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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
銀色の復讐編
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第4話 後輩

「ネクタイよし……スーツよし……髪型のセットよし……」


 小鳥さえずる快晴の朝。自室の鏡の前で服装と髪型のチェック――昨夜の就寝前から何度も繰り返した儀式を、諏方は起床後もなお入念に行っていた。


「……昔は朝食を食べてから上着とネクタイを着用していたものだが、久しぶりの出勤ともなると早めにスーツを着たくなってしまうものだな」


 二ヶ月ぶりとなる会社への出勤。多少ゆるさを感じさせた学校の制服(ブレザー)とは違い、スーツは着るだけで自然と身も心も引き締まっていく。


 高校生から一気に社会人へ――当然、ある程度の節操のなさが許される若者ではなくなった以上、節度ある行動を普段から心がけるための適度な緊張を身に纏うように精神(こころ)のスイッチが自動的に切り替わるのを、諏方はスーツを着るという行為をもってその身に実感するのであった。


「……はは、ちょっとした怖さと高揚感……二ヶ月休んでただけなのに、まるで気分は新卒の新入社員みたいだ」


 自嘲気味に笑いつつ、諏方は再度鏡に映る自身ので立ちを確認し、自室を出て階段を降り、廊下の途中にある仏間へと入っていく。


 ――妻の写真が飾られた仏壇に手を合わせる。昔からの日課であり、若返って以降ももちろん欠かす事はなかったのだが、それでもこうして元の年齢に戻ると心機一転したような気分になり、妻への祈りもいつも以上に強い気持ちがこもっていた。


 諏方は日課を終えると、仏間を出てそのまま食卓の方へと向かう。入る前からすでにコーヒーの落ち着いた香りが鼻腔をくすぐってくる。


 テーブルの上には大きめのプレートと小さめのプレートが二皿ずつ。大きい方にはスクランブルエッグとウィンナーが二本に付け合わせのサラダ。小さい方にはこんがり焼かれたトースト。


 まるでホテルの朝食のようなラインナップは、見るだけでも心を(おど)らせてくれる。


「おはよう、お父さん」


 ちょうど支度を終えたところであろう、白鐘がエプロンを外しながら、キッチンから食卓へと入ってくる。


「おはよう、白鐘」


 諏方は自身の声を意識した事はなかったが、若いころよりも低く渋みのある声調せいちょうで娘に挨拶ができて、ようやく久しぶりに父親として娘に接しているような気分になっていった。


 ――心なしか、娘の笑みにも穏やかさが戻ったようにも見える。


「シャルエッテたちはまだ帰ってきてないのかい?」


「今日は二人とも、進の家から直接学校に行くってメッセージアプリに連絡が来てた。制服も魔法でなんとかするって。一応、二人の分のお弁当も作ってあるけどね」


 キッチンの方に目を向けると、四つの弁当箱がそれぞれ色の違う布にくるまれた状態で置かれているのが見えた。


「そうか……僕は今日は学校でじゃなく、会社で白鐘の作ってくれたお弁当を食べるんだね……」


 慣れとは恐ろしいもので、たった二ヶ月とはいえ、白鐘たちと弁当を囲えないという事実に諏方は思わず違和感を抱いてしまう。


 父親が一瞬沈んだような表情になったのを娘は見逃さず、彼女は呆れのため息を吐きつつ、


「別にお弁当をどこで食べたって味は一緒でしょ? それに、後輩にあたしの作るお弁当のファンがいるってよく自慢してたじゃない?」


 っと、テーブルに置かれたコーヒーをすすりながら、彼女なりのフォローの言葉を父に向けて口にする。


 そういえばと、娘の弁当のファンであると公言していた後輩の女子社員がいたのを諏方は思い出す。


「そっか……今日は久々に彼女とも会えるのか……」


 まるで子犬のように懐いてくれていた後輩の存在を思い出し、自然と顔がほころんでしまう。


「へー……女性だったんだ、その人」


 ジト目になった娘の視線に、気まずい空気が流れ出したのを察した諏方はあわててイスに座り、彼女が作ってくれた朝食に手をつける。


「うん……! 今日も白鐘の作った朝ご飯はおいしい!」


 上品げなメニューにみっともなくガブリつく父親の姿に娘はまた呆れるようなため息を吐くも、顔にはクスりと小さな笑みが浮かんでいた。


「ほんと、いくつになってもお父さんはごまかすのが下手なんだから……」


「うぅ……」


 ――やっぱり四郎に(わかく)なっても諏方(おとな)に戻っても、(白鐘)には(かな)わないな。


 どんな年齢になっても、こうしていつものように変わらずに接してくれる娘の優し()さに触れる事ができて、諏方は改めて白鐘に心の中でお礼を言うのであった。




   ◯




 城山駅から隣の桑扶駅まで電車に乗って数分。オフィスビルも多く立ち並ぶこの場所は、早朝ならば必然スーツを着たサラリーマンの姿を多く見る事になる。


 そんな働く者(サラリーマン)たちの中の一人に久方ぶりに混ざる事ができて、諏方は心の中で感動の涙を流していた。


「あんなに面倒だった出勤が、こうも嬉しく感じられる日が来るだなんて……人間、長生きしてみるもんだねぇ……」


 つい昨日まで高校生のフリをしていたとは思えないぐらいオッサンくさいセリフを吐きながら、諏方はつい二ヶ月前まで平日毎日歩いていた会社への道のりを、一歩一歩強く踏みしめながら進んでいく。周りを歩く同族(サラリーマン)たちは不審者を見るような目で彼を見ているが、そんな視線も今の彼には痛くも感じなかった。


 ――会社に着いたら何をするか。社長や部長などにはすでに姉貴から連絡が入ってはいるが、それ以外の社員にはまだ復帰する事を伝えていない。二ヶ月ぶりにしれっと空いていたはずのデスクに自分が座っていたら、みんなはどんな反応をしてくれるだろうか……。


 いろんな妄想が頭の中をぐるぐると回る。――まあ多少は驚かれるだろうけど、特段騒がれるほどのものでもないだろう――っと、心のどこかで冷めたような心持ちでいつつも、それでも職場の仲間たちに久しぶりに会えるのが諏方は楽しみで仕方なかった。






「――――黒澤……係長……?」






 ――そういえば僕、一応係長だったな――などと自分の役職を今さら思い出しつつ、後ろからかけられた懐かしい女性の声に、諏方は驚きながら振り返る。


 夏用の茶色い薄手のコートを羽織ったその女性は、長い黒髪に丸いメガネが特徴的で一見地味めながらも、よく見ると目鼻が整った可愛い寄りの美人な顔だちをしていた。


「……藤森(ふじもり)さん、久しぶりだね……!」


 藤森と呼ばれた女性は今にも泣きそうなほどに瞳をうるませながら、自身の上司の元へと駆け寄った。


「久しぶりだね――じゃないですよ! 二ヶ月も休んで、私がどれだけ心配してたか……」


 眼に少し涙をためながら、怒ったような表情で彼女は諏方を見上げる。


 藤森は諏方と同じ会社に勤めるOLであり、今年入社したての新人でもあった。


 諏方が若返るまで二週間ほどの交流しかなかったものの、同じ営業部の教育係として諏方自身が彼女の直属の上司であった事と、彼女の第一印象(おとなしそう)に反しての持ち前の明るさとコミュニケーション能力のおかげで、わずかな期間で二人はすっかり打ち解け合っていた。


 歳は離れていながらも、二人の距離感はどちらかといえば部活の先輩後輩のような、上司と部下ではあるが友人にも近い関係性であったのだ。


「実は昨日、緊急で復帰する事が決まってね……それで報告が遅れたんだ」


「っ……! それじゃあ、また係長と一緒に営業に回れるのでしょうか?」


 見上げる藤森の瞳がキラキラと輝きだす。わずかな期間でしか彼女の面倒を見られなかったが、それでも彼女の営業職としての立ち回りの上手さを諏方はよく理解している。彼女の営業に何度か同行していた彼も、気づけば彼女との外回りは仕事の楽しみの一つとなっていた。


 だからこそ、諏方は少し気まずげな表情で藤森から目線を逸らしてしまう。


「ああ……実はね、復帰できるのは一時的であって、一週間後にはまた休まなきゃいけないんだ……」


「ええ……もしかして、深刻な病気とかですか?」


「うーん……病気といえば厳密には違うんだけど……まあ、それには近いかな……?」


「そうですか……」


 実に残念そうに、藤森は落胆した表情でうつむいてしまう。


 新人が自身との仕事を楽しみにしてくれていたのは嬉しく感じるも、その分また自分がいなくなってしまっては驚かせてしまうだろうと、諏方はあらかじめそうなる事を藤森に告げたのだが、思っていた以上の彼女の悲しげな姿に戸惑ってしまう。


「ま、まあ……一週間はまた面倒を見てあげられるから、その間に藤森さんのスキルアップを――」




「――つまり、係長の娘さんのお弁当を楽しめるのも一週間きりなんですね……⁉︎」

「いや残念がってるのそこかい!」


「当たり前じゃないですか。私、係長の娘さんの作るお弁当の大ファンなんですから!」

「けっこう図々(ずうずう)しいとこあるよね、君⁉︎」




 二ヶ月も会っていなかったためか諏方自身も忘れていた事だが、彼女は真面目そうに見えて案外変なところでブッこむタイプだというのを彼はここにきてようやく思い出した。


「ふふ、冗談ですよ……半分は」

「半分は本当なんだね⁉︎」


 クスクスと笑うメガネの美人後輩。二十近く年が離れているのに、上司の方が部下に手玉に取られる形になってしまっていた。


「もう半分は……やっぱり嬉しいんです。一週間だけでも、また係長と一緒にお仕事ができるんですから」


「……っ」


 その言葉自体は、素直な彼女の気持ちなのであろう。思わず照れくさくなってしまい、諏方は顔を赤らめてしまう。


「そうと決まれば、急いで会社に向かいましょう! 私以外にも、係長を待ってる人はいっぱいいますから……!」


 小走りで先を進んでいく元気な後輩。自身を慕ってくれる部下の存在を嬉しく思いながら、諏方は改めて元の年齢に戻れてよかったと、薬を作ってくれた二人の魔法使いの少女たちに心の底から感謝するのであった。




   ◯




 藤森とともに十分ほど歩き、諏方は自身が勤める十階建てのオフィスビルへと二ヶ月ぶりに到着する。


 それほど大きい規模の会社ではないが、残業少なく給与もそれなりにもらえるホワイト寄りな体制の今の会社が諏方はけっこう気に入っていた。性格の悪い社員もあまりおらず、社内でのトラブルも比較的少ない。仕事内容も多すぎず少なすぎず、やりがいを感じられるものであった。


 たった一週間であっても、何か会社のためにできる事をやっていこう――諏方は自身に気合いを入れつつ、部下と一緒に入り口の自動扉を通っていく。


 入り口から先には受付があり、そこにはいつも女性社員が二人、他の会社員や外から来た客たちの応対をしてくれている。


 諏方は受付嬢たちに久方ぶりに軽く挨拶していこうと受付の方に向かうも、そこに一人の男性が立っているのを目撃する。男性は不機嫌そうな顔で受付嬢に向かって怒鳴り気味に何かをたずねているようで、二人の受付嬢は共に困った様子で彼に対応していた。


 明らかに状況は不穏げなもので、他の社員たちは関わり合いにならないよう、萎縮したような姿勢で男性の後ろを気まずげに通りすがっていく。


「なんでしょう、あの男の人……って、黒澤係長――?」


 男性を見つめる諏方の目が見開く――っと、受付嬢に怒鳴っていた男性が彼の存在に気づき、一瞬で不機嫌そうな顔に生理的嫌悪を感じさせる笑みが貼り付いた。






「――やあ、久しぶりだね、諏方くん……ようやく、君に会う事ができた」






 黒いスーツに中折れ帽(フェドラ)を被った小太りの男性――その男の姿を認識した瞬間、諏方の意識(りせい)がプツリと切れた。

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