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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
夕闇に吠える狼編
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第13話 事件は満月の夜にて

「お客さまー、飲みすぎですよ?」


「……んあ?」


 目が覚めると、目の前にはカウンターと大量の空きグラス。先ほどまで頬を下にして突っ伏していたカウンターの上には、小さなヨダレの水たまりができていた。


「……あだだ⁉︎」


 頭にジンジンと割れるような痛みが響く。


 天川守は荒川部長に呼び出され、心臓に刃物を突きつけられたかのようなやり取りの後、気分が悪くなって昼休憩を終えてからすぐに会社を早退。だが家には帰らず、こうして桑扶市のバーで許容量以上の酒を浴びるように飲んでいたのだ。


 よく行く居酒屋だと会社の人間と遭遇する確率があったため、わざわざ滅多には行かないシックな内装のバーを選んだ。グラスとはいえ、クラフトビールを十杯近く飲んで守は完全な酩酊(めいてい)状態になっており、視界が不安定にクラクラしていた。


「……何があったかは存じませんが、お店の中で寝られると他のお客様にもご迷惑です。これ以上飲まれるとお客様自身の体調にも悪影響でしょうし、今日はこれぐらいにして、もうお帰りになられた方がよろしいかと?」


 バーのマスターから暗に早く出て行けとうながされ、守は「すみませんでした……」と一言謝りつつ、そそくさと会計を済ませて店を出る。


 時刻はもうすでに夜の十時を過ぎている。スマホのメッセージアプリには娘から『何時に帰ってくるの⁉︎』と怒りマーク付きのメッセージが送られていた。


 だが、それにも返事する気力がわかず、守はスマホをスーツのポケットにしまって夜の街をフラフラと目標もなく歩いていく。


「…………」


 本来ならば、今ごろは『クラブ・パンデモ』に足を運び、綾香にプロポーズの返事をしているはずであった。しかし、彼女を出しに使った荒川部長の脅迫の後では、彼女に会いに行く資格などないと自戒(じかい)して店には行けなかった。


 ――綾香ちゃんを部長に差し出して娘との安定した生活を取るか、綾香ちゃんを守って娘との生活をおびやかされるか……。


 実のところ、これに関しては守は言うほど迷ってはいなかった。


 ――娘か綾香のどちらかを犠牲にしなければいけない状況なら、守は迷う事なく娘を選ぶ――。


 綾香は守にとって大切な幼なじみであり、今は愛おしさも感じる女性だ。


 だが、それ以上に守にとって娘である進は、自身の命よりも大切な存在である。娘を守るためならば、守はどんな犠牲をも――自身の命すら差し出す事もいとわない。


 だからといって、綾香を簡単に部長に差し出せるほど冷徹な人間というわけでもない。部長は過去に何人もの女性にセクハラを働いたりしただけでなく、気に入った女性を()()()()()を使って廃人に追いこむなどという噂を守は耳にした事がある。真相はともかく、そのような噂のある男に彼女を差し出せば、少なくとも彼女にとって不幸な事態が起こりえることは確実だとも言えた。


 だが綾香を差し出さなければ、守の担当するプロジェクトは社長の息子に奪われてしまう。それだけならまだ仕方ないと諦めきれるのだが、部長があらぬ悪評を会社に流して地方に左遷(させん)されるような事があれば、それこそ娘との生活が悲惨な状況へと追い込まれてしまう。


 ――なんとかして、綾香を差し出さずに部長の凶行を止める事はできないのだろうか……?




「――いっそ、部長が死んでしまえばいいのに」




 口にして、思わずハッとなって周りを見回してしまう。気づけば狭間山の山道付近にまで歩いており、周りには人ひとり見当たらず、誰にも聞かれなかったようで守はホッと息をつく。


「……っ」


 一瞬とはいえ、自身の頭によぎった思考に身震いする守。人を嫌いになる事はあれど、それが殺意にまで昇華される事など初めてであった。娘を捨てた元妻にすら、ここまでの憎しみを抱く事はなかった。


「……最近お酒を飲みすぎる事が多かったからかな? 占い師の幻覚を見たり、人に死んだりしてほしいなんて考えたり……いくらなんでも悪酔いがすぎるな。……とにかく、そろそろ帰らなきゃ」


 先ほどよりは酔いもいくらか覚め、一度大きく息を吐き出す。


 ――まだこれからどうすればいいかはわからないけど、今は一度家に帰って、一旦寝て酔いを完全に覚ましてから、考えをまとめておこう。


 自身の無力さを情けなく感じながらも、今は自宅で帰りを待ってくれている娘を安心させるために、改めて帰路につくことにする。


「…………」


 ふと、守は夜空を見上げる。彼の心がどれほど曇っていても空には雲一つなく、月は淡い光を浮かび上がらせていた。


「今日は満月か……。映画なら、狼男に変身する一番の見せ場(大事なシーン)だね」


 昨日娘やその友人たちと一緒に観た映画を思い出す守。愛する恋人を傷つけないために狼男に変身するのを耐えようとする主人公だが、彼は結局最後に恋人の前で満月を見てしまい、恋人や知人たちを皆殺しにしてしまう。


 ストーリーとしてはありきたりでそれほど面白くはなかったとしても、終盤の殺戮シーンの気合いの入れっぷりと、ラストで主人公が恋人を殺した後に血の涙を流して慟哭(どうこく)を上げながら、湖に沈んでいくシーンは素晴らしかった。




 ――もし、もしあの映画の主人公のように、狼男になれば荒川部長を殺す事もできるだろうか……?




「……うっ⁉︎」


 またしても浮かび上がる危険な思考に恐れを感じ、守は思わず頭を抱えてしまう。


 ――なぜ、なぜ今日はこんなにも、危ない考えばかりが思い浮かぶのか……?


「ハァ……ハァ……」


 頭はガンガンと痛み、呼吸が荒くなり始める。なんとか物騒な思考を頭から追い出そうとするも、考えれば考えるほど頭の中を『殺す』という文字が埋め尽くしていく。


「……アガッ……ガッ⁉︎」


 頭だけではない。身体全体にも痛みが走り、全身の熱が沸騰するように熱くなっていく。




 ――どのような人間にも、心の内に『獣』を飼っています――。




 ふと思い出すはあの日、占い師にかけられたおまじないの言葉。


 ――なぜ、今になってその言葉が思い出されるのだろうか。そもそも、あれは酔いが見せた幻覚のはずだ。


「ッ……」


 意識がだんだんと薄まっていく。それとは反比例するように、身体の熱はさらに上がっていく。


「うっ…………グルルゥ……」


 ――自分の口から聞こえるは、まるで自分の口からは発せられないような獣のうなり声。


 ――衣服が擦れるような音も聞こえ、自分の身体がまるで自分のものではなくなるような感覚に支配されていく。




「ハァ……ハァ…………グルルゥウ……!」




 再び夜空を見上げる。先ほどまで淡く金色に光っていたはずの満月は――まるで血のように紅く輝いていた。




   ◯




「うぃー……飲んだ飲んだ。久々に楽しく飲めたわい」


 桑扶市の端っこに位置する郊外に、不自然に黒髪を浮かせた男が足をふらつかせながら歩いていた。


 守の上司にあたる荒川は、桑扶市のキャバクラで飲み明かした後、実にわかりやすく上機嫌で自宅へと向かっていた。足取りは安定しないながらも、周りに人がいないのもあってその顔には気色の悪い笑みを満面に浮かべている。


「フフフ……計画が思い通りに進むのは実に楽しい。社長の息子に根回ししたかいがあったというものだ」


 社長の息子が守のプロジェクトを担当したいというのは、決して突発的な発言ではなかった。


 先日、飲みの帰りでたまたま部下である守が女性と連れ添っていたのを目撃し、その女性に目をつけた荒川は、守が大きなプロジェクトを任された事を気に入らなかったという理由も含めて、彼から綾香を奪い取ろうと画策する事にしたのだ。


 そして荒川は、社長の息子にプロジェクトの担当となって成功すれば一気に出世できると言い含ませ、彼をその気にさせたのだ。元々社長が息子を溺愛していたのもあって、事は順調に荒川の思い通りに運んでしまった。


 これでもくろみ通り守が綾香を差し出せばそれも良し。仮に差し出さなければ、脅迫した通りに悪評を社内に流して彼を失墜させ、彼を地方へと飛ばした後で綾香を奪い取ればいい。


 どちらにしろ、気に入らない部下を精神的に叩きのめした上で、目をつけた女を手に入れる事ができるというのが荒川の計画だった。


「グフフフ……あの女を奪い取った後はどうしようか……。最近新しい()()()も手に入った事だし、試すにはもってこいかもしれんなぁ……美しい女性が壊れゆく様を眺めるのはいつだって楽しいものだ……!」


 噂通り、荒川は非合法な薬の常習犯でもあった。もちろんその薬は自身に使用するのではなく、気に入った女性を壊すために使っていた。彼によって身体も精神(こころ)も壊された女性は決して少なくない。綾香が彼に奪われてしまえば、間違いなく彼女も他の女性たちと同じ末路をたどってしまうであろう。


 そんな楽しげな(醜い)未来を頭に描きながら、彼は今にもスキップしそうなぐらいウキウキで歩を進めていた。


「――っ⁉︎」


 ふと、嫌に刺激のある臭いが鼻をつき、驚いて足が止まってしまった。


 これは獣の臭いだ――。夜の闇にまぎれ、獲物を狩らんとする(ケダモノ)の臭いだった。


 荒川は辺りを見回す。そばには杉林があり、風に吹かれて木々のゆれる音が響くが、人も動物の気配も感じられなかった。


「……野犬か何かか? だが、ここは狭間山からも離れていて、野生の動物などほとんどいないはずだが……」


 荒川は周囲を警戒して何度も見回すも、やはり自身以外の気配は感じられず、鼻についた獣臭も風に流されてなくなっていた。


 安堵のため息を吐きつつ、荒川は改めて自宅に帰ろうと前方へと向き直る。




 ――直後、目の前に巨大な人影がどこからか飛び降りてきた。




「へっ――?」


 それがなんであるかを理解する前に、身体に激痛が走る。


「アガッ――⁉︎」


 荒川は複数の鋭い刃のようなものに身体を引き裂かれ、地面に倒れて痛みに身もだえる。


 ――通り魔か⁉︎ いや、人にしてはあまりにも巨体すぎる……二メートルなぞゆうに越している⁉︎


 ――それでは熊か⁉︎ だが、いくら市内に山があるとはいえ、桑扶市に熊が生息しているなど聞いた事がない。それに、熊にしては毛があまりにも縦に逆立っている……⁉︎


 痛みで全身が熱を帯びながらも、混乱する頭で荒川は人影の正体を知ろうと自身を切りつけた巨体を見上げる。


 月明かりが逆光になっていて、巨体の表情は暗くて見えない。だが、そのシルエットは荒川にも見覚えがあった。




 ――その巨体はまるで、ホラー映画に出てくる()()()()()そのものであった――。




「ガルルル……ガァッッ!!」


「ひいぃっ⁉︎ やめ――」


 叫ぶ声もむなしく、荒川の倒れた身体に再び五本の(つめ)が振り下ろされ――。




   ◯




『――続いてのニュースです。昨夜未明、桑扶市にて、会社員の男性が重傷で倒れているのを発見されました。男性は大型の動物に襲われたようなケガをしており、発見後間もなく病院へと運ばれ、一命を取り止めました。男性は病院に運ばれる際、「狼男に襲われた」と、うわ言のように何度もつぶやいていたとのことです。警察は事件、または山から降りた野生動物による獣害事件の両面で捜査する方針です』

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