第6話 映画のチケット
「――とまぁ、昨日はそんな事がありましてですねぇ」
昼休みの城山高校。その屋上にて、黒澤諏方は娘の手作り弁当をたいらげて、紙パックのジュースのストローに口をつけながら、ひたすらに天川進の話を聞いていた。
いつもならこの場に白鐘とシャルエッテ、最近は新しく黒澤家の同居人となったフィルエッテもまじえて五人で食事をするのだが、珍しく進以外の少女三人は別件でそれぞれ出払っており、今は諏方と進の二人しかいない。
昼食を始めてすぐ、諏方は昨夜天川家で起きた一連の出来事を愚痴まじりに聞かされていた。
父親である守が桑扶市にあるクラブの前で酔っ払いに絡まれていた女性を助けた事。その女性がたまたま守の幼きころの友人であった事。二人はそのままクラブで酒を飲み、守がベロンベロンに酔ってしまった事。そしてクラブのホステスであった女性――浅見綾香が守を介抱して自宅まで来た事。
進自身が綾香伝いに聞かされたそれらの出来事は、一日の中で起こった話としてはかなりの情報量であった。
話を最後まで聞いた諏方は――、
「へぇー……」
っと、ジュースをズボボボと音をたてながらそう返した。
「へぇー……って、一言で済まされるとこっちもむなしくなっちゃうんですが?」
「つってもよー、進ちゃんも守さんもいろいろと大変だったんだなぁって感想以外特に言葉も出てこねえよ」
「むぅー……ま、それもそっか」
少し文句を言いたげながらも、あっさりと引く進。こういうさっぱりとした性格は彼女らしいなぁっと、諏方は内心ホッとする。
「にしてもいいのか、俺にそういう込み入った家庭事情話しちゃって?」
「あれ、もしかしてこういうリアル系な話、苦手だった?」
「いや、そうじゃねえんだけどさ……進ちゃんとは仲いい友人だとは思ってるけどよ、一応俺たちは知り合ってからまだ二ヶ月ほどしか経ってねえだろ? いくら同じクラスで家も隣同士だからって、まだ会ってからそんな年月経ってない俺がそういう話を聞いてもいいんだろうかって思ってよ……」
諏方の言う通り、四郎がこの学校に転入してからまだ二ヶ月ほどしか経っていない。一応諏方からすれば、進は彼女が小さいころから見知った少女ではあるし、進自身も彼がただの転入生ではなく、白鐘の従兄弟だという事もあって、すぐに意気投合するのは自然な事ではあった。
とはいえ、家庭の内情を話すというのは本来、相応の信頼関係があればこそだ。彼女がそういう信頼を抱いてくれるという意味では諏方も嬉しくはあるのだが、それほど仲がいいわけでない相手にもそういう話をしているんじゃないかと彼は心配していたのだった。
「べっつにー? アタシはいちいちそういうの気にするタイプじゃないし。それに……友情ってのは年月なんかじゃなくて、大事なのはハート……だろ?」
最後の方はわざとらしくカッコつけたような声で、自身の心臓を親指で指す彼女に諏方は苦笑いを浮かべる。
「それにさ……上手くは言えないんだけど、四郎とはまだ二ヶ月しか過ごしていないって感じがあんましないんだよね。それこそ、子供のころからずっと仲良くしてた感覚っていうか、どことなく諏方おじさまに似てるから、なんつーか安心できるんだよね……」
「っ……」
諏方としてはなるべく見知った人間に正体がバレないように、若返ってからは実際の自分とはかなりタイプの違う人間を演じてきた――というよりは元来、若いころの自身と比べてかなり性格が違っていたため、自然と昔の自分に戻るだけでも別人のようになりきれていた――つもりだったが、長く一緒に時間を過ごしてきた相手にはこうして諏方と四郎がわずかにでも重なって見えてしまっていた事に、彼自身少し驚いていた。
「……あっ! 今の諏方おじさまには絶対内緒だかんね! 言ったら蹴り飛ばすから!」
――すまねえ、バッチリ聞いてしまったよ……――っと内心で謝りつつ、諏方は彼女の言葉を素直に嬉しく感じていた。
「ちなみにだけど、その綾香って女が働いてる店の名前と彼女の源氏名は聞いてるか?」
「ゲンジナ?」
聞き慣れない単語に首をかしげる進。
「あー、つまりその店で働いてる時に使う名前のことだ。基本的に水商売系の店で働くホストやホステスってのは本名を名乗らず、店の中では源氏名を使って接客してるんだ」
「あー、そういうこと。たしか……お店の名前は『クラブ・パンデモ』で、そのゲンジナ? ってのは多分アヤナって言ってた気がする……てかなに? もしかして、四郎ってそういうお店に興味津々系男子?」
「ちげーよ! ちょっと気になっただけだ。にしてもクラブパンデモ……聞いた事のない店だな……」
ブツブツと何かをつぶやく諏方。彼の珍しく釈然としない態度に進は違和感を抱くも、特にそれ以上は追及しなかった。
「あ、そだ。渡したいもんがあるんだった」
そう言って何かを思い出した進は、自身のカバンをあさり始める。少しして彼女は自分のサイフを取り出し、そこから一枚の細長い紙切れをつかんで諏方に渡した。
「これは……映画のチケットか?」
紙切れの表面には、3DCGを使った毛むくじゃらの怪物が満月に向かって咆哮をあげるジャケットが映し出され、その横に赤い太文字で『狼男の恋』と、このチケットの映画であろうタイトルが書かれていた。
「ア、アタシの親父がこの前、試写会のチケット持ってきてただろ? そ、それとは別に、アタシと一緒に観に行きたいっていう映画の前売り券も買っちゃったみたいでさ……」
先ほどまでいつも通りであった進の様子が、急にしどろもどろ気味になり始める。
「……んで、なんで俺にその前売り券を? 親父さんと行きゃいいじゃねえか?」
「いやほら! アタシってホラー映画苦手だろ? ……だから、アタシのかわりにこういう映画が好きそうな四郎が一緒に行ってやってよ? 多分、親父も趣味が合う四郎と一緒の方が楽しめるだろうしさ……」
「…………」
ふと気になって、諏方は前売り券を後ろにひっくり返す。前売り券の裏側には購入した場所がわかるよう、店の名前のハンコが押されていた。
購入場所は『シネマ・ソウフ』。桑扶市にある唯一の映画館であった。
前売り券を表に戻し、今度は映画の上映日を確認。上映日はちょうど一週間前。つまり、この前売り券は一週間前にはすでに買われていたという事になる。
一週間前はまだ守が長期出張中であった。ならば、彼にはこの前売り券を購入する事ができないはずなのだ。
「……なるほどな」
全てを察した諏方は、渡された前売り券を彼女に戻すよう突き返した。
「こいつは守さんと一緒に映画を観るためのチケットなんだろ? だったら、これはお前が使うべきだ」
彼がチケットを突き返したのが意外だったのだろう。進はしばしそれを受け取れずに戸惑ってしまっている。
「いや、だから……アタシはホラー苦手っていうか……」
「で? この映画はいつ観に行く予定だったんだ?」
「えっ? まあ……今週の日曜ぐらいにしようとは思ってたけ――」
進の予定を聞いてすぐさま、諏方はもう片方の手でスマホを素早く取り出し、ある人物に電話をかける。
「白鐘か? 突然でわりーけど、今週の日曜空けといてくれ。それと、できたらシャルエッテとフィルエッテにも同じように日曜空けてもらうように伝えといてくれ。頼むぜ」
一方的に娘にそう伝え、早々に電話を切った。
「よし。これで六人で映画観れる事になったぞ? さすがに六人もいれば、お前の怖がりも多少はやわらぐだろ?」
ニカっとした笑みで、自身たちも一緒に映画を観に行く事を告げる諏方。
本当ならば諏方も、進と守の父娘二人で楽しんでほしくはあった。この前売り券はおそらく、進が映画好きな父親のために買ったものなのだろう。そしてできれば、彼女自身も父親と一緒に映画を観たかったはずなのだ。しかし、それでも苦手なジャンルの映画を自宅でならともかく、映画館での大きなスクリーンで観るにはまだ彼女の勇気は足りていなかった。
ならば、彼女の勇気を少しでも奮わすためにはあえて大所帯にした方がいいと諏方は判断した。大人数で行けばその分、ホラー映画を誰かと観ているという安心感が得られるだろうし、何より映画を観る事に躊躇していた進の背中を後押しできると考えたのだ。
「っ……」
進は未だ思い悩むも、意を決して四郎の手からチケット受け取る。
「しょ、しょうがないにゃあ……四郎がどうしてもって言うんなら、一緒に観に行くのもやぶさかでありんすけどぉ?」
「はは、口調が定まってねえぞ?」
顔を赤らめながらも、進は嬉しそうに映画のチケットを優しく握っていたのだった。
――ま、映画自体が気になったのは間違ってねえけどな?――
映画のジャケットになっていた低予算臭の強い荒々しい3DCGの狼男の作り込みに、内心興奮していたのも諏方の本音ではあった。
「にしても久しぶりだな、守さんと映画を観るのは……」
かつて娘たちが遊んでいる時や寝た後に、同じ映画好きの彼と一緒に映画を観た日々をなつかしく思いながら、進に聞こえないように諏方は小さくつぶやいたのであった。




