第17話 姉妹弟子対決〜シャルエッテVSフィルエッテ〜①
――思えば、黒澤諏方が魔法使い同士での一対一の闘いを見るのはこれが初めての事であった。
魔法使い同士の決闘――その戦い方はもちろん人間とは異なるものであろう。
だが――戦闘が始まる前の静かで肌がひりつくような空気は、諏方がこれまで経験してきた喧嘩のそれとまったく同じものであった。
杖を構えた二人は、しばしどちらもその場から動かないでいた。
どちらかが一歩でも動いた時――それが戦闘開始の合図。
まだわずかな時間しか経っていないというのに、緊張で張りつめた空気は無限にこの時間が続いているかのように錯覚させる。
――そんな中、先に動き出したのはフィルエッテからであった。
「罠魔法――攻勢の型!!」
魔法名の宣言と同時に、フィルエッテは地面に勢いよく手を触れる。
瞬間――シャルエッテの周囲に大量の小さな魔法陣が展開される。地面にはもちろん、空中にも複数の魔法陣が出現したのだ。
そして、それぞれの魔法陣から鎖が飛び出し、シャルエッテに目掛けて襲いかかる。
「――ッ!!」
シャルエッテは思いっきり地面を蹴り上げ、横方向へと鎖をかわした。
シャルエッテの身体を空振りした鎖たちは、グサッと鋭い音を立てて地面に突き刺さる。
そして――、
「いたっ……!」
鎖をかわしたはずのシャルエッテのローブが数ヵ所切り裂かれ、露出した肌にわずかにだが、何かに切られたかのように傷がついた。身体だけではない。腕や脚、顔にもいくつかの切り傷がつき、血が痛々しく流れ出る。
「あの鎖……俺を拘束した時の鎖と違う……⁉︎」
正確には、鎖そのものは諏方を拘束した時に使ったものと同じではあるのだが、その先端には鋭利な刃が鎖全てに付いており、その切っ先が地面へと突き刺さったのだ。シャルエッテの肌を切り裂いたのも、この刃によるものであった。
「――トラップ魔法は目視できない魔法陣を設置し、起動する事で魔法陣に仕掛けた魔法を発動させる事ができる遠隔操作型魔法。フィルエッテちゃんの使う鎖型は本来狩猟などを目的に使われるのだけれど、設置はもちろん維持にも魔力を消費するため、決して燃費のいい魔法とは言えなかった」
諏方たちから見てシャルエッテたちよりも先の向こう側、優雅に日傘をさしながら二人の魔法使いたちの闘いを眺める魔女が、突如として口を開いた。
「彼女はそんな魔力効率の悪いトラップ魔法を、敵への攻撃用にまで昇華させた。さらには大量の魔法陣の設置とその維持、そして複数の魔法陣の同時展開のような複雑な魔法操作が実行できるのは、フィルエッテちゃんの高い魔力量と天才的な魔法技術があればこそ……」
楽しげにヴェルレインが解説している中、目の前ではフィルエッテがさらに展開した大量の魔法陣から飛び出た鎖で、シャルエッテを追いつめていく。鎖の先端に付いた刃はシャルエッテのローブや肌をさらに切り裂いていき、傷自体は浅いながらも、ダメージは少しずつ蓄積していく。
「だけど――フィルエッテちゃんの本領はそこではない」
身体の切り傷を増やしながらも、シャルエッテは鎖に捕まらないようギリギリでかわし続けている。だが、気づけば彼女は崖のある方向へと次第に追いつめられていった。
「フィルエッテちゃんの本領――それは彼女の戦略性の高さにある。彼女は戦闘経験自体は浅いけれど、魔法戦術学を徹底的に頭に叩きこんだ事によって、事前準備の必要な戦闘でなら彼女は常勝無敗。敵のデータをあらかじめ分析し、行動予測、状況解析、あらゆる戦況を想定し、幾十幾百もの戦略を練り上げる。……この戦略性の高さこそが、彼女を天才たらしめるゆえんなのよ」
シャルエッテは地を蹴って何度も何度も鎖をかわし続けるが、少しでも動きが止まるたびにさらなる鎖が彼女に襲いかかった。もはや、息つく暇も彼女には与えられない。
「この広場には、数日かけて設置された百以上のトラップ魔法が仕掛けられている。しかも、相手は共に長く時間を過ごした妹弟子。その動きや癖は、姉弟子であるフィルエッテちゃんが誰よりも熟知している。……シャルエッテちゃん、これほどの不利な状況の中、あなたに彼女のトラップ魔法を突破する術はあるのかしら?」
次々と迫り来る鎖をかわし続けるのが精一杯で、シャルエッテは反撃の隙を全く与えられない。しかも完全にかわせているわけではない。すでにシャルエッテのローブはボロボロで、傷だらけの身体は見るだけで痛々しく感じられるものであった。
「もうやだ……見ていられない……!」
親友が傷だらけになる姿を前にして、白鐘は悲痛さから彼女に目を向けられないでいた。
「目を逸らすんじゃねえ、白鐘!」
娘に発破をかけるように、諏方はシャルエッテをまっすぐに見つめたまま声を張り上げる。
「でも……これ以上シャルちゃんが傷つくところなんて見たくない……!」
「……シャルエッテは今、傷だらけになりながらも立ち上がったまま必死に闘ってるんだ。親友のお前が見届けなくてどうするんだよ……?」
「っ……」
父の言う通り、今傷つきながらも戦っているのはシャルエッテ本人なのだ。彼女から目を逸らすという事は、彼女の勝利を信じないのと同義。
白鐘は不安げな表情のままながらも、流れ出る涙を拭ってまっすぐに親友の姿を見守る。
「でも……このままじゃシャルエッテちゃんは防戦一方ね……」
青葉もまた、陰り曇る戦況に不安げな表情を隠せないでいた。
「たしかに、今は鎖をかわすだけで精一杯みたいだが……気づかねえか、二人とも?」
白鐘と青葉は二人して、彼が言いたいことの真意を掴めず首をかしげる。
「魔法陣から飛び出る鎖のスピードはかなり早い。目視だけじゃ、とてもかわしきれるスピードじゃねえ。……フィルエッテがシャルエッテの動きを熟知しているように、シャルエッテもトラップ魔法の動きを予測できているんだ……!」
「「っ――⁉︎」」
諏方の言葉通り、シャルエッテは魔法陣が出現する直前にはその位置に視線を動かし、鎖の軌道を読んでかわしていた。幼少期からフィルエッテと過ごしてきた事によってシャルエッテもまた、フィルエッテの行動パターンを予測できていたのだ。
「とは言っても、防戦一方なのには変わりねえ……だけど、あいつはフィルエッテに勝つ手段があると言っていた。今は、それを信じるしかねえ……!」
シャルエッテは依然として、鎖をかわし続ける事しかできなかった。しかしながらダメージは蓄積し続けるも、未だ致命傷には至っていない。
――だが、鎖をかわすために後退する中で、ついには崖を背後にした位置にまで彼女は追いつめられてしまった。転落防止用の柵はあるものの、その位置は腰より上あたりの高さまでしかなく、少しでも身体が後方に傾けば落下は必至であった。
この状況を想定していたのか、シャルエッテの前方と横を覆うように、魔法陣が大量に出現する。鎖の刃が付いた先端だけが顔を出し、いつでもその身体を串刺しにできるとでも言いたげに待機をしていた。
シャルエッテは休まる暇もなく動き続けた事で、ゼェゼェと苦しげに息を吐き出している。
「ワタシのトラップ魔法をかわし続けた事に関しては素直に褒めてあげるわ。でも……それも全てワタシの想定の範囲内。あなたがワタシの癖を熟知している事ぐらいは、あなたと共に過ごしてきたワタシが誰よりも知っている。だからこそ、鎖はあなたを捕らえるための軌道ではなく、あなたを追いつめるための軌道で動かした。あなたの逃げ場を完全に無くすためにね……」
「っ……」
後方は崖、前方と横には大量の鎖――フィルエッテの言葉通り、もはやシャルエッテの逃げ道はなくなっていた。
「『まいった』と言いなさい、シャル。……あなたが負けを認めれば、ワタシの中にあるあなたへの憎しみも、きっと払われるはずよ」
――当然、この言葉に確信はなかった。
フィルエッテに暗示魔法をかけたのは、魔法使いたちの頂点に立つたった五人しかいない魔女の一人なのだ。凡才な魔法使いの暗示魔法とは、脳への強制力のレベルが違いすぎる。
たとえここでシャルエッテが敗北を認めたとしても、おそらくは彼女を殺すまで、フィルエッテの暗示魔法が解除される事はないであろう。
それを承知の上で、フィルエッテは妹弟子に敗北を認めてほしかった。自身が優位である事への証を得るためではない。ただわずかな確率であっても、彼女はシャルエッテを殺したくなかったのだ。
――だが、明らかに追いつめられているにも関わらず、シャルエッテは普段見せないような不敵な笑みをこぼした。
「――やらずに諦めたら、何もできなくなっちゃいます」
「っ……⁉︎」
――それは、どれだけ落ちこぼれと貶されようとも、諦めずに努力を続けてきたシャルエッテがよく口にしていた言葉だった。
「ずっと一緒に過ごしてきたのに、忘れちゃったんですか? 『魔女の三人の愛弟子』の中で、わたしが一番諦めが悪いってことを……!」
誰の目から見ても、絶望的な状況なのはシャルエッテの方だ。だが、彼女の瞳に映った闘志は未だ消えずにいたままだった。
臆病であった妹弟子の成長を目にし、心の中では嬉しくなっているはずなのに――フィルエッテは諦観のため息を無念そうに吐き出していた。
「そう……それじゃあ、死になさい」
ガチャリと金属音が鳴る。それは刃付きの鎖が発射される前兆であった。
「ところで、わたし人間界に来てから一つ、難しい言葉を覚えたんです」
数十の鎖が発射される。その切っ先はシャルエッテの身体を貫こうとし――、
「――――油断大敵」
――血が吹き出す。複数の細長いモノが、まるで糸を通すように少女の身体を貫いたのだ。
「なっ――⁉︎」
「「え……?」」
「っ……!」
諏方たち三人はもちろん、普段はその妖しい笑みをほとんど崩さないヴェルレインですら、目の前の光景に驚愕で目を見開いていた。
「……がはッ――!」
身体から血を吹き出していたのは鎖に串刺しにされたはずのシャルエッテではなく、幾多もの細長い紫色の光に身体を貫かれたフィルエッテの方であったのだ――。




