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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
夕闇に吠える狼編
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第27話 許しと感謝①

 不良(すがた)半グレ(あかばね)の攻防は、赫羽根側の戦意喪失で決着が着いた。先ほどまで圧倒的な力を見せていた彼の急な敗北宣言は、(はた)から見ていた進にとっては驚きを隠せない発言であっただろう。


「…………」


 一方の諏方は、赫羽根の降参の言葉を静かに受け止める。彼がどれほど残虐な人間かそれほどくわしくはなかったが、少なくとも互いの力量をはかって必要以上に逆上しないあたり、武人として最低限真っ当な人間ではあったのだろう。


「っ……」


 膝を地につけていたボロボロの赤いジャージを羽織る男がヨロヨロと立ち上がる。その姿に、かつて桑扶市一帯を仕切っていた半グレのリーダーである面影は見られなかった。


「……敗北は受け入れる。ただ一つ……差し出がましいのを承知で頼みたい事がある。……今回このまま、俺たちがおとなしく下山するのを見逃してほしい」


「……なっ!」


 開いた口がふさがらないほど驚いていたのは進の方であった。彼らから自分たちに襲撃してきたにも関わらず、いざ返り討ちに遭った今、彼は図々(ずうずう)しくも見逃してほしいと頼んできたのだ。


 そんな調子のいい事があってたまるかっ! ――っと、進は怒りを込めて拳を強く震わせ、握りしめる。


「…………」


 しかし、それに対し諏方は冷静な眼差しで、赫羽根を無言で見つめていた。


「……『青龍の翁』に存在を知られてしまった以上、沙羅慢怒羅(我々)はいずれ壊滅される運命だ。なら……せめてその日を迎えるまでは、コイツらに少しでも平穏に過ごしてほしいんだ」


 倒れた部下たちを見やる赫羽根。彼らの何人かは息を吹き返しており、わずかに意識を取り戻していた。幸か不幸か、獣の猛攻を受けてなお、この場に死者は一人もいなかったのだ。


「……もちろん、この場で裁きを受けろと言うのなら拒否はしない。天川進、テメェにはその権利がある」


 赫羽根は綾香が襲いかかった際に蹴り上げ、未だ地面に突き刺さったままの包丁に視線を送り、進もまた、包丁を一瞥(いちべつ)する。言葉通り、彼はこの場を見逃すか、自身の手で裁くかの選択権を彼女に委ねたのだ。


「っ……」


 しばらく無言で包丁を見つめる少女。彼女は今、自身の頭の中でどうするべきか、思考が交錯していた。少ししてゆっくりと包丁が刺さった地面へと近づき、拾い上げてまた無言で眺める。地面に刺さってなおキラリと輝く新品の包丁はまるで鏡のように、握った者の顔を映していた。


 ――目元にクマができてる……アタシ、あんま寝てなかったんだな……。


 ハァ……っと深いため息をこぼし、金のために自身と父に不幸をもたらした憎っくき男にへと包丁の切先を向けた。


「――ッ⁉︎ 待つんだ、進ちゃ――」




「――アンタも綾香さんも……裏社会っての? そういう世界の人間は、なんで簡単に死ぬのを受け入れられるのよ?」




 呆れ顔でそう問いただす少女に、赫羽根と諏方、そして彼女の背後に立っていた綾香も、呆然とした表情で少女を見つめた。


「だいたいさぁ、アタシって一応一般人なわけよ? 咲き(ざか)りの女子高生をさ、簡単に殺人者にしようとしないでよね。……まあ、包丁(これ)持ってきた本人が何言ってんだって話だけどさ」


 顔を赤らめながら再びため息を吐き出す少女。どうやら怒りに任せて赫羽根を刺すような事はしないと諏方も安堵し、ホッと息をつく。


 少しして、進は今度は真剣な瞳でまっすぐに赫羽根を見つめる。


「でも勘違いはしないで。アタシや親父、それに…………綾香さんをこんな目に遭わせたアンタたちを、アタシは絶対に許さない。そのせいりゅーのナントカ? って人にアンタたちがどうされようと、アタシは一生アンタたちを憎み続ける」


「……っ! 進ちゃん……」


 彼女が被害者として自身の名を含んでくれた事に、思わずむせび泣きそうになる綾香。


「…………」


 少女のまっすぐで偽りのない思いを乗せた言葉を、赫羽根は静かに受け止める。自身によって人生を追いつめられた人間からの怨嗟(えんさ)の言葉などとうに聞き慣れていたはずなのに、今回の彼女の宣言は彼にとって一番に心の痛みを感じさせるものであった。


「……フッ、やはりお嬢ちゃんは、将来いい女になるだろうな。……その姿をこの眼で見られないのは数少ない心残りだ」


 ――常に冷徹な仮面をかぶっていた蜥蜴(トカゲ)が、初めて笑った顔を見せたのであった。




 それから赫羽根は、比較的軽傷で済んでいる部下を数人起こし、彼らに他の重傷な仲間たちの身体を抱えさせながら、自らも山を降りたのであった。


「…………」


 もう進が、彼らの姿を見る事は永遠にないであろう。


 今、彼女がどんな思いを抱いているかは本人以外にはわかりえないが、彼らが山を降りていくのを少女は無言で見つめ続けた。


 そんな彼女の背にゆっくりと綾香は近づき、声をかける。


「……進ちゃん、私は――」

「――アタシはあなたの事も、まだ許したつもりはないよ、綾香さん」


 父を騙し、最初に殺意を抱いた相手であった女性に、進はゆっくりと振り向く。その表情に笑顔はなかったが、どこか憑き物が落ちたような穏やかさを感じられた。


「……でも、綾香さんをどうしたいかは親父が決めるべきだと今は思ってる。だから……親父が許したら、アタシも綾香さんを許すと思う。……ま、親父は超が付くほどのお人()しだから、十中八九許すって言いそうだけどね」


「っ……」


 警察署での面会で、守はすでに綾香に対して恨みや憎しみのような感情などなかったように諏方は受け取っていた。進の言う通り、彼の中ですでに綾香のことは許されているのだろう。


 それを察しているあたり、進と守の父娘の絆は確かなものであるのだと感じ、諏方は一人心をほっこりとしていた。


「さーて……それじゃあそろそろ、アンタが何者(なにもん)なのかくわしく教えてもらおうじゃないか?」


「うっ……」


 急に矛先を向けられ、気まずげな表情を見せる諏方。もうすでに半分以上バレているようなものであったが、改めてどう説明すれば彼女が納得するのか、言葉をまとめようとして頭の中がグルグル回ってしまいそうになる。


「――って、まあ訊きたい事はやっばりいろいろあるんだけど……今はとりあえず、親父をどうにかする方が先かな」


 狼男となった守は、未だ気を失って地面に倒れている。彼がどれほどのダメージを受けているかはまだわからないが、ともかく山から下ろして病院に連れて行くのが先決であろう。


「――っと、忘れそうになった。……助けてくれてあんがとね、四郎……ん? 諏方おじさんの方がいいのかな?」


 呼び方に戸惑いつつも、助けてくれた事への礼を言葉にする進。


「……いや、進ちゃんも守さんも無事でいてくれただけで、俺は十分に嬉しいよ」


 こうしてちゃんと感謝の言葉を口にしてくれるあたり、やはり進は気配りのできる優しい子であるのだと改めて実感でき、そんな彼女たちの救出に間に合う事ができてよかったと諏方は胸を撫で下ろす。


「にしても、この姿のまま山から下ろすわけにもいかないし……ねえ四郎、親父を元に戻す方法って知らな――」


 言葉の途中で、ふいに気を失っていた守の腕がピクリと動く。


「…………ガルルルゥ」

「親父……⁉︎」


 痛みでヨロヨロとしながらも、狼男状態の守はゆっくりと立ち上がった。


「親父! もう立ち上がって大丈夫なのか……よ……?」


「グルルルルゥ……!」


 警戒のこもった低いうなり声を鳴らしながら、一歩前へと出て少女を背に父は立つ。その姿はまるで、子をかばうように守る獣のようであった。


「ッ――! 守さん……!」


 もう敵はいないはずだった――否、今の(かれ)にとって目の前に立つもう一匹(ひとり)の獣は、子に害をなす敵そのものであったのだ。


「ちょっ、親父⁉︎ そいつは四郎……諏方おじさんなんだぞ! アタシたちの敵じゃないよ⁉︎」


 広い背中へと向けて大声で説得する進。しかしその声は聞き届けられず、守の諏方への敵愾心(てきがいしん)はより強まっていく。


「っ……! そうか……さっきまで戦っていた俺と赫羽根の闘気にあてられて、俺を敵と認識しちまっているんだな……」


 先ほどまで赫羽根と対峙していた守にとって、同じような気を纏っていた諏方は敵の仲間なんだと、獣化状態の彼は誤認してしまったのだ。


「っ……逃げて、四郎! このままじゃ、親父が――」


「――いや、俺に任せてくれ、進ちゃん」


 呼吸一つ――諏方はあえて、怪物となった守と闘う事を選んだ。


「グルルルゥ……」

「…………」


 視線を交差する二匹の獣。一方は数ヶ月前まで、もう一方はついこの間まで、互いに平凡なサラリーマンのはずであった。それが数奇な運命を経て、今こうして別の姿同士で睨み合っている。


「……っ!」


 静かに拳を握りしめる諏方。少し前のフィルエッテに対するシャルエッテと同様、これは相手を救い出すための闘い。――ならばもちろん、負けるわけにはいかなかった。


「ガルルルゥ…………ガァッッッ!!」


 雄叫びとともに、爪を立てて諏方へと向かって突進する守。肉を引き裂こうと振り下ろされる(やいば)を、諏方は身体をそらして最低限の動作でよけた。


「ガルルルゥゥァァアアアッッッ!!」


 さらに何度も繰り出される鋭利な爪による引っかき。諏方はそれらを次々とかわしつつ、拳に少しずつ気を溜めていた。


「俺にはわかるよ、守さん……俺も父親だ。自分の子供は、どんな手を使ってだって守りたいはずだよな……」


 ――諏方は思い出す。お隣になって初めて挨拶を交わしたあの日。同じ趣味を持ち、男一人で子育てをする父親同士。酒を()み交わすと、自分が一人ではないのだと実感させてくれた大切な友人。


 ――だからこそ、守さんの暴走を止めるのは俺の役目なのだ。


「でも……もういいんだ、守さん。もう進ちゃんを傷つける敵は、ここにはいない……!」


 横凪に払われた獣の腕。瞬間――守の(ふところ)はガラ空きになり、その一瞬の隙をついて脚を強く踏みこみ、獣の懐へと諏方は潜りこむ。


「だから――」


 諏方の拳が、守の腹筋へと向けて放たれた。そのたった一撃により、狼男の全身が振動する。


「…………ガァッ……!」


 血を吐き出し、膝を折る守。そのまま倒れないように、彼の身体を諏方は優しく抱き止めた。




「だから――もう休んでもいいんだぜ」




 ――彼が抱き止めたのは怪物ではない。一人の、娘を命がけで守る優しい父親であった。


「親父……」


 進はまたしても、闘う二人を見つめる事しかできなかった。そんな彼女を安心させるように、綾香が進の肩をそっと叩いた。


「……ッ! これは……?」


 突如、守の身体に異変が起きる。縦長に伸びた毛が短くなっていき、二メートルを越える巨体も徐々縮み始めていったのだ。


 やがて獣は平均的な男性の身長ぐらいにまで縮み、獣の姿は完全な人間のものへと元に戻ったのだった――。


「親父ッ!!」

「守さんっ!」


 元に戻った守のもとへとあわてて駆け寄る進と綾香。心配げに顔を覗くと強めの疲労は見られるものの、意識はちゃんと残っているようだった。


「……たくぅ、心配かけるんじゃねえよ…………バカ親父」


 ボソッとつぶやくように悪態をこぼしながら、諏方から受け渡される形で父の身体を抱きよせる娘。そんな彼女の瞳からは涙が少し流れていたが、浮かべていた表情は安堵の笑みであった。


「ごめんなさい、守くん……でも、無事でいてくれてよかった……!」


 綾香もまた、謝罪を述べながら涙を流していたが、同じように嬉しそうな笑みを浮かべていた。


 諏方は守が狼男の姿からなぜ元に戻れたか疑問を持ちつつも、ひとまずは彼が無事に元の姿に戻って娘に抱きしめられる姿を見届けて、緊張でこわばった身体を息を吐き出して軽くする。


「とりあえず……一件落着って感じで――」






「――またなかなか面白いものを見させてもらったわ……黒澤諏方」






 ――割り込まれる(あで)やかな声音(こわね)と、ゆっくりとした拍手の音。


「――ッ⁉︎ ……ヴェルレイン……!」


 声のした方へ見上げると、一本の大きな木の枝に座りながら、日傘をさした魔女が艶美(えんび)な瞳で一同を楽しげに見下ろしていた。

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