第12話 黒澤白鐘という少女
『この状態のままでは食べられないので、一旦ステルス魔法を解除しますね』
彼女は俺の脳内にそう語りかけて、杖を軽く振る。すると、彼女の全身が淡く光りだし、半透明だった身体が色濃くなった。
「ステルス状態の間は、微量ながらも魔力が消費し続けていたので、これでやっと楽になれましたぁ……!」
彼女の声も脳内からではなく、本人の口から聞こえるようになった。
俺は念の為に持ってきておいた白い布包みを解き、黒色の弁当箱を取り出す。
「ようやくメシが食えるぜ。白鐘に引っぱられて、気づきゃあもう昼休みも半分過ぎてるしな……。じゃあ、いただきます――って、そういやお前んところの世界にも、食事前後の挨拶って習慣はあるのか?」
「はい、もちろんありますよ! 魔法界にも動物や植物がいて、それらの命や内包魔力を我々は糧としてますから、感謝の言葉は欠かせません。特にわたしのお師匠様は、そういうマナーには厳しいお方でしたから」
こう聞くと、案外彼女たちが住んでいた魔法界とやらの文化やそのあり方も、俺らの世界と大して変わらないのかもしれないな。
「そんじゃあ改めて、いただきまーす」
「いただきます!」
娘の作る弁当はいつも手が込んでおり、高校生になって自分の分も作るようになってからも、そのクオリティーは変わらなかった。
今日のおかずは肉団子の和風あんかけにたこウィンナー、かにかま入りだしまき卵に、ほうれん草のおひたしだ。
当然、シャルエッテの分の箸もフォークもなかったので、彼女は自分の魔法でおかずを宙に浮かせて口に運ぶ。なんともシュールな光景だ……。
「もぐもぐ…………うわぁ! すっごく美味しいです!」
彼女は今まで見せた中で多分一番の喜びの表情を、眩しいくらいに輝かせていた。
「だろ? 会社に行ってた頃は必死に仕事して、昼休憩にこの味を噛み締めていたもんだぜ……って、おい!? 肉団子取りすぎだバカ!」
「だっておいしいんですもん!」
俺たちは弁当箱を挟んでギャーギャー騒ぎながらおかずを取り合った。中身はあっという間に空になり、俺は弁当箱を白い布に包み戻す。
ぐぅ……。
半分以上シャルエッテに食われたのもあって、まだ腹は空腹を訴えている。どうやらご丁寧に、胃の調子も若返っているようだった。
「そういえば、どうしてここの場所がわかったんだ?」
ふと、気になってた事をシャルエッテに尋ねてみると、彼女は満腹げな笑みのまま説明を始める。
「えーとですね……人間にもわずかにですが、わたしたち魔法使いと同じ魔力が流れているのですよ。魔力はその人その人で違う波長があるので、スガタさんの魔力を辿ってここに来たのです。もっとも、人間の魔力は本当にわずかな量しかないので、おおまかな場所しかわかりませんでしたけど」
「マジで? もしかして、俺たち人間にも魔法が使えたりすんのか?」
純粋な興味からきた俺の問いに、しかし彼女は難しそうな顔を浮かべる。
「うむむ……魔法界に行って長年修行を積めば、可能性がないわけではありませんが……人間の微量な魔力ではどちらにしろ、たいした魔法は使えないと思いますよ?」
「そりゃそうか……」
期待してたわけじゃないが、それでもシャルエッテの返答を聞いて俺はため息をついてしまう。そんな俺の何が気になったのか、彼女はこちらを覗き込むように見つめてくる。
「何か……使ってみたい魔法でもあるのですか?」
少女の純粋げな表情でそう問われ、俺は気まずさで彼女から目線を逸らしてしまう。
「っ…………親子仲を戻す、手っ取り早い魔法はねえかなぁ……なんて、ちょっとだけ思ったり思わなかったり……」
「……まだ完全には、シロガネさんと和解できていないのですね?」
「まあ……そりゃ簡単にはいかねえだろうな……」
すっかり二人して気分が沈んでしまい、空気が重たくなってしまう。
「一応、他者の精神をある程度操作できる暗示魔法というものがありますが、わたしにはちょっと……」
「……わかってる。魔法なんかで無理やりなんとかしようって考えが、そもそも間違いなんだ……ただの気の迷いだ、気にしないでくれ」
乾いた笑いをこぼす俺に向かって、シャルエッテはまた昨日みたいにズイっと身を乗り出した。
「でも! 人の心というのは、魔法を使わずとも動かす事はできるはずです……! わたしはスガタさんとはまだ会って間もないですが、スガタさんの誠実さと優しさは、すでに十分なほどに伝わっています……。ですから、シロガネさんにもいつか、スガタさんの気持ちがきっと伝わるはずですよ……!」
俺はちょっとした驚きで、言葉もなく彼女を見つめた。
「どうしたんですか、そんなに見つめてきて……?」
じっと見られてシャルエッテは恥ずかしくなったのか、顔を赤くしながら前のめりになっていた身体を引き戻した。
「いや、お前がまともなことを言うとは思わなくて」
「うわぁ! それひどいですぅ、スガタさぁん!」
彼女は涙目で、俺の肩をポカポカと叩いてくる。不覚にもちょっと可愛く思えてしまった。
「はは、冗談だよ。…………うん、ありがとな、シャルエッテ」
キョトンとする彼女の頭を、俺は右手で優しめに撫でる。
「ほえ?」
「いろいろと楽になった。そうだよな……この姿に戻っても、俺と白鐘は親子だ。全力でぶつかっていけば、あの娘も俺のことをきっと認めてくれるはずだ……」
「そんな、ダメです!」
「え?」
まさかの否定形。
「男の子が女の子に全力でぶつかったらケガしちゃいます!」
「なんで物理的な意味になってるんだよ!? つうか男の子かぁ……改めてそう言われると、嬉しいやら悲しいやら……」
中身四十代で男の子と呼ばれるとは……人生いろいろあるものだと一瞬、悟りかけてしまう。
「でも、どうやってシロガネさんにスガタさんのことを認めさせるんです?」
「そうだな……変に目立った事をしても、また怒られるだけだろうし……待てよ、なんであいつは、あそこまで怒っていたんだ?」
たしかに俺が注目されるという事は、その影響は従姉弟と設定されている白鐘にも当然及ぶ。
だが転校生である以上、ある程度注目されてしまうのは仕方がない事だ。それぐらいの事は、あいつにだってわかるはずだ。
……まあ、あの教師とのやり取りで必要以上に目立ってしまった感はあるが、それでもあそこまで怒りをむき出しにされるほどの事なのだろうか……。
――俺はしばし考察する。
進ちゃんは昨日、白鐘のことを――クールで、学年トップクラスの成績の持ち主。人目を引く銀髪とその美貌で、少なからずの隠れファンを増やしていってる美少女――っと、学校で評されている事を教えてくれた。
今になって思うと、白鐘のこの評価に俺は少なからずの引っかかりがあった――もちろん、俺と碧の自慢の娘なんだ。そりゃあ学校でも隠れファンが出来るほどの美少女には違いない。いや、むしろ堂々とファンクラブが発足されたっておかしくないほどの可愛さのはずだ! ――コホン、考えが逸れてしまった。
ともかく、少なからず娘が学校内で一定以上の人気があるのは、親として非常に誇らしい事この上ない。しかし、俺が引っかかったのは娘の性格を『クール』という単語のみで表した事だ。
たしかに、娘の性格はクールなのには間違いはない。
だが、家での彼女はクールというよりは、どちらかというとクールな女の子だ。常に物事を一歩引いた視点で見つめる大人っぽさと、何事もそつなくこなす万能さを掛け合わせた少女。
かといって、機械的な人間というわけではなく、笑う時は笑うし、怒る時は物凄く怒る。
多くに関心を持たない代わりに、好きになったものにはとことん熱中する。
冷静沈着に見えて、けっこうわがままなところもあるし、一度決めた事にはよほどじゃない限り曲げようとしない。
――陸上部を辞めた時、その理由を、彼女はかたくなに語ろうとしなかった事を思い出す。
運動神経抜群で、進ちゃんと並んで将来はエースをも期待されていた娘が突然好きだったはずの陸上部をやめたのだ。俺や陸上部の顧問がどれだけ説得しても、娘は部に戻る事はなかった。
――悪く言えば、白鐘はけっこう頑固な子なのだ。
普段は大人びた少女だが、その一方で好きになったものにはとことん前のめりになって突っ走る子供っぽさを見せる。
そんな複雑さを内包する娘は、ある意味女子高生らしい成熟と未熟の間にいる不安定な――ありていに言えば、どこにでもいる普通の女の子なのだ。
そんな娘が学校内ではクールという一言で片付けられているのが、やはり俺にはどうにも引っかかってしまう。
――そういえば普段は仲良しで、娘の事をある意味俺以上に理解している進ちゃんに対しても、白鐘はかなり冷たい態度を取っていた気がする。
「…………」
――もし、娘が俺や進ちゃんに必要以上に冷たい理由が俺の予想通りだとしたら……彼女の心を開く方法は――。
「スガタさん? どうしたんですか、さっきから黙ったままで?」
いつの間にか、シャルエッテが目の前で俺の顔を覗きこんでいた。
「おっと、わりぃな? ちょっと考え事してた。……なあシャルエッテ、白鐘の秘密を一つ教えてやろうか?」
「えっ、またおねしょしたんですか⁉︎」
「おねしょの話はもうやめろ! またあいつに殺されかけられん……」
仕方がなかった事とはいえ、昨夜の娘のドロップキックはトラウマものだ……。
「はぁ……? では、どんな秘密なのでしょうか?」
俺は彼女にニヤリとした笑みを見せる。
「白鐘には……俺と進ちゃんにしか知らない、隠れた趣味がある」
――もしかしたら、逆効果になるかもしれない。
――より一層強く、娘が俺のことを拒絶するかもしれない。
――だが、娘の現状をそのまま放置する事など、親であるからこそ、俺は認めない……!
スマホを取り出し、昼休み終了までまだ時間があるのを確認。
頭の中でぱぱっと思いついた即興の作戦になるが、俺は娘との現状打破のために、急いで教室へと向かっていった。




