第28話 許しと感謝②
「ヴェルレイン・アンダースカイ……!」
拳を握りしめ、大木の枝に座っている『日傘の魔女』を強く睨み上げる諏方。視線の先にいる彼女はいつもの余裕のある笑みをたたえながら、諏方たち四人を楽しげに見下ろしていた。
「だ……誰、この人? ……絶対普通じゃない……⁉︎」
父親を抱き支えながら、少し青ざめた表情で進はそう問いかけた。初対面ながらも、ヴェルレインの放つ雰囲気は明らかに人ならざるものであると彼女も感じ取ったのであろう。
「あなたとは初めましてになるわね、天川進? 私はヴェルレイン・アンダースカイ。魔女……と言っても、あなたには伝わらないわよね? そうね……あなたのお父さんを怪物にした張本人――とでも言えばわかるかしら?」
「ッ――⁉︎ アンタが……親父を……!」
戸惑いの視線が怒りを込めたものに変わる。だが彼女に手を出してはいけないと本能が察知しているのか、悔しげに歯噛みするだけで進はそれ以上の行動には出なかった。
その様子をヴェルレインは楽しそうに眺めた後、瞳を気を失ったままの守へと移し、何かを観察するように彼をじっと見つめる。
「……通常、魔法使いからかけられた魔法は、かけた本人をもってしても解除するのは困難なはずだけれど……あの刺青の男や、黒澤諏方との戦いでダメージを受けた身体が魔力に耐えきれず、内側から霧散した……といったところかしら? 運がいいわね。彼、もう怪物にはならないわよ」
「ッ……! ……本当か?」
「これに関しては嘘をつく理由がないわ。むしろ、魔法使いを介さずに魔法が解除されたのを褒めているのよ。……まあ、精神が正常なままである保証はないけれどね」
「なっ――⁉︎」
「一時的に内側にある獣性に身体が乗っ取られたのだもの。心がグチャグチャに壊れていたっておかしくないわ? さらには肉体への限界を超えた負荷に、神経をつかさどる脳にも相当な負担がかかっているはず……最悪、すでに廃人になっているのも覚悟しておくことね」
憂うでも楽しむでもなく、ただ彼女は淡々と守の残酷な現状を告げる。
「テメェ……いい加減にしやがれよッ!! テメェの目的がなんなのか知らねえけどよ、そのためにどれだけの人を弄べば気が済むんだ、ゴラァッ⁉︎」
再び山の大気が震えだす。諏方の怒りはすでに限界を突破し、威圧感だけで周囲が押し潰されてしまいそうだった。
「……失礼ね。前回と前々回では明確な目的こそあれ、今回は本当に意味のない気まぐれよ。今回のために無駄に魔力を消失したとも言えるわ。……まあ、あれほど愛憎や欲望にまみれた争いもなかなか見れないもの。消費した魔力も微々たるものだし、お釣りとしては十分に楽しめたわ」
邪悪な微笑を浮かべる魔女。
ブチッ――っと、頭の血管が切れる音がした。
「降りてこいッ、クソ魔女ッ!! 今度こそ、本気でテメェをブチのめして――」
「――待ってくれ、諏方さん……!」
静止の声は、少年の背後から聞こえた――。
前に出ようとする足を踏みとどめ、諏方が後ろへ振り向くと、先ほどまで気を失っていた守が弱々しげながらも立ち上がっていたのが見えた。
「気がついたのか、守さんッ⁉︎」
あまりの驚きに、怒りが一気に吹っ飛んでしまう諏方。木の枝に座ったままのヴェルレインもまた、彼ほどではないが少し驚いたような表情を見せていた。
「親父⁉︎ 無理に動くんじゃねえ!」
「そうよ! 今はとにかく安静にして病院に――」
「――ありがとう、進、綾香ちゃん……。でも……あの人に、どうしても言わなきゃいけない事があるんだ……!」
そう言って守は自身を支える娘と綾香の手を優しく下ろして、ゆっくりながらも前へと進む。
「っ……」
諏方は声をかけられなかった。守の今の状態では、一歩先へ進むたびに脚に激痛が走っているであろう。それでも彼は木の枝に座る日傘をさした魔女を見つめながら、一歩一歩先を歩いているのだ。
彼は魔女に何かを伝えたいはず――それを察した諏方は何も言わず、ただ彼を見守るしかなかった。
「っ……占い師さん…………」
大木のそばまで歩き、弱っているとは思えないほどの力強い瞳で、改めて彼は占い師を見上げた。
「……フフ、恨み言でもぶつける気かしら? でも残念ね。私は魔女。数多の未熟な魔法使いたちの怨嗟の声を一身に受ける者……今さら人間ごときの呪詛をぶつけたところで――」
「――――ありがとうございました」
魔女含め、守を除くその場にいた誰もがポカーンとした表情を浮かべた。
「…………何を言っているのかしら?」
これまで見せた事のない魔女の戸惑いの声。それを一切気にする事なく、守は言葉を続ける。
「……僕を占ってもらったあの日、貴女がかけてくれた魔法のおかげで、僕は娘を救う事ができた。あの力がなければ、僕は娘を助ける事ができなかったかもしれない……」
守の言う通り、彼が獣化魔法で狼男にならなければ、圧倒的な暴力を持った赫羽根たちから娘を守る事はできなかったであろう。理性をなくし、親友である諏方にまで牙をむいてしまうほどの危険な魔法ではあったが、同時にこの力で大切な人を守れたのは事実でもあるのだ。
「貴女は僕を苦しませるためにおまじないをかけたのかもしれない……それでも、お礼を言わせてください。ありがとう……貴女のおかげで、僕は娘の命を守る事ができました……!」
普段のように穏やかでいて、しかしその声にはたしかな力強さを感じさせた。
「っ……」
お礼を言われてしまった魔女は、実に不服げな瞳で睨みつけるようにしばらく彼を見つめる。
「……本当にお気楽な人間ね。嫌いだわ……いつも私をからかっていたあの人の次ぐらいに……」
本人以外には聞き取れないほどに小さくつぶやかれた言葉。その後、彼女はつまらなさげにため息つく。
「興が削がれちゃった……黒澤諏方、やる気になっているところ悪いけれど、今回もこれ以上はあなたの相手はしてあげられないわ」
「ッ――また逃げる気かよ……!」
「ええ、私の計画を進行するうえで、あなたとの戦闘は必要としていないもの。それと朗報よ。私は計画を最終段階に進めるために忙しくなるから、しばらくはあなたたちにちょっかいをかけるのをやめてあげる」
「……なに?」
彼女の言葉が不明瞭すぎて、怪訝な眼差しを諏方はヴェルレインに向ける。気を取り直したのか彼女の表情には、いつものような妖しい笑みが戻っていた。
「もしかしたら、あなたとこうして会うのもここで最後になるかもしれないわね……。でも、もし次会うような事があればそうね…………その時は、あなたの望み通りに決着をつける事も考えてあげるわ」
――魔女から静かな威圧感が放たれる。激しさをともなう赫羽根のものとは違い、それはあまりにも自然的であるのに、諏方以外は息の呑まなければそのまま気を失いかねないほどの圧迫感があった。
「…………」
「…………」
しばらく無言で視線を交わす諏方とヴェルレイン。互いの瞳にはどんな思いが込められているのか、それを知り得るのは二人以外にいない。
「……それじゃあ名残惜しいけど、今回はここでさよならね。願わくば、あなたとは再会しない事を祈ってあげる……お互いのためにね」
そう言い残して、風にさらわれるように魔女の姿は一瞬で消えていった。
「…………次に会った時が、決着……」
これまでさんざん諏方やその周りを自分のために利用し、弄んだ魔女の言葉はしかし、不思議と嘘をついているようには感じられなかった。
ヴェルレインがいなくなった後も、諏方はしばらく彼女が座っていた大木を静かに見つめる。
「……っ!」
「ッ――! 守さんっ⁉︎」
緊張の糸が途切れたのか、その場で倒れそうになった守をあわてて諏方が駆け寄り、彼の身体を支える。
「ははは……すまないね、諏方さん……みっともない姿を見せちゃって……」
「……んな事ねえよ。娘を守るために戦った守さんは、最高にカッコよかったぜ……!」
身体を支えながら肩を叩き、彼の健闘を讃える諏方。そんな守の元に、進と綾香も泣きそうな顔で駆け寄った。
「バカ! バカ親父ッ!! ……お人好しのくせに、無茶すんじゃねえよ……」
「……ハハ、進が泣いてるところ見るの、お母さんと別れた時以来になるかもしれないね」
すがりつく娘の頭を優しく撫でる父親。母親と別れてから、必要以上に強く生きようとしてきた娘が見せてくれた子供らしい姿は、父親である守にとっては嬉しく感じられるものでもあった。
「守くん……私は……」
綾香は守の様子を心配しつつも、彼を騙した罪悪感で彼に手を伸ばせないでいた。
「……ここに来たのは、進を守ろうとしてくれたからだよね、綾香ちゃん……?」
「っ……!」
彼は娘と綾香のここでの会話を聞いたわけではない。それでも彼はわかっていた。まだ彼女と再会してからそれほど時が経っていなくても、たとえ彼女に一度は裏切られたとしても、彼女が悪人ではない事を守は信じていたのだ。
「っ……! ごめんなさい……ごめんなさい、守くん……!」
涙を流し、心の底から守に謝罪する綾香。そんな彼女に彼は何も言わず、ただ静かにうなずいていた。
「……っと、そろそろ救急車呼ばねえとな」
優しい空気になったところで、諏方はスマホを取り出して少し場を離れる。彼なりに気を遣ってくれたのだと守はすぐに察した。
「諏方さんもありがとう。娘と綾香ちゃん、それと……僕を、助けてくれて」
背中越しに礼を言う友に、諏方は振り返らず手だけを軽く振る。
「…………親父、獣くさ……」
泣いてスッキリしたのか、進は父の肩を掴んだままジト目でボソッとつぶやいた。
「えっ⁉︎ そんなにお父さん臭ってる?」
あわてて自身の臭いを嗅ぎ始める父親の姿があまりに面白かったのか、進は大声で笑い出した。同時に「もお……」っと恥ずかしげに顔を赤らめる父親の姿が愛おしく感じられた。
「…………助けてくれてありがとう……パパ」
聞こえないように小さな小さな声で、感謝の言葉を口にする進。
そんな娘の声を聞き取ったかはわからないが、守はいつもの穏やかな――しかしいつもより嬉しそうな笑みで、また進の頭を優しく撫でたのであった。




