第26話 プロファイリング
「――姉貴も知っていたのか、魔女を……」
境界警察人間界支部、特別治療施設内のシャルエッテの病室にて、先ほどまで明るげであった空気はたった一人の名前を口にしただけで、一気に重苦しいものへと変化していった。
「会った事はないがな……。ただ、境界警察の資料をいくつか見ていて、たびたびヴェルレインの名が載っていたんだ。どうやら、彼女は数十年前にはすでに人間界に潜伏していたらしい。それこそ、お前が三巨頭の一人とされた不良の黄金期にはすでに、城山市内で存在を確認されていたとの事だ」
「そんな昔から……」
不良の黄金期と呼ばれた時代から、もうすでに二十年以上が経過している。彼女はそれ以上の長い年月、境界警察の捜査網をかいくぐり、諏方たちが暮らしている同じ町にずっと身を隠していたのだ。
「ヴェルレインの目的は現在も不明との事だが、どうやらこの城山市を中心に、魔法使い狩りをしているという噂があるようだ」
「魔法使い狩り?」
聞き慣れぬ単語を耳にし、諏方は思わず訊き返してしまう。
「彼女はここ数十年、定期的に他の魔法使いを襲撃していると資料に載っていた。ヴェルレインが目撃されたという場所に行くと、何度か別の魔法使いの死体が見つかったとの事だ。なぜ彼女が別の魔法使いを襲うのかはわからないが、少なくとも彼女がこの人間界で姿を現してから数十年、この魔法使い狩りを続けているらしい……」
「…………」
ヴェルレインが人間界に数十年潜伏していた事がわかってもなお、彼女の謎はより深まるばかりであった。
「……私はヴェルレインと会った事はないが、資料などを分析して彼女の人格想定をする事はできる。……あの女はかなり狡猾だ。他者を制圧し、利用する事に徹底的に長けている。私がこれまで相手にしてきた敵の中でも、彼女はおそらくトップクラスの実力者だ」
工作員として、いくつもの国の政治やテロに関わる敵を相手にしてきたであろう椿をして、ヴェルレインはそれらと比べても遜色ないのだと、資料を調べただけでも十分に把握できたのであった。
「諏方……また彼女と出会うような事があれば、なるべく情報を私によこしてほしい。ここ最近になって、どうやら彼女の動きが活発化しているようだ。もしかすれば……近いうちに何か大きく行動する可能性は十分ありえる。ヴェルレインがお前たちに接触してきてるのも、おそらくはその一環かもしれない……」
二人の姉妹弟子同士を互いに闘わせるように仕組んだ魔女。気まぐれのようでいて、彼女の行動は緻密に計算されている。今回の騒動も、おそらくはヴェルレイン本人の目的のために仕組まれた可能性は十分にありえた。
今後もヴェルレインは、諏方たちになんらかの形で接触してくるであろう。それはつまり、彼にとって大切な家族を狙われるかもしれないという危機を常に抱えるという事でもある。
「上等だ……」
諏方は拳を震わし、痛いくらいに握りしめる。
「正直、アイツの目的にそこまで興味があるわけじゃねえ……だが――」
――ヴェルレインが身にまとっていた気は、これまで相手にしてきたどの魔法使いとも明らかにレベルが違いすぎる。だがいずれ、彼女が家族を狙うという事があるのなら、決して臆するわけにはいかない。
「――俺の家族に危害をくわえる奴は、誰が相手だろうがブッ飛ばしてやる……!」
「っ……!」
そばに立つだけで身を震わしてしまうような諏方の威圧感に、彼の姉も思わず息を呑んでしまった。
成長――いや、彼は戦いの中で、かつて三巨頭の一人として名を馳せた不良時代の勘を取り戻しているのを肌で感じさせる。
「……うん。どうやら、今のお前なら白鐘ちゃんやシャルエッテちゃんたちを任せても大丈夫そうだな」
弟に戦いとは縁遠い青春を体験させたかった椿としては複雑な胸中ではあったが、家族を守るうえで彼がかつての強さを取り戻すのは歓迎すべき事でもあった。
「――それじゃ、私はそろそろ任務についての報告に向かうよ。……私が言うのもなんだが二人とも、あんまり無茶だけはするなよ?」
「……本当に姉貴には言われたくねえよ」
魔法使いと戦うような事はあれど、諏方たちは普段は学生気分を十分に満喫しているのだ。常に世界を相手に戦い続ける姉の方がよっぽど修羅な日々を送っているであろうに、彼女は一切そんなそぶりを見せる事はない。
「ツバキさん! わざわざお見舞いに来ていただき、ありがとうございます!」
「なぁに、こうして久々にお前たちの顔を見れただけでも、ここに来た価値は十分にあったさ。まとまった休日が取れたら、今度は白鐘ちゃんにも会いに行くよ」
「そうしてやってくれ。あいつも喜ぶだろうさ」
最後に小さく二人に手を振って、椿は病室を立ち去って行った。
「……しっかし、まさか姉貴とここで再会するとは思わなかったな」
所属する組織が境界警察と協力関係になり、今まで以上に多忙となった姉に、諏方は連絡を取り合う事がほとんどなくなってしまっていた。
それでも、こうして難しい場面に颯爽と現れ、どうするべきか手を差し伸ばしてくれる姉に、諏方は心の中で改めて感謝する。
「あの……スガタさん……」
ふと、先ほどまで治療明けとは思えないほどに元気な様子を見せていたシャルエッテが、なぜかおずおずと気弱げに諏方に声をかける。
「さっきまではしゃいでおいてなんですが……本当に……フィルちゃんもスガタさんのお世話になってもいいのでしょうか……?」
今さらながらに、フィルエッテの保護まで諏方にお願いするのはずうずうしいのではないかとシャルエッテは考えてしまっていた。
彼を元に戻すという名目があるとはいえ、シャルエッテがこうして人間界で生活できるのは、諏方たち父娘の好意あってのものだ。その上で、フィルエッテまで面倒を見てもらうというのはさすがに彼らに甘えすぎではないかと彼女は憂いてしまう。
諏方を見つめるシャルエッテの瞳が不安げにゆれている。
「……まったく、お前は本当に変なところでネガティブになるな」
ため息一つ吐きながら、諏方はゆっくりとシャルエッテの座るベッドへと近づき、彼女の頭を優しくなでる。
「っ……⁉︎ スガタさん……?」
「今さら変に遠慮ぶるんじゃねえよ。フィルエッテが悪人じゃないってのは俺にもわかるし、同居人が増えたところで別に構いはしねえさ。それに、あの子がいれば俺を元に戻す方法も見つけやすくなるかもしれないだろ?」
「っ――! その考えは盲点でした……!」
もちろんこれは方便ではあったが、フィルエッテを黒澤家に置くのに十分な理由づけにはなるだろう。
「それと――」
普段は背丈の関係でシャルエッテを見上げる事が多い諏方が、ニカっとした笑顔で彼女を見下ろしながら、
「お前は頑張って強い相手に勝ったんだ。なら、頑張った子にはご褒美をあげるのが家族ってもんだろ?」
頑張った者へのご褒美――姉弟子のために慣れない戦略を練って、全力を振り絞ったシャルエッテにとって、今にも涙があふれそうになるほどに嬉しい賛美の言葉であった。
「ま、白鐘にも許可を取らなきゃいけないし、そもそもフィルエッテが俺の保護を受け入れてくれるかどうかはわからねえけどな」
「……大丈夫です……必ず、フィルちゃんはわたしが全力で説得してみせます!!」
涙をぬぐい、心の底から嬉しそうな満面の笑みでシャルエッテは諏方を見上げた。
実現するのは難しいかもしれない。実現するのに時間がかかるかもしれない。
シャルエッテは姉弟子の優しさを知っている。きっと今回の件について、彼女は罪悪感をその身に自ら背負うであろう。
――だけどきっと、スガタさんやシロガネさんと触れ合えば、その重荷を少しでも軽くする事ができるかもしれない。
わだかまりが残ったまま別れるくらいなら、必ずフィルちゃんを説得してみせる――シャルエッテは大好きな姉弟子の心に宿った闇を完全に払うために、気合いを入れて必ず説得してみせると心に誓うのであった。




