第16話 黒澤諏方の本音
一人の化学教師によって引き起こされたゾンビ騒動は、怪物化した元凶の撃破によってわずか数時間で終焉を迎えた。
大変だったのは、むしろその後の事後処理の方であった。
『次のニュースです。本日夕方ごろ、城山市内の高校にて、生徒と教師を含めた数百名が意識を失う事故が発生しました』
今自宅のテレビで流れたニュースの通り、あのゾンビ化事件は集団昏睡事故として処理されていた。原因は化学実験準備室の薬品漏れによるガスの発生によるものとされており、事故の原因として化学教師である馬金が取り調べを受けることになったのだ。
今回の件で馬金が捕まるまではいかないだろうが、彼は以前にも違法な実験や勤めていた大学の研究予算の横領などの疑いもあるみたいで、そちらの容疑で逮捕されるだろうと説明してくれたのは、今回の事後処理を担当した境界警察からだった。
今回の件はもちろん、これまでの二つの魔法使い絡みの事件でも彼らが事後処理をしていたのはわかっていたが、今回のゾンビ騒動を丸ごと昏睡事故としてマスコミにも報道させたりなど、思った以上に彼らのこの人間界での影響力の強さを改めて感じさせた。
ゾンビになっていた学校のみんなは病院に搬送後、彼らの今日一日の記憶を境界警察の連中が魔法で消去。今は全員が意識を取り戻し、大ケガを負った者もいなかったが、今日一日の記憶がなくなって戸惑う人も多く出て、安静のためにも今日は全員入院となったみたいだ。記憶が消えたのはガスの吸い込みによる意識の混濁によって起きたものとなったらしい。
現場にいた俺やシャルエッテ、そして白鐘は境界警察の取り調べを受け、解放後にこうして晩ご飯を食べ終えるころにはすでに深夜手前にまで時間が差し掛かっていた。
「ごちそうさまでした。とてもおいしかったわ、黒澤さん」
「……お粗末さまでした」
白鐘は珍しい光景に戸惑いながらも、食事を終えた後の食器をシャルエッテと共に片付けていた。
「っ……」
俺は気まずげな空気から少しでも意識が逸れるように、ただ無心に食後の茶をすすっていた――まあ、そう簡単に無心になれるわけもなく、湯呑みに口をつけながらも目の前に座る人物を薄目でチラッと覗く。
対面の席――本来は白鐘がいつも座っている席――で姿勢よく俺と同じ食後の熱いお茶をすする女性は、俺とシャルエッテと共に現場に立ったクラスの副担任、東野青葉だ。
彼女も俺たちと一緒に先ほどまで境界警察の事情聴取を受けていた。本来ならば一般人である青葉も他の学校関係者と同様、記憶を消去するべきではあったようだが、直に魔女と対面したために記憶が消えた状態で彼女に狙われると非常に危険だと判断され、他言無用の誓約の上で俺や白鐘と同じ記憶消去を免除されたのだ。
――余談ではあるが、俺たちに事情聴取をしたウィンディーネさんが今回の黒幕である『日傘の魔女』の名を聞いた途端、顔をこわばらせて、
『次に彼女と遭遇した際は、必ず私に連絡をください。貴方の実力は卓越したものであると存じた上で、それでもおそらく……彼女には敵わないと思われます。人間にはもちろん、我々魔法使いにとっても、魔女という存在は常識をはるかに超越した実力の持ち主なのです……』
――と、警告の言葉をいただいた。
……実際、次にあの女と遭遇した時に、俺がどうするかまでは今は考えられなかった。
一人の不良として、あの女と闘ってみたいという気持ちはある。だが……守るべき家族がいる以上、私的な感情に走ってもいいのかは悩ましい部分があった。
不用意に彼女を刺激すれば俺はともかく、家族に危険がおよぶ可能性は十分にありえる。
いろいろな感情が複雑に混ざり合い、どうするべきかがわからなくなっていた。
――次にあの女と出会う事を楽しみにしている自分と、なるべく家族をあの女から遠ざけたいと願っている自分が同居し、俺は未だ答えを出せずにいたのだった。
「――さて、お話のほどはよくわかりました」
――っと、余談が少し過ぎたな。
境界警察から解放後、俺は青葉にこれまでの事情を説明するために自宅に彼女を呼び、いつもより遅い時間帯の晩ご飯を彼女と一緒に食べていたのだ。
説明がどうしても長くなってしまうために、俺は食事前や食べてる間もこれまでの経緯をずっと語っていた。彼女は気になった部分にいくつか質問を挟みながらも、俺の説明のほとんどを黙って聞いてくれていた。
「目の前にいるのが若返った黒澤諏方さんで、諏方さんのお姉さんから生活費を援助してもらう条件として黒澤さんと同じ学校に偽名で通うことに。シャルエッテさんは魔法使いで、諏方さんを元に戻す方法を探すためにこの家で同居。これまで二人の魔法使いと戦い、今回のゾンビ騒動も魔法使いが絡んだことによって起こされた事件だった……と」
俺の説明を簡単にまとめたのを口にしているのは、改めて情報を整理するためだろう。
「……正直、全部が全部を『はい、そうですか』って簡単には納得はできていないけど、さっきまで起きた出来事や境界警察と名乗る方々と実際にお話ししてしまうと、どうしても信じざるをえないわね……」
表情には未だ釈然としていないという複雑な感情が見えていたが、それでも言葉の上では理解してくれたみたいだ。
「わりぃ……魔法使いの話については基本は秘匿ってのもあったんだが……ずっと騙していた形になったうえに、本来は何も関係ない青葉ちゃんを巻きこむ事になっちまって……」
「……気にしないで。何も知らなかった時に話されても信じられなかっただろうし、何より……私もずっと黒澤さんを騙していたようなものだしね」
チラッと気まずげな視線を自身の姪っ子に向ける青葉ちゃん。
「あっ! いや、その……あたしもあんまり気にしていないので……」
ちょうど食器を片付け終えた二人が俺の両隣に座る。
「…………」
実に気まずい空気が食事を終えた食卓に流れる。こういった状況はこれまでに何度もあったが、今までにいなかった人物が加わるとこれまた違った空気の重さで胃が痛くなってしまう。本来の俺の年老いた肉体だったら致命傷になりかねん。
そんな気まずい空気の中で、最初に言葉を発したのはシャルエッテからだった。
「その……ごめんなさい……わたしが悪いんです。わたしがあの川で溺れていたのを助けられていなければ、今日みたいにスガタさんもシロガネさんも……ヒガシノ先生もひどい目に遭わずに済んだかもしれないのに……」
「シャルエッテ……まーたお前はそうやって変なところでネガティブになりやがって」
「でっ、ですが! ……ヒガシノ先生に責められるべきはわたしであって――」
「シャルエッテさん、私は何も怒っているわけじゃないのよ。ただ……いろいろありすぎてまだ頭が混乱しているのよ。あなたに悪意がないのは、諏方さんのお話を聞いていれば十分にわかるわ」
青葉ちゃんはそう言って湯呑みの中身をすすり終えると、テーブルに静かに置いて真剣な眼差しで俺を見つめる。
「それで……諏方さんはこれからも自分の正体を隠したまま、学校に通い続けるの?」
重苦しかった空気に一気に緊張が走る。彼女の瞳からは、その問いの真意は読み取れない。どう答えるべきかすぐには言葉が思い浮かばなかったが、頭の中で少し考えを整理すると、俺は両手をテーブルに突いて頭を下げる。
「わりぃ、青葉ちゃん! 見た目若くなっちまったとはいえ、中年のオッサンの俺が自分の担当するクラスの生徒でいる事が気持ち悪いって思うのはわかってる。それに……今回のゾンビ騒動だって、俺が学校にいなけりゃ起きてなかったかもしれねぇ……」
俺みたいなオッサンがいない方が青葉ちゃんの気も休まるだろうし、何よりあの魔女の言葉通り、俺がいたからアイツはあの学校を狙ったようなもんだ。俺がいなければ……あの学校が狙われるような事もなくなるかもしれねえ。でも――、
「――それでも……俺があの学校を通う事を許してほしい……! 魔法使いが俺だけを狙っているなら問題ねえけど、俺の娘である白鐘、それにあの魔女に目をつけられてるシャルエッテや、下手したら青葉ちゃんまで奴らに狙われるかもしれねえ。そんな時、俺がそばにいなくてみんなを守れねえのだけは嫌なんだ……!」
「お父さん……」
「スガタさん……」
「…………」
「……自分勝手なことを言ってるのは重々承知だ。でも……白鐘たちだけじゃねえ、学校のみんなも含めて、手の届く範囲まで必ず守ってみせる。この命を懸けて、あの魔女からも他の魔法使いからもみんなを守ってみせる……! だから――」
「――一人の大人として、誠実さが感じられる答えね。でも……諏方お兄ちゃん自身の気持ちはどうなの?」
ピシャリと俺の言葉が遮られ、再び真剣な口調で青葉ちゃんにそう問われた。彼女の眼差しも、依然としてまっすぐなまま。
「俺自身の……気持ち……?」
「建前としては立派だし、その言葉に嘘偽りがないのもわかってるわ。でも……本当にそれだけなの? 諏方お兄ちゃん自身の意思は――本音ではどう思ってるの?」
「っ……」
考えた事もなかった――いや、考えないようにしていたのかもしれねえ。
俺が学校に通うのは、あくまでそれが姉貴に提示された条件であって、同時に白鐘たちを守るため以外の理由なんて考えもしなかった。
あの学校には……あのクラスには白鐘がいる。シャルエッテがいる。進ちゃんがいる。そして――俺の正体を知らずに、屈託のない笑顔を向けてくれるクラスメートたちがいる。
心のどこかで、彼らが俺の正体を知った時にどういう反応をされるのか、怖いと思うような事は何度もあった。
でも――それだけじゃない。
俺が若返ってからまだ一ヶ月と少し。時間はまだそれほど経っていないのに、目をつむって頭によぎるのは白鐘たちと、そしてクラスメートたちとのなんでもないような日々の思い出。
ああ――そうか。
俺はとっくに、この学校生活を楽しんでいたんだな。
だからこそアイツらを巻きこみ、俺の日常を崩そうとした馬金が許せなかったんだ――。
「……気持ちわりぃよなぁ。四十すぎたオッサンが、若い連中とつるんで楽しいんだって思っちまうなんて……」
自分の年齢を偽って高校生活を楽しむ。側から見ても人でなしだなと自分でも思っちまう。
かつての高校時代が決してつまらなかったわけじゃねえ。後悔した事は何度もあるし、つらい事もたくさんあったが、それ以上に楽しい思い出だって十分にあったんだ。
それでも――、
「――学校に通いたい。白鐘たちと、クラスのみんなと……なんでもないような事でまた笑い合いたいんだ」
正真正銘、嘘偽りない本音を言葉に乗せる。彼女と同じようにまっすぐな瞳で見つめながら。
「……うん、それが聞きたかった」
俺の答えを聞き、ようやく青葉ちゃんの表情に柔らかな笑顔が戻った。
「諏方お兄ちゃんと葵司兄さんが高校生の時、まだ私は幼かったけど、それでもお兄ちゃんたちが激動の時代を駆け抜けていったのは知ってる。あの時の激しかった青春もいいかもしれないけれど、私も諏方お兄ちゃんのお姉さんと同じで、貴方にはそれとは違った青春を歩んでほしいって思ってる」
「青葉ちゃん……」
「今は東野先生よ?」
「あっ! わりぃ……つい昔の名前で呼んじまってた」
「ここではともかく、学校では気をつけるようにしてね? シャルエッテさんも、諏方さんの名前を呼ぶ時は気をつけるように」
「あっ、ハイ⁉︎」
話を振られるとは思っていなかったのか、シャルエッテは驚いて立ち上がりながら返事をする。
「生徒の保護者が同じ学校に通うだなんて、いち教師としては認めるべきじゃないんだけれど……私もいろいろ知っちゃったし、これからは、私もなるべくあなたたちのサポートをしていこうと思うわ」
「先生……それじゃあ――」
「――ただし、黒澤さんやシャルエッテさんはもちろん、クラスメートや学校のみんなも必ず守り抜いてみせると約束して。それが……若返って力の戻った諏方さんが負うべき責任よ」
笑顔ながらも、口調は真剣そのもの。
それは生徒たちの教師であり、蒼龍寺青葉という一人の人間としての心からのお願いのように聞こえた。
「……わかってる。今後、どんな敵が出てきたって必ずみんなを守ってみせる……! もちろん……青葉ちゃんのこともな?」
「っ――⁉︎」
突然、青葉ちゃんの表情が崩れて赤く染まった。
「もう……! だから青葉ちゃんじゃなくて東野先生だってば!」
「あっ! またやっちまったな、ハハ……」
俺はなんだか照れくさくなって頭の後ろをかいてしまう。
「もう……あんまり先生をいじめないでよね、お父さん」
「アオバちゃんさん……可愛いお名前です……! あっ、でもそう呼んじゃだめなんですよね? テヘヘ」
気づけば、四人して笑い合っていた。
先ほどまで食卓を包んでいた緊張感がようやくほぐされ、いつもの日常に戻ったかのようだった。
いつもだったら三人で囲んでいた食卓。そこに、俺の亡き妻の妹である青葉ちゃんがいてくれている。
「…………」
白鐘が生まれた直後に亡くなってしまい、娘と一緒に食卓を囲む事が叶えられなかった碧。
――青葉ちゃんが、白鐘と一緒に笑ってくれている。
その光景があまりにも嬉しくて、俺は笑いながらも涙が流れそうになるのを必死に堪えていたのだった。




