第17話 初めての温もり
「それじゃあ今日はもう遅いし、今後どうするかはまた後日話し合いましょう」
時計を確認すると、時間はとっくに深夜を過ぎていた。今回の大規模昏睡事故で学校は一週間ほど休みになるのだが、とはいえお互い遅くなりすぎるのはよくないだろう。
青葉ちゃんはイスから立ち上がると、気まずげな視線で白鐘を見つめていた。
「最後に……その……黒澤さんを…………白鐘ちゃんを……抱きしめてもいいかな?」
「ふぇ? …………ええええっ⁉︎」
今まで副担任として接してきた叔母の突然の提案に、普段クールな白鐘も派手に驚いてしまっていた。
「……ずっと私が白鐘ちゃんのお母さんの妹であるのを隠してた身で自分勝手なことを言ってるのはわかってるんだけど、その……一人の家族として、お姉ちゃんの娘である白鐘ちゃんに触れておきたいの……」
「それは……」
白鐘は戸惑いながら、オロオロとした視線を俺の方へと投げかける。嫌がっているわけではなさそうだが、素直に受け入れてもいいのか俺に判断してほしいのだろう。
「……お前の気持ち次第だがいいんじゃねえか? 俺たちがいて恥ずかしいってんなら、席も外しとくぞ?」
「あっ、いや、別に恥ずかしいとかじゃないけど……」
っと言いながらも、赤面で俺と青葉ちゃんを往復でチラッ、チラッと視線を振る白鐘だったが、一度胸に手を当てて深呼吸してから、真剣な眼差しで青葉ちゃん一人を見つめる。
「だっ、大丈夫ですっ……!」
意を決した姪っ子の返事に青葉ちゃんは一度うなずくと、壊れそうなものをそっと触れるように、白鐘の体を抱きしめる。
「っ……!」
「…………」
しばらく無言の時間が流れる。抱きしめられた白鐘は抱きしめ返すか迷っているのか、両腕を上げながらもワナワナとゆらしながらそこで止めてしまっていた。
「…………ごめんね、白鐘ちゃん」
「えっ?」
叔母である青葉ちゃんのふいの謝罪に、姪っ子はまた戸惑いの様子を見せてしまう。
「ずっと……ずっとあなたに私が叔母である事を言うか迷ってた。あなたの学校に赴任したのは偶然だけど、それでも何も言わずに黙って見守っていた方がいいんだってずっと自分に言い聞かせた。あなたの前でただの教師でい続ける事はつらかったけど、あなたが真実を知って、もし傷つけるような事があったらと思うとずっと言い出せなかった……」
「先生……」
「でも……やっと……やっと、あなたをこうして抱きしめてあげられた。大好きだったお姉ちゃんの子供……私の可愛い姪っ子……。ずっと黙ってたのに、ずっと会いに行かなかったのに……今さら家族らしいことをしたいだなんて思ってごめんなさい……! それでも……今こうしてあなたに触れているこの時間を許してほしいの……」
「先生……ううん、青葉叔母さま……!」
そう言って、白鐘はギュッと叔母の体を抱きしめ返した。その瞳からは一筋の涙が流れていた。
「っ……」
そうだよな……白鐘の母親は娘を産んですぐ亡くなってしまったから、あの子は母親の温もりを知らずに育ったんだ……。青葉ちゃんが母親本人じゃなくても、母親に近しい存在に抱きしめてもらうのはこれが初めてのはずだ。
――よかったな、白鐘……。
――そしてごめんな……この歳になるまで、お前に寂しい想いをさせちまって……。
「ふぅ……名残惜しいけど、そろそろ本当に帰らなきゃ……。白鐘ちゃん、私はあなたの叔母ではあるけど、学校では『東野先生』のままでいる事は忘れないでね?」
「……はい」
互いに腕を下ろし、涙を拭いながらも白鐘の表情は少し釈然としていなさそうだった。
なぜ青葉ちゃんが偽名で教師をしているのか、そこに娘はどうしても引っかかってしまっているのだろう。俺はある程度検討はついているのだが、それを俺の口から話すのは余計なお世話というものだ。
だがすぐに、白鐘はその疑問を吹っ切るかのように頭を横に小さく振った後、また恥ずかしそうに顔を赤らめながら、
「それじゃあ……プライベートでは改めて姪としてよろしくお願いします……青葉叔母さま……」
もじもじしながらそう伝える姪っ子に、青葉ちゃんはキュルンとなったようで白鐘をもう一度ギュッと抱きしめた。
「あー! もう可愛いっ! 赴任した時から思っていたけど、顔が碧お姉ちゃんそっくりで本当に可愛い!!」
「あ、青葉叔母さま⁉︎」
白鐘が戸惑うのも無理はないか。普段は教師としてしっかりとした姿を見せる青葉ちゃんが、ここまでテンションが高いところを見るのは娘にとっても初めてのことだろう。……まあ、俺も青葉ちゃんの事は小さい頃しかよく知らないから、彼女のこんな姿を見るのは同じく初めてなのだが。
「――っと、いけないいけない。白鐘ちゃんが可愛すぎてつい取り乱しちゃったわ。……それじゃあ、私こそ改めてよろしくね、白鐘ちゃん?」
いつものやわらかな笑みに戻った青葉ちゃんに安心したのか、白鐘もまだ少し顔を赤らめながらもうなずいた。
「それと……シャルエッテちゃん」
「――っ⁉︎ はい⁉︎」
またも振られると思っていなかったのか、驚いてビシッと姿勢を正すシャルエッテ。
「言い忘れていたけど、今日は助けてくれてありがとうね」
そして礼を言われるのも予想していなかったのだろう、シャルエッテは逆に困ったような表情になっていた。
「いえ、そんな……ヴェルレインさんの前では何もできませんでしたし、今回の敵を倒したのもスガタさんで、わたしは何も……」
「でも俺だけじゃあ、今回のゾンビ騒動の原因も解決方法もわからなかったし、馬金がいた場所にすぐにたどり着けたのもお前のおかげなんだぜ?」
「それに、私がゾンビになった生徒たちに襲われそうになった時も、シャルエッテちゃんが私の前に出て助けようとしてくれたじゃない?」
「お前は普段明るいくせに変なところでネガティブになる癖があるけど、もうちょっと自分に自信持っていいんだぜ? 少なくとも、今回一番頑張ったのはお前だと俺は思うぞ?」
俺と青葉ちゃんがシャルエッテのことを褒めちぎると、彼女は感極まったか、両目から滝のような涙を流した。
「わだじ……わだじ褒められて嬉じいでずぅ……」
ギャグマンガのような泣き方をするシャルエッテに俺たち三人はクスッと笑ってしまう。意図せずとも、彼女のおかげで先ほどまで重たかった場の空気が少しゆるんだようだった。
「それじゃ、俺は青葉ちゃんを玄関先まで見送りに行くから、明日学校ないとはいえ、二人はそろそろ歯磨いて寝ておけよ?」
本当は三人で見送ってもよかったのだが、青葉ちゃんとは二人で少しこみいった話もしておきたかったので、それとなく二人っきりになれるように彼女たちをうながしておく。
気づかずか空気を読んでくれたのか、白鐘たちは「おやすみなさい」と俺たちに返事すると、洗面所の方へと二人で向かっていった。
「…………」
「…………」
その後、俺と青葉ちゃんは無言のまま玄関へと向かい、そのまま扉を出て自宅横に停めてあった彼女の車の前まで歩いた。夏も近いとはいえ、まだ五月の深夜すぎの外は少し肌寒かった。
俺はバイクには多少知識はあるが、車に関してはあまりくわしくはない。そんな俺でも、目の前の黒くてスマートな車体は、どことなくお高めの車であろうぐらいの事は察せた。
「……諏方お兄ちゃんも、今日は助けてくれて本当にありがとう」
「いや……むしろ、こっちの事情に巻きこむ形になっちまって、改めてすまないと思ってる」
「ううん……白鐘ちゃんにずっと叔母である事を隠してた身で言うのもおかしいかもしれないけど、私だって諏方お兄ちゃんたちの家族なんだから、私に出来ることがあればぜひ協力させて……!」
「はは……正直な話、秘密を共有してくれる人が増えるのは、精神的な負担も減って助かるよ」
彼女と言葉を交わしながら、俺は不思議な気分を感じていた。
今こうしてできる青葉ちゃんとの会話は、生徒と教師としてではなく、義理の兄と妹としての会話である。学校では教師である彼女と話している時は多少なりと緊張を感じていたものだったが、今は近しい存在として自然に会話ができていたのだ。
「……大きくなったな、青葉ちゃん」
「ふふ、その見た目で言われると、なんだか変な感じがしちゃうわね」
「はは、違えねえ」
こうして笑いながら話ができたのなら、正体がバレるのも決して悪い事ばかりではないのかもしれない。
「……白鐘ちゃんは、蒼龍寺家のことについては知ってるの?」
ふいにトーンダウンした声で尋ねる青葉ちゃん。……本当は蒼龍寺の名も出したくないのだろうが、どうしてもその事について確認をしておきたかったのだろう。
「……いや、母親の家に関してはまだ話してないよ。……向こう側から関わらない限り、白鐘が知る必要もないからな」
「そっか……うん、私もその方がいいと思う」
蒼龍寺の家系はかなり特殊なもの。白鐘が知ってしまえば、ショックを受ける可能性は十分にありえる。知らないに越した事はないと思い、俺は娘に蒼龍寺のことを話した事はないのだ。
「蒼龍寺の名を捨てたのは、教師になるためか?」
「……東野は、私の亡くなった母の旧姓なの。教師は、私の小さい頃からの夢だったから」
「そっか……親父さんは元気か?」
「あら? 諏方お兄ちゃんはあの人のこと嫌ってると思ってたけど、様子は気になるのね」
「……善人とは言えねえが、悪人とも言い切れねえからな、あの爺さんは」
思い出したくもなかった老人の顔が頭に浮かび、俺は必死にそれを払いのける。
「まあ、娘である私も数年は会ってないけど、今でもピンピンしてると思うわ。というより、あの人が弱っている姿が想像できないわね」
「……それもそうだな」
碧と青葉ちゃんの父、そして白鐘の祖父にあたる男。俺も数回程度しか会った事はないが、あそこまで腹の内を見せない老獪な男もなかなかいない。できれば、白鐘にはあの爺さんと会わないままでいてほしいと願うばかりだった。
「……それじゃあ、確認しておきたかった事は聞けたし、私はそろそろ行くね?」
そう言って、青葉ちゃんは車の鍵を開けて運転席へと座る。シートベルトをかける最中、何かを思い出したように彼女は俺の方を見上げた。
「それと……シャルエッテちゃんや境界警察の人も言ってたけど、あの日傘を持った魔女さん? には、本当に気をつけて。いるだけで周囲を圧倒したあの威圧感……葵司兄さんのものとよく似ていた。多分……あの魔女さんは本当に強いんだと思う」
「お前も同じことを感じていたのか……」
ずっと兄のそばにいたからこそ、あの女の存在感が葵司のものと近かったのが青葉ちゃんにも伝わっていたのだろう。
底知れない――って意味では、葵司もあの女も同じだった。彼女と戦えば、俺も間違いなく無傷では済まないだろう……だが、
「安心しろ。俺は最強の不良であるお前の兄と互角だった男だぜ? あの女が襲いかかっても、必ず俺が白鐘たちを守ってみせるよ」
「……うん、それを聞いて安心した」
青葉ちゃんが車にエンジンをかける。俺はあまり車を使わないうえに若返ってからは余計に縁もなくなったので、間近で聞く車のエンジン音は久々だった。
「それじゃあ改めて……偽名で名乗っている者同士、これからもよろしくね、黒澤四郎くん?」
「……はは、こちらこそよろしくお願いします、東野先生?」
冗談を言い合う子供のような笑顔を互いに向け合った後、そのままゆっくりとした速度で彼女は自宅から走り去ってしまった。
「……可愛い顔しても、カッケー車に乗るのは様になるもんだな」
風ゆれる静かな夜空の下、俺は青葉ちゃんが走り去った道をしばらく見つめていたのであった。




