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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
蘇る銀狼編
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第10話 正午前の小さな闘争

 ――突然の転入生の出現によって騒がしかったホームルームからしばらくして、初老の教師が教室の中へと入る。


 最初の授業は英語。


 一応制服と一緒に教科書なども今朝届いていたので、俺はすぐさま準備を整える。英語の教師はこちらの姿を確認すると、優しげな表情を浮かべて軽く会釈してくれた。


「君が転校生の子だね? まだ新学期からそんなに経ってないから授業にはついてこれると思うけど、わからないところがあったら遠慮なく訊きなさい」


「は、はい……!」


 ひとまず温厚そうな教師のようで、内心少しホッとする。


 そしてつつがなく、この日の最初の――俺にとっては数十年ぶりとなる授業が始まった。


「…………」


 先ほどまで騒がしかった場所と同じとは思えないほど、教室内は静寂の空気に包まれて、その中で初老教師のきれいなイントネーションの英語が耳に心地よく流れてくる。


 なんというか……授業そのものはとても懐かしく思いつつも、当時の俺の見ていた授業風景とはあまりにも違っていて、かえって新鮮に感じられた。


 教科書一つとっても、お堅い文章が並んだ俺の世代のものとはまったく違い、可愛らしいキャラクターが問題の解説をしたりなどと、とてもコミカルな作りになっていた。


 教室は清掃が行き届いてて清潔感が目立つし、暖かな春の気候ゆえか電源は切られているが、エアコンも備え付けられている。クラス内全員とまでは言えないが、真剣に授業を聞いていたりノートをとっていたりと、まじめな印象を感じさせる生徒も多かった。


 ……俺の高校の頃は、今と比べものにならないほどに教室そのものが荒れ果てていた。


 時代……というよりは、ハッキリと言っちまえば底辺高特有の実質的な無法地帯だったのが俺の通っていた高校――俺の見ていた景色だった。


 その頃の事を考えると四十代になった今、こうして十代の少年少女たちにまぎれて学校の授業を受けているのはなんとも不思議な感覚で、同時にあの頃との違いに戸惑いを感じてしまっている……。


 ――最初の授業は、特段何事もなく平和に終えられた。()いて言えば、授業の内容自体はすでに習っていた箇所であったため、若干(じゃっかん)退屈に感じてしまったくらいか。


 二、三時間目も淡々と授業をこなし、合間合間の休み時間に急襲してくる質問大好きクラスメートたちを適度にあしらいつつ、そんなこんなで昼休み前になる四時間目の授業は世界史。


 教室に入ってきたのはスーツ姿でハゲ頭の、いかにもプライドの高そうな中年教師だった。


 彼は転校生の俺を一瞥するも、特に何か言うわけでもなく出席確認を取った後、普段通りであろう授業を始めた。


 授業範囲は世界四大文明。一応、世界史は得意な分野ではあるので、授業内容もスラスラと頭に入った――がっ、途中で異変が起きる。


「――よし、恒例の抜き打ちチェックだ。おい天川、一八六三年、一八九四年、一九三九年――これらの年に起きた大きな出来事をそれぞれ答えろ。もちろん、教科書は見るなよ?」


 黒板に書き出された西暦は、今習っているとこよりも遥か先の内容だ。


 突然指名された進ちゃんはあわてて立ち上がるも、「え~と……」と気まずげに言うのが精一杯で、何も答えられずにいた。


「ふん、もういい。まったく……やはりこの学校の生徒たちは学ばないな。言っただろ? 勉強において重要なのは予習だ! まだ習っていないとこだろうと、そんなものは教科書を熟読すれば関係などない。お前らが遊び呆けてる時間を()けば簡単な事だろう? この程度の問題、私が高校の頃には習う前にすでに把握していたぞ?」


「っ……」


 進ちゃんはもちろん、他の生徒たちも不満げな表情は見せつつも、誰も彼に反論できずにいた。


 あー……要するにこの教師は、無茶苦茶な理論を生徒たちに押し付けて、自己満足に浸るタイプか。他の生徒たちの様子からして、一年の頃からこういうスタイルで授業を行っていたのだろう。


 そういえば夕飯で、時々白鐘が世界史の授業についての愚痴をこぼしていたのを思い出す。誰かの悪口を滅多に言わない娘が、珍しく悪態をついていたから当時は驚いたものだがなるほど、これは教師の方にかなり問題があるな。


「ん? おい転校生、なんだその目は? 私の授業内容に文句でもあるのかな?」


 知らず知らずに睨んでいたのだろう。世界史教師は進ちゃんから、こちらにターゲットを移したようだ。


 嫌な話だが……こんな性根(しょうね)の汚い人間は、大人の世界にはごまんといる。今さらこんなのに目を付けられたところで、俺自身はなんとも思わねえ。




 ――だが、子供(ガキ)たちが触れるには、コイツは少々教育には良くない。




「何か言いたげだな、うん? 言っておくが、これが私の授業スタイルだ。反論でもしたいのなら、まずはこの問題に答え――」






「一八六三年はリンカーンの黒人奴隷解放宣言。一八九四年は日清戦争。一九三九年は第二次世界大戦――これでよろしいでしょうか?」






 教室中が一気に静まり返る。ハゲ頭教師は唖然とした表情でこちらを見ていた。


「なっ……ななっ――!?」


「まだ何か問題はありますか?」


 俺は席から立ち上がり、身長的に見上げる形ではあるが見下すような視線をハゲ頭に向け、彼はあわてて教科書のページを次々とめくった。


「そ、それじゃあ……一四三一年、一九一七年、一九六五年は!?」


「一四三一年はジャンヌ・ダルクの処刑、一九一七年はロシア革命、一九六五年は……たしかベトナム戦争でしたっけ?」


「う、うぐぐ……じゃ、じゃあ……十九世紀末に保守派が引き起こし、フランス共和政体をおびやかした三つの事件はわかるか!?」


「えーと……ブーランジェ事件にドレフュス事件でしたっけね。あれ? 三つじゃなくて二つですよね? 教師が間違えてどうするんですか?」


「っ――⁉︎  ぐぐぐ……つ、次は――」


「――いい加減にしてください。学校の授業というのは習う場であって、クイズを答える場ではありません。もちろん、教師が生徒相手に得意げに知識自慢したり、恥をかかせる場でもありません。教師という立派な立場であるのに、そんな事も理解できないのですか?」


「あ、あがががが――」


 ハゲ頭は後ずさって黒板に背中を付けるが、俺は攻めの手を緩めない。


「念のためお聞きしますが、先生のご自慢の授業スタイルは他の先生方や校長などもご承知のうえで行っているのですよね? 私としては、この授業内容に大きく問題があると感じられたので、改めて校長にこの件を問い質させていただき――」


「わ、わかった! わかったから⁉︎ 私の負けでいいから、もう勘弁してくれぇ!」




   ○




 あー……やってしまったぁ……やってしまったよぉ……。


 つい、教師を相手に理詰めで追い込んでしまった。……会社の営業の際に、不当な交渉を持ち込んだ相手を追い詰める時の癖がそのまま出ちまったみたいだ。


 よくよく考えてみれば、昨日まではどこにでもいる普通のサラリーマンだったんだ。それをいきなり高校生のフリをしろって言うのが、そもそもの無茶振りじゃないのだろうか……?


 ――っと、そんな事を考え後悔しながら机に突っ伏している俺の周りに、ぞろぞろと人が集まる気配を感じた。


「あっ……えーと、その――」


 気まずげにそっと顔を上げると、集まったクラスメートたちはみな、キラキラとした瞳で俺を見つめていた。


「すげーぜ、黒澤! お前チョー頭いいじゃん!」

「世界史のハゲ親父の悔しそうな顔、マジでスカッとしたぜ!」

「あの! さっきの授業でわからないところがあったんだけど、教えてもらってもいいかな?」

「私も私も! こことか教えてよ?」

「数学もできる? 三角関数とかマージわけワカメ」


 世界史の授業が終わり、昼休みに入ったにも関わらず、クラスメートたちは昼食をとるのも忘れて朝のホームルーム以上に続々と俺に詰め寄ってきた。


 あの世界史教師、よっぽど嫌われてたんだろうなぁ……。そんな男が授業が終わると同時に、あわてて教室から逃げるように飛び出した姿は、生徒たちにとってはこれ以上ないカタルシスを感じただろう。


 彼らが俺に向ける瞳は、まるで子供がヒーローを見ているかのように輝いていた。


「四郎、さっきはありがとう! マジ助かった!」


 今回あの教師の標的にされてしまった進ちゃんが、喜びの表情で俺の机に身を乗り出した。


「ねえねえ、見た目ちょっとヤンキーっぽいと思ってたけど、もしかして実はすごく勉強ができるタイプ? なんか頭良さそうな喋り方で先生追いつめてたし、ここ来る前はすっごい頭のいい学校通ってたんじゃないの?」


「あー……はは……まあいろいろと複雑な事情があるというか、説明するのが激しく難しいというか……」


 俺はクラスメートたちの興奮に多少戸惑いながらも、少しだけ気分がよくなっていた。


 大人になってからは、こういう憧れるような眼差しで見られる事はなかったので、子供たちの純粋な好意にはやはり嬉しくなってしま――。




「――ねえねえ、四郎って彼女とかいんの?」




「――っ!?」


 突如、進が興味津々(しんしん)にとんでもない質問を投げかけてきた。


「あ、それ私も訊きたかった。黒澤くん、カッコよくて頭いいし、彼女ぐらいいるっしょ?」


 女子たちが進ちゃんに乗せられて、とんでもない方向で盛り上がり始めてしまう。


「か、彼女!? い、いないいない! そもそも、そういうのにあまり縁がないというか、俺は娘の面倒で手一杯というか――」




「え? 娘……?」




「あっ――」


 しまった――っと気づいた時には、クラスのみんながどういう事なのかと、ざわざわし始めてしまった。 


「あ、えっと……今のは――」




「――まったく、近所に住んでる猫の子供が可愛いからって、わざわざ娘って呼んで自慢しないの」




 いつのまにか、席の横に白鐘むすめが立っていた。彼女はこちらを鋭く睨みつけると、俺の制服のえりを猫を持ち上げるかのように、後ろ側から掴み上げる。


「ところで四郎くん、まだ転校してきたばっかで、学校の中とかよくわかんないよね? よければ、イ・ト・コのあたしが案内してあげようか……?」


 突然、笑顔で娘から学校の案内を提案される。


「え? いや、先にメシ食いたいし、それは今じゃなくても――」




「行ーくーよーねぇー?」




 やだ、この怖い。顔は笑ってるけど、明らかに背後から黒いオーラのようなものが出てるんですけどぉ!?


「学校案内? じゃあ、アタシも一緒に――」

「空気読んで、進」

「はい、すいませんでした……」


 はや! 進ちゃん、諦めるの早すぎるよ⁉︎


「それじゃあ行こっか、シ・ロ・ウ・くん?」


 語尾にドス黒いハートマークが付いてそうな甘い声でうながされ、そのまま俺は娘に引っぱられる形で教室から連れ出されてしまった。




 ――教室を出る直前、室内の一角からこちらに向けた鋭い視線を一瞬感じたが、この時の俺はそれどころではなかったため、ひとまずは気に止めない事にしたのだった。

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