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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
夕闇に吠える狼編
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第10話 思い出の河川敷

 天川進と天川守――二人の父娘は帰り道である河川敷(かせんじき)を歩いていた。茜色に染まった夕暮れ時の空の下、進は後ろ手を組みながら川から顔を出す岩の上をステップで飛び移り、川の横にいる父の少し前を進んでいく。


「……そんなとこでステップしてたら危ないよ」


「大丈夫大丈夫。アタシは親父と違って運動神経いいから」


 後ろを振り向かず、そのままさらに岩を伝って先を進んでいく進。


「…………」

「…………」


 話題が続かず、妙に重たい空気のまましばらく無言で河川敷を進む。


 大事な話があると言って二人っきりにはなれたものの、どう再婚の話を切り出すか守は迷っていたのだ。


 ――空気が重くなりすぎるのも嫌だし、軽い感じで言ってみようか?


『実は、僕っち再婚しようと思ってるんだ、ベイベー?』


 ――間違いなく殴られるな……。


 ――あえて、さらに空気が重くなるように言ってみようか?


『僕ね……生きて帰ったら、再婚しようと思ってるんだ……』


 ――ダメだ。映画だったらこの後僕が死んでしまう……。


 妙案が思い浮かばず、気づけばそろそろ家に着いてしまうところだ。


 せっかく話す機会を作ったのに、このままでは何も言えずに終わってしまう。このまま再婚の件を伝えられずにいれば、今後もずるずると何も進まなくなってしまうかもしれない。


 ――ここで勇気を出せなかったら、果たして娘に再婚を伝える機会は来るのだろうか……。




「――んで、大事な話って何さ?」




 岩の上で立ち止まり、進は父の方へと振り返る。まっすぐうかがうように見つめる彼女の少し切れ長の瞳は、父である守ですら見惚れてしまいそうなほどに綺麗だった。


「っ……」


 娘から先に言葉を出させてしまった事に、守は自身の情けなさを痛感する。言葉がすぐに出なかったがために、娘に余計な気を遣わせてしまったのだ。


 ――ここまできて娘を信じないなんて、それこそ父親失格だ……!


 守は一度心を落ち着かせるために深呼吸をし、娘の瞳をまっすぐに見つめ返す。


 そして――、




「進……僕、再婚しようと思ってるんだ……」




 ようやく意を決して、守は娘に再婚の話を告げた。


 たったこれだけの言葉を口にするのに、どれだけの時間がかかったであろうか……。


「…………」


 進は何も言わず、再び前を向いて川の上を進んで行ってしまう。


「進……」


 自身より前へと進んでしまった娘の顔は守には見えないが、今の彼にはその方が都合がよかった。きっと娘がショックを受けている、あるいは怒っているかもしれないと思うと、彼女の今の表情を見るのが怖かったのだ。


「…………」


 進は無言のまま父に振り返る事なく、どんどん前へと進んで行く。やはり怒っているのだろうかと、守の心がズキズキと痛む。


「……そうだよね。いきなりこんな話されても困るだろうし、新しいお母さんができるのも嫌だよね――」




「――いいんじゃん、再婚しても?」




 少し前で立ち止まって、再び進が父に振り返る。彼女の表情は守の予想とは違い、彼の決意の告白がなんでもなかったかのようにケロッとしていた。


「えっ? えっと……」


 あまりにも予想外であった娘の反応に、逆に守の方が戸惑ってしまう。そんな様子の父に呆れてため息を吐きながら、


「浅見さんでしょ、再婚しようと思ってんの?」


 浅見綾香に介抱されて以降、極力話題に出さなかった彼女の名前をあっさりと口にした事にもまた、守は驚いてしまった。


「十年以上女っ()のなかった親父が再婚考えてるだなんて、あの人しかいないでしょうが」


「そ、それはそうだけど……」


 娘の言葉に納得する父。しかしそれとは別に、娘があっさりと自身の再婚を認めてくれた事が不可解であった。


 たしかに先ほど四郎が言った通り、進は物事を自身なりに判断できる大人にはなったのだろう。それゆえ、彼女の言葉も何も考えずに出したものではないと守も理解してはいる。


 だが、それでも彼女は幼いころに母親に裏切られているのだ。あれからもう十数年経ったとはいえ、そんな彼女がこうもあっさりと父の再婚を了承し、新しい母ができる事にためらいはないのだろうかと――守は娘の了承を受けてなお、不安でいっぱいだった。


 そんな父の思考を読み取ってか、進は再度前方へと向きながら、


「アタシさ……いつも親父に文句ばっかり言ってるけどさ、なんだかんだで親父には感謝してるんだよ。親父もママ(アイツ)に傷つけられたのに、悲しいのを我慢してアタシをここまで育ててくれた……おかげで、アタシは白鐘や友達と楽しくやれてるし、好きな陸上にも全力で打ち込めてる。親父のおかげで、アタシは母親がいなくても十分幸せに育った……だからさ、今度は親父も幸せになってほしいんだって……アタシはそう思ってるんだ」


「進……」


 父に対して素直になれない娘が見せた珍しい感情の吐露(とろ)。そんな娘の思いを乗せた言葉が、父にとっては何よりも嬉しかった。


 ――不安に思わなかった時などなかった。仕事のためとはいえ、長く娘を一人家に残した事で、常に寂しがっているのではないかと。よからぬ友人などとつるんで、悪い子になってしまったのではないかと。


 ――だが、娘は誰かを思いやれる立派な大人に成長した。ガサツでぶっきらぼうのように見えて、人を思える優しさを身に付けてくれた。


 ――娘が健全に成長してくれたのも、ひとえにお隣である白鐘ちゃんや諏方さんたちが、僕のかわりに彼女を支えてくれたおかげなのだろう。


 守は心の中でお隣の父娘二人や、進の友人たちに深く感謝する。


 そして、目の前には感謝すべき人がもう一人――、


「ありがとう、進……今度こそ、僕も幸せになってみせるよ……!」


 それは守なりの決意表明。せっかく娘が父の幸せを願ってくれたのだ。ならば、そう願ってくれた娘のためにも幸せにならなければ嘘だ。


 その決意を聞き届けた娘の表情は笑顔で――しかし、その笑顔はどこか寂しさも混じっているようで――、




「あっ――」




 ――ふいに、目の前に立っていた娘が体勢を崩した。水に濡れていた岩に足を滑らしたのだ。


「危ない!」


 すぐさま守は川へと飛びこみ、倒れこむ娘をかばうように抱きかかえる。浅瀬なので溺れる事はなかっただろうが、デコボコの石が並べられた川底に倒れればケガをしていたかもしれない。


「もう……だから危ないって言ったんじゃないか……!」


 珍しく語気を強める守。跳ねた水で濡らした顔を上げた進は始めキョトンとしていたが、少しして「あはは!」と大声をあげて笑い出した。


「なっ……笑い事じゃあ――」


「あはは……ごめんごめん。親父に怒られたの久々だなぁって思ってたらなんか笑けてきちゃって。……それに、こうして親父と水浴びしたの、何年ぶりかなぁって思っちゃってさ」


「あっ……」


 進がまだ幼かったころ、守は休日にこの河川敷でよく娘と水浴びしていたのを思い出した。


 離婚したばかりでふさぎ込んでいた娘と、仕事に明け暮れていた父の貴重な二人きりの休日。


 なかなか川に入りたがらなかった娘の前で転び、川に落ちてびしょ濡れになった父を見て、離婚して以来久しぶりの笑顔を見せてくれた娘。


 この河川敷は、進と守の父娘二人にとって思い入れの深い場所でもあったのだ。


「……約束してくれよ、親父。さっき親父が言った通り、今度こそ親父も幸せになるんだって」


 顔を濡らしたまま、進はまた少し寂しさを含んだ笑みを見せる。




 ――瞬間、守の心臓にズキリと痛みが走った。




「……親父?」


「……ああ、ごめん。……うん、約束するよ……ちゃんと幸せになるって」


 口にしながらも心の中で生じる違和感。だが、その違和感の正体が守には掴めずにいた。


「ところで……いつまでアタシの肩掴んでるのかなぁ? セクハラで訴えちゃいますよ?」


「うわっ! ご、ごめんね⁉︎」


 娘の肩からパッと手を離す守。父の顔が真っ赤になった様子を見て、進はゲラゲラと笑い出した。


「冗談だってばぁ。さてと、びしょ濡れになっちゃっし、そろそろ帰ってシャワー浴びなきゃだね。せっかくだし、今日はお祝いに親父の好きなのなんでも作るぜ!」


「あはは……気が早いよ、進」


 川から上がって服のすそを簡単にしぼった後、小走りで先へと駆け出す進。その表情には先ほどの寂しさを含んだ笑みではなく、普段見せる太陽のような明るい笑顔であった。


「っ……」


 心に小さな違和感を抱えたまま、娘の笑顔にはにかんだ笑みを返しながら、守も家に向かって夕焼けの下の河川敷を再び歩いて行くのであった。

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