第3話 やっと君に言える言葉
「うおお……本当に元に戻ってる……」
諏方は一旦自室へと戻り、身体が大きくなってサイズの合わなくなった服を脱ぎ捨て、二ヶ月ぶりに大人用のサイズの服へと着替える。部屋のすみに置かれた縦長の鏡の前に立ち、映し出された年老いし自身の姿を再確認して、元の姿に戻った事を彼は改めて実感するのであった。
「身体全体も重い……こうしていきなり老いると、若いころの身軽さが少し惜しく感じるね。でも……」
自身でも何がおかしいのか彼はわからないでいるが、気づけば笑みが自然とこぼれていた。
「――なぜだかわからないけど、今はこの重さも愛おしく感じるよ……」
◯
「っ……! どうでしょうか、気分の方は?」
着替えを終え、階段を降りると三人の少女たちが諏方を出迎える。白鐘は泣き止んだのか、無言でキッチンに立ち、夕食の支度を進めてくれていた。
「心配してくれてありがとう、フィルエッテ。今のところ、気分が悪いとかはないよ」
「それはよかった……もしよろしければ、胸の方を触らせていただけますでしょうか?」
「え! おっぱい触るの⁉︎」
「……なっ⁉︎ ち、違いますよ! 今の状態を確かめるために触診を行うだけで、別にやましい事などは――」
「あはは、冗談だって」
「もう……」と呆れ気味ながらも顔を赤くするフィルエッテ。ごめんごめんと謝りつつ、諏方は彼女の目の前に立つ。
フィルエッテは彼の胸の中心に手を添えて、瞳を閉じ、集中する。少しして、彼女の手がほんのりと淡く輝き出した。
「体内の魔力、心拍数ともに驚くほど良好ですね……通常なら、急な肉体変化に身体の内側はついていけず、内臓器官などある程度は傷んでしまうものなのですが……調べた限り、今のところ異常は見当たりませんね」
光が消え、フィルエッテ流健康診断の結果を耳にし、諏方は安堵の息をついた。
「おそらくは、諏方さんの言う呼吸法などによって、内部の気が安定しているのでしょう。……魔法という文化を持たなかったがゆえの、人間独自の技術進化には改めて驚かされます」
感心したように一人うなずくフィルエッテ――まあ、呼吸法は誰にでもできるわけじゃないんだが――と諏方はツッコミたいのを抑えつつ、視線を隣に立っているもう一人の魔法使いの少女へと移す。
「ところで……白鐘はともかく、なんでシャルエッテまで泣いてるんだい?」
シャルエッテはティッシュを鼻元まで置いてズビズビと鼻を鳴らしながら、なぜか涙ぐんだ瞳で諏方を見つめていた。
「みっどもないどころをお見ぜじてごめんばばい……でも、実験が上手く成功したのが嬉じぐて。それに……今のスガタさんが、川で溺れていた時のわたしを助けてくれた時のスガタさんだと思うと、よけいに嬉しく感じちゃうんです……!」
鼻をかみ終え、はにかんだ笑みを恩人に向けるシャルエッテ。――思えば、彼女を川から助けたあの時から、全てが始まったんだな――と、諏方は感慨ふけってしまう。
もう一人の少女――進は、依然驚いたような顔のまま、相変わらず狼のぬいぐるみを抱きしめていた。
「いやー……親父の件でファンタジーな光景は見慣れたつもりでいたけど、改めて目の前にすると現実感わかなくなるもんだねぇ……」
「はは……でも気持ちはわかるかな。僕も未だに、自分がさっきまで若返ってたのが夢なんじゃないかと、ちょっとポワポワした気分でいるんだ……」
地に足が着いていないという感覚を、諏方は初めてその身で感じていた。まるで長い夢から覚めたような、そんな不可思議な感覚――。
「――で、明日からどうすんの、お父さん? まさか、その見た目で学校に行くだなんて言わないでしょ?」
支度がある程度済んだのか、ミトンを取り外しながら再びリビングへと入る白鐘。
「もちろん、また若返った姿に戻るまでの一週間の間は学校を休むさ。とはいえ……なんも考えずに元に戻ってしまったから、これからどうしたもんか――」
考え込もうとして、ふと諏方はある事を思いつき、素早くスマホを取り出した。
「もしもし、姉貴? 実は……うん……そういう事だから……可能かな…………本当か⁉︎ ならお願いするよ。ありがとう!」
諏方は姉である椿に連絡を入れ、やり取りを終えると笑顔で少女たちに振り向く。
「明日から、職場復帰する事になったよ……!」
彼が姉に頼んだのは、若返る前に勤めていた会社への職場復帰の手続きだった。
現在、諏方は椿のはからいで、長期休暇という形で会社を辞めないまま仕事を休んでいる。さすがに若返った状態では仕事をするわけにもいかず、椿が緊急で代理を手配してくれていたようで、この二ヶ月間諏方は仕事を休みつつ学校へと行けていたのだ。
だが、こうして元の年齢に戻れたのであれば、当然会社を休む理由もなくなる。何より――、
――一週間でも働ければ、その分白鐘にぬいぐるみを買うお金ぐらいは稼げるはずだ。
別段姉の援助金に手を借りずとも、残っている貯金からぬいぐるみ一個買うぐらいの余裕はもちろんまだある。しかし、諏方としては今働いて稼いだお金で、娘にプレゼントしたいという思いがあったのだ。
そう考えると、今ここで職場復帰できるのはまさにナイスタイミングといったところだろう。
「そう……一日ぐらい、ゆっくりしてけばいいのに」
まるで興味をなくしたかのようにそっけない表情で、白鐘はまたキッチンの方へと向かって踵を返してしまった。
「あー……えっと、何か気に触ること言っちゃったかな……?」
気まずげな空気をごまかすために力なく笑う諏方の様子に、二人のやり取りを眺めていた進が呆れのため息を吐き出す。しかしすぐに何か思いついたのか、彼女はコホンと一度咳払いを挟んだ後、
「シャルエッテちゃんにフィルエッテちゃん、今日は頑張ったご褒美に、お姉さんが夜ご飯をごちそうしちゃいましょう。ついでに、アタシん家に泊まりに来んしゃい」
「……っ? でも、もうすぐシロガネさんのご飯ができちゃいますよ?」
突然の提案に、シャルエッテははてなマークを大量に浮かべながら首をかしげる。しかし、進が何をしたいのかを察したフィルエッテは、彼女と同じように一度咳払いしてから、
「いえ、シャル……せっかくですし、ここは進さんに甘えちゃいましょう」
「ふえ⁉︎ 謙虚に足が付いて歩いてるようなフィルちゃんが甘えるだなんて……まさか、また暗示魔法にかかって――」
「――んなわけないでしょ! それじゃあ、今夜はシャル共々お世話になります、進さん」
「おう、どんとお世話になりなさい!」
あらよあらよと話が進み、足早に黒澤家をあとにしようとする三人を諏方と白鐘はポカーンと眺めていた。
「んじゃ、今日は親子水入らずでごゆっくりー」
ニヤニヤとした笑顔で進がそう告げて、未だに目的がわかっていないシャルエッテを強引に引っぱりながら、三人はそのまま黒澤家から去って行ってしまった。
「「っ……」」
三人の少女たちが去った後も、黒澤父娘はしばらく無言で玄関先を見つめる。本来の主である二人だけが残された家の中は、実に気まずい空気が流れていた。
「……あ、あはは……まったく進ちゃんは、こういう時変な気配りをするんだから……」
「……ほんっと、余計な気遣いしちゃって。せっかく五人分のおかず作ってたのに、無駄に余らせちゃったじゃない……ま、明日の分に回せばいいんだけど」
ツーンとした表情で口を尖らせながら、白鐘は今度こそキッチンの方へと行ってしまった。
「…………」
――考えてみれば、シャルエッテが我が家に居候する事になってから、娘と家で二人っきりになるのはこれが初めてか……。
明朗快活な魔法使いの少女との同居以来、すっかり賑やかになっていた家の中が静かに落ち着いた空間になる。
「――本当に、お父さんだったんだね……」
料理の仕上げに取り掛かっていた白鐘は父に背中を向けたまま、まるで独り言のようにポツリと言葉を漏らした。
たしかに白鐘は、突然若返って家に帰ってきた諏方を今では父と認めてはいるも、直接は彼が若返った現場を目にしたわけではない。ゆえに、若返った父が元に戻る光景をその目で見てようやく、本当の意味で彼が父親である確証を得る事ができたのだった。
「っ……」
改めて自身が父親である事を確信したであろう娘に対し、だが彼には返す言葉がなかった。
この二ヶ月間、すっかり元の父娘仲に諏方は戻れたつもりでいたのだが、それでもこうして元に戻った自分の姿を目にした今の娘がどれほど複雑な心境でいるのかを、その心に触れるのが父は怖かったのだ。
――この一週間、僕は娘とどう接すればいいのだろうか――。
「――んで、何か食べたいおつまみでもある?」
ふいに白鐘が、少し呆れたような笑みで父に振り返りながらそう問うた。
「……え?」
「せっかく大人の姿に戻ったんだから、久々にお酒でも飲みたいでしょ? たしか……冷蔵庫にアジと大葉があるはずだから、なめろうぐらいなら作ってあげるわよ?」
「っ……」
諏方はしばらく無言で娘を見つめてしまう。今も複雑な心持ちでいよう彼女はなお、だらしない父親を呆れながらもかいがいしく世話していた、しっかりものの娘そのままでいてくれたのだ。
――本当に、強い子に育ってくれたんだなぁ……。
久しぶりに父親らしい姿に戻ったからであろうか、精神的に成長した娘の姿を目にして、より強く親として喜ばしく感じられたのだ。
「それじゃあ……お願いしてもいいかな?」
「はいはい。お父さんが若返ってから家にお酒残してなかったから、あたしがおつまみ作ってる間にコンビニにでも行って買ってきなよ?」
今にも泣きそうになってしまうのをこらえ、諏方はお酒を買うために立ち上がって玄関へと向かおうとする。
「あ! そうだ、白鐘……」
「ん?」
家を出る前に、せっかく元の姿に戻ったのだからと、諏方は改めて娘に告げたかった言葉を口にする。
「――ただいま、白鐘」
かつて若返った時にも、諏方は同じ言葉を娘に告げている。それでも、大人の姿に戻った今だからこそ、本当の意味で彼は心から「ただいま」と言える事ができたのだ。
「……いや、今から出かけるんだから、そこは行ってきますでしょ?」
「あ……」
言われてみれば今から外に出るのだから、帰ってきてから告げればよかったと、自身のミスに諏方は恥ずかしくなって顔を赤らめてしまう。
「……おかえり、お父さん」
「っ……!」
また呆れたようにため息をつきながらも、白鐘は微笑を浮かべながら、父に挨拶を返したのだった。
「……うん、本当にただいま……白鐘」
娘の返事を嬉しく思い、彼女に聞こえない小さな声でもう一度「ただいま」を口にした後、諏方は上機嫌のまま二ヶ月ぶりのお酒を買いに出かけたのであった。




