第12話 呼び方
月明かりが舞台照明のように照らすは一席のベンチ。そこに座るは男女二人。銀髪の少年と灰色の少女は、飲みかけの缶コーヒーを手にしながら互いに見つめ合う。
彼らの関係性を知らぬ他人から見れば、デート中のカップルがベンチにて愛の告白をしている――そんなロマンチックな場面にも見えただろう。しかし、フィルエッテが彼に抱く感情はそんな甘ったるいものではなく、油断すればそのまま押し潰されかねないと錯覚させてしまうほどの緊張感であった。
「ワタシと……何を話したいというのですか……?」
「……ま、そんな込み入った話をするわけじゃねえし、もうちょっとリラックスしろよ?」
そう言いながら、諏方は缶コーヒーに再び口をつける。まるで友人と飲んでいるかのような、あまりにも自然体な振る舞い。
だがしかし、そんな彼を前にしてもフィルエッテは警戒心をゆるめなかった。
「……先に、ワタシから質問してもよろしいでしょうか?」
フィルエッテから質問しにくるのは諏方にとって少し予想外ではあったが、「構わねえぜ」と一言彼はうなずく。
「先ほど貴方は、殺気を感じられない相手と戦うほど外道ではないとおっしゃいましたが、まさかワタシが殺気を纏わなかったという理由だけで、戦うに値しない相手だと判断したのですか? ……ワタシに対してすぐに警戒心を解いたのは、ワタシでは貴方と戦うのに実力不足だとでも言いたいのですか?」
「うん? まあ、実際に戦ってみなけりゃわからねえけど、俺とお前さんとじゃ十中八九俺が勝つだろうな」
「なっ――」
あまりにもあっさりと、彼はフィルエッテよりも強いのだと断言した。
「少なくとも、これまで戦ってきた魔法使い――ヴァルヴァッラとシルドヴェールよりは、お前さんは弱いだろうさ」
「……たしかに、そのお二方はA級の魔法犯罪者。その実力は、並の魔法使いなどと比べるべくもないでしょう……しかし、ワタシも魔女の一番弟子を自負しています。ワタシの魔法技術は決して、お二方に劣るようなものではありません……!」
バカにされたと感じてしまったのだろう、フィルエッテの視線に少し怒りの感情が混じる。
「お前さんの魔法使いとしての実力が、あの二人と比べてどうかってのは正直わからねえ。だがな……少なくとも、戦う者としての経験値はアイツらの方が圧倒的に上だった」
「戦う……者……?」
「アイツらは戦う者としての心構えができていた――目の前の相手を倒す、殺すという覚悟をもって、アイツらは俺の前に立っていたんだ。ああいう覚悟は、相当な修羅場を何度もくぐってなきゃ出せるもんじゃねえ。……お前さん、修行は死にものぐるいでやってきたんだろうが、実戦経験はそれほど多くないだろ?」
「っ……」
図星だったのか、フィルエッテはすぐに返事する事ができなかった。
「別にそれが悪いわけじゃねえ。不良の俺が言うのも変だが、戦いのない日常を過ごせるのならそれに越した事はないさ。お前さん、根はメッチャ優しいだろ? 今俺と話してる時は敵ながら丁寧な言葉を使っているし、俺たちを襲ったあの時もシャルエッテには殺意を向けていたけど、他の二人には危害をくわえようとはしなかった。俺に対しても鎖でキツくは縛ってきたけど、俺を殺そうという殺意までは感じられなかった」
「…………」
フィルエッテは反論する事ができず、完全に黙りこくってしまった。
――暗示魔法は元からある感情を増幅はできても、新たな感情を植え付ける事はできない。シャルエッテに対する憎しみは彼女の根本にあったとしても、諏方たち他三人に対する殺意を彼女は抱いてはいなかったのだ。
人によっては嫌いな相手と仲良くしているだけで、その人物も一緒に嫌いになるような事は決して珍しくはない。だが少なくとも、あの場においてフィルエッテは諏方たち三人に対して、殺意を抱くほどの憎しみはなかったのだ。
あの場においての数分間だけで、諏方はフィルエッテが本当は心優しい少女であることを見抜いたのだった。
「それに、今こうして俺の気がゆるんでも、お前さんから襲ってこようとはしていないだろ? それはお前さんが優しい女の子だって証拠であると同時に、お前さんは無意識に俺の方が戦闘においての実力が上なんだと認識しているんだ。そういうのを冷静に判断できてる時点で、お前さんは十分に強いよ」
「…………エッテ……です」
突然ボソッと、小さな声でフィルエッテが何かをつぶやく。
「……わりぃ、よく聞き取れなかっ――」
「――ワタシの名前はフィルエッテです! ……『お前さん』なんて名前ではありません……」
フィルエッテは赤くなった顔を見られたくなくてそっぽを向いてしまう。同時に、彼女から発せられていた警戒心が少し薄まったのを諏方は感じ取った。
「……そりゃあ悪かった、フィルエッテ。ついでに、俺のことは『貴方』じゃなくて、気軽に諏方って呼んでくれ」
言った後に、さすがに馴れ馴れしすぎたかと反省し、そっとフィルエッテの方に顔を向けると、彼女は頬を赤らめたまま少し恥ずかしげに、
「それじゃあ……諏方さんで……」
っと、彼女はポツリとつぶやくように、諏方の名前を呼ぶ。それをまるで意外だと言いたげな表情で見つめる諏方。
「こりゃあ驚いた……シャルエッテよりも、名前呼びのイントネーションが上手だ」
その反応は予想外だったのだろう、フィルエッテはポカーンとした表情を見せる。
「…………クスッ」
こらえきれなかったのか、わずかにだがフィルエッテは笑みをこぼしていた。
「フフ……あの子は、興味の薄い相手の名前を基本的に覚えようとしませんから……イントネーションが少しおかしくても、名前を覚えられているなら立派に懐いている証拠ですよ」
ふとして見せたフィルエッテの笑みは、年相応の少女といった、やわらかさと無邪気さが相まった可愛げな笑顔であった。
シャルエッテのことを楽しげに語る彼女は、数日前までその相手に強い憎悪を向けていた少女と同一人物だとはとても思えなかった。それほどまでに彼女の人格を歪めたヴェルレインの魔法に対し、諏方は改めて底知れぬ恐ろしさ感じると同時に、彼女への怒りを強める。
「……それで、ワタシから何が聞きたいのでしょうか?」
フィルエッテは親近感のある笑顔から再び冷たさを感じさせるクールな表情へと戻り、事務的な声で諏方にたずねる。
冷静に戻った彼女に少し戸惑うも、諏方もそろそろ本題に入るため、真剣な眼差しをフィルエッテに向ける。
「聞きたいのはお前たち――フィルエッテとシャルエッテ、二人がどういう関係なのかを改めて知りたいんだ」
この問いそのものは予想していたのだろう、フィルエッテは特に驚いた様子も見せない。
「どういう関係と訊かれましても、同じ師を持った姉妹弟子以上でも以下でもありません」
「……本当にただの弟子同士だってんなら、シャルエッテがあそこまで憔悴するわけねえだろ? 少なくとも、シャルエッテはフィルエッテに対して、同じ弟子以上の感情はあったはずだ」
「…………」
答えに困ってしまったのか、フィルエッテはまた無言になってしまう。
「そんな難しく考える必要はねえさ? 単純に、二人がどんなふうに魔法界で一緒に過ごしていたのかを聞きたいんだ。……俺も娘も、人間界に来てからのシャルエッテしか知らねえ。だから、俺たちの知らないシャルエッテをもっと知ってみたいんだ――それにフィルエッテ、俺はお前の事ももっと知りたい」
「……ワタシの……ことも……」
そうつぶやいて、またしばらくフィルエッテは無言になってしまう。諏方は前方の景色へと視線を移しかえ、コーヒーを飲みながら、じっと彼女の言葉の続きを待つ。
風が木々をゆらす音がだけが響く数分間。
そして――、
「…………ワタシとシャルは、共にお師匠様に拾われた孤児でした」
ゆっくりと、フィルエッテは魔法界でのシャルエッテとの日々を語り始める。




