エピローグ 街を見下ろす少女
「ゲッ⁉︎ く、黒澤四郎……!」
「あん? 誰だテメェら?」
俺とシャルエッテの二人で廊下を歩いてる途中、面識のない見た目不良な四人組が揃って青冷めた顔でこちらを見ていた。
「……チッ! ずらかるぞ!」
「ちょっ⁉︎ 待ってよ、彼ピッピ!」
「うおい⁉︎ 置いてくなよ、リーダー!」
「ひええ⁉︎ 助けてママァー!」
こちらの質問に答える事なく、四人はあわてて俺たちの前から逃げ去ってしまった。
実を言うと彼らだけではない。本日はあのゾンビ騒動から一週間ぶりの登校になったわけだが、今朝からクラスメートたちに妙に避けられているのだ。俺への挨拶はぎこちなく、彼らの視線からは怯えの色が見えていた。また、クラスメートだけでなく他のクラスの生徒たちや教師までもが俺に対してよそよそしかったのだ。
――考えられる原因があるとすれば、
「もしかして、俺がみんなを気絶させたの覚えられてる?」
「いえ、ゾンビ状態になってる間は暗示魔法で自分がゾンビだという思いこみ以外では脳が機能していないはずなので、その間の記憶も覚えていないはずなのですが……もしかしたら、鮮明とは言えずとも無意識下にはスガタさんに気絶させられた事を覚えていて、本能でスガタさんを避けているのかもしれませんね……」
マジか……今みたいな面識のない連中から避けられるならともかく、顔見知りのクラスメートたちにまで避けられてしまうのはちょっと堪えるな……。
「……ていうか、この状態が続くのは俺の学校生活に悪い意味で響くんでは?」
「ま、まあ、あくまで無意識下なので、そのうち記憶も薄れていつも通りに接してくれるようにはなると思います……多分」
ずいぶんと頼りない言葉ではあったが、このまま警戒のこもった視線で見られ続けても息苦しくなるだけなので、シャルエッテの言葉通りになる事を祈るしかなかった。
それにしても、一つだけ不可解な事があった。それは――、
「あっ! シャルエッテ、わりぃけど先に屋上で白鐘たちとお昼食べててもらえるか?」
「えっ? いいですけど……どこかに行かれるのですか?」
「まあ……ちょっとな? んじゃ、白鐘と進ちゃんには適当に言い訳しといてくれ、よろしく!」
「あっ⁉︎ スガタさーん!」
無茶振りでオロオロしているシャルエッテを置いたまま、俺は先ほど視線の端に見えた人影を追いかけていく。現在は昼休み。いつもなら俺と白鐘、シャルエッテと進ちゃんの四人で昼食を屋上で摂る予定だったが、どうしてもその人影に尋ねたいことがあったのだ。
少し小走りしてたどり着いたのは資料室。その扉の前で、一人の女性が驚いた視線を俺に向けた。
「く、黒澤くん……?」
「う……ウッス、東野先生……」
実に気まずげといった声色で、俺は教師モードの青葉ちゃんに声をかけた。
ちなみに言葉通り、実際に今は気まずい状況である。というのも、ゾンビ騒動の時に一緒に行動していたはずの青葉ちゃんまでなぜか今朝から俺のことを避けていたのだ。
それほどあからさまに避けているというわけでもないのだが、こちらから声をかけようとすると彼女はなぜか焦り顔で「またあとでね」と言って距離を離されてしまっていたのだった。
なぜそんな事をされるのか? それが気になって、こうして強引に二人っきりになれる状況で彼女に声をかけたのだ。
「ど、どうしてここに……?」
「あっ、いや、その……また資料探しするなら、お手伝いできないかなぁって……」
青葉ちゃんが資料室に入ろうとしたということは、また教頭にでも資料探しを頼まれているのであろう。
とはいえ、原因はわからずとも彼女は俺を避けているのだ。当然、この提案も断られるのだろうとあまり期待はしていなかったのだが――、
「そ……それじゃあ、甘えちゃおうかしら……?」
「へっ?」
ぎこちなくではあったが、どうやら俺の提案を受け入れてくれるらしい。
俺が戸惑いながらもうなずいたのを確認すると、青葉ちゃんは資料室の鍵を開けて二人で入室する。相変わらずホコリくさい部屋ではあったが、二回目で慣れてしまったのか、それほど不快感のようなものは感じなかった。
必要な資料のリストを渡された後、しばらくお互いに無言で作業をする。
前回もそうではあったが、今回はより室内の空気が重い。なまじ互いの正体を知っている状態になってしまっただけに、この場の気まずさはあの時の二倍以上にも感じた。
一分、また一分と時間が経過していく。……このままお互い黙っていては埒があかないと、
「なあ、青葉ちゃん……なんでさっきから俺のことを避けてるんだ?」
沈黙を破るため、俺から彼女に直接的な言葉で問いただした。
彼女は俺からの問いに一瞬ビクつきながらも、どう答えるべきかを迷っているのか、しばらく無言のままでいた。
そして数分後――、
「……ちょう……たの……」
「え?」
ようやく開いた口から発された声はあまりにもか細く、よく聞き取れなかった。
そんな俺の様子を察してか、青葉ちゃんは恥ずかしげに顔を赤めながらも、先ほどより数割増し大きな声で、
「緊張しちゃったのよ……!」
「…………えっ?」
あまりにも予想外だった解答に、俺は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「緊張? 青葉ちゃんが俺に?」
再度質問すると、彼女はやはり恥ずかしげに小さくうなずいた。
しかし、緊張しちゃったと言われてもどうにも釈然とはしなかった。たしかに教師が生徒の親御さんと面会する時に緊張するという話はよく聞くが、わずかな期間とはいえ、彼女と俺は見知った仲だ。それがなぜ今さらになって緊張してしまうというのだ?
「……正体を知ったばかりの時はいろいろありすぎて深く考える余裕がなかったから自然体で話せてたけど、改めて目の前にいるのが諏方お兄ちゃん本人だと思うと、どうしても緊張しちゃって……諏方お兄ちゃんは、私の憧れだったから……」
またもや意外な単語が出てきて俺は余計に混乱してしまう。
「憧れ? 俺に? 青葉ちゃんの兄貴にじゃなくてか?」
「もちろん、今も葵司兄さんのことは尊敬しているわ。でも、兄さんと同じぐらい貴方のことも尊敬しているの。……ねえ、女子トイレで私を連れ出した時、なんで私が貴方について行こうと決断できたか知ってる?」
そういえば、たしかにあの時彼女を連れ出すための説得に苦労した覚えはあるが、なぜか最後にはあっさりと俺について行く事を承諾してくれたのだ。あの時は緊迫した状況で俺も特に深く考えはしなかったが、本来ならば勝手な行動をしようとする生徒を諌めるのが普通の教師としての対応だ。
「……ふふ、やっぱり覚えてないんだね、諏方お兄ちゃんは」
先ほどまで気まずげな表情だった青葉ちゃんに少し笑顔が戻った。それはいい事なのだが、彼女が未だ何を言いたいのかがわからず、混乱は増すばかりである。
「……幼いころ、私が誘拐された時に諏方お兄ちゃんが助けに来てくれた事があったでしょ? あの時、助けてもらった後も私は貴方を信用しきれなくて.手を伸ばす貴方を拒絶しようとした。その時、貴方はこう言ってくれたの。『――俺を信じてくれ、青葉ちゃん!』って」
「ああ……たしかに、そんなことを言ったような……」
あの時の事を思い出し、今度はこちらが少し気恥ずかしくなってしまう。
誘拐された青葉ちゃんを助けに行ったあの時が、彼女との初めての出会いだった。いくら助けてもらったとはいえ、やはり見ず知らずの人にはついていきまいと、最初は彼女に拒絶されていたのだ。
「とても単純な言葉……でも、そう言って手を伸ばしてくれた貴方の瞳は、葵司兄さんと同じ眼をしていた。その時わかったの。――ああ、この人は、誰かを助けるのに命を懸けられる強い人なんだって……」
「っ……」
「そして、女子トイレで私を説得しようとした貴方の言葉は――あの瞳は、私を助けてくれたあの時と同じものだった。……たしかに、黒澤四郎くんの存在を知った時に、黒澤諏方さんとよく似ている人だとは思ったけど……あの時初めて、二人が重なって見えたのよ。……だから、貴方を信じようと思ったの。幼い私が、貴方の手を取った時のように……」
……正直、あの説得にそこまでの意識はなかった。ただ無我夢中で、上手く思考が整理できない中で発した言葉であった。
多分、幼かった青葉ちゃんを助けた時も似たように焦りっぱなしで、彼女に手を伸ばした時も特に上手く説得できる言葉が見つからなくて、何も考えられずに口にした言葉なのだと思う。
それでも、彼女はその言葉をずっと覚えてくれていて、そして憧れてると言ってくれた。
それが嬉しくて、誘拐された時も今回のゾンビ騒動でも、彼女のために戦えて本当によかったと心の底からそう思えたのだった。
ようやく俺たちの間にあったわだかまりが溶けたところで、昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。
「あっ! 結局最後まで手伝わせてごめんなさい……お昼まだだったでしょ?」
「……はは、気にしないでくれ。今のお話だけで正直お腹いっぱいだ」
あとで白鐘に怒られそうだが、その時はその時だ……。
「よしっ……資料は全部探し終えたし、そろそろここを出ましょうか?」
そう言って資料の束を抱えた彼女を手伝おうとするも、そこはやんわりとお断りされた。まあ、それほど量も多いわけじゃないから大丈夫だろう。
資料室を出て、資料片手に扉の鍵をかける青葉ちゃん。そこで解散かと思いきや、なぜか彼女はまだ何か言いたげに赤らんだ顔でもじもじしていた。
「あの……特に深い意味はないんだけど、その……諏方お兄ちゃんって、再婚予定の人でもいたりするかな……?」
またもや意外な質問が出てきて、俺は思わず首をかしげてしまう。
「いや、特にはそんな予定はねえけど……本来の俺はもういい歳のオッサンだし、そもそもこんな姿で再婚なんてできるわけもねえしな?」
実際に妻が亡くなってからは育児に必死で、そんな事を考える余裕はこれまであまりなかった。一時期は白鐘のためにも母親が必要ではないかと考えた事もあったが、これまで仕事関係以外の女性と接する機会もあまりなく、シングルファーザーとしてずっと過ごしてきたのだ。
それを聞いて安心したのか、青葉ちゃんはホッと息を吐くとなぜか辺りを見回し始めた。
そして――、
「……それじゃあ、私が諏方お兄ちゃんの再婚相手に立候補してもいいのよね?」
そう言うと突然、彼女は少しかがんで俺の頬に軽く口づけをしたのだった。
「っ――――⁉︎」
あまりにも突然の事すぎて、俺の脳が事態を理解するのに数秒を要してしまった。
「それじゃ、また放課後お会いしましょ、黒澤四郎くん!」
そして東野先生は顔を真っ赤にしながらも嬉しそうな表情で、小走りでこの場を去ってしまった。
俺は未だ放心状態になりながら、しばらくキスされたほっぺを軽くさする。
そして、俺はのんきにこれと似たような事があったなぁ……っと、ある記憶を呼び起こしていた。
――あれは満月がよく輝いていた夜。
月明かりに照らされた墓所で、海のような青い髪の少女との二度目の再会。
別れ際、彼女は『妹』と同じように俺の頬に口づけをしてくれたのだった。
『――だって、月が綺麗な夜にまた出会えたのだもの。きっと、あたしたちは運命で結ばれているのだと思うわ』
そんな光景を思い出しながらも、俺は青葉ちゃんが走り去った先をずっと見つめていた。
「……たくっ、姉妹揃って大胆なこった」
俺は小さくそうつぶやいた後、多少の気恥ずかしさを心の中でゆっくりと落ち着かせつつ、自分の教室の方へと戻っていくのだった。
◯
――時折吹く風で木々をゆらす音のみが、静寂の中で響いていた。
夜の闇で照らされる光は月明かりのみ。深い夜の時間、道歩く人は誰もいない。
その場所からは、二つの町を見下ろす事ができた。城山市と桑扶市。都会らしさが強く出ている桑扶市は必然、この時間帯でも多くの建物が爛々とした明かりを灯し、反対にそういった施設の少ない城山市は町全体が寝静まったかのように深い闇を落としていた。
真反対の色で染まりながらも、混ざることなく隣接する二つの町。そんな光と闇の境目にそびえる小高い山が、狭間山と呼ばれる場所であった。
――その狭間山の麓、少し開けた草木の少ない広場に、一人の少女が二つの町を見下ろしていた。
灰色のローブからわずかに見せる黒く短い髪は風にさらさらとゆれ、右手に握るは鎖が巻かれた黒色の木製の杖。
町を見下ろすその瞳からは、彼女がどんな感情を抱いているのかは読み取れない。
夜の闇が山に降りてから数時間、少女はずっと同じ場所で町を見下ろしていたのだった。
「――また町をずっと眺めていたの?」
ふいに、少女の背中に声がかけられる。灰色のローブの少女は、やはり感情の読めない瞳で後ろに振り返る。
「……ヴェルレイン様」
森の木々の奥から現れたのは、少し肌寒さを感じるこの時間でも日傘をさした紫髪の魔女であった。彼女は妖しい笑みをたたえたまま、キレ長い瞳で少女を見つめていた。
「人間界に来てから数日、この時間になるたびにあなたはこの広場に来て、朝になるまで町をずっと眺めている。よく飽きないわね? それとも……早く『あの子』に会えるのを心待ちにして抑えられないのかしら?」
「っ……」
少女は何も答えず、再び町の方へと視線を戻した。そんな少女に寄りそうように、彼女の肩を魔女は日傘を左手に握ったまま右腕で抱きしめる。
「安心しなさい。もうすぐ会えるわ……あなたの親友であり、同じ師の元で学んだ妹弟子――シャルエッテ・ヴィラリーヌちゃんにね……」
――その名を耳にし、感情の見えなかった少女の瞳がわずかに、憎しみの炎を灯したのであった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
今回で『学園感染編』は完結となります。
今回は学校を舞台としたゾンビパニック映画風エピソード。
今までと比べて少し短めでしたが、楽しんでいただけたなら幸いです。
次回からは新章『二人の姉妹弟子編』がスタート。
新キャラ登場と共に、友情とは何かを問う物語となります。
お楽しみに!




