第25話 椿とウィンディーナ
あまりにも意外な人物の突然の登場に、諏方は目を丸くして困惑の表情を浮かべていた。
「あ……姉貴⁉︎ どうしてこんな所に……?」
先ほどウィンディーナの話した事が本当ならば、この境界警察の施設は人間の出入りが厳しく制限されているはずだった。ゆえに、諏方と同じ人間である椿がこの場にいる事に、彼は動揺を隠せなかったのだ。
「以前に話したが、私が所属している組織と境界警察は正式に協力関係を結んでいるんだ。それ以降、私は魔法使い関連の任務に世界中飛び回る事になってな。その際は、ここに所属している魔法使いに頼んで門魔法を使ってここから任務地へと飛んでいる。今日はたまたま任されていた任務を終えたのと、お前がここにいると聞いて報告がてら顔を出しに――」
「――――お姉さまあああああッッッ!!」
突然、雄叫びのような嬌声をあげながら、諏方の隣に立っていたウィンディーナが椿に飛びかかって彼女の肩に抱きついた。
「椿お姉さまあああ……ウィンディーナは……ウィンディーナは任務で忙しくしているお姉さまと何日も会えてなくて寂しゅうございましたあああ……」
「ええい、ほっぺとほっぺをこすり合わせるな! 何日も会ってないって、たかが三日程度だろ⁉︎」
「…………」
あまりにも予想外な出来事が起こりすぎてて諏方は脳の処理が追いつかず、次の言葉を発するのにしばらく時間がかかってしまった。
「なんか……会わねえ内にずいぶんと好かれたな、姉貴?」
「ああ……ウィンディーナとは任務で一緒になる事も多くてな、気づいたらこんなふうになつかれてしまったんだ――って、いい加減離れろ!」
「やん……!」
椿に無理やり押しのけられるも、ウィンディーナは実に嬉しそうであった。
「諏方さん! 椿お姉さまはすごいんですよ! 相手がB級以上の魔法犯罪者であっても、ちぎっては投げ、ちぎっては投げて――」
「投げてない投げてない」
「あはは……ていうか、海外にもやっぱり魔法使いっているんだな?」
「そりゃそうですよ。今でこそ、魔女の宝玉を目的に城山市を中心として日本に潜伏する魔法使いは多いですが、それまではヨーロッパ諸国を拠点とする魔法使いがほとんどでしたからね。西洋に魔法関連の伝説が多いのもそれが理由です」
かつてシャルエッテが白鐘にも語っていたように、人間界における神秘が交わる歴史には魔法使いの存在が関わっている事も多い。魔術師、錬金術師、超能力者――そう呼ばれた者のほとんどの正体は魔法使い、あるいは魔法界に迷いこみ、魔法を修練した人間とされている。
「今でも城山市の動向を見つつ、海外で活動している魔法使いも少なくありません……ですが! それらを相手にしても椿お姉さまは人間でありながら、彼らを難なく次々と打ち破り、ちぎっては投げ、ちぎっては――」
「――もうそれはいい!」
そうツッこむ椿の顔には珍しく疲弊が見える。
先ほどまで冷静に会話していたのに、今は興奮気味に憧れのお姉さまの武勇伝を垂れ流すウィンディーナの豹変っぷりに、諏方はただただ苦笑するしかなかった。
「お久しぶりです、ツバキさん!!」
ウィンディーナが喋り続けるなか、シャルエッテが元気よくベッドの上から椿に挨拶をする。
「うん、久しぶり、シャルエッテちゃん。今回の話はすでに聞いているよ。自分より実力が上であろう姉弟子を相手に、よく頑張ったね」
「っ……! はい! わたし、頑張りましたっ!!」
椿に褒められたのがよほど嬉しかったのか、シャルエッテはいつも以上に満面の笑みを花咲かせていた。
「それで……俺がフィルエッテの保護者になるってのはどういう事なんだ?」
少し場が落ち着いたところで、諏方はフィルエッテの件へと話題を戻す。
「フィルエッテちゃんが執行猶予を受けて保護観察処分になるのなら、監視するための保護者が必要になるだろ? なら、諏方がフィルエッテちゃんの保護者認定を受ければ、彼女は魔法界に帰る必要なく諏方の家に置いておけるって事さ」
「っ――! それって、フィルちゃんと一緒にスガタさんのお家に住めるって事ですか⁉︎」
椿の説明に、ベッドの上にいたまま聞いていたシャルエッテが目を輝かせていち早く反応する。
「こらこら、あくまで名目は監視なんだから喜んじゃダメだぞ? ……もちろん、本来の保護者である君のお師匠さまの許可を得る前提の話になるし、そもそも諏方も快諾してくれるか次第ではあるんだがな」
椿に注意されるも、シャルエッテはすでにフィルエッテとの同居が決まったかのようなはしゃぎぶりを見せていた。
「……まあ、俺は別に居候の一人や二人増えても構わねえけどよ……俺なんかが魔法使いの保護者認定をそう簡単にもらえるもんなのか?」
「まだ二ヶ月ほどとはいえ、お前はすでにシャルエッテちゃんの養育実績が十分にできているはずだ。人間界での暮らしの経過報告書もシャルエッテちゃんはきちんと境界警察に提出しているみたいだし、それらを使えば養育実績の証明にもなるだろう」
椿の言う通り、シャルエッテの現時点での保護者役である諏方の実績が証明されれば、上手くいけばフィルエッテを彼のもとに保護する事もできるであろう。
「だがよー……そもそもフィルエッテが俺たちとの同居を望んでいるかはわかんねえぞ?」
「もちろん、フィルエッテちゃんの意思は尊重するさ。ただ……私としては暗示魔法にかかっていた彼女の精神を案定させるという意味でも、シャルエッテちゃんとのわだかまりを解消して、一緒に過ごす事を推奨したいところだけどね……」
戦いを終えたとはいえ、まだ二人の心にはわだかまりが残っているであろう。それが解消されるというのなら、諏方もフィルエッテとの同居は歓迎したいところだった。
そんな中、気づけば先ほどまでテンションが天井知らずであったウィンディーナが、いつの間にか難しげな表情を浮かべていた。
「うーん……わたくしも可能なら、諏方さんにお任せしたいというのは本意であるのですが……シャルエッテちゃんの養育実績があるとはいえ、境界警察の上層部がフィルエッテちゃんの保護者認定を出してくれるかは難しいところですねぇ……」
基本的に人間界での魔法使いの処遇は、境界警察の上層部が管理している。当然、フィルエッテの監視兼保護役を人間に任せるかどうかも、上層部の認可が必要であった。
「シャルエッテちゃんの場合は、諏方さんのヴァルヴァッラ逮捕への協力という功績と、魔女であるエヴェリア様の口添えがあっての特例中の特例……さらに境界警察上層部には、人間の存在をよく思わない旧体制派の魔法使いも数人程度ですが存在はしています……彼らが首を縦に振るかは、正直あまり期待はできませんね……」
その説明を後ろで聞いていたシャルエッテは、わかりやすいぐらい残念そうにうなだれていた。
「……たしか、境界警察本部のトップである境界警察庁長官は君の父親だろう、ウィンディーナ? 身内びいきみたいな形になって申し訳ないと思うが、君から父親に説得する事はできないだろうか?」
「っ――⁉︎ ウィンディーナさんって、そんなお偉いさんの娘さんだったのか⁉︎」
諏方は本日何度目かわからない驚きの声をあげてしまう。今日だけで頭に入る情報量が、あまりにも多すぎるのであった。
「あはは、お恥ずかしながら……ただ、父は上層部の中でも特に頭の固い方でして……娘といえど、わたくしの話を聞いてくれるかは――」
ここで突然、椿がウィンディーナの口元に手をそえて、彼女の顎をクイッと上げて、
「そこをなんとか、君の力で説得してくれないかな……?」
聴く者の心をときめかせる椿の中性的な声で囁かられ、一瞬でウィンディーナの瞳にハートマークが浮かび上がる。周りにバラが咲き誇る幻覚が見えそうなぐらいに、二人から甘ったるい空気が発せられていた。
「お、お姉さま……」
「それとも……私の頼みは聞いてもらえないのかい?」
畳みかけられる蠱惑なイケメンボイスは、ウィンディーナの心臓に見事大打撃したのであった。
「任せてください、お姉さま! このウィンディーナ・フェルメッテ! これより、父を直接説得しにまいりまぁぁぁすッッッ!!」
ウィンディーナは喜びの雄叫びをあげたまま、一瞬でどこかへと走り飛んでしまったのであった。
「……キャラ変わったなぁ、ウィンディーナさん。にしても、相手をたらしこめるのはさすが工作員ってところだな、姉貴?」
「……フフ、色仕掛けは男女問わずお手のものさ……ハハハ……」
遠い視線でウィンディーナが去った先を見つめる椿の笑顔は、とても先ほどまでイケメンボイスを発していた人物と同じとは思えないほどに引きつっていた。
「っ……ありがとうございます、ツバキさん! わたし……フィルちゃんとまた一緒にいられると思うと……本当に嬉しいです……!」
今にも嬉し泣きしてしまいそうなほどに、目をうるませがらシャルエッテは精一杯の感謝を椿に伝える。
「なに、喜んでもらえて何よりさ。ただ……フィルエッテちゃんの意思と君のお師匠さまが許可を出すか次第でもあるから、その嬉し涙は彼女と一緒になるのが決まるまで取っておきなさい」
シャルエッテが喜んでいる様子に、提案した椿も満足げであった。
「もちろん、金銭的な支援は任せてほしい。なに、一人分養育費が増えてもまだまだ余裕はあるさ」
「はは、姉貴は頭が上がんねえや……」
あまり表には出せないでいたが、休職中である諏方にとって姉からの支援には大変助けられていた。
ここ最近会う機会はなかったが、こうして諏方が娘の白鐘やシャルエッテとも穏やかに過ごせるのも、姉の支えがあってのものだった。
恥ずかしくて口にはできないが、諏方も姉に対して本当に感謝していたのであった。
「ところで話は変わるが……私も聞いているよ、『日傘の魔女』ヴェルレイン・アンダースカイ」
「っ――⁉︎」
その名を耳にし、なごみかけていた場の空気に一気に緊張が走るのだった。




