそれぞれ違っても、どれもがわたし自身を形作る仮面なんです……!」
「…………」
「だからシロガネさんも、スガタさんの前ではなるべくカッコいい仮面を被っていようと思ってたんですよね? わかりますよ。わたしもフィルちゃんやお師匠さまの前では、一人前になったところを見せようと必死でしたから……まあ、今でも半人前以下だとは自覚してますけど……」
「…………」
「でもいいじゃないですか? カッコいい仮面を脱いで、ありのままのシロガネさんをスガタさんの前にさらけ出す時がたまにあったって。それがシロガネさんにとって、すごく恥ずかしい事だというのはわかります。でも、スガタさんはシロガネさんのお父さんですもの。シロガネさんのどんな恥ずかしい部分だって、スガタさんは受け入れてくれますよ」
わずか三ヶ月という期間ではあるが、シャルエッテは諏方の優しさも白鐘の優しさも、十分なほどに触れて理解している。たしかに今回白鐘が父親に対して放った言葉は、決して彼女が父親相手に見せたくなかった本心なのであろう。
だが、そんな本心を見たとて、父親である諏方が彼女を嫌うはずもない――そうであるという自信を、シャルエッテは確信を持って白鐘に伝えたのだった。
「……そういうシャルちゃんのお節介なところ、あたし嫌いだから……」
目にまだ涙が残ったまま、頬を膨らませてそっぽを向く白鐘。
「わたしはそういうツンケンしたシロガネさんも、怒鳴っちゃった後にいじけちゃいながらも反省してるシロガネさんも、だーい好きですよ!」
うずくまる身体を包みこむように、シャルエッテが白鐘を優しく抱きしめる。彼女は変わらずふくれっつらのままだったが、嫌がって振りほどくようなそぶりはしなかった。
横で終始ヒヤヒヤしながら見てたフィルエッテも、シャルエッテの抱擁力に感心しつつ、安堵のため息を吐く。
一時的にヒリついた黒澤家の空気は、一人の魔法使いの少女のおかげでまた穏やかなものに戻っていったのであった。
◯
「ほう……ぬいぐるみ集めがご趣味なのですね、藤森小鳥さんは?」
後頭部に銃口を突きつけられた家の主とともに、剛三郎は彼女の家のリビングへと足を踏み込む。
少女趣味チックなファンシーな雰囲気のリビングの棚には、ぎっしりとあらゆる種のどうぶつやキャラクターのぬいぐるみが並べられており、その一つ一つを舐めるように剛三郎は眺めていた。
「……な、なんなんですか、あなたたちは……?」
銃を向けられた事による恐怖に耐えながら、恐る恐る小鳥が彼らに問う。
黒服の明らかに一般人とは思えない外見の男たちに銃を構えられるという、あまりにも非現実的な状況に彼女の頭はすでにパニック寸前だった。それでも下手に騒げば銃で撃たれるかもしれない恐怖が、ギリギリ小鳥に冷静さを与えている。
とはいえ、当然彼女にこのような状況に追い込まれるような身に覚えはなく、こうして震える声で彼らにたずねる事しかできなかった。
「……まったく、いい歳した女がぬいぐるみ集めなどと、身の丈に合わない趣味を持つというのは実に気持ちが悪いというものですね」
だが、剛三郎は彼女の問いには答えず、室内で葉巻の煙をふかしたまま、棚からブタのぬいぐるみを一体手につかんだ。
「なっ⁉︎ ぬいぐるみたちには触らないで――」
ぬいぐるみを彼の手から引き離すために前に出ようとした小鳥に、ジャキッと銃が構えられる音が彼女の身体を引き止める。そんな彼女を一瞥すらせず、剛三郎はブタのぬいぐるみの両手を引っぱるように握りしめた。
「まったく……気持ち悪いんですよッ!! ぬいぐるみを愛でるのを許されるのはせいぜい小学生まで! それを自覚もできないまま大人になった勘違いババアどもがぬいぐるみを集めるなどと、気色が悪すぎて吐き気がする!」
いきなり剛三郎は大声をあげて、ぬいぐるみの腕を横に引っぱってそのまま左腕を引きちぎった。
「っ――⁉︎ ひどい、ブーちゃんが⁉︎」
引きちぎられた左腕からワタが飛び出し、部屋の空中へと舞い上がる。そのまま剛三郎はブーちゃんを床に叩きつけるように投げ捨て、頭を左足で踏みつけたのだった。
「ひどい……! どうしてこんな……」
銃を向けられているのも忘れ、小鳥はその場で膝を折ってしまう。
「あなたも成人した女ならわきまえなさい? 適齢期を過ぎた趣味ほど、おぞましいものはこの世にないとね」
冷たい瞳で小鳥を見下ろしながら、再び葉巻の煙を口にふくませる。
「おっと、ボクが何者か、でしたよね? 申し遅れました……ボクは黒澤剛三郎。あなたの上司である黒澤諏方の叔父にあたります」
先ほどまでの激昂した表情から不気味な笑顔に仮面を貼り替え、剛三郎は自身の名を彼女に告げる。
「係長の……叔父さん……? なんなんですか、あなたの目的は……?」
恐怖と悲しみがない混ぜになった涙を流しながら、再び彼を問いただす小鳥。だが――、
「藤森小鳥さん、あなたは――魔法を信じますか?」
――質問には答えず、急に宗教勧誘の誘い口のような言葉で、彼は小鳥に問い返す。
「魔法……何を言って?」
「我々裏社会の人間のごく一部で聞かれる噂話なのですが……裏社会のさらに限られた一部の人間には、『魔法使い』と呼ばれる存在と関わる者もいるとされているのです」
「っ……?」
彼が何を言いたいのか要領を得られず、小鳥はただ呆然と彼の話を聞く事しかできなかった。
「古来よりは四大文明の時代から、秘密結社、宗教、政財界――あらゆる裏社会の一部では、常に魔法使いと関わってきた者がいたとされています。まあ、ボクのような深淵にほど遠い上澄み程度の人間では、関わる事もない話だと思っていたのですがね……。それとは別に、最近隣町である城山市でいくつか聞く噂話もあるのですよ」
未だに彼の言葉を理解できずじまいであったが、銃を突きつけられてる現状では小鳥も何も言う事ができないでいる。
「大企業である加賀宮グループが、汚職事件で一家全員逮捕された事件はニュースで聞いていますよね? さらには幼い少女たちを中心に誘拐された『路地裏の魔女』という都市伝説、城山高校の生徒教師を含めたほとんどの人間が昏睡したというガス漏れ事故……いずれも、魔法使いが関わっているという噂話です。こちらに関してもボクは詳細を存じ上げませんが……ある筋の情報でね、これらを解決に導いたのが一人の不良少年であるとボクは聞いているのですよ」
「不良……少年……?」
魔法というファンタジーじみた話から一転、これらとは関わらなさそうな単語が出てきて、小鳥の疑問符はさらに増える。
「その少年もまた不思議な話でしてね……かつて城山市とここ桑扶市の二つの町を中心に活動していたという、ある伝説的な不良少年と外見の情報がほぼ一致しているという話なのですよ……その少年の名は――黒澤諏方」
「っ――⁉︎」
よもや、ここで上司の名が出る事など小鳥は予想もしていなかった。
「でも……係長は今、四十代のおじさまなのですよ? いくらなんでも、不良少年と見間違えるだなんて――」
「――察しが悪いですねぇ? 魔法というものをボクも詳しくは知りませんが、こういうふうには考えられませんか? 黒澤諏方は魔法使いによって、一時的に若返る事ができるのだと……!」
「そんな……係長が……⁉︎」
あまりにも突拍子のない話ではある。しかし、もし彼の言う通り魔法使いと呼ばれる者が実在しているのだとしたら、決してありえなくはない話ではあった。
「だが……理由はわかりませんが、今黒澤諏方は年齢通りの姿で活動している。人は誰しも老いを恐れるもの。若返る方法があるのだとしたら、元の年齢に戻る必要があるとは思えませんが……ともかく、どうせならボクは、若返った彼と再会したいのですよ。それにはキッカケというものが必要でしょ? そこで……あなたに協力してほしいのですよ?」
そう言って、剛三郎は再び小鳥に視線を向ける。その顔に貼り付けた笑みはあまりにも下卑ていて、見るだけで嫌悪感に蝕まれ、その場で吐き出してしまいそうなほどに醜悪であった。
「藤森小鳥さん、どうかボクと彼のために――さらわれてくれませんかね?」




