第19話 沙羅慢怒羅の正体
『続いてのニュースです。昨夜、桑扶市の狭間山付近にて男性が野生動物に襲われたとされる事件について、地元警察と専門家の調べにより、ここ数日山から動物が下りてきた痕跡は見られなかったと発表されました。専門家によりますと、狭間山に生息する野生動物が山を下りた際につく足跡などは見つからず、また、動物の餌となる木の実などが極端に減少しているなどの様子も見受けられなかったため、野生動物が山を下りた可能性は極めて低いとの見解を述べました。桑扶警察署は、男性が通り魔などに襲われた可能性もあるとみて、捜査を改める方針です』
少し遅めの夕食を終えた黒澤家の食卓に、今朝流れた獣害事件のニュースの続報がテレビに映し出されている。食後のコーヒーを飲んでまったりと落ち着きつつ、諏方とシャルエッテ、そしてフィルエッテの三人は共にテレビに釘付けになっていた。
「野生動物か通り魔か……いずれにせよ、狭間山周辺は警戒が必要になるだろうな」
近くに山があるとはいえ、そこの動物が山から下りて人を襲うなどという事件は少なくとも、三十年近くこの町に住んでいる諏方ですら聞いた事はなかった。
となれば、後者の通り魔による仕業の方がまだ可能性としては高い。どちらにしろ、魔法使いなどの件もあり、しばらくはあの山に近づかない方が賢明なのかもしれない。
「ソワソワ」
「……ソワソワって口に出して言う奴初めて見たぞ」
気づけばシャルエッテは小声でつぶやきながら、少し興奮気味な視線で事件の映像を見つめていた。
「シャルエッテ……今朝も言ったが、事件を調べようだなんて余計な事はするんじゃねえぞ?」
「ふぇっ⁉︎ そ、そ、そんな事考えてないって言ったじゃないですかー……」
思いっきり顔をそらすシャルエッテに、諏方は呆れのため息を吐き出した。
「……いいか、シャルエッテ? 俺たちは正義のヒーローでもなんでもねえ。ああいう事件を調べるのは警察の仕事だ。俺たちに関係する人物ならともかく、顔も見た事ねえ誰かのために事件を調べて、お前自身が危険な目に遭ったらどうする?」
「うっ……それは……」
しゅんとわかりやすいぐらいに落ちこむ様子を見せるシャルエッテ。
かつて『路地裏の魔女』との戦いの際、シャルエッテは諏方に相談せずに行動した事で危険な目に遭った過去がある。あの時は近所に住む白鐘の顔見知りでもあった少女の夕希ちゃんを助けるという名目もあったが、今回被害に遭ったのは彼女たちとは無関係の男性。危険を冒す可能性がある以上、彼としては事件の捜査を許可するわけにもいかなかった。
「……で、でも! わたしが調べる事で事件が早く解決できて、被害の拡大を防げる! かもなんて……」
「……なるほど、そいつはもっともらしい意見だな」
「……っ! それじゃあ――」
「だがさっきも言ったが、俺たちは正義のヒーローじゃねえ。ああいう事件はプロである警察、魔法使いが絡んでるなら境界警察の仕事であって、素人のお前が首を突っ込んだところで事態を解決するどころか、足を引っぱって最悪お前にまで被害に遭いかねない。お前に被害が及んだら、俺や白鐘、フィルエッテが悲しむ事になっちまう。……お前は俺たちを悲しませる覚悟を持ってまで、本当に事件を調べたいのか?」
「っ……そう言われたら、何も言い返せなくなります……」
再びシャルエッテは悲しげにしゅんとうなだれてしまう。諏方も物言いが強くなった事に多少罪悪感がありながらも、彼女を止めるにはここまで言わなきゃならないのも一緒に暮らし始めて身に染みた事であった。
「「「…………」」」
とはいえ、食後の会話としては少し重くなりすぎたためか、三人して口を開けなくなってしまった。普段明るげな少女が見せる暗い顔は、思っている以上に諏方にもダメージを与えていたのだ。
「……まあでも、もしどうしても事件を調べなきゃって事態になったら、その時は俺にちゃんと相談しろ」
「……スガタさん?」
ようやくシャルエッテが顔を上げて、少しうるんだ瞳で諏方を見つめる。
「路地裏の魔女の事件の時にも言ったが、お前のその誰かを助けたいって思いは決して間違っちゃいねえ。だけど、子供だけで突っ走ったところで限界ってもんはある。……こんな見た目だけどよ、俺だって中身はちゃんと大人なんだ。子供がどうしたいか悩んだんなら、その悩みを聞くのは大人の役目。……俺にも出来る事と出来ない事はあるけどよ、お前がどうしたいか悩んだ時は、ちゃんと俺に相談しろよな?」
言ってて気恥ずかしくなり、諏方は少し顔を赤らめるが、シャルエッテは彼の言葉を聞いて――、
「はいっ!」
っと、力強く返事をする。
「諏方さんの言う通り、シャルは後先考えずに暴走する事があるからねぇ。それでお師匠様を何度怒らせたことか……」
「んもう! 魔法界でのそういう話はナシですよ、フィルちゃん!」
二人の魔法使いの少女のやり取りに、重くなっていた食卓の空気が少しだけ緩和される。ニュースもすでに、別の話題へと切り替わっていた。
諏方はホッと息を吐き、コーヒーカップに手を伸ばそうとしたところで――、
トゥルルルル――。
甲高い電子音が鳴り響く。諏方はポケットを確認すると、スマホから着信が表示されていた。
「っと……姉貴からか」
「ツバキさんからですか?」
諏方はうなずき、ぶるぶる震えるスマホを握ったままイスから立ち上がる。
「わりぃけど、ちょっと立て込んだ話があるから、先に部屋に戻らせてもらうぜ。白鐘! 俺の分のデザートは適当に冷蔵庫に入れといてくれ」
「――はいはい」
キッチン向こうでデザートを用意していた白鐘にそう告げて、諏方はそそくさと自分の部屋へ向かってしまった。
「……っ? 何か大事なお話なんでしょうか?」
「気にしたって仕方ないわよ。あたしたちには相談しろって言っておいて、お父さんはあたしたちにはなんも話さないんだから」
キッチンから出てきた白鐘は、二人の少女の前にオシャレなデザインの皿に乗ったプリンを置く。
「わあ! プリンですぅ!」
「お父さんがあんまり甘いもの食べなくて久しぶりに作ったから、味はあんまり期待しないでね?」
シャルエッテとフィルエッテはそれぞれプリンを口に運ぶと、甘くとろけるカスタードの風味が広がった。
「メッチャおいしいです、シロガネさん! この前お店で食べたプリンより全然おいしいですっ!」
「あはは、大げさだなぁ」
「そんな事はありませんよ。シャルの言う通り、このお味はプロの方にも決して劣りません」
「ふふ、フィルエッテさんからもそう言ってくれて嬉しいわ」
先ほど言ったように、家でデザートを作る機会があまりなかったために普段の料理よりも不慣れではあったのだが、彼女たちの喜ぶ様子を見て白鐘自身も満足げであった。
だがもう一人、食べさせたかった家族が去って行った先を、白鐘は寂しげに見つめる。
「……あたしたちには相談しろって言っておいて、自分は隠し事ばかり……ほんと、大人って卑怯」
◯
これから姉と話す事は、特別彼女たちに聞かせられない内容というわけでもなかったのだが、場合によっては彼女たちに関わらせたくない人物とも関わる話題でもあるゆえ、諏方は自身の部屋へと戻っていったのだ。
自室へ入り、通話ボタンを押す。
「もしもし、姉貴」
『よお、諏方。愛しい姉からのラブチュッチュコールなんだから、もうちょっと嬉しそうに――』
「――用件は?」
『むぅ……もうちょっと遊び心というものをだなぁ――』
「――切るぞ?」
『待て待て⁉︎ わかったわかった!』
姉のペースに巻き込まれると話もなかなか進まなくなる事をわかっていた弟は、早く話の先をうながせる。
椿はコホンと一度セキ払いした後、声のトーンを真面目なものに変える。
『一昨日、お前から頼まれたものを調べてきたぞ。赤いジャージの集団……お前の睨んでいた通り――奴らは"半グレ"だ』
「半グレ……ヤクザのような大きな組織には所属せずに犯罪を行う暴力集団……嫌な勘が当たっちまったもんだ」
先日、映画館の帰りにシャルエッテとぶつかり、因縁を吹っかけてきた赤いジャージの集団。彼らに見覚えはなかったものの、彼らの纏う雰囲気は明らかに一般的な不良よりも残忍性を帯びていたように諏方には感じられたのだ。
『グループ名は"沙羅慢怒羅"。リーダーである赫羽根――お前と睨み合った頬に赤い蜥蜴の刺青を彫った男だな――を中心に、元々は別の地域で活動していたみたいだが、最近になって桑扶市に活動拠点を移したらしい。かなり潜伏の上手い連中でな、私ですら情報を調べるのに一日以上かかってしまった』
「……なるほど、それで『爺さん』のアンテナに引っかかっていなかったわけか。……連中は主に何をやってるんだ?」
『潜伏の上手いわりに活動はかなり過激だよ。暴力行為はもちろん、薬や人身売買にも手を出してる』
「人身……売買……」
諏方の頭に一瞬過ぎった小太りの男性の顔を、彼は頭を振って無理やりに追い出した。
『それと……最近は裏ホステスのケツ持ちもやってるみたいだな。店の名前はたしか……"クラブ・パンデモ"というらしい』
「『クラブ・パンデモ』……!」
『知っているのか?』
「ああ……白鐘の友人の親父さんが通っている店だ」
諏方はスマホを持ってない方の手で頭を抱える。半グレにケツ持ちを任せている時点で、クラブ・パンデモがまともな店であるはずがない。下手をすれば、守も厄介な事件に巻き込まれる可能性は十分にありえた。
『……なら、お前からその親父さんに店に近づかないよう警告しておいた方がいいだろう。"翁"には私から話を通しておく。自分の庭に入られた以上、翁殿も彼らを放っておきはしないだろう』
「……ああ、頼む。俺も今から親父さんに話を――」
会話の途中で、ガラスが割れたような大きな音が耳をつんざいた。その音は――、
「……隣からだ」
隣は天川親子の家。諏方の頭に悪い予感が巡った。
「わりぃ、姉貴。またあとで連絡する!」
早々に電話を切り、諏方はすぐさま階下へと降りる。
「――お父さん! 今の音って、進ん家からだったよね……⁉︎」
玄関へ向かう途中、白鐘たち三人の少女が食卓から不安げな顔を出していた。
「……とりあえず、俺一人で様子を見に行く。五分経っても戻ってこなかったら、警察に連絡してくれ」
そう告げると、返事を聞かぬまま諏方は外へと飛び出す。
天川家は家を出てすぐ隣のため、数十秒とかからない距離にある。
「おい、何があっ――」
「――たっ、助けてくれええ!!」
天川家の玄関の前にまでたどり着くと同時に、見知らぬ男が家から飛び出てどこかへと走り去ってしまった。
「あの赤いジャージ……沙羅慢怒羅か……⁉︎」
突然であったため確認できたのは一瞬だが、男はたしかに赤いジャージを着ていた。悪い予感がさらに強まる。
「っ……」
男が飛び出した玄関は開いたまま。中は明かりが消えて真っ暗になっているため、何が起きたか確認できない。
諏方は念のため周囲を警戒しつつ、開いたままの玄関へと入っていく。
「うぅ……」
「進ちゃん……⁉︎」
玄関に入るとすぐ、見知った短髪の少女がうずくまっているのを見つけた。
「……四郎?」
「ああ……ケガはないか、進ちゃん?」
諏方はすぐさま彼女のもとに寄り添って、ケガがないかを確認する。髪が誰かに引っぱられたのか少し乱れており、さらには右頬にも殴られた跡のようなものを見つける。掴んだ彼女の肩は、明らかに恐怖で震えていた。
「……何があったんだ、進ちゃん」
彼女を落ち着かせるため、なるべく優しい声で何があったのかと問う。進は震える唇を開けないでいるかわりに、前方の方へと指を差した。
「っ……?」
彼女が指差した方向を注意深く見つめる諏方。
――そこには、上半身が裸の男性と、彼に首を絞められている様子の赤いジャージを着た男性の二人がいた。
「…………守……さん?」
目の前の驚愕の光景に頭が追いつかず、諏方はただ上半身裸の男性の方の名を呼んだ。
「……やあ、四郎くん」
男性はいつも通りの穏やかな表情で、赤いジャージの男の首を絞めたまま、娘の友人に笑顔を向けたのだった。




