プロローグ 模範囚
「――朝から呑気にテレビなんか眺めやがって……囚人のくせにいいご身分だな?」
ホコリかぶった細いベッドに薄汚れたトイレ、窓一つしかない白い壁の部屋――白く分厚い扉の上部についた小窓越しから男性が部屋の中を確認し、他の同じような作りの部屋にはなかなか置かれていない『テレビ』を観てくつろいでいる小太りの男に声をかける。
灰色のみすぼらしいシャツとズボンに身を包んだ小太りの初老の男は窓から自身を睨む男性の存在を確認すると、にっこりと優しげな笑みを彼に返す。
「おはようございます、刑務官さん」
嫌味の言葉に一切反応せず、柔和な挨拶をする小太りの男に対し刑務官と呼ばれた男性の方が逆にイラつき、さらに強く男を睨みつける。
「っ……今からある場所に連れて行く。さっさと出てこい!」
「……ふふ、すぐに準備をしますね」
そう言って小太りの男はベッドから立ち上がり、テレビを消して軽く屈伸をした後に扉へと近づく。扉の外側から鍵が開けられ、警察官のような制服を着込んだ少し若めの青年に睨まれたまま小太りの男は部屋を出る。
「今日も気持ちのいい朝ですね、刑務官さん? ……さて、今日は刑務作業が免除されていると聞いていたのですが?」
「フン、わかっているくせに……釈放だ。預かっている荷物を受け渡す」
そう言って刑務官はさっさと廊下の先を歩いて行き、その後ろを小太りの男がついていく。
「……いくら模範囚だからといって、貴様のような凶悪犯罪者の早期釈放が認められるとはな……!」
刑務官は先ほどから明らかなイラ立ちを隠す事なく、前をズカズカと進んで行ってしまう。
「はは、ボクも模範囚と呼ばれるほど、自分が大層な人間だとは思っていないんですがねぇ……しかし、ボクもこの二十数年、ただ罪を償うために頑張ってきましたから……いやはや、早期釈放とはなんともありがたい話です……!」
「……チッ!」
さらなるイラ立ちで舌打ちするも、これ以上何を言ってもこの男には通じないと諦め、刑務官は口を閉ざしてしまった。
しばらく歩いた後、一室に通された小太りの男は案内をしてくれた男性含む複数の刑務官から、男が収監された当時身につけていた黒いスーツを渡されてそれに着替えた後、腕時計や指輪などの私物を一つ一つチェックし、返却される。
最後にスーツと同じ黒の中折れ帽が返され、それを被りながら先ほどの若めの刑務官に連れられ、刑務所の外へと出る。
刑務所と外の世界――二つの相反する世界を隔てる巨大な門。この境界線を通れば、男は犯罪者から一般人へと元に戻る。耳に響くセミの鳴き声は刑務所からでもよく聞こえたが、塀の外で聴く鳴き声は同じものでも心地よさが違って聞こえた。
「……お世話になりました、刑務官さん」
振り返り、門のそばに立つ刑務官にお辞儀をする男。先ほどまで厳しめの視線を送っていた刑務官ではあったが、小太りの男と接してた事で負う精神的負担から解放される事は喜ばしくもあり、安堵のため息を吐き出した。
「……月並みな言葉にはなるが、二度と戻ってくるなよ」
憎々しく思える男ではあったが、それでも最後はキレイに締めようと餞別の言葉を送る。
「……ふふ、努力させていただきます。――あ、そうそう」
長年居着いた刑務所から去る前に、何かを思い出したかのように男は再び刑務官に振り返る。――その瞳はとても邪悪で、
「――今日、あなたの息子さんの五才の誕生日でしたよね?」
「…………んなっ⁉︎」
刑務官は途端に青ざめ、その場でよろけて尻もちをつきそうになってしまう。
「なんで……なんで俺の息子の誕生日を……⁉︎ いや、そもそも息子がいる事をお前に喋った事すらないのに……」
「いやはや、風の噂で聞いただけですよぉ……それに、単に祝福の言葉を贈りたいだけであって、他意はございませんよ、むふふふ……」
聞くだけで鳥肌が立つような含み笑いの後、男の前に黒塗りのベンツが停まり、彼はそのまま後部座席へと乗っていく。
ベンツは走り去っていき、門の前には恐怖と悪寒で身体を震わす刑務官ただ一人が残されていった。
◯
「長年のお勤め、ご苦労様でした――剛三郎様」
運転席に座るサングラスをかけた黒服の男性が、信号待ちで停車してる間に剛三郎と呼ばれた後部座席の男に葉巻の入ったケースとジッポライターを渡す。小太りの男にとって数十年ぶりの葉巻ではあったが、彼は慣れた手つきでカチッとライターを灯し、火のついた葉巻の煙を口の中で味わい、吐き出していく。
「二十年以上ぶりに吸う葉巻の味は格別ですねぇ……それと、これがテレビでよく見たスマートフォンというやつですか。外に持ち出せる携帯電話というのにも昔は驚いたものですが、いやはや、時代の進みというのは面白いものですねぇ……」
葉巻とともに手渡されたスマホを剛三郎はニヤニヤと笑いながら操作する。まるで機械に初めて触った子供のようなはしゃぎぶりだった。
「――ああ、そうそう…… 黒澤諏方くんはご息災ですか?」
剛三郎の眼が怪しく光ったのを、バックミラー越しに黒服の男はすぐに気づいた。
「……黒澤諏方はすでに結婚しており、妻は亡くされていますが、娘と二人で現在城山市の一軒家にて暮らしております」
「……『娘』ですかぁ……『息子』でしたら、諏方くんと似てそれはそれは可愛い男の子になれましたでしょうに、なんとももったいない……」
落胆した様子を見せながら、男は再び葉巻を口にくわえる。
「……まあ、黒澤諏方くんがお元気なら何よりです。ふふ、また彼に会える事を何よりの目標に、二十年以上せまっ苦しい刑務所の中で自分を抑えてきたのですから……」
彼はかつて、幼い日の銀髪の少年と過ごしてきた日々を思い出す。
諏方の叔父である『黒澤剛三郎』――この男こそ、かつて両親を事故で亡くした幼いころの黒澤諏方を引き取り、虐待の日々を与えた男であった。
「その、お言葉ですが……黒澤諏方もすでに四十代を越えており、剛三郎様のお眼鏡にはすでにかなわないものかと……」
黒服の男は剛三郎の機嫌を損ねかねないと恐々としつつも、かつて彼が愛した少年の現状について改めて伝える。
「ボクもそれは重々承知ですよ……。ただ――面会人のお友達から、面白い噂話を聞いたのですよ」
ニヤリとした笑みを浮かべながら、剛三郎は初めて操作したはずのスマホの画面を運転席の黒服の男の前にかざす。画面にはネットニュースのサイトが表示されており、その表題には『かつて伝説と呼ばれた、不良の黄金時代を築いた三人の不良たち』と書かれた特集記事が載っていた。
その記事は昔あったサブカルな出来事を特集するタイプのもので、個人名は伏せられ、載っていた写真にもモザイクがかかっていたが、よく知る者ならその内の一枚に黒澤諏方であるとわかる写真がうつっていた。
「かつて『三巨頭』と呼ばれた伝説の不良、その一人である銀色の長い髪の少年が、城山市に再来している――とね……!」




