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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
夕闇に吠える狼編
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第24話 子供のころからのヒーロー

 重苦しい沈黙の中で吹く風は湿って肌にまとわりつき、息がつまって窒息死すると錯覚してしまいそうで――。


「…………」


 綾香と進、そして赫羽根と赤いジャージを着た彼の部下たち――それぞれが互いに黙って睨み合ったまま、少しの時が過ぎる。


 綾香は後方に立つ進の様子をうかがいつつ、時おり地面の方をチラッと見下ろしながら前方の赫羽根の動きを少しでも見逃さないよう、彼の瞳を見つめ続ける。彼に睨み返されるだけで心臓を掴まれたような感覚に陥るが、それでも精神が折れないよう、痛いほどに拳を握りしめた。


「……質問に答えてください……なんであなたたちがここにいるんですか……⁉︎」


 沈黙を破ったのは綾香から。精一杯の虚勢(きょせい)を張って、先ほどと同じ問いを赤いジャージの男たちにぶつける。


「フン……この状況に陥ってなお、まだ気づけないとはつくづく勘の悪い女だな、アヤナ……自分のスマホをよく確認してみろ?」


「ッ――⁉︎」


 綾香はジーパンのポケットからスマホを取り出すと、すぐさま中身を確認する。画面を何度もスワイプしたりタップしたりしてようやく、見慣れないアプリを発見した。


「これって……GPSアプリ……? それじゃあ――」


「――そうさ。テメェがどこへ逃げようとも追えるように、監視用のアプリを仕込んでおいたんだ。テメェだけじゃねえ……あの店の授業員全てのスマホに、同じアプリを入れてある。テメェらは全員、俺の管理下にあったということだ」


 綾香は血の気が引く感覚に襲われる。『クラブ・パンデモ』のケツ持ち(用心棒)でしかないと思われた沙羅慢怒羅(彼ら)が、ここまで店の人間を支配下に置いていたのはあまりにも予想外だった。麻薬の取引場所にされているなど、元々良くない噂の多い店ではあったが、もしあの店を実質的に彼らが牛耳ぎゅうじっていたとしたら、噂も本当の事なのかもしれない。


「……でも、だったらあなたたちは私をいつでも捕まえる事ができたはずでしょ⁉︎ どうして、私を一週間も見逃していたの……?」


「簡単な話さ。俺たちの本命はテメェじゃなく、天川進だったからな」


「え? ……アタシ?」


 突然彼に名を呼ばれ、動揺する少女。


「テメェを放っておけば、いずれ天川進と接触すると俺たちは踏んでいた。案の定、テメェはこうして天川進の元に俺たちを導いてくれた。テメェは天川進を釣り上げるためのエサに過ぎなかったんだよ」


「そ……そんな……私が進ちゃんを……」


 進のことを思って行動していた事全てが赫羽根に利用されてしまっていた事にショックを受け、言葉を失う綾香。


「男の心理を読むのが生業(なりわい)であるテメェが、俺の心理を読みきれなかったのは実に浅はかだったな……。アヤナ、テメェこの仕事向いてねえんじゃねえのか?」


「っ……」


 反論できなかった。親元を離れてから長年いろんなキャバクラやホステスで仕事をしていたが、どの店もそこそこ程度の売り上げしか出す事ができなかった。それは彼の言葉通り、客の心理を読み切る事ができなかったからなのかもしれない。だからこうして、今も赫羽根の手の平で踊らされてしまったのだろう。


「……気づけなかったとはいえ、最後の最後でテメェは俺の役に立った。だが、俺は裏切り者は許さねえ。抵抗さえしなければ、楽には殺してやるよ」


 そう言うと同時に、赫羽根の背後に立っていた彼の部下たちが前に出始める。綾香と進の後ろには柵があるとはいえ、その下は断崖絶壁。このままでは彼らにジリジリと追いつめられるしかない。


「進ちゃんッ! 横の方から回りこんでまっすぐ、全力で逃げて!!」


 そう叫ぶと同時に、綾香は地面に落ちていた包丁を拾い上げる。そのまま切先を前方に向けて、赫羽根目がけて走り出した。


「赫羽根……せめて、あなただけでも……!!」


 両手で包丁を握りしめ、赫羽根の(ふところ)目がけて駆ける。


 しかし――、


「武器を持てば、少しは勝機を見い出せるとでも思ったか?」


 赫羽根はその場から一歩も引く事なく、わずかな動作で綾香の突き出した手を蹴り上げる。握っていた包丁はあっさりと彼女の手から離れて上空を舞い、彼女のすぐ横の地面へと突き刺さった。


「ッ――!」


 蹴り上げられた手の痛みにうめく綾香の顔面を、赫羽根はすぐさま躊躇なく殴り飛ばした。地面へと倒れる彼女を押さえつけるために、整った顔を容赦なく彼は踏みつける。


「もう店はやめたんだ。その商売道具()も大事にする必要はねえよな?」


 グリグリと女性の顔を踏みにじる赫羽根。今までほとんど経験する事のなかった痛みに叫びそうになりながらも、綾香はなんとか歯を食いしばって耐えていた。


 包丁を握って駆け出したものの、綾香は最初から赫羽根を刺し殺せるとは思っていなかった。素直に刃を通してくれるほど、彼が甘い相手ではない事は重々承知だ。それでも、彼やその部下たちを少しでも引きつけられれば彼女はそれでよかったのだ。


 綾香の目的は最初から、進を彼らから逃すための時間を稼ぐ事だった。自分は間違いなく赫羽根たちに殺される。それでも、彼女さえ逃す事ができれば――、




「――綾香さん!!」




 だが、綾香の最後の望みは脆くも崩れ去った。地面に踏みつけられたまま進が立っていた方を見上げると、すでに彼女の周りを赤いジャージの男たちが囲んでいたのだった。


「テメェが俺を襲う事で、部下が俺を守るために天川進から意識を外すとでも見込んでいたんだろうが、とんだ見当違いだったな。部下がわざわざ俺を守ろうとするほど、俺が弱いとでも思っていたのか? 包丁を持ったテメェが何人いたところで、護衛が必要なほど俺は軟弱じゃねえ。それは、俺の部下であるコイツらが一番によく知っているのさ」


 ニヤニヤと笑う赫羽根の部下たち。彼らはリーダーの実力を理解してるがゆえに、綾香のような一般人が包丁を持ってリーダーを襲おうとも、決して護衛(まも)るような事はしない。それはリーダーである赫羽根への絶対的な信頼の証でもあった。


「ぐッ……! くっ……」


 綾香は悔しさで涙を流す。幼いころに仲良くしてくれた守を陥れ、その償いに彼の娘だけでも助けようとした行動も彼らに利用されてしまい、せめてもの抵抗もあっさりと跳ね除けられてしまった。


「……むなしい人生だったな、アヤナ」


 顔を踏みつけたまま、憐れむような視線で彼女を見下ろす赫羽根。


 一方の部下たちは、少しずつ進へと距離を詰めていく。彼女の背後は崖となっており、もはや逃げ場などなかった。


「兄貴ぃ……この嬢ちゃんを捕らえる前に、一回だけ遊んじゃってもいいっスカ?」


 部下のうちの一人、舌を出して荒い息遣いで興奮していたのは、モヒカンが特徴的な男。彼の視線は、明らかに子供に向けてはならないたぐいのものであった。


「うっ……キモ……」


「いいねえ、その視線……オレは嫌がられれば嫌がられるほど興奮するんだ……!」


 全力で嫌悪的な視線を向けられるも、それが逆効果となってモヒカン男はさらに興奮を高めていた。


 だがそんな彼を、兄貴と呼ばれた男はまっすぐに睨みつける。


「ダメだ。天川進は金庫の暗証番号を吐かせた後、ガキ専門の人身売買(じんしんばいばい)組織に売る。傷物にしたら、その分価値が下がっちまうだろうが」


「なっ――進ちゃんを……子供を売るって本気で言っているの……⁉︎」


 赫羽根のあまりにも外道な発言に、綾香は踏みつけられている痛みなど忘れそうなほどに激昂する。


「ガキってのはそれだけで需要が高いからな……日本ではそれほどでもねえが、海外でガキがさらわれるなんざそう珍しい話でもねえだろ?」


 彼の悪辣っぷりは綾香も承知していたつもりであったが、子供に対してすら容赦ない彼の外道ぶりに、本当に同じ人間なのかと彼女は心底恐怖する。


 ――最初から無理だったのだ。水商売で働いてきた自分が、彼ら(半グレ)から逃げ出す事など。


「ちぇ……わかったっスよ、兄貴。ほら、あそこの女みたいに痛い目に遭いたくなきゃ、おとなしく捕ま――」




「――さっきの話聞いて、おとなしく捕まるとでも思ってんのかよ⁉︎」




 さらに距離をつめてきたモヒカン男の顔面を、進は思いっきり蹴り飛ばす。


「あがッ――⁉︎」


 陸上部で鍛えられた進の脚力は凄まじく、部下たちの中でも大柄であったモヒカン男の身体を数メートル吹っ飛ばしたのであった。


 意外な少女の抵抗に、モヒカン男以外の部下たちはしばし言葉を失う。


「ほう……意外にやるじゃねえか、嬢ちゃん。無意識だろうが、一瞬だけ脚に気を集中させやがった」


 赫羽根からは感心するような視線を向けられる。だが、決して状況が好転したわけではない。


 モヒカン男を除いても、進を囲む赫羽根の部下たちは十人以上いる。さらに――、


「いてて……赫羽根の兄貴……やっぱオレ、もう我慢できねえっス……!」


 蹴り飛ばされた顔面を押さえながら、モヒカン男が怒りの表情で立ち上がった。


「……しかたねえな。死なない程度に好きにしろ」


 ため息を吐きながらも、部下のこれからの()()を許すリーダー。


 モヒカン男は怒りと興奮がないまぜになった顔で、またもや進に距離をつめていく。他の部下たちからも彼女への油断が消えて、捕らえる事に集中を高めていた。


「ッ……!」


 さすがにこの大人数では、もはや進に抵抗のすべはなかった。少しずつあとずさりしても、後ろにあるのは崖を隔てる鉄柵だけ。




「ッ……助けてくれよ、親父ぃ!!」




 気づけば進は叫んでいた。あの夜、恐れ、拒絶してしまった父を。




 ――この一週間、彼女は罪悪感にとらわれていた。




 あの日、父は化け物のような姿になりながらも、自分を助けるために駆けつけてくれた事はわかっていた。それでも、娘は恐れてしまったのだ――父の異形と化した姿に。


 だから四郎が父に面会しようと誘ってくれた時も、進はその申し出を断った。父に恐怖してしまった自分が今さらどんな顔をして会いに行けばいいのか、彼女にはわからなかったのだ。


 ――そんなアタシに、都合よく親父が助けに来てくれるはずがない。そもそも親父は警察署にいて、今は夕方なんだから狼男に変身できるはずもないんだ……。


 それでも叫んでしまった。たしかにあの時は恐れてしまった。今もその時の罪悪感が胸を締めつけている。


 それでも――、






 ――――ドンッッ!!






 空から何かが少女の正面に降り立ち、大地を大きく揺らす。


「なっ――」


 その場にいた誰もが降り立った巨体を見上げ、絶句した。




「ガルルルルルゥ……ガァッッッ――――!!」




 吠える獣。その雄叫びだけで、鼓膜が破れてしまいそうなほどに空気が揺れる。




 それでも――、




「おや……じ……?」


 少女の獣を見上げる瞳に、もう恐怖はない――。




 ――それでも親父は、アタシを悪者(ママ)から救ってくれた、子供のころからのヒーロー(パパ)なんだから。

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