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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
夕闇に吠える狼編
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第22話 たとえあなたに恨まれても

 城山、桑扶両市に観光名所として指定されているにも関わらず、狭間山はとかく登山客が少ない。(いわ)く、境界にそびえる山にはまつろわぬ神が住む霊山となる――と、昔は言い伝えられていた。


 それでも神聖な言い伝えのある山を登りたがる登山家マニアには受けがよく、休日はそれなりに山を登る観光客もいる。


 だが夕刻ともなれば、一気に山から人の気配はなくなる。数時間と経たぬうちに夜が山に下りれば、明かりも山道も少ない魔の山と化すからだ。


 そんな魔の山と変貌する直前の夕闇照らす狭間山。そのふもとにあるベンチ一つ置かれた広場にて、天川進は一人黄昏(たそがれ)ていた。


 山を登って早々、進はこの広場でずっと無表情で町を見つめていた。一瞬にも永遠にも思える時間の間、彼女はベンチにも座らずに黙ってここから見下ろせる町の風景を眺めていたのだ。


 明るさがモットーな彼女が浮かべる静かな表情からは、何を考えているかは読み取れない。ただ彼女は、いつ()()()が来てもすぐに気づけるように耳をすましていた。


 風の音、自身の呼吸音――それらのささいな音ですら、緊張で静かに波打つ鼓動を高鳴らせるには十分であった。


 そして――、




「おまたせー、進ちゃん!」




 ――まだ数度しか聞いてないはずなのに、耳にハッキリと刻まれた女性の声が背中から聞こえた。


「ごめんね、遅くなって……今からなるべく遠くへ行けるように準備してたら時間かかっちゃった」


 ドサッと何かが地面に下ろされたような音が聞こえる。ここまで走ってきたのだろう、ハァハァっと荒く吐き出される息が聞こえる。そのうえで、彼女の声には少しうわずったような調子が見られ、嬉しげであろう表情が振り向かずとも見えたような気が進にはした。


 ――だがそれですら、今の進にとってはイラだたしさを増幅させる要因にしかなりえなかった。


「あれ? 進ちゃんの荷物が見当たらないけど大丈夫? 多分しばらくはこの町から離れる事になるから、着替えとかあった方がいいとは思うけど……」


 進の周りにカバンなどの荷物は見当たらない。服装もラフなものであり、とてもこれから遠出するような雰囲気とは思えなかった。


「あ、そっか! よくよく考えてみれば、学校とかあるのに何日も遠出するなんて嫌だよね……? うーん……でも沙羅慢怒羅(サラマンドラ)に狙われてる事を考えると、やっぱりこの町にい続けるのは危険だと――」




「うるさいッ――!!」




「……っ⁉︎」


 突如発せられた少女の怒鳴(どな)り声に、綾香は戸惑い、固まってしまう。


「進ちゃん……? いきなりそんな大声出してどうし――」


 ずっと背中を向けていた進がようやく彼女に振り向き、そして綾香は再び絶句する。


 進の右手――影となって見えなかったその手には、鋭利な出刃包丁が握りしめられていたのだ。


 ここは山の中。包丁一本で来るような場所では決してない。キャンプなどで料理するような事はあれど、周りにキャンプ道具と思われるような物は一切置かれていない。


 ――ならば少女が包丁を握る理由など一つしか考えられない。彼女の血走った瞳が、その答えを後押しする。


「……私を殺したいのね、進ちゃん?」


 いつもの派手な(ホステスとしての)服装ではなく、ワイシャツにジーンズと動きやすい一般的な(普通の女性としての)服装の綾香は、真剣な眼差しで少女の瞳を見つめ返す。


「あんたが……あんたが親父と会わなきゃ、親父もアタシもこんな目に遭わずに済んだ! あんたのせいで、親父は今苦しんでるんだッ!!」


 視線にも声にも殺意が乗っている。進は包丁の()を両手で握りしめ、その切っ先を目の前に立つ女性へと向ける。


 ――ホステスである彼女が酔っ払った父親を家にまで運んでくれたあの日から、歯車は狂ってしまった。


 母親が不倫して離婚したという過去はあったにせよ、それでも父親との二人での生活は幸せと言えるものであった。仕事で不在がちな父親ではあったが、たまの二人きりで過ごした時間は何にも変えがたい幸せな一時(ひととき)であった。


 そんな幸せだった日々が、たったの数日でもろくも崩された。父親は逮捕され、得体の知れない集団からは殺されかけられ、今も狙われている。


 ――それもこれも、全ては親父が彼女(こいつ)と再会してから始まった事だ。こいつと再会しなきゃ、きっと今も親父は……!


「……あんたに訊きたい。あんたが……あの赤いジャージの連中に金庫の事を喋ったのか?」


 鋭い瞳で見つめたまま、進は綾香に問いただす。


「…………」


 綾香はすぐには答えず、しばらく間を空ける。やがて何かを決心したようにため息を吐いて拳を握りしめ、包丁を向ける目の前の少女の瞳をまっすぐに見つめ返しながら、




「そうよ――私が、アイツらに金庫の事を喋ったの」




「――ッ⁉︎」


「脅されて喋った――ってのは言い訳になってしまうわね。……アイツらは店に来る客の個人資産を調べ上げて、金になりそうな客からあらゆる手を使って大金をしぼり取るのが彼らのやり方。他の客と同じように、守さんの財産や元奥さんから支払われた慰謝料の事も知っていたみたいだけど……金庫について知ったのは私の口が原因。……私が喋らなければ、きっとアイツらもここまで過激な手段であなたたちを追いつめようとはしなかったかもね……」


「ッ……やっぱり、あんたがッ……!」


 より強い力で包丁の柄が握りしめられる。少しでも綾香が逃げ出すそぶりを見せれば、少女は間違いなくその刃で彼女を突き刺しにかかるであろう。


 だが、綾香は逃げ出すどころか――、


「なっ――?」


 なぜか一歩、進の方へと足を踏みこんだのだった。


「もし私をその包丁で突き刺して殺せば、進ちゃんは殺人犯になって警察に捕まってしまう。そうなれば、悲しむのはあなたのお父さんの方……それは、捕まってしまった守さんの娘であるあなたが、一番わかっているはずよ……?」


 さらに一歩、前へと踏みこむ。普通は刃を向けられれば、大なり小なり恐怖を抱くはずなのに、目の前の女性は構わず近づいてくる。そんな予想外の行動に、凶器を握っているはずの少女の方が戸惑ってしまっていた。


「そんなの……そんなのわかってるよッ! わかってるけど……それでもアタシは、あんたを――」




「――いいよ。あなたにお父さんを悲しませる覚悟があるのなら、あなたには私を殺す権利があるわ」




 そう言いながら綾香は微笑み、両手を広げてまるで進が刺しにくるのを受け入れるような体勢で立った。


 ――元から覚悟はしていた。守を不幸に追いこんだのは間違いなく自身であったのだから、その娘である彼女に恨まれるのは当然と言えよう。


 それでも彼女に接触したのは、せめて()()()愛した男の娘である彼女だけでも、沙羅慢怒羅(最悪)から遠ざけたかったからだ。それが、愛した男を不幸に追いやった自分のせめてもの罪の(つぐな)いでもあったのだ。


 綾香は殺される事を受け入れる体勢ではいるものの、別段彼女のために死にたいと思っているわけではない。だが今は言葉で説得したところで、冷静さを失っている彼女にとっては死ぬ事から逃れるための言い訳にしか聞こえないであろう。


 ゆえに綾香は説得ではなく、彼女の良心に訴える事にした。あえて包丁を握る彼女に向かって足を進ませ、殺意を受け入れる姿勢を見せる事で逆に彼女を躊躇させ、少しでも冷静さを取り戻させようとしていたのだ。


 ――それは失敗すれば、少女を人殺しにさせる危険な賭けでもあった。


 それでも綾香は信じた。今回会うのが二度目でしかない少女の優しさを、彼女は信じたのだ。




 ――だって彼女は、人の不幸を悲しむ事ができる優しい守さんが育てた娘なのだから。




 しばらくの静寂が訪れる。夕闇に吹く風は、夏の暑さでひりつく肌を優しく撫で上げてくれていた。


「……ふざけんなよ。あんたは親父を不幸にした悪者なんだから、最後まで悪者らしく振る舞ってくれよ……」


 進は涙を流しながら地面に膝をつき、両手の力がゆるんで握っていた包丁を落としてしまった。


 ――進もわかっていたのだ。たしかにきっかけは父親と彼女の出会いだったかもしれないが、彼女自身が進と守が不幸になる事を望んでいたわけではないと。


 進の父は何も言わなかった。狼男となって赤いジャージの男たちを襲った時も、警察に捕まった時も、父は彼女のことを一切悪く語らなかったのだ。


 本心では信用したかった。水商売で働く女性にいいイメージはなくとも、父が惚れこんだ女性を進は信じたかったのだ。彼女は決して、父を追いこんだ悪人ではないと――。


 それでも父が逮捕され、精神的に追いつめられた進には、綾香しかその怒りをぶつける相手がいなかった。彼女に殺意を向けなければならないほどに、進の心は壊れかけていたのだ。


「……あなたの恨み言はあとでたっぷり聞いてあげる。だけど今は沙羅慢怒羅アイツらから逃げないと、私もあなたも殺されて、今度こそ守さんを不幸にさせてしまう。……信じてほしいだなんて言わない。それでも、今だけはこの手を取ってほしいの……!」


 そう言って綾香はうつむく少女の目の前にまで進み、彼女へ向けて手を差し伸べる。


「…………」


 すぐには手を伸ばせない。当たり前だ。優しい言葉をかけられても、彼女への恨みが消えるわけではない。


 それでも、進は今度こそ信じたかった――一度は愛した女性に裏切られた父が、もう一度愛そうとした目の前の女性を。


 包丁を落とした手はなお震えている。それでも時間をかけて落ち着かせ、なんとか腕を上げようと力を振りしぼり――、




 ――ザザッ、




 ――その時、何かが草を踏みしめる音が聞こえた。


「――ッ⁉︎」


 風吹く音にまぎれて聞こえた複数の足音に驚き、綾香は背後へと振り向く。


 ――そこに立っていたのは、赤いジャージを着込んだ数人の男たち。進にとっても忘れはしない、あの夜天川家を襲撃し、金庫を狙っている得体の知れない集団だった。


 だが今見える顔の中に、あの夜のメンバーらしき人物はいない。――それでも進は、彼らの中心に立つ一人の男の存在によって、あの夜以上に身体が震え上がっていた。




「不幸に追いこんだ男の娘を説得して和解する――ありきたりな茶番劇(ドラマ)に、小っ恥ずかしさで俺の刺青(サラマンドラ)も火を吹きそうだ」




 中心に立っていた男がゆっくりと、彼女たちに向かって前へと踏み出る。


「赫羽根さん……なんであなたたちがここに……⁉︎」


 進と同じく恐怖に身体を震わしながらも、頬に蜥蜴(トカゲ)刺青(いれずみ)を彫った男を相手に綾香は問う。


「お前が店をやめたぶりの再会なんだ。少しは喜んだ顔をしろよ――裏切り者(アヤナ)?」

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