第20話 アクリル越しの再会
一人の少年と制服を着た警察官が、コツコツと足音鳴る廊下を奥へと進んで行く。施設内は重苦しい空気が漂っており、同じ制服を着た警察官がすれ違うたびに、少年に『またか』と哀れみを含んだ視線を向けていた。
それも仕方なかろう。見た目から明らかな不良の少年がこの施設内にいる理由など、何か悪さをして補導される以外ほとんどないのだから。
だが、少年は決して補導されて警察署に連れてこられたのではない。彼らが向かうは、警察署内にある留置所の面会室。その扉の前で立ち止まり、警察官は懐疑的な瞳で少年を見下ろす。
「……本来ならば、面会には立ち会い人が必要となるのですが……今回は特別措置により、お二人だけの面会を許可されています」
声は事務的ながらも、いかにも納得がいかないといった表情で警察官がそう告げる。少年は気にする事なく、警察官が開いた扉の中へと入ってゆく。
「……まあ、魔法関連の話を一般人に聞かれちゃマズイだろうからそうなるわな。国家権力所属の姉貴様々だぜ」
扉が閉まり、小声で一人つぶやきながら、少年は面会室の奥へと進んで行く。
真っ白な壁の無機質な部屋。その奥にはこの部屋へとつながるもう一つの部屋があり、その中央を隔てるように一枚の大きなアクリル板が敷かれていた。アクリル板の真ん中には、アクリル越しに声が届くように複数の小さな穴が開いている。刑事ドラマなどでよく見る光景が目の前に広がる。
そのアクリル板の奥の部屋に、男性一人が静かな面持ちでパイプイスに座っていた。
「……お久しぶりです、守さん」
「うん……一週間ぶりだね、四郎くん」
一枚の透明な板を隔てて、二人の大人が一週間ぶりの対面を果たす。
――諏方が天川家に駆けつけたあの日、間もなくして守は警察に捕まった。家には守と進以外に二人の男性が重傷を負った姿で発見されるも、一命は取り止めたようですぐに病院へと運ばれた。
それから一週間、諏方は姉に頼んでなんとか守への面会を取り持ってもらい、魔法に関わる可能性があるとして秘密裏に二人っきりの面会へと事が運んだのであった。
「……立ったままなのもなんだし、ひとまず座ってもいいんじゃないかい? いろいろお話が訊きたくて、ここに来たんでしょ?」
諏方側の部屋に置かれたパイプイスに座るよう勧める守の表情は、一週間前の夜と同じ穏やかなものであった。
諏方は無言のまま、彼と対面になるようイスへとゆっくり腰を下ろす。
「……思ったより元気そうで何よりです」
「あはは、ほんとは身も心もボロボロになっていそうなものなんだけどね……なんというか、今ものすごくスッキリした気分なんだ……」
「っ……」
その言葉の真意を、諏方はまだ測りかねないでいる。
「ところで……進は今どうしているかな?」
「……あの夜以降、ひとまず落ち着かせるために彼女は家で預かっています。しばらくはショックで引きこもって、学校も休んでいましたけど……ある程度心の整理がついたみたいで、今ごろ自宅に帰っていると思います」
「そっか……娘には心配をかけてしまってすまないと思ってるよ。彼女の心のケアをしてくれて、四郎くんや白鐘さんには感謝してる」
この言葉自体は本心からくるものであろう。どんな事態になっても娘を想うその気持ちは、同じ父親である諏方にも十分伝わる。
だからこそ、少し前まで平凡な一般市民であったはずの彼に何が起こってこのような事態になってしまったのか――それを知るため、諏方はここに来たのだ。
「……単刀直入に訊きます。守さん、いったいあの夜……いや、あなた自身にいったい何が起こったのですか?」
真剣な眼差しを向ける諏方。守の笑みが消え、答えに躊躇しているのかしばらく彼は無言でいた。
「……正直、どこまで信じてもらえるかわからないし、僕自身でさえ信じられないようなお話だけど――」
そう前置きした上で、守は少しずつこれまでの経緯を語り始めた。
桑扶市の裏路地にあるクラブの前で女性を助け、その女性が子供のころの友人であったこと。不思議な占い師に出会ったこと。女性にプロポーズされたこと。その様子をたまたま上司に見られ、女性をその上司に差し出さなければ任されたプロジェクトから外されると脅されたこと。娘のことを思って彼女のプロポーズを断ったこと。そのプロポーズが仕組まれたもので、赤いジャージの集団に襲われたこと。拷問を受けていたが月の光を目にして、狼男となって自宅で娘を脅した赤いジャージの若者たちを襲ったこと――。
まるで現実味のない出来事の連続。話を聞いてもたいていは妄言だと一蹴されるであろう守の話を、諏方は黙って聞いてくれていた。
「……一週間前に起きた、狭間山周辺で男性が襲われた獣害事件も……」
「記憶はないけれど、多分僕だろうね……。被害に遭ったのは、さっき話に出た部長だったし」
「っ……」
先日、諏方はシャルエッテに自分たちと関係する誰かが関わっていない限りは無闇に事件を捜査するなと釘を刺した事があった。だが、自分たちと無関係と思えた獣害事件の中心人物が親しい友人の父親であったとは、なんとも皮肉な話だった。
「……いつごろから狼男に変身できるようになったか、覚えはありますか?」
「……いつごろから、というのは明確には覚えていないんだ。自分が変身した自覚も一週間前の娘を助けに行った時だけだし、その時の記憶もほとんど残っていないからね。……ただ、占い師に占われたあの日から、時折悪夢のような形で部長が血まみれの姿で倒れる映像が頭にこびりつくようになったのは確かだと思う……」
「……となると、占い師の正体が魔法使いで、シャルエッテたちの言っていた獣化魔法ってやつにかけられた可能性が高いか……」
何か思案するようにブツブツとつぶやく銀髪の少年。
「っ……」
その姿に、守は見覚えがあった。それは彼の映画鑑賞仲間が作品を観終えた後、映画の内容を考察する時の姿によく似ていたのだ――。
「……僕からも一つ、君に訊いてもいいかな?」
「えっ? ……もちろん大丈夫ですけど?」
急に振られるとは思わなかったか、少年は少し動揺した姿を見せる。
守は再び、穏やかな笑みを浮かべながら――、
「――君は、本当は黒澤諏方さん……なんじゃないのかい?」
「……っ⁉︎」
少年は息を呑む。その反応だけで、十分答えは出ていよう。
「……初めて会った時から、なんとなくだけど雰囲気が似ている――いや、まるで諏方さん本人のような安心感を君に感じていたんだ。でも、明らか年齢が違うのに同一人物だなんてあまりにも非現実的だし、本当に似ているだけの親戚だと思っていたんだけどね……でも今なら、僕自身が狼男になるという非現実を経験してしまったんだから、君が諏方さんの若返った姿だと言われても、今なら信じられそうなんだ」
「守さん……」
彼の言う通り、自身が狼男に変身できる非現実を経験してしまったのだから、当然見知った誰かが若返るなんてありえない話も現実であると受け入れられるであろう。
「向こうに話させといて、俺が話さないのは不公平だよな……」
少年は口を開くまで少し時間をかけてしまったが、意を決して娘の幼なじみの父親の瞳をまっすぐに見つめ――、
「――諏方の名前で会うのは久しぶりですね、守さん」
少年もまた、同じ穏やかな笑みで本当の名を口にする。それは映画鑑賞を終えた後、互いに感想を存分に語り終えた後の笑顔に似ていた。
気づけば、守の瞳から一筋の涙がこぼれる。
「……ああ、すまない――いや、すみません。懐かしの友人に会えたと思ったら、つい懐かしくて涙が出ちゃいまして」
「いえ……『私』の方こそ、騙すような形になって申し訳ない」
片や少年に若返り、片や異形の怪物に変身したりと、互いの境遇は数ヶ月前までと比べてあまりにも変わってしまった。だが、それでもこうして昔のように『シングルファーザー』同士であり、『映画好き』の友人として再び接する事ができた今の状況に、二人は嬉しさで笑顔を向け合うのであった。
「――――フフ、男同士の熱い友情が素敵で滑稽すぎて、私までもらい泣きしてしまいそうだわ」
「「――ッ⁉︎」」
二人して、声がした守の背中越しへと視線を向ける。
どこから入ってきたのか、守以外誰もいないはずの留置所側の面会室の壁に背を預け、室内であるにも関わらず日傘を差した黒衣の女性が、妖しい笑みを浮かべて二人を眺めていた。
「テメェ……ヴェルレイン……!!」
「ハロー、黒澤諏方。それと、同じくお久しぶりね……天川守?」
「――ッ⁉︎ まさか……あの時の占い師さん……?」
初対面であるはずの女性に名を呼ばれて守は一瞬戸惑うも、彼女の声には聞き覚えがあり、何より服装は違えど、彼女の纏う艶美な雰囲気はあの日の帰り道に出会った占い師そのものであったのだ。
「占い師さん? それじゃあ……コイツが守さんに魔法を……⁉︎」
答えは返ってこないものの、ニヤリと笑う彼女の表情が諏方の問いを肯定していた。
「日傘の魔女! テメェ……魔法も知らないはずの一般人まで巻きこみやがって……! いったい、今回は何が目的だってん――」
「――そう興奮しないでちょうだい、黒澤諏方? 今回はあなたに用はないの。今回用があるのは天川守。あなたに……今後の運命を決めるかもしれない大事なニュースをお届けに来たわ」
「……ニュース?」
急変する事態についていけず、呆然とする守に向けたヴェルレインの笑みに、愉悦が入り混じる――。
「あなたの娘……天川進が、これから人殺しになるかもしれないわよ?」




