第14話 説得
「ただいまー」
諏方は帰宅と同時に、まっすぐにシャルエッテの部屋へと向かう。その途中、シャルエッテが食べ終えた食器を洗い終わった白鐘とバッタリ鉢合わせしてしまう。
「あ……おかえり……」
先ほどケンカしていたのもあって、白鐘は気まずげな表情で父とは目線を合わせずにいた。
こうなるのも仕方ない、あれほどの大ゲンカになったのは久々なのだから――っと、諏方は納得しつつ、おもむろに娘の目の前にまで近づく。
「……どうしたの?」
無言のまま真剣な眼差しで近づいてくる父に、娘は戸惑った様子を見せる。
そんな彼女の頭にそっと諏方が手を置いて、彼女の頭を撫で始める。若返った今の彼は白鐘よりも背が小さいので、つま先立ちで少し無理やりげではあった。
「……何してんの、お父さん?」
実に嫌そうな視線で見つめられ、諏方はため息をついて娘の頭から手を離す。
「お前はクールぶってるように見えてけっこうワガママなところがあるし、人に相談せずに先走って行動する事が多いし、ゲームでは手加減してくれねえし、お小遣いの範囲内とはいえけっこうな額をスマホのゲームに課金するし……意外にダメダメなところが多いよな?」
「……え? 今あたし、悪口言われてる?」
唐突に羅列された憎まれ口の数々に、戸惑いを拭いきれないまま白鐘は父を睨みつける。
「でも……父親びいきで見ても白鐘は美人だし、頭がいいし、運動神経も抜群だし……なにより、人を思いやる優しさがお前にはある。いいところも嫌なところ全部引っくるめて、俺はお前のことが好きだぞ」
「…………ふぇっ⁉︎」
悪口の後は急に褒め殺しの言葉を並べられ、なおかつストレートに『好き』という単語を口にされ、急激に赤くなる自身の顔を白鐘は両手で覆う。
そんな娘の様子をとくに気にする事もなく、「じゃ」っと、まるで軽い挨拶をするように彼女へと手を振り、諏方は再びシャルエッテの部屋へと向かう。
「おーい、シャルエッテ、まだ寝てねえよな? 少し話がしたいんだけどいいか?」
扉にノックをし、中に引きこもってる少女へと呼びかける。
反応はなし。返事が来ない事を予測していた彼はまたため息をつきつつ、突然扉を思いっきり蹴り飛ばした。
「入るぞー」
「キャァアアアアッッッ―― ⁉︎」
いきなり強引に部屋へと入ってきた家の主に、シャルエッテは甲高い悲鳴をあげる。
「お、やっぱ起きてたか」
そんな彼女に遠慮する事なく諏方は部屋の中を進み、彼女が驚いた事で脚を引いてできたベットのスペースにドカっと腰を下ろした。
「強引に部屋に入って悪かったな、シャルエッテ」
「ああ、いえ……いきなりだったんで、ちょっと驚いただけです……」
シャルエッテは掛け布団で口元を隠しつつ、真正面から見つめてくる諏方にチラチラと視線を泳がせる。
「その……お話とはなんでしょうか?」
恐る恐る諏方にたずねるシャルエッテ。彼はなんと言葉をかけるべきか言葉を探し、少し間を置いてから口を開く。
「お前に気を遣って遠回しに濁しても仕方ねえから率直に言うぜ。シャルエッテ……フィルエッテと戦ってくれねえか?」
「っ……」
先ほどの諏方と白鐘のケンカの内容を聞いていたシャルエッテには、彼がそれを口にする事を予測はしていた。それでもなお、彼のその提案は彼女にとってあまりにも残酷で、聞くだけで心につらい痛みを伴ってしまうものであった。
「……ひどいです、スガタさん……スガタさんは、同じ師を持つ弟子同士であるわたしたちに傷つけ合えって、そう言いたいのですか……?」
「……ああ、そうだ」
「ッ……!」
シャルエッテは今にも泣きそうに目を潤ませていた。同じ弟子同士、大切な仲間同士で傷つけあえという、まるでヴェルレインと同じような言葉を彼が口にしたのが、彼女にとって何よりもショックであったのだ。
だが、当然シャルエッテがつらそうにしているのを諏方もわかっていないわけじゃない。彼はひと呼吸し終えた後、再び真剣な眼差しで彼女を見つめた。
「――さっき、狭間山でフィルエッテと会ってきた」
「…………えっ?」
さすがにその言葉は予想外であったのだろう。シャルエッテは涙で濡れた目を丸く見開いていた。
「たまたまの偶然だったんだが、彼女に会って少し話ができたんだ」
「そ……それでなんて、なんて言ってたのですか⁉︎」
先ほどまでの暗い状態が嘘だったかのようにシャルエッテは興奮し、ベッドに座ったまま諏方の方へと身を乗り出す。
「落ち着け落ち着け。会話したのはほんの数分だから、そこまで腰を据えてじっくり話したわけでもねえよ。でも……フィルエッテの抱くお前への憎しみの正体はわかった」
「わたしへの……憎しみ……」
シャルエッテは改めて、フィルエッテが自身に憎しみの感情を抱いていた事を再確認し、心が再び締めつけられてしまう。
「それで、あの子と話して俺はようやく思い至ったんだがよ……シャルエッテ、お前はフィルエッテに対して同じように怒ったり、ムカついたりした事はないか?」
「……へ?」
突然のその問いに、シャルエッテはしばらく思考が停止してしまう。そして、再び涙目になりながらも、初めて諏方を相手に睨むような強い視線を向ける。
「今日のスガタさんは本当にひどいです……スガタさんは、わたしがフィルちゃんのことを嫌っているとでも言いたいのですか……? フィルちゃんのことが好きだからこそ……こんなにも苦しいのに……」
「……ふむ」
諏方は涙を流すシャルエッテを前にして何か考えるような素ぶりを見せた後――、
「えい」
「ひぎゃ⁉︎」
なぜか唐突に、シャルエッテの頭頂部に軽いチョップを叩き込んだのであった。
「はう⁉︎ いきなり何をするんですか、スガタさん⁉︎」
軽めだったのでそこまで痛いというわけではないのだが、シャルエッテは涙目のまま頭を両手で抑える。
「今、いきなりチョップした俺に対して、ムカつきはしなかったか?」
ふざけているわけではなく、あくまで真剣な眼差しを向けてくる諏方に対し、シャルエッテは少し逡巡しながらも、
「ちょっと……怒りはしました……」
「それで、今の事で俺を嫌いにはなったか?」
「そ、そんなことは……あ⁉︎」
シャルエッテは何かに気づいたのか、口元を手で覆いながらハッとする。
「そうさ。親しい相手にムカついたり、イラついたりするような事があっても、それがイコール嫌いになるってわけじゃねえ。そりゃ小さな怒りが積み重なれば嫌いになる事だってあるけどよ、同じように好きだっていう気持ちも積み重ねによって強くなるもんなんだよ」
諏方がフィルエッテと会話して彼女に抱いた印象は、彼女がシャルエッテのことをとても大切に思っているという事だった。たしかに彼女は今はシャルエッテに対して強い憎しみの感情を向けてはいるのだが、それはあくまでヴェルレインの暗示魔法によって増幅されたもの。
フィルエッテが今のシャルエッテ同様苦しんでいたのは、彼女もシャルエッテのことが好きだという感情が残っていたからこそであろうと、諏方は推測したのであった。
「……人の心ってのは好きか嫌いか、それだけで全部決められるほど単純なもんでもねえんだ。相手のことが大好きだろうと嫌だと思う部分はあるだろうし、それでケンカする事だってしょっちゅうある。俺だって白鐘とよくケンカするけどよ、それでも俺は白鐘のことが大好きだし、白鐘も俺のことを好きでいてくれてるはずさ……だよな?」
先ほどから開けっぱなしの扉の横で二人の話を聞いていた白鐘が、面倒くさげな表情でハァっと強めのため息を吐く。
「そこは自信を持って言い切りなさいよね、まったく……」
赤面しながらそっぽを向く白鐘。否定自体はしてない娘に、父はホッと息をつく。
「フィルエッテがお前に抱いてた憎しみってのは、言ってしまえば誰もが他人に抱くような、そんな些細な怒りにしか過ぎないもんだったんだ。それはお前だって、あの子に対してまったくなかったってわけでもないんだろ?」
「それは……」
シャルエッテは徐々に、諏方の言葉に納得をし始める。しかし、それを自身が改めて口にするとなると、どうしても躊躇してしまうのだった。
「……フィルエッテが俺たちに襲撃をしたあの日、彼女が俺や白鐘たちを巻き込んだ事に対しても、お前は怒りが湧かなかったのか? 白鐘たちまで傷つくかもしれなかったあの状況に対して、お前は彼女になんの怒りも感じなかったのか?」
「っ……!」
シャルエッテはそこでようやく気づく。たしかにあの時、親しかったはずの姉弟子の豹変に戸惑い、強い悲しみで心はグチャグチャになっていた。だが同時に、彼女にとって大切な人となった諏方や白鐘、青葉をあの場で巻き込んだ事に対して、シャルエッテはフィルエッテにたしかな怒りを感じていたのだった。
「……俺がお前たちに喧嘩ってほしいのは、フィルエッテの心に宿った憎しみを晴らすためだけじゃねえ。シャルエッテ、お前も日頃から感じていた彼女への小さな鬱憤を彼女にぶつけて、それをこの機会に晴らしてほしかったからさ。お互い感情をぶつけ合って、ぶつかり合って……そんで最後は仲直りの握手をすれば、万事解決ってやつさ」
喧嘩することによって、二人は互いに傷つくことはたしかであろう。だがしかし、一度ここで二人がぶつかり合わなければ、互いの心に宿った小さな憎しみを取り払う事はできないであろうと諏方は考えたのだ。
「たしかに戦うことはしなくても、他にフィルエッテの暗示魔法を解除する方法はあるのかもしれない。だけど、それでお前たちが仲直りしたって、それはうわべを取り繕っただけのかりそめの仲直りだ。そんなのは、本当の友情だなんて言えねえ……。敵の提案に従うのは癪だが、ここでお互いに心をさらけ出してぶつかり合えるのはいい機会だと俺は思うんだよ」
「…………」
シャルエッテはすぐには返事できずにいた。心の中で何重もの迷いが生じ、どれだけ考えても彼女にとっての正解が見えずにいたのだ。
「……本当にフィルちゃんと戦えば、かつてのわたしたちの関係に戻る事はできるのでしょうか……?」
不安からこぼれた彼女の疑問。悩ましげにうつむくシャルエッテに、諏方は優しげな笑みを向ける。
「人間界にはこんな言葉がある。『喧嘩するほど仲が良い』ってな。たしかに、一時的にはお互いを傷つけ合うのかもしれねえ。でもな……ケンカするからこそ、修復できる関係だってあるんだぜ。それに、お前たちの絆はケンカ一つで崩れちまうほど、脆いもんだったのか?」
「そ、そんなことはないです!」
「なら、一度本気でフィルエッテと戦ってみようぜ? その戦いの中で、お前の中にある想いを彼女に全力でぶつけるんだ」
「…………」
またしばらく、シャルエッテは無言のまま返事をしなかった。しかし、その瞳には先ほどまでなかった強い意志のようなものが宿っているように諏方には見えた。
「……フィルちゃんは、同年代の魔法使いの中でも天才と呼ばれています。対して、わたしも同じ魔女を師に持っているにも関わらず、落ちこぼれと蔑まれてきました……そんなわたしが、フィルちゃんを相手に勝てるでしょうか……?」
「……大事なのは勝ち負けじゃねえ。互いに全力をぶつけ合ったその先の勝敗に納得し合えるかどうかさ。……ま、俺としてはお前に勝ってほしいとは思ってるけどな?」
真面目すぎる語りが気恥ずかしくなって、最後は少し冗談めいた口調になる諏方。そんな彼の言葉に、シャルエッテはようやく心の中の決心がついた。
「わたし……やってみます! 勝てる自信はありませんが、それでも……わたしの想いを、フィルちゃんに全力でぶつけようと思います……!」
「……ようやく、元気になってくれたみたいだな」
数日ぶりになるシャルエッテのやる気を出した姿を見て、諏方もようやく安堵する事ができたのだった。




