第17話 まるで我が家じゃないどこか
「やっば、部活が長引いてすっかり真っ暗になっちまった……!」
自宅へ向かって一人夜道を駆ける少女は、部活を終えてジャージ姿のままでいた天川進だ。陸上部は比較的帰りが遅くなる部活ではあるが、他校との練習試合が近いというのもあって、今日はいつも以上に終わるのが遅くなってしまったのだ。
月明かりと外灯に照らされた夜道を進はほとんど息を乱さず、スピーディーに駆け抜けていく。
「今から晩メシ作るとなると、出来上がるのは九時すぎちゃうかもなぁ……ま、最近親父も帰りが遅いから、あんま気にしなくてもいいかもだけど……」
以前の彼女の父親の帰宅時間はだいたい夜の六時から七時、飲みに行った後だとしても遅くても九時ぐらいには帰っていたのだが、最近は十時から深夜の零時を越えても帰ってこない事も多々あった。その場合、必ずといっていいほど父は酔っ払いながらの帰宅となっていた。
「やっぱり今日も、浅見さんのお店に入り浸ってんのかなぁ……まあ、アタシには関係ない事だけど……!」
関係ないとつぶやきながらも、頬を膨らませたその表情は側から見ればどう考えても意識しまくりなのであった。
『――いいんじゃん、再婚しても?』と言ってしまった手前、父親の恋はたしかに応援してはいるのだが、その純粋な思いとは別として、やはりずっと二人で過ごしてきた家族としては複雑な気持ちにはなっていた。
父が幸せになるのなら、愛する人と一緒になるべきだとは思っている。だが、二人が上手くいかなければ父親とこれまで通りの日常がまた過ごせるようになるかもしれないと、心のどこかで彼女は考えてしまう。
親しい父の幸せを願いながら、自分のためにその人の破滅を同時に願ってしまう己自身を進は嫌いになってしまいそうになった。
「……バッカみたい。とりあえず、簡単なもんでもいいからさっさと晩メシ作っておかなきゃ――」
自宅前にまで到着したところで、進の足が止まる。家の中は真っ暗である。案の定、彼女の父はまだ帰っていないのだろう。
さして珍しい事ではない――なのに、進は妙な胸騒ぎを覚える。誰もいないはずの家に、誰かの気配を感じられるのだ。
どうしてそう感じたのか――理屈として言いあらわすのは難しいまでも、父がいない間も長年この家を守ってきた彼女には、今の家の状態に違和感を抱いたのだ。
「っ……」
ゴクリと息を呑み、忍び足でゆっくりと玄関へ向かう。
「っ……! 鍵が開いてる……⁉︎」
いつもはその必要性もないのだが、鍵を開ける前にドアノブを回すと、そのまま扉が開いてしまったのだ。いつもの無意識での習慣ゆえ、今朝家を出る際に鍵をちゃんとかけたか確証まではなかったが、それでも進がこれまで家の鍵をかけ忘れた事は一度もない。
「…………」
音を立てないように静かに、進は恐る恐る自宅の中へと入っていく。一番気が休まるはずの我が家は、今はまるで何者かが潜む知らない誰かの家のような不気味さを感じられた。
息を殺し、耳をすます。すると、奥のリビングの方で何やらガサゴソと物を漁るような音と、誰かの話し声がかすかに聞こえた。
「――見つかんねえじゃねえか。たくっ、どこに――を隠したんだよ」
「二階の部屋にも――ぜ。ほんとに家の中にき――があるのか?」
「…………やっぱり、泥棒?」
聞こえる声は男性のものが二名。明らかに家にある何かを探している様子だった。
今すぐにでも現場に乗りこんで彼らの正体を突き止めたかったところではあったが、相手は少なくとも男性が二名以上。進は格闘技は習っていないものの、男子一人ぐらいならケンカでも負けない自信はあったのだが、複数の男性が相手となるとさすがに危険であろう事は彼女も重々承知だった。
ひとまず警察へ連絡するためにスマホを取り出し、一旦家から離れようと玄関へ戻ろうとする進。
しかし――、
「かー、オレん家よりトイレ清潔にしてやがって、お高くとまってんじゃねえよ、クソ……が?」
「……えっ?」
あまりにもタイミングが悪いことに、たまたま玄関そばにあったトイレから彼らの仲間の一人と思しき青年が出てきたのだ。
予期せぬ事態に一瞬思考が停止して身体が固まってしまった進に対し、男性はすぐさま玄関を出ようとした少女の存在に反応して、彼女の背中へと回って羽交い締めにする。
「ちょっ――何すんのよ⁉︎」
「おい! お嬢ちゃんの方が帰ってきたみたいだぜ!」
男性が大声を上げると、それに反応してリビングにいた二人の男性が玄関前へと顔を出す。
「お? こいつはちょうどいいや」
顔を出した男性のうち一人が壁に手を当てて明かりのスイッチを探り、玄関周辺の電灯が灯る。
明かりが点いて姿を現した男性三人は赤いジャージに身を包み、いずれも下卑た笑いを浮かべていた。
「なんなのよ、アンタたち泥棒? だったら、この家にはたいして金目のものはないから無駄足よ……」
羽交い締めにされて身動きが取れなくなるも、進はなるべく冷静を取りつくろって眼前に立つ二人の男性を睨み上げる。
「泥棒……ってのはまあ間違ってはいねえなぁ。だが、金目のものはねえなんて嘘はいけねえぜ、お嬢ちゃん? オレたちはテメェの親父が隠した一千万の通帳が入った金庫を探しているんだからよぉ」
「ッ――⁉︎ なんで金庫のことを? それに、親父になんかしたのかよ⁉︎」
面識のない泥棒たちから突然金庫のことや父親のことを口にされ、進の胸に動揺が広がる。もしかしたら彼らに父が何かされて、金庫のことを話してしまったのではないかと危惧してしまう。
「そんな事をお嬢ちゃんが知る必要はねえ。それより、金庫の在処と金庫の暗証番号を教えな? 素直に話せば、余計なケガはしなくて済むぜ?」
「っ……」
彼らが漁っていたのはやはり金庫なのであろう。彼らがどれほど前からこの家に侵入したかはわからないが、進たちの部屋もリビングもかなり荒らされたのではないかと思われる。
「一千万なんてのはお前たち一般市民には過ぎた金だ。オレたちがその金を有効活用してやるから、さっさと隠し場所と番号を吐き出せ」
進は歯噛みする。彼らが何者なのかはわからない。だが、少なくとも真っ当な世界の人間ではない事は確かだ。そんな彼らに――、
「――アンタらには、金庫の場所も暗証番号も教えない……!」
まっすぐにキッとした瞳で、二人の男を見つめる進。
「あんな金、アタシはいらないって今でも思ってる。でも……アタシなんかのワガママのために、親父はあの金に手をつけずにアタシを育ててくれた。どんなにアタシがいらないって言っても、あのお金を大人になったらアタシに渡すんだってずっと言ってくれてた。……あのお金が欲しいからアンタらに渡さないんじゃない……アタシの親父があの金を頑張って守ってくれてたからこそ、アンタらなんかに簡単に渡してたまるかっ!!」
明らか危険な集団であるとわかっていても、譲らぬ姿勢を見せるために雄叫び同然の大声で宣言する進。
だが、目の前に立った二人の男のうち一人が無表情になり、いきなり躊躇なく進の頬を右の拳で殴ったのだった。
「…………っ?」
痛みよりも何が起きたのかわからず、進はしばらく放心状態になってしまう。
「女で子供だから殴られねえとでも思ったか?」
先ほどまでヘラヘラとした笑いを浮かべていたとは思えないほど、冷徹な表情で進を見下ろす男たち。
「素直に従えねえ奴は女子供だろうが関係なく痛めつける。時には殺しだって辞さねえのがオレたちのやり方だ。……これ以上殴られたくないんなら、諦めて金庫の場所と暗証番号を吐きな?」
進は改めて、この三人が自分の住む世界とは明らかに違う住人である事を理解する。彼らの言う通り、金庫の場所と暗証番号を喋らなければ彼らは容赦なく同じように彼女に暴力を振るうだろう。
だが、それでもなお進は――、
「――女子供だからって……舐めんな……!」
さらに強く、男たちを睨み上げるのであった。
怖くないわけではない。だがそれでも、父が大切に守ったお金を彼らに渡すのだけは進にとって絶対に許せない事だった。
「……まだ恐怖が足りてねえよぉだなぁ? いいじゃねえか。お嬢ちゃんが喋るまで、遠慮なく殴りつけてやるよ――」
「――まあ待て、いい事を思いついた」
進を殴りかかった男の横で、もう一人の男が彼を制止する。
「そのガキンチョ、思った以上に芯が強え。下手すりゃあ、死ぬまで口を割んねえ可能性も十分ありえる」
「じゃあどうしろってんだよ⁉︎」
「落ち着け。いい事を思いついたって言ったろ?」
ニヤニヤとした顔で男はスマホを取り出し、どこかに電話をかけ始める。
「これからガキンチョの親父さん担当の方に連絡する。こっちに連絡来てねえって事は、向こうもまだ取り組み中ってとこだろ? だからこのガキンチョに、親父さんの拷問実況を聞かせてやるんだよ」
「――ッ⁉︎」
名前は呼ばれなかったものの、彼女の父を示唆する言葉を聞かされて、進は驚きで目を見開く。
「お前ら! 親父に何したんだ⁉︎」
羽交い締めにしてくる男性を必死に引きはがそうとするも、やはり掴まれた腕はびくともしない。目の前の男二人も再び下卑た笑みが戻っていた。
「まあ落ち着きなよ、お嬢ちゃん? お望み通り、今からお前の親父さんがどうなっているのか、嫌でもじっくり聞かせてやるからよ……」
男は向こうの仲間に今の状況とこれから何をするかを伝える。その会話に割りこむように――、
『――進!!』
――父の声がした。




