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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
二人の姉妹弟子編
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第11話 二本の缶コーヒー

『ピピピピピピピ……ピ……ピ……ピピッ! やったー、大当たりー!』


 夜の静けさをつんざくように、甲高い電子音が辺りに鳴り響く。


「おー、初めてこの自販機で当たり出たな。ていうか、こういう当たり付き自販機で実際に当たるのって都市伝説だと思ってたけど、意外と当たるもんなんだな」


 諏方は姉から借りていたハーレーで狭間山までひとっ走りし、山の入り口脇にある駐車場にハーレーを停めた後、ポツンと一台だけ置かれた自販機から当たりで二本に増えた缶コーヒーを取り出した。


「つっても、この時間帯に缶コーヒー二本になっても困るんだがなぁ……。ま、もう一本は明日適当にどっかで飲むか」


 缶コーヒーを薄手のジージャンの両ポケットにそれぞれしまった後、諏方は狭間山入り口にある階段に足をかける。深夜までにはまだ時間はあるものの、すでに周りにひと気はなく、まるでここだけ現世と切り離された異界のような、不気味な静けさが山周辺を支配していた。


 城山市と桑扶市の間にそびえるこの山は二つの市が勧める観光名所ではあるのだが、山の開発自体はほとんどされていないため舗装された道も少なく、登山をする人間はそれほど多くはない。休日なら遠方から山を登りに来る観光客もそこそこにはいるのだが、この時間帯ともなれば山に近づく近隣の人間はまず存在しない。最近では幽霊が出る等の噂話もあるためか、より夜に山に入ろうとする者はほとんどいなくなった。


 そんな不気味な雰囲気漂う山道を、諏方は特に気にせずズカズカと進んで行く。


「この姿に戻ってからは、この山に登るのも初めてか……」


 娘である白鐘が中学に上がってからしばらく、それまで仲睦まじかった父娘の関係は険悪なものになっていた。白鐘が思春期に入ったのもあるが、それまで自身に懐いていた娘の変貌に諏方は戸惑ってしまい、彼女の精神的な成長を受け入れるのに時間がかかってしまったのだ。


 身近に頼れる女性がいれば相談もできたのであろうが、本来その役割を担う妻は亡くなっており、仲裁のいない二人のケンカは、シャルエッテの部屋の前で起こった先ほどまでのケンカが可愛く見えるほどに凄まじいものであった。


「いくら若返ったっつっても、娘とあのころみたいなケンカをしちまうだなんて……我ながら大人になりきれてねえなぁ……」


 スマホの懐中電灯アプリで前方を照らしつつ、諏方は小さく反省の言葉を呟いていた。


 諏方は娘と大ゲンカをするたびに頭を冷やす名目で、夜の狭間山を一人で登っていた。


 一人になる事で冷静さを取り戻し、自身の行動を振り返り、反省し、時には娘の反省をうながすような言葉を考える。その時間を作るために諏方はこうして山を登り、ゆっくりと一人の時間を過ごすためのスポットへと向かうのだ。


 狭間山に入ってから十数分。それほど険しい山というわけではなく、正しい山道さえ覚えていれば登山難易度も決して高くはない。とはいえ、懐中電灯で照らされた前方以外は街灯も届かない真っ暗闇。もう行き慣れた道ではあったが、足を踏み外さないために慎重に彼は進んで行く。


 そして、木々開いた道を抜けると、月明かりが淡く照らす広場へと到着した。


 広場にはほとんど何も置かれておらず、あるのはベンチ一つのみ。周りに響くは木々ゆらす風の音と虫の鳴き声。それだけなのに、山の中にポツンと広がったその場所は、まるでこれから物語が始まる舞台上のように、幻想的な雰囲気が感じられた。


 諏方はゆっくりとベンチの横にまで移動し、その先に広がる景色に感嘆の吐息を漏らす。


「……久しぶりだけど、やっぱりここの景色は最高だな」


 ベンチの前方、山のふもとから見下ろした先にあるのは、異なる色を放つ二つの街並み。家々の電灯のほとんどを落とし、夜の闇に溶けこんだ城山市と隣り合わせるは、ネオンの光がギラギラと輝く眠らぬ街の桑扶市。正反対の色を見せる二つの街は混じり合わずとも、陰と陽の合わさった太極図のように一つの形として成していた。


 諏方はこの場所に来るたびに、ベンチに座ってタバコと缶コーヒーを手にしながら、二つの街並みを見下ろすのが好きだった。この景色を眺めながらゆっくりと時間を過ごし、タバコの煙と缶コーヒーの苦味で頭をスッキリさせる事で、自身を見つめ直す事ができたのだ。


「……この姿でタバコはさすがに吸えねえが、今はコーヒー一本あれば十分か……いやまあ、なぜか二本あるけど」


 自嘲じちょう気味に諏方は笑いながら、ジージャンにしまった缶コーヒーのうち一本を取り出そうとポケットに手をかける。



「――――っ⁉︎」



 ――瞬間、背後からガサッと草を踏む音を耳にし、反射的に身構える。



 ――誰かが後ろにいる。



 もちろん、今の諏方のように夜の山に登る奇特な人間や、野生の動物の可能性も十分にありえた。しかし、彼が感じ取った気配はいずれとも異なる別種の存在から放たれたものであった。


「……誰だ? おとなしく出てこい」


 その何者かは木の影に隠れ、こちらの様子をうかがっているようだ。


「…………っ」


 やがて観念したのか、その人物はゆっくりと木の影から姿をあらわした。その正体に、諏方もさすがに驚きを隠さなかった。



「……フィルエッテ・ヴィラリーヌ?」



 諏方を警戒の瞳でまっすぐに見つめるは、先日青葉の車に襲撃した魔法使いの少女であった。


「……なぜ、貴方がここにいるのですか、黒澤諏方……?」


 鎖が巻かれたケリュケイオンを諏方に向けながら、灰色のローブの少女は問う。


「……テメェこそ、なんでここにいやがる?」


 諏方は問い返しはしたものの、なぜここに彼女がいるのか、おおよその推論は立てられた。


 かつてシルドヴェールが廃工場を隠れ家としたように、人間界に潜伏している大抵の魔法使いは身を隠すための場所があるのだろう。たまたまここがフィルエッテたちの隠れ家だとしたら、こうして彼女が現れたのも納得はできる。


 ――ならば、っと、諏方はより広い周辺の気配を探る。草木一本、風のゆらぎなど、少しでも不自然な動きがないかを気の流れで読み取る。


「…………ヴェルレインは、ここにはいなさそうだな」


「――っ⁉︎」


 一瞬ではあったが、諏方の言葉にフィルエッテが動揺を見せた。


「…………ふぅ」


 その反応を見届けたのち、敵を前にしてなぜか諏方は構えていた腕を下ろしたのだった。


「なっ――何をしているのですか?」


 今にも一触即発、となっていたはずの空気の中で、突如として構えを解いた銀髪の少年を相手にフィルエッテは困惑してしまう。


「この場にヴェルレインがいないんなら、ここでお前と戦う理由はないだろ?」


「っ……?」


 目の前の相手が何を言っているのかが理解できず、なおさらフィルエッテは困惑を強めてしまうばかりだった。


「ワ、ワタシは貴方たちの敵なのですよ……? そんなワタシを目の前にして、戦う理由がないとはどういうことですか?」


「だって、お前からは警戒による圧は感じても、殺気は感じられねえんだもん。そんな相手と戦うほど、俺も外道じゃねえよ。それに、シャルエッテがいないこの場でお前を倒すのもフェアじゃねえだろ?」


 頭をポリポリかきながらあっけらかんと言い放つ彼に、フィルエッテはただ言葉を失っていた。


 フィルエッテは当然、彼がシャルエッテの現在の保護者である事もヴェルレインから聞かされている。ならばシャルエッテを守るために、彼女の命を狙う自身と戦う理由は十分にあるはずだった。その絶好の機会を、彼は自ら手放すと彼女に言い放ったのだ。


 まだ何か目的があるのかもしれないと、警戒は解かずフィルエッテは諏方を強く睨みつける。


「……まだワタシの問いに答えていません。貴方はなぜここにいるのですか?」


「俺は単純にここの景色を眺めに来ただけだ。ちょっとした習慣だよ。だから、ここでお前と会ったのは偶然だし、お前さんが俺のリラックスタイムを邪魔しないってんなら、俺から手を出す気はねえよ」


 そう言って彼はフィルエッテから背を向けた後、おもむろにポケット手を突っ込んだ。何か取り出すのかと彼女はさらに警戒を強めたが、取り出されたのは缶コーヒーであり、彼はそのままベンチに座ってゆっくりと缶を開けてコーヒーに口を付ける。


「っ…………」


 結局フィルエッテは戸惑いのまま攻める事ができず、さりとてこの場から逃げ出すことなく、彼の背中を見つめたまま立ち尽くしている。


「っ……あのさぁ、さすがに見つめられたままだと気が散るんだが……」


「っ――仕方ないじゃないですか! 敵である貴方が、何を仕掛けるかわかりませんし……」


 彼女の言い分はごもっともだった。とはいえ、警戒の視線を向けられたままでは考え事にも集中できなくなってしまうと、諏方は背後の彼女に振り返る。


「なぁ、ヴェルレインはいつごろ戻ってくるんだ?」


 突然顔を向けられた事で咄嗟とっさに一歩後ろへと下がり、彼を睨みつけたままフィルエッテは答える。


「……ヴェルレイン様は一定の場所にあまり留まる事なく転々としています。特別な事がない限り、今日はここに戻る事はありません」


 意外にも素直に答える彼女に対し、諏方は少しばかり感心する。きっとヴェルレインに手を出されなければ、彼女は素直な性格だったのだろう。


「んじゃ、隣に座れよ? そう後ろから睨みつけられたんじゃ、楽しめる景色も楽しめねえ」


 彼の思ってもみなかった提案に、またまたフィルエッテの頭は混乱してしまう。


「なっ……貴方は馬鹿なのですか……? 敵である貴方の隣に、呑気に座れるわけないじゃないですか……⁉︎」


「じゃあどっかに行っててくれよ。いちいち追いかけるような事もしねえから、隣に座るか、立ち去るかどっちかにしてくれ」


 ここまで言えば、彼女もここからおとなしく去ってくれるだろうと諏方は少しばかり語気を強める。


「…………」


 がっ、そんな彼の予想とは裏腹に、フィルエッテは警戒心を解かないままではいるが、そっと諏方が座るベンチに彼とは一人分距離を空けつつ、彼の隣に座ったのだった。


「……マジで座るんか?」


「……ワタシも、ここの景色を見るのは好きなので」


 さすがに彼女のこの行動には諏方もしばし驚いていたが、座れと自身で言ってしまった以上、彼女を追い払うような事はできなかった。


「…………」

「…………」


 実に気まずい空気が流れる。二人は無言のまま、しばらく目の前の景色を眺めていた。当然、隣に敵であるはずの女の子がいる状況では、景色を眺めながら考えに集中する事もできなかった。


 コーヒーを飲みながらどうしたものかと悩んでいると、突然グゥーという音が静寂の中で目立つように響いた。


「もしかして……腹減ってる?」


 隣に視線を送りながら諏方がそう問うと、彼女は顔を赤らめて顔を逸らしてしまう。


「仕方ないじゃないですか……! 木の実を取って食べようとしたところで、貴方が現れたんですから……」


 それは悪い事をしてしまったなと、何かないかポケットをまさぐったところで、そこにちょうど中身があった事を思い出した。


「残念ながらメシってわけじゃねえけど、これでも飲んでしばらく空腹をまぎらわせてくれ。ブラックはいけるか? つっても、魔法使いがコーヒー飲めるか知らねえけど」


 当たりで出たもう一本の缶コーヒーをポケットから取り出し、フィルエッテに差し出した。当然、彼女は素直には受け取らずに、警戒の視線を再び諏方に向ける。


「毒でも入れてワタシを殺す気ですか?」


「物騒なこと言ってんじゃねえよ。俺は魔法使いじゃねえから密閉した缶に毒を入れる事なんてできやしねえし、相手を倒す気ならそもそもこんなまどろっこしい事はしねえよ」


 ほら、っと、突き出すように缶コーヒーを彼女の手に無理やり受け取らせる。


 フィルエッテは戸惑いながらも渡された缶コーヒー両手に握り、ヒンヤリと冷たい感触のする缶を見つめていた。


「……もしかして、開け方わからない?」


「……いいえ、缶に入った飲み物は飲んだ事がないわけではないので大丈夫です」


 そう言ってフィルエッテは慣れない手つきで多少苦戦しながらも、無事に缶の取っ手に指をかけてフタを開ける事ができた。だがすぐには口に付けず、またしばらく開け口を見つめる。


「……たしかに、毒のは感じられませんね」


 そして意を決し、グビッと一気にコーヒーを飲みこんだ。


「っ――! にがっ……」


 口に広がるブラックコーヒーの苦味に、フィルエッテはしばらくもだえてしまう。


「あー……やっぱりブラックコーヒーの苦味はダメだったか?」


 コーヒーの苦さに身悶えながらも、フィルエッテは顔を横に振る。


「いいえ、苦味のある木の実なども食べる事はあるので、そこは大丈夫です。……ただ、ブラックコーヒーというのは初めてだったので少し驚いただけです」


 まるでコーヒーに初めて挑戦する子供のように、まだ残っている缶の中身を今度は少しずつ口に運んでいく。


 そんな様子がどこか可愛らしく見えて、諏方は思わず吹き出してしまった。


「なっ、何が可笑おかしいのですか⁉︎」


「はは、わりぃわりぃ。こうして見ると、普通のどこにでもいる女の子みたいだなぁって思ってさ」


 ここにきて、諏方はわずかに残していた警戒心を完全に解いてリラックスする。


 そして――、


「いい機会だ。お前さんとは一度話してみたかったし、もうしばらく俺に付き合ってくれよ?」



 ――今ならフィルエッテのことを深く知る事ができるかもしれない。そして、そこにシャルエッテを立ち直せるヒントを見い出せるかもしれない。



 月明かりが照らす広場のベンチで座りながら、諏方はフィルエッテとの会話を試みるのであった。

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